昔話⑤「胡散臭い男」
私はアトナ。言うまでもなく、本名はそんなカタカナで書かれてそうな名前ではない。ただの愛称だ。
この異世界に召還された時にご主人が勝手に名付けてきた。前の名前は好きじゃなかったから、それは別に構わなかったんだけど。
そう、あんな名前はもういらない。あの世界にも戻りたくなかった。良い思い出なんて一つもない、悪夢みたいな世界。
自然と召還される前の事が思い出される。甲高い笑い声、身を震わせるような罵声。それらが今も脳にこびりついて離れない。イジメ、虐待、裏切り、暴力……。
「……今更なに考えてるんだか」
雑念を振り払い、前方から迫り来る三体の巨大な蜂型モンスターを魔力で形作られた刀で細切れにする。
塵となって私の後ろに過ぎ去っていった魔物達へ視線をやると、もうそこには何も無かった。
これにももう慣れちゃったなぁ。初めはキモいと思って近づくのも無理だったのに。今は戦闘をするのにも全く抵抗がない。
だけど最近は視力が弱ってるのか、敵の動きが捉えにくくなってる気がする。おかげで手こずってしまい、もう夕暮れ時だ。
まあ、いいか。どうせこれもすぐに慣れるでしょ。何はともあれ、これで今日の仕事ノルマは終わったんだ。さっさと依頼主に報告してお金貰って帰ろっと。
馬に跨がり帰路につく。乗馬も随分上手くなったものだ。もう景色を楽しむ余裕すらある。
体を揺られ、都会には無かった大自然を時折眺めながら、ご主人のことに思いを馳せる。
私のご主人、イスター。この世界に呼び出してくれた男の人だ。年上で、どうしようもない変態。私以上の面倒くさがりだけど、その一方で悪魔の子達を守る施設の管理人をしている。
彼は病人だ。『生まれた時から魔力量が全く上がらない』病気。
どんなに魔物を倒そうが、どれほど強い意志を抱こうが、彼はそこらの子どもと同じくらいの強さにしかなれない。
あの人は体を鍛えてるからまだマシだけど、そうでもしないと一人での日常生活も困難な難病らしい。
「イスター・ドゥリトルのところの者です。これとこれ、やってきました」
トリスのギルドは町の入り口近くにある。中に入り、受付まで行って報酬を受け取ると、すぐにまた外へ出て考え事に戻った。
本来はクエストを達成したか確認するための付添人が付くのだが、ご主人はここらで顔が利くらしく、わざわざ知らない人と気まずくなりながら仕事に出る必要はない。そこだけはあの人に感謝しなきゃね。
「……いやいや、あの人が働けば良いだけじゃん」
ハッと我に返り、ブンブンと頭を振る。
そもそも、いくら信頼されていても付添人いなかったらシステム的に駄目だと思うんだけど……。どうしてご主人が有名なのかも教えてもらってないし。
気を取り直して、報酬を手にその場を後にした。家までは歩いて帰ろう。
「やっぱり、ご主人は私に何かを隠してるんだ」
馬を引いてエンジェルズまで向かう中で何度も辿り着いた結論に帰りつく。ご主人に召還されてから一年。彼の秘密を暴くことが私の密かな目標となりつつあった。
ご主人には怪しいことがある。例えば、呪文だ。あの人は五つの呪文を扱える……らしい。
魔力が少ないのに呪文を使えるのはサタンちゃんと同じで『慣れ』ってのが関係してるらしいけど、詳しくはよく知らない。勉強は面倒だから、そこら辺の理解は初めから諦めている。
呪文の種類は意外にも本人が素直に教えてくれた。四つまでは、だけど。
あの日のことを思い出す。彼の呪文を説明してもらった日のことだ。部屋の匂いまでも鮮明に覚えている。
「ん? オレの呪文? なんだ、とうとうご主人に興味を持ってくれたのか?」
召喚されて間もないある日、私は彼の部屋を訪れていた。
もう晩ご飯も終え、あとは寝るだけというところだったらしい。隠そうともせずに大きく欠伸を一つした。
そんなご主人はよく分からないキャラクターがプリントされたTシャツを着ている。この頃はまだ彼の部屋も散らかりっぱなしのゴミ屋敷状態だった。
その中にある椅子に腰かけ、混沌とした机の上に置かれていたマグカップに手を伸ばす。中は見えないが、香りからしてコーヒーだろう。
「はいはい、そうですね。で、サモン以外にも呪文は使えるんですか?」
「なんかあしらい方が雑だなぁ、おい。……まあ、いいだろう。呪文はいくつか使えるぜ。一つ目は〈イグニッション〉だ。火炎の呪文だな」
片手でコーヒーを口に運び、コップを置くと人差し指をピッと立てて呪文を唱える。
次の瞬間、そこに小さな青い炎が宿った。その光景にガックシと肩透かしをくらう。
期待はしてなかったけど、それにしても火力弱すぎでしょ。ライターくらいしかないじゃん。
私の冷めた視線が尊敬の眼差しにでも見えているのか、ご主人は得意そうに説明しだした。
「次は〈コレクション〉っていう呪文だ。何も使わずに文字を書いたり絵を描いたり、同じく文字や絵を消すことができるんだぜ」
ドヤ顔で説明されてるけど、なんだろう。全く羨ましくない。数はあっても呪文と魔力が弱すぎだよ……。
私のコメントを待たずに彼はどこからともなく黒く四角い塊を取り出した。
「そしてこれがオレのとっておき、〈ブラックブロック〉だ。ランダムの効果や特性を持った黒い塊が出てくる便利な呪文さ。臭いブロックとか、美味しいブロックがたまに出てきてくれるんだ」
「ゴミですね。あ、すみません。ついつい本音が」
「へっ。それはどうかな?」
私がバカにしようとするのを遮るように鼻で笑うと、彼は手元でクルクルと回していた黒い塊を放り投げてきた。慌ててそれをキャッチする。
特に何も特別なことはない艶のある物体だ。広いけど厚みはない。ブロックというよりプレートのような形状だった。
何だろ。何の変哲もない塊に見えるけど。
色々な方向からそのプレートを観察していると、私の姿がそれに反射して映った。その頬にはデカデカと『イスター様の忠犬』と書かれている。
「ちょ、ちょっとご主人! 何ですか、これ!」
「もう忘れたのか? さっき呪文の説明したばかりだろ」
「まさか……」
さっきコレクションを唱えた時か! してやられた……!
私がキッと睨むと、ご主人は私から視線を逸らしてニヤっと口の端を上げてみせた。
「へへへ。どうやらゴミみたいな呪文でも、お前を怒らせる程度のことはできるらしいな?」
ケラケラと嗤うご主人の前から一目散に逃げたい、もしくは彼を全力で殴りたい欲求を抑え、落書きされた部分を隠しながら質問を投げかけた。
「その四つだけですか?」
イグニッション、コレクション、ブラックブロック、そして召還呪文のサモン。それだけなのか、ということだ。
この時の私はまだ呪文の数についての説明を聞かされていなかったけど、四つも呪文を使えるのは相当レアらしい。それがイタズラにしか使えないものだとしても、ね。
「いや、もう一つ使えるぜ」
「へぇ、それは?」
「あー……今度教えてやるよ」
そこで初めてご主人は言葉を濁した。
あぁ、これだな。私は確信した。
彼といると、たまに不自然なことが起こる。私の世界の物が当たり前にあったり、作られていないはずの朝食が既に出来上がっていたり。それはきっとその呪文の効果だろう。私はそれが気になって仕方がなかった。
その謎を解き明かすため、この薄汚い部屋へ赴いたのだ。それなのに依然として隠し事をされている。
「今度っていつですか」
それがムカついて、ついつい口調を強くしてしまった。
この人に日頃辛く当たるのは何も嫌いだからではない。何でも命令できる立場にありながら、隠し事をされ続けているということが、信用されていないみたいですごく嫌なのだ。
「誰も見ていない時さ」
今度は平然と答えてみせるご主人。私には言葉の意味が理解できなかった。首を傾げてそのまま言葉を返す。
「誰も見ていない時……?」
キョロキョロと周りを見渡してみた。ご主人の部屋だ。散らかってはいるが、流石に部屋に死角ができるほど酷くはない。ベッドの下やクローゼットの中以外はここからでも確認できる。
子供達も今は上の階で遊んでるはずだし、誰かが隠れているなんてことはないはずだけど……。
「ご主人、ごまかそうとしてません?」
「まさか。お前はオレの使い魔だろ。今は信じてくれよ。な?」
彼のその言葉を聞いた途端、私の中の疑心が嘘みたいにあっさりと消える。無理やりご主人を睨もうとしてみても、それすら叶わない。自分の感情が制御できていなかった。
分かっている。この現象は少ないとはいえ、何度か体験したことがあった。ご主人はサモンの効果で強制的に信用させたんだ。
「……うん。疑ったりしてごめんなさい」
気付けば私は淡々と謝罪をし、その部屋を後にしていた。
これがあの日交わした会話だ。
でも、やっぱり分かんない。どうしてご主人は『今は』だなんて付け加えたんだろう。それが無ければ、私は彼のことをずっと疑ったりしなかっただろうに。
今もあの人の手のひらの上で踊らされている? だけど、そんな動きはこれっぽっちも見せない。
最近は真面目になってクエストばかりしてたかと思ったら、ヴァンプちゃんを連れてきて四六時中あの子に構ってるし……。
「あ、もう着いちゃった」
思考を巡らしているうちにエンジェルズに戻ってきていたみたいだ。長く考え事をしていたせいで疲れたな……。
庭へ回る道の途中にある小屋に馬を連れ、お礼を言いながら頭を撫でる。糞の臭いさえ無ければ、この小屋の匂い大好きなんだけどなぁ。
「じゃあね」
去り際に一言声をかけて馬小屋を出た。靄がかった脳内を現実へ戻しながら玄関へ向かい、家に入る。
「よう、アトナ」
「あれ? どうしたんですか?」
扉を開けるとご主人が立っていた。胸の辺りに『働きたくないでござる』という文字のあるダサいスウェットを着ている。だからどこから入手してんのよ、それ。
見たところこれから出かける様子でもないし、壁にもたれかかったりもしていない。まるで私が帰ってくることを予見していたようだ。
「これやるよ。たしか、今日はお前の誕生日だろ?」
そう言って黒い長方体の物体を渡してくる。私の誕生日覚えててくれたんだ。……いや、でもどうやって確認してるんだろ。
そんな思考も早々に終え、興味の対象は目の前のプレゼントに向けられる。
何だろ、この箱。イタズラの恐れもあるためじっくりと観察する。
真ん中に小さく凹みがあり、そこから開けそうだ。力を加えてみると、小気味の良い音を立ててすんなり開く。ブロックじゃなくてボックスじゃん。
心の中でツッコミを入れつつも箱の中身を確認する。それを見た瞬間、反射的に顔が上がった。彼はいつも通り悪役みたいな笑みを浮かべている。
「……ご主人。私、目が悪くなってきてること言いましたっけ?」
「どうだろうな? でもオレはどこかでお前がそんなこと言ってるのを聞いた気がするぞ」
ご主人はまた知らんぷりを貫くつもりなようだ。
箱の中をもう一度見る。眼鏡拭き用の布と一緒に可愛らしい赤縁眼鏡が入っていた。かけてみるとサイズはピッタリでズレもない。
「自分が外そうと思うか壊れない限りは外れない特殊装備だぜ。これで素早い敵との戦闘でも眉間に皺を作らなくて済むな」
「……これもブラックブロックを唱えてランダムで出てきた物なんですか?」
「ああ、そうだが? なんだよ、またオレのこと疑うのか?」
うんざりしたような顔をするご主人が何故だか少しだけおかしく思えた。
そういえば、この一年間ずっと疑ってばかりだったな。彼も疑われ続けることに疲れてるのかもしれない。
「いいえ。ありがとうございます、ご主人。使わせてもらいますね」
謝るわけでも疑うのを止めるわけでもないけど、今だけは素直にお礼を言っておこう。
いずれにせよ、この人がこの世界に呼び出してくれたことには多少なりとも感謝しているんだ。前いた世界に未練なんてない。
この際全部知らなくたって良い。ここで安心して平和に暮らせるのなら、それだけで十分なんだ。私は私の居場所が欲しいだけなんだから。
あれから数十日が過ぎた。
ヴァンプちゃんも一人で順調に家事をこなせるようになり、ご主人はあの子に気に入られるために私のところへよく恋愛相談をしに来る。
普段はだらけてるくせに、ヴァンプちゃんの事になると手間は惜しまないようだ。
クエストを終え、自宅に帰り着いた。ドアを開け「ただいま~」と気の抜けた声をあげる。
ここで一つ、違和感を覚える。美味しそうな料理の匂いがしないのだ。
もう夕方だというのに。お腹減ってるんだけど、ヴァンプちゃん何してるのかな。
靴を脱ごうとしていると、二階から子ども達が叫び散らしながら一斉に下りてきた。
私の前まで来てガヤガヤと同時に話し出し、玄関は一気に騒然となる。
「ちょっとちょっと! 何? どうしたの?」
声を張り、落ち着くようジャスチャーで伝えると、彼らはちゃんと黙ってくれた。何なの……。
異常な状況に戸惑っていると、不安そうに顔を見合わせる子たちをかき分け、サタンちゃんが姿を現す。
その表情は他の子達とは違って普段と変わらないのものだった。羽をピョコピョコさせて報告してくる。
「強盗が来て、ヴァンプが拐われちゃったの」
「へぇ。……はぁ!?」
思わず大声で反応してしまう。日常会話をするように伝えられた言葉は、その実ひどく非日常的なものだったからだ。
「え、あの、ご主人は?」
「イスターは帰ってきてこの事を聞いたら、すぐに強盗の子から言われた場所に向かったよ~」
場所が指定されていた? てことは、ヴァンプちゃんが目的なんじゃなくて、ご主人かお金を狙ってるってことかな? いずれにせよ、早く向かわないと!
「その場所、私にも教えて!」
「えっ。アトナも行くの?」
「当たり前でしょ!」
「イスターなら大丈夫だと思うけどなぁ」
サタンちゃんはのんびりとしたペースを崩すことなく、私に指定場所を教えてくれた。この子の態度もなんだか気になるけど、急がないと手遅れになる!
私は踵を返し、子供達の声援を背に受けながら、再び外へ一歩足を踏み出した。




