閑話後編「アリスと遊ぼう」
「はぁ……はぁ……。何なのよ、あいつ」
玄関まで逃げてきたところで切れた息を整える。後ろを振り返っても、もう誰もいなかった。なんとか逃げ切れたみたいね……。
(イズさん、凄い発狂具合だったね!)
「あんた、本当に殺されたいの?」
(すみません)
早口で謝られた。
まあ、簡単には許さないけどね。今の私はいつかエルに胸の貧しさを揶揄された時以上に殺意に溢れているわよ。
「ともあれ、これでクリアってやつなのよね?」
昇降口の扉に近付く。背後を警戒しながら、取っ手に手をかけた。解放感と達成感に包まれて、両開きの扉を開け放つ。
【あれ? 開かない?】
「は?」
【駄目みたい……。不思議な力で扉が開かなくなっちゃってる。仕方ないわ、見回っている用務員さんを探しに行きましょう】
「は? は? 私バカなの?」
(熱い自虐が飛び出しました)
カズヤが茶々を入れてくるけど、混乱して返事を返すこともできない。そこらの物に当たりたい気持ちを抑えながら腕を振り回す。
「いやいや、幽霊から逃げてきたのよ? まさか忘れたの? なんで呪文も使えないのに、こんなに余裕なのよ!」
(めっちゃキレてるぅ……)
カズヤのドン引きした声が頭に虚しく響く。そりゃ怒るでしょう。恐怖を怒りに変えてないとやってられないわよ、こんなの。
でも、ここで喚いていていても事態は悪くなるだけよね……。
そもそも、どうして窓から逃げられないのよ。途中で確認してみたけど、その時はメッセージすら出なかったわ。このゲームとかいう世界、現実的じゃなさすぎるわよ。
「もうこうなったら自棄ね。さっさと終わらせましょう」
お腹の部分の服を右手で握る。用務員についてのヒントが何も無いっていうので一層気が遠くなるけど、やらないと終わらないなら、やらなきゃ。
(おお、意外と早い決断だね)
「ふんっ。私を誰だと思っているの? 人類を救った大賢者よ。この程度、なんて事無いわ」
(……声震えてますけど)
「黙りなさい。ちょっと寒いだけよ」
顔を手で覆い、ネメス達の顔を思い浮かべる。わずかに恐怖が和らぐのを感じた。
大丈夫、何も怖くないわ。現実に帰ったら皆が近くにいるはず。怖れることなんて皆無よ。
ただ、とりあえず今日のところは、ネメスと一緒に寝ることにしましょう。
あれから用務員とかいうのを探して職員室や音楽室、理科室を回ることになった。
そして新しい場所へ行く度に、私は全く嬉しくもないイベントばかりに遭遇することになる。
独りでに鳴るピアノ。気付いたら背後に立っている人体模型。そして不意に現れて追跡してくる黒髪少女アリス。
幸か不幸か、失神はできない仕様だったから、半狂乱で逃げ惑っているんだけど。いつか精神に異常をきたしそうな遊戯だわ。
「レイチェル、一体どこにいるのよ……」
不安を紛らすように呟く。カズヤの返事は無い。また彼女と話してるのかしら。
一階の廊下は静寂に満ちている。あの不気味な足音がしないだけで、この静けさも幾分かマシに思えた。
五度ほど周りを見渡してから、次の探索場所、女子トイレに入る。傍目から見たら完全に不審者だろう。しかしカズヤが観察していようが、もう体裁も気にしていられないのだ。
「あっ!」
そこで、思いがけないものを見かけた。
ちょうど一番奥にある個室の前、三番目の扉の前に、この場に似つかわしくない金髪がなびいていたのだ。
「レイチェル!」
扉を閉めることも忘れ、彼女に抱きつく。いつも通りレイチェルは無表情だったけど、ちゃんと私を受け止めてくれた。安心させるように背を撫でてくれる。
「よかった、無事でしたか。イズ様の絶叫がしばしば聞こえてきたので、心配していたんですよ」
「うぅ……」
安堵からマトモな言葉が出ない。彼女の温もりが凄く心地よく感じた。
ほとんど話したことが無い相手にこんな醜態を晒すのは自尊心が傷つけられるけど、この際そんな物はどうだっていい。
唯一の救いは、彼女が年上だったことね。これがノエルやサタンだったら、情けないにも程があるわ。
(おっ。ようやく合流できたんだね。じゃあここで二人の持っている情報を共有しておこうか。もう終盤だよ。二人とも仲良く頑張って! 仲良く、ね!)
なぜか念を押して二度と言われたけど、何なんだろう。邪な感情が見え隠れする言い方だったわね。
気付けば頭の中にレイチェルが目覚めた時から辿ってきた道のりが流れ込んでいた。これがカズヤの言っていた情報共有ってやつね。
確かに彼女の入手した情報やアイテムがあれば、今まで開かなかった部屋や解けなかった謎については幾つか解決しそうだわ。
「では、早く終わらせてしまいましょう」
私の体をそっと剥がして身を翻すレイチェル。もうここの探索は終えたらしい。
「そうね。……あれ?」
私も彼女に続いて歩こうとしたが、脚が震えて言うことを聞かなかった。仲間と一緒になった途端、また恐怖が頭をもたげてきたんでしょうね。
どうやら私はすっかり変わってしまったみたいだ。
ヴィーレ達に出会う前までは一人が当たり前だった。だから一人で頑張ることだって日常だったし、そこに疑問を感じたことすら無かった。
強くあろうと、弱さを見せぬようにと努めていたんだ。
だけど今は、みんながいる。私が弱くいられる場所がある。過去の私が見たら、「弱くなったものね」と嗤うでしょう。
「……イズ様、お手を拝借します」
「えっ」
私の様子を察したレイチェルが引き返してきて手を取った。こちらを見ながら慎重に歩みを進めていく。少しだけではあるが、その顔は微笑んでいた。
「あ、ありがとう……」
……そうよね。忘れたらいけないわ。私は弱くなったかもしれないけれど、ちゃんと前には進んでいる。立ち止まっても手を引いてくれる仲間がいるのよ。
私も、レイチェルも、みんなだって、少しずつ前に進んでいる事を忘れちゃいけないわね。
彼女と合流してからは早かった。現実的でない謎解きも、幽霊との追いかけっこも、二人で協力すればそう難しくはなかったからだ。
「後は、職員室の鍵入れから校門の鍵を入手すれば終わりよね?」
「はい。この学校からの脱出が最終的な目標であるなら、きっとそのはずです。……それより、イズ?」
彼女はもう私の事を呼び捨てで呼ぶようになっていた。まあ、私からお願いしたんだけど。案外すんなり聞き入れてくれたのは驚きだったわ。
「抱きつかれていると歩きにくいんですが」
いつも通りの無表情が私を見下ろしてきた。眉だけが困ったように若干寄せられている。
レイチェルの言うとおり、私は彼女の腕にぶら下がる勢いでしがみついていた。引きずられるような形で渡り廊下を進んでいる。
「仕方ないじゃない。怖いんだから」
「……もう、本当にしょうがない子ですね」
少し笑われた気がしたけど、今は気にしないでおこう。それより――――
(眼福、眼福。このカップルも結構アリだね。レイチェル攻めのイズさん受けなんて未知の領域では……? 何にせよ、吊り橋効果バンザイ!)
「カズヤ! あんた、さっきからうるさいわよ! 攻めとか受けとか何か知らないけど、気持ち悪いこと考えてんじゃないわよ!」
頭の中にずっと漏れてきていた声へ怒鳴り散らす。言葉の意味は分からなくても、声のトーンでいかがわしい事を考えているのは分かるのよ。
(おっと、失礼失礼。ちなみにイズさんの言うとおり、校門の鍵を入手してそこから出れば、ゲームはクリアだよ)
「長かったですね。……ところでこのゲームというのは、現実時間では一瞬の出来事なんでしょうか」
「あー、言われてみればそうね。カズヤが不変の呪文をかけてくれた事を考えると、一晩で終わることは想定していなかったように思えるけど。多分この世界の時間と現実の時間の進行は同じなんだと思うわ。でも、そうだとしたら、この夢が始まってからどれだけの時間が経ったのかしら?」
(現実では……六時間は経ってるね。ヴィーレ達四人とエル達二人はもう先に上がってるよ)
「ということは、ネメス達とレイブンもまだ夢の中なのね」
(よく覚えてたね。まあ、ネメスとノエルは育てたモンスターに愛着が湧いちゃったみたいで、全然クリアしてくれないだけなんだけどさ)
容易に想像できる光景だわ。ネメスはともかく、ノエルもやっぱり普通の子どもなのね。この前ネメスの飼ってる猫を可愛がってたし。無表情で肉球を揉みまくってたわ。
「和也、レイブン様はどうなさっているんですか?」
(あ、あぁ……。レイブンなら、幼なじみのヤンデレ属性キャラに殺されるエンディングばかり見ているよ。リアクションが面白くて、彼の担当である僕の分身はずっと爆笑してる)
「最近あんたがサイコパスか何かに思えてきたわ」
(酷い汚名を着せられてるなぁ。前にも言ったけど、これは必要な事なんだよ)
「ふぅん。……それって」
「イズ、着きましたよ」
私の言葉はレイチェルによって阻まれた。彼女の肩で見えなかったけど、確かに目の前には目的地である職員室の扉がある。
とうとう、この薄気味悪い場所から抜け出せるのね……。精神が磨り減る遊びだったわ。もう死んでもやりたくないもの。
「……よし、行きましょう」
「はい」
覚悟を決めて彼女から体を離す。
傾向は掴めてるのよ。どうせ只じゃ終わらないんでしょう? この先のどこかで、絶対に何かが来るわ。
そうなった時、レイチェルの足まで引っ張るわけにはいかない。最後は自分一人の足で歩くのよ。
鍵を開けたレイチェルは躊躇いなく中へ入っていった。私もそれに倣う。
例のごとく、電気はつかない。途中で手に入れたアイテム、懐中電灯はレイチェルが持っているため、私は彼女の金髪を追うだけだ。
「これが鍵入れですね」
隅の壁にあった鍵入れを開ける。その中から、校門の鍵を入手した瞬間――――
【「逃がさないよ」】
可愛らしい、それでいて心臓を掴むような細い声が聞こえた。
声の発生源である背後を振り返ると、あの黒髪少女が笑っていた。目は見えず、口元は裂けそうなほどにつり上がっている。
突然、彼女は前に倒れた。
顔を顔を上げた少女の両目からは止めどなく血が流れている。腕はひしゃげ、足からは骨が飛び出ており、なぜか目玉は無い。
「イズ、逃げますよ!」
レイチェルの声で恐怖の渦から抜け出す。そうだ、走らないと。
もつれそうになる足を必死に動かして職員室の入り口まで駆ける。
先に着いたレイチェルが扉を開けている隙に、やめておけば良いものを、私は振り返ってしまった。
【「待てえぇぇっ!」】
地の底から轟くような怒号と共にアリスが高速で這い寄ってくる。後ろから私を呼ぶ声が聞こえた気がした。動かなければ駄目なことは分かっている。だけど――――
「ごめん! やっぱり無理!」
ポケットからケータイを取り出し、開く。瞬間、空気の流れが止まるのを感じた。
よかった。このメニュー画面とかいう機能、最後までお世話になったわね。とりあえず、一旦ここで落ち着きましょう。
荒れた呼吸を整えようとしていると、不意にケータイが冷たい何かに掴まれた。そのまま横にずらされる。その後、視界に広がっていたのは――――
【「捕まえた!」】
狂気的な笑みを浮かべた、黒髪少女の姿だった。
(残念! ノーコンティニューでエンディングまで行くかと思いきや、最後の最後でゲームオーバーになっちゃったね!)
ムカつくくらいに嬉しそうな声で目を覚ます。私が立っている場所は音楽室前、最後にセーブをした場所だ。
レイチェルと遭遇した後だったため、隣に彼女は立っている。私と同じく、呆然としている様子だった。
「な、何が起こったの……?」
(いやぁ、ビビるよね。ラスボスの時だけメニュー画面での時間停止が拒否されるって仕掛けさ。ハハハッ、僕も初めは引っ掛かって椅子から転がり落ちたよ)
やけに愉快そうに語るカズヤへ更なる殺意を抱く。今ならどんな魔物にも負けないくらい魔力が高まっているでしょうね。
「イズ、大丈夫ですか?」
「ええ……。ところで、さっきまでアイテム欄にあった物がいくつか消えてるんだけど、これはもしかしなくても……」
(そうだね、やり直しだね)
嘲笑混じりに残酷な事実を告げられる。こいつ、本当にクズ野郎ね……。
それから、私達はもう一度同じ道を進み、二度目にして文字通りの悪夢から脱出することができた。
レイブンと協力して、カズヤには同レベルの地獄を味あわせてやったわ。回復呪文にあれほど感謝した事はないわね。




