昔話⑩「人殺し」
ヴァンプがうちに来て、早くも一年が経とうとしていた。
オレに対する警戒も解け、最近は笑顔もよく見かける。今でもビクビクしてるのには変わりないが、これでもかなり打ち解けた方だ。
悪魔集めも順調。ラヴィとフォクシーのおかげで、オレが何もしなくても金がどんどん貯まる。もう今は部屋も一杯一杯だし、年長者達が出ていくまでは購入できないだろうな。
「ご主人様、コーヒーお持ちしましたよ」
部屋の扉が開く音。そしてこちらに歩いてくる足音が続く。振り返る前に、オレの向かう机の上に青いマグカップが置かれた。
顔だけ横に向けると、そこには可愛いヴァンプが可愛い笑顔で可愛らしく立っていた。要するに可愛い。
「ちゃんと砂糖とミルク入れたか?」
「はい! 増し増しです!」
胸の前でガッツポーズしてみせる。
随分と元気になったもんだ。痩せ細って何にでも怯えていた頃が嘘のようだな。一年経ったというのに、オレにはつい先日のことのように感じられるぜ。
「ありがとう。いただくよ」
「いえいえ。えへへ……」
礼を言って笑ってやると、彼女は謙遜しつつも喜んでいた。
アトナの言っていた通り、どうやらヴァンプは頼られないと酷く不安がるらしい。逆に何か仕事を任せて褒めると、目に見えて分かりやすくご機嫌になる。
アトナ同様、捨てられたりするのが怖いんだろうか。心配しなくても、そんな外道な真似はしないんだが。
「ご主人様も、最近はちゃんとお仕事やってるんですね」
「ああ。面倒だけどな」
目の前の紙束を見てげんなりする。
まさかオレが子供らに勉強を教える羽目になるとは。ヴァンプに褒められるから良いものの、ダルい事この上ないぜ。
オレのそんな自堕落な態度を見て、彼女は勢いよく両手を合わせた。
「面倒なのに教材や課題まで用意してあげてるだなんて!」
「プラス思考にも拍車がかかってやがるな……」
ていうかオレは、ヴァンプに教えるついでにあいつらにも勉強させてるだけなんだが。今まではアトナに全投げしてたし。
余計な事を漏らさないように、甘々コーヒーと共に言葉を飲み込む。
「お前も仕事ができるようになってきたな。もうそろそろ、一人立ちもできる頃合いじゃねえか?」
「一人立ち……?」
「ん? ああ」
ただの比喩として言ったつもりが、彼女はなぜか悲しそうに眉をひそめた。
「私はずっとここにいたいです……!」
バッと膝をついてこちらを見上げてくる。そこでオレは自分の発言を振り返り、ハッとした。慌てて彼女の肩を掴む。
「そ、そういう訳じゃない。立派になったなって言いたかっただけだ。お前はずっと傍に置いておくつもりだよ」
危ない。こいつもどこかに行くのを怖がってるんだった。さっき自分で考えていたのにもう忘れてしまっていたな。もうサタンの事を鳥頭ってバカにできないぞ、これは。
「……ふふっ」
不意にヴァンプが笑いを吹き出した。何がおかしいのか、クスクスと笑っている。
そしてオレの顔を見ると、目の端に溜まった涙を指で拭って謝ってきた。
「ご、ごめんなさい。なんだか、ご主人様が焦っているのが珍しくて」
そこまで言ってもう一度笑いをこぼす。顔が熱くなるのを感じた。彼女から目を背け、精一杯の勇気を出して応じる。
「……それだけオレもお前のことを大切にしているってことだ」
「ご主人様……」
今、彼女がどんな表情をしているのかは分からない。ただ、それから二人の間に沈黙が降りたことだけは確かだ。
人生で最も一分が長く感じられた。手を握られた後、顔をそっと彼女に向けられる。視界に入ったその子の笑顔は、今までで一番綺麗だった。
「最初は怖かったけど、ご主人様は本当は凄く優しい方です。拾ってくれて、ご飯も寝床もお風呂も、全部くれました。感謝してます。でも、それ以上に、私はあなたが大好きです」
この曇りなき笑みに、どう返すのが正解なんだろう。嬉しいはずなのに、手放しで喜べない。
「……依存なんかじゃないですよ。ご主人様のぎこちない優しさは、私にもちゃんと伝わっています」
ヴァンプはオレの答えが返ってこないのを誤魔化すように再び言葉を紡いだ。
何してるんだ、オレは。彼女が想いを伝えてくれてるなら、誠意をもって返すべきだろう。
情けないと思いながらも、掴まれている手を握り返す。そのまま目を閉じて、静かに語り始めた。
「オレは人殺しだ」
「……はい。この前聞きました」
「そんな奴と一緒にいたいのか?」
「はい。ご主人様達と一緒なら、きっと何があったって楽しいです。それに、まだ殺した訳じゃないんですよね?」
「……ああ。だが、お前やアトナ達ですら殺してしまうかもしれないんだぜ。それだけの危険を冒すんだ」
「だからこそ、ですよ」
急にぐいっと体を寄せられ、彼女の顔が接近する。次の瞬間には、その唇がオレのそれと重ねられていた。目を見開くオレと対照的にヴァンプは瞼を閉じていて……。
すぐにオレから離れると、さっきとは違う照れた笑いを浮かべた。
「私があなたのことを止めてあげます。暗いイスター様なんて見たくありません。人殺しなんて、絶対にさせませんから」
その手はどこまでも温かかった。体の奥がほんのり熱い。抱き締めると無言で抱き締めかえされ、顔を見つめると目があった。
「ありがとう。……ヴァンプ、好きだ。いつまでも隣にいてくれ」
「はい。その言葉を待っていました」
そしてもう一度オレ達は口づけを交わした。脳が溶けそうなほど甘いキスだった。
幸せだ。この時が永遠に続けばいい。そのためだったらどんなに面倒なことでもやれる気がした。
だからオレは、それを許さない運命を変えたかったんだ。
――――十二年後、幸せの絶頂とも言うべき瞬間に、何の前触れもなく悪魔への迫害が始まることを、まだ彼女達は知らない。




