昔話⑨「相棒」
食事を終え、みんなはそれぞれの自室やお風呂に行ってしまった。
私はというと、ヴァンプちゃんの食器洗いを手伝っている。台所に彼女と二人きりだ。例に漏れなく近代的な造りのキッチンで雑談を交えながら大量の食器を洗っていく。
「ヴァンプちゃんってさ」
そこで兼ねてから彼女に聞きたかったことを尋ねることにした。言うまでもなく、ご主人のことだ。
「ご主人の呪文、知ってる?」
「えっ? はい、教えてもらいましたよ。五つくらいあるんですよね?」
やっぱり。私の予想は的中した。
あのご主人、ヴァンプちゃんの事が好きだからか、彼女にだけ物凄く甘い。警戒心の強い彼でも、もしかしたら教えているんじゃないかって思ってたんだ。
「へぇ。どんなのがあるの? 私、四つしか知らなくて。どうしても気になるから、よかったら教えてほしいんだけど」
「え、えっと……。ご主人様には内緒ですよ?」
口止めはされていないらしく、あっさり教えてくれる気になったみたいだ。顔を近付け、その声量をかなり下げてから話を続ける。
「一つ目はイグニッションっていう火炎の呪文です。二つ目はサモンという召喚呪文。三つ目はブラックブロックという適当の呪文で、四つ目はコレクションという訂正の呪文です」
そこまでは知っている。先を聞くことに集中して、皿を洗う手が止まってしまっていた。無意識のうちに緊張で鼓動が早くなる。
「そして五つ目は……」
「五つ目は?」
「……メ」
「おい、ヴァンプ。次、風呂入っていいぜ」
いきなり背後からかけられた声に体が跳ねる。恐る恐る振り返ると、そこには音も無く現れたご主人が。
いつから聞かれてたの? 歯を食い縛り、沸き立つ焦りを必死に堪えた。背筋を嫌な汗が伝うが表向きは普通に接する。
「……嫌ですね。もしかして、盗み聞きしてました?」
「そんなわけないだろ。それとも何だ。聞かれたらマズイ話でもしていたのか?」
探りを入れてみるも、おどけた調子で返されるだけだ。
「さあ、ヴァンプ、先に入ってこい。片付けはオレとアトナでやっとくからよ」
「そ、そんな! ご主人様が先に」
「命令」
「は、はい……。行ってきますぅ……」
言うと彼女は悲しげに部屋を後にした。
役に立ちたいんだろうなぁ。ご主人が変に甘やかすから、かえって不安がってるんだよね。
そこに気付いてあげられない鈍感男のくせに、どうしてこういう時だけ勘が良いんだか。
「そうだ、お前にもこれを渡しておくよ。似たような物をラヴィとフォクシーにもあげたんだ」
私の隣までくると、ご主人は何かを手渡してきた。片耳分しかない黒いピアスだ。「何これ」と目で尋ねると、食器を洗いながら続きを話す。
「付けると老いなくなる魔法のアイテムさ。暇潰しに呪文を唱えていたら、偶然出てきてな」
「どんな確率ですか……。嘘にしても無理がありますよ」
「ま、信じるかは任せるさ。ただ、アンチエイジング効果はバッチリだぜ。それにきっと似合う」
取って付けたようなお世辞に、余計不信感が積もった。ご主人は食器を洗うふりをしてずっと一枚の皿を擦っている。またサボってるし……。
「私は長寿なんて欲しくありません」
「いや、老いないとはいっても、寿命が伸びる訳ではないぞ。召還士であるオレが死んだら、お前も同時に死ぬからな」
「え? ……え!? 聞いてませんよ、そんな事!」
「あれ、伝えるのを忘れてたかな? うっかりうっかり」
棒読みで返してきた。彼は私の眼光を視界に入れないように、努めて遠くを見つめている。
さらっと言ってるけど、それってつまり、私もさっき死ぬところだったってことじゃん! 本当、信じらんない。
「はぁ、もういいですよ」
諦め半分で言うと、皿洗いの作業に戻る。
どうせこの人がいなくなる頃には私ももう長くないだろう。そんなに長生きをしたい訳でもないしね。
我ながらどうかと思うほどあっさり割りきると、他の話に切り替える。
「それより、ヴァンプちゃんには呪文、全部教えたんですね」
「そうだが。……何だよ、嫉妬か?」
「喉潰しますよ」
「最近のお前色々と容赦無いよな」
苦笑いで応じるご主人。その光景に少しだけ違和感を覚えたが、すぐにその正体に思い当たる。
この人が感情を表に出すのを久しぶりに見たのだ。笑うにしろ心配するにしろ、ご主人は芝居臭い話し方でしかそれらを表現しない。
その事が何を意味するのかは分からないけど。でも、今日一つだけ分かったことがあった。今日の事とはつまり、ラヴィ、フォクシー、ヴァンプちゃんとの会話である。
「ご主人は、私のこと信用していないんですね」
食器を全て洗い終え、ハンカチで手を拭きながら彼に背を向ける。
「……いいや」
「じゃあ、どうして……!」
振り向いたところで口が止まる。その先を言うと、 自分の気持ちに名前をつけてしまうように思えたから。
多分、私は居場所が無くなるのが怖いだけなんだろう。信頼できる立ち位置がヴァンプちゃんに、クエストをこなす役がラヴィとフォクシーに持っていかれてる。それは私が助けたことでもあるけど、私が望んでいなかったことでもあったんだ。
もう二度と居場所を無くすのは嫌だった。何でもいい。安心して暮らせるだけの、約束された役割が欲しい。その感情を何というかは分かってるから、口にはしたくなかった。
「理由があるんだよ。何も、真実を言えないのはお前だけじゃないんだぜ。他にも教えちゃいけない奴ってのはいて、たまたまアトナもその中に入ってただけなんだ」
ご主人はようやく一枚目の皿を洗いきった。手を振って水気をきると、ようやくこちらに向き直る。
「何ですか。その人達の共通点って」
自分でも拗ねた態度になっているのが分かった。彼は思い出すように瞳を上に向け、しばらく考えてから答えを出す。
「うーん。共通点は言えないが、お前以外だと……ヴィーレとかイズ、エル、和也。あとは、レイブンとアダムくらいか」
「いや誰ですか、それ」
突然出てきた人名に戸惑いながら尋ねる。日本人っぽい名前も混じってたけど、他にも召還されちゃった人とかいるのかな。
「さあ、誰だろうな。俺も会ったことがないから知らん」
「……何それ」
「まあまあ、安心しろよ。お前には十三年後くらいに教えてやれるし、そんなに怖がらなくても捨てたりしないからさ」
言いながら片手を振って台所の入り口まで歩いていく。
どうやら私の苦悩はバレバレだったみたいだ。彼に見抜かれていたのが悔しくて、ほんのちょっとだけ嬉しい。
「これでも頼りにしてるんだぜ。相棒としてな」
去り際にそう言い残し、ご主人は部屋を出ていった。その横顔と声色のぎこちなさが、どうしてか心を温かくしてくれたように感じる。
相棒。彼にそう呼ばれたのは二回目だ。一度目はいつだったっけ、と思い返す。
数秒の思考の後、一年ほど前の記憶が脳の芯から蘇ってきた。
『藍本理奈、ねえ……。良い名前だが、書くのが面倒だな。略して、アトナでいいだろ。姓は勝手に付けな。お前は今日からオレの相棒だ』
アトナ。かつてご主人が勝手に名付けてきた名前だ。……初めは変なニックネームだと思ってたけど、案外悪くないかも。
「……それでも十三年後は、遅すぎです」
こっそり独りごちて、軽い足取りで部屋を出た。十三年後が楽しみだ。




