昔話⑪「三つの棺」
走る。ただ何も考えず、振り返ることすらせず。馬車の後ろに乗る子供達の泣き声を背中に感じながら。
それは今朝の出来事だった。突然、悪魔が人間の国から追放されることが決まったんだ。理不尽にも、オレ達の安穏とした生活は幕を閉じざるを得なくなった。
急いで必要な物を用意し、信頼できる知人にエンジェルズの留守を任せた後、オレは皆を連れて国を去った。
ヴァンプやアトナ達が冷静に振る舞ってくれたおかげで、なんとか誰も怪我をすることなく逃げ延びている。
「止まれ! ……ここらで良いだろ」
鬱蒼とした森を過ぎた辺りで馬から降りた。上空には曇天が広がっている。こんなんじゃ気分も晴れないな。
「サタン、話がある。ちょっと来い」
呼ばれたサタンは泣きじゃくっている女の子達から一旦離れ、こちらに駆け寄ってきた。
「何?」
「この先は一本道だ。行き着くと、崖に面した対岸が見えるだろう。その更に先には広大な大地が広がっている」
「だね。何回か呪文で見たことあるよ」
「そうか。なら、話は早い。そこに、『異世界のありとあらゆる物が入った黒い箱』がある。お前らはそれを使って、新しい文化や知識のもとで暮らしていけ。後々、他の町からも悪魔達が避難してくるはずだ。この一帯の魔物は強い。人間も簡単には近付けやしないさ」
「……イスターは、どうするの?」
「オレは王のところまで直接行って、差別を止めるよう訴えてくる」
「そんなっ! 駄目です、イスター様!」
聞き耳を立てていたヴァンプが腕を掴んでくる。その背中には、眠っているオレ達の子がおぶられていた。
「ヴァンプちゃんの言うとおり、危険ですよ」
アトナもそれに続くように止めてくる。馬から降りて近寄ってきた。その姿は若い頃のままで、耳には黒い珠が光っている。
「百も承知だ。だが、こんな馬鹿らしい身勝手を許しておけるかよ。……すぐに戻る。お前らはサタンやラヴィ達と一緒に行ってくれ」
「嫌です! イスター様も一緒に……!」
すがりつくヴァンプの手は振っても振っても離れない。
初めて自身の欲を叫んでくれた彼女に心が締め付けられるが、今ここで甘えるのは許されない。目を瞑って短く告げる。
「アトナ、連れていけ」
「……命令ですか?」
「お願いだ。こいつとウィッチを守ってやってくれ」
「……はい、ご主人」
アトナは存外早く決断した。ヴァンプの手を引き、有無を言わさず歩いていく。ヴァンプも勿論抵抗はしたが、力の差は歴然だった。
「頼んだぜ」
小さくこぼしたところで、まだ横にサタンがいることに気づく。
防寒対策として羽で体を包んでいる。その表情は珍しく険しかった。
「さあ、お前も行け。色々大変だと思うが、あいつらの事は任せた」
「……いいよ。でも、気を付けてね? みんなで待ってるから」
「ああ。帰ったらお礼をするよ。リンゴなんかよりもお前が喜ぶ物を知っているんだ。期待してろ」
言うと、返事を待たずに歩いて来た道を戻る。
適当な町で馬を買って、さっさと頭のイカれた王様と話をしねえとな。
「……とんでもねえ役回りだな。面倒極まりないぜ」
呟いた頃には、もう子供達を乗せた馬車は米粒みたいに遠くなっていた。
頬を刺す冷気に顔が強ばる。吸い込んだ空気が胸を凍らせるような心地だ。
歩くこと数時間、寒さとは別の要因がオレの動きを鈍くしだした。
「そろそろトリス町に着くな。こんなに時間がかかるなら、馬を借りてくれば良かった」
独り言を言う間にも、歯が喧しくガタガタ鳴った。疲れから、霜の積もる地面に今にも倒れこみそうになる。もう三十代だってのに、こんなに体を張る仕事をする事になるとは。
「どうせ簡単には済まないんだろ。はぁ、一切合切が知らないうちに終わってくれたら楽だったのによ」
しかし、もうそんな訳にもいかないだろう。人間や悪魔がどうなろうが、この後オレが死のうが興味はない。ないが、家族やアトナのためには、生きて帰らねえとな。
両手の上に黒い箱を二つ出現させる。その中を確認したところで、ちょうど二匹の馬の吐息と足音が聞こえた。
「イスター様っ!」
振り返るまでもなく、声だけで誰かは分かった。必然的にもう一人の人物も察しがつく。前を向いたまま、震えを堪えて声を出す。
「……アトナ、オレとの約束を忘れたのか?」
「いいえ、覚えてます。ヴァンプちゃんがご主人に付いていくと聞かなかったので、ご主人のお願いを守るために、私も一緒に来ました。ウィッチちゃんは一時的にラヴィ達へ任せています」
「そうか……」
アトナの声は勝ち誇っているように聞こえた。オレの考えを裏切ることができたと思って、得意になっているみたいだ。そのしたり顔が目に浮かぶ。
ポケットに手を突っ込み、後ろを向くと、二人とも馬から降りてこちらへ歩いてきていた。
「イスター様、ごめんなさい……。でも私、どうしても心配で……」
「心外だな。オレが簡単にやられるとでも?」
「え? はい」
「なんだと……」
さも当然だと言わんばかりの態度だった。
ひょっとして、オレの評価ってそんなに高くないんじゃないのか? 今までの格好つけは何だったんだよ。
「とにかく、そういう訳なので、私達も付いていきます! ずっと隣にいるって、約束しましたから!」
突然走り、勢いを殺さずにオレに突っ込んでくるヴァンプ。それをなんとか倒れないように受け止める。オレ達の様子を、アトナは少し離れた位置で眺めていた。
「……分かった。ただその前に、話しておきたい事がある」
「もしかして、以前私に約束してくれた、ご主人の五つ目の呪文についてですか?」
「ああ、よく覚えてたな。お前にも教えていい時期がやっと来たんだよ」
ヴァンプを一度抱き締めるとポケットを探り、先ほどの黒い箱を取り出す。その中に一つずつ入っていたのは真っ赤な腕輪だった。
「ヴァンプは知ってるから退屈だろうけど、ちょっと我慢しててくれ。……寒いだろ。これ、装備してろよ」
指に通してクルクル回していた腕輪を、彼女達に投げ渡した。
「これ、何ですか?」
「炎のブレスレットだ。なんと、装備すると体が温かくなるんだぜ」
「ふぅん。便利だけど、特殊装備にしてはショボいですね」
「……お前も馬鹿にするのかよ」
悪意は無いんだろうが、だからこそ傷付く事もあるんだぞ。「ホカホカです~」つって幸福感に浸っているヴァンプを見習え。
「それで、五つ目の呪文って何なんですか?」
よほど気になるのか、速攻で話を戻すアトナ。そんなに急がなくても、この期に及んで教えないなんて事はしないっていうのに。
「せっかちだな。じゃあ、教えてやるよ。オレの使える呪文はイグニッション、サモン、ブラックブロック、コレクト。そして最後は……」
そこで口を結び、アトナの近くに寄る。隣まで行ったところで肩を掴み、彼女以外の誰にも聞こえないように、耳元で囁いた。
「⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛だ。比喩なんかではなく、言葉通りの効果だよ。この意味が、お前には分かるか?」
オレの問いに彼女は答えなかった。しかし、その沈黙が一種の答えでもある。
長い長いオレの話をアトナは最後まで黙って聞いていた。這い寄る終焉の予感に、その瞳を震わせながら。
――――それから十日ほど経ったところで、オレ達は城まで辿り着き、王に直接会うことすら敵わず、門番の兵士によって取り押さえられた。その日からオレ達の姿を見た者はいない。




