小話「ある日の、特に何の意味もない会話集⑦」
【十二月十六日】
「入るぞ」
「あっ! ヴィーレお兄ちゃん、いらっしゃい!」
イズの家を訪ね、ネメスの部屋へお邪魔する。
水色を基調とした女の子らしい部屋だ。奥にはキングサイズのベッドが設置されている。魔王城にある彼女の部屋同様、あちこちにぬいぐるみが見受けられた。
「来るのが遅れてすまなかったな」
両手が塞がっている俺の代わりに扉を閉めてくれたネメスへ謝罪する。
いつもは彼女がエンジェルズや魔王城を訪ねるが、今回は違った。この前のクイズ大会で話題になっていた件を思い返す。
そう、今日は彼女にとって特別な日なのだ。俺はそれを祝いに来た。
抱えていたプレゼントの箱を慎重に床へ下ろす。
「ネメス。誕生日おめでとう。プレゼントだ」
「えへへ、今日はみんな来てくれて嬉しいな~。ありがとね! それにしても大きい箱……。中身は何かな~」
心踊った様子で色紙の包装を丁寧に解いていく。中を見たネメスは目を大きく見開いた。
紙に包み隠されていたのは俺が一人で持てるほどの大きさのケージだ。その中では黒い毛玉がゴロゴロと音を立てている。
「えっ……。ひょっとして、この子、ヘレン?」
「ああ。アルストフィアでまだ野良猫やってたんだ。ちゃんと去勢やワクチン接種は済ませているから安心して良いぞ。イズ達にも許可は取った」
「わぁっ……! ヘレン~! ちゃんと生きてたんだね! 良かった~」
ネメスはケージから黒猫を取り出して撫でまくっている。どうやら喜んでもらえたようだ。
普段はムスっとしているヘレンも、満更でも無さそうな顔で為すがままにされている。
「なあ。あともう一つあるんだが、いいか?」
「え、ほんと? なになに?」
ヘレンを片手で撫でながら俺に視線をやるネメス。目が合うと、俺はポケットから小さい箱を取り出した。真ん中からパカッと開けて中身を見せる。
そこには俺の指に嵌められている指輪と同じ物があった。サイズは勿論彼女に合わせているが、同じデザインの特殊装備だ。
「ゆ、指輪?」
「ああ。王を倒す時、カズヤが一度やり直したことは聞いただろ?」
「うん。それがどうかしたの?」
「それがな、やり直す前、俺はお前にこの月輪の指輪をプレゼントしたらしいんだ。でもカズヤがその未来を上書きしてしまったから、お前はそんなもの貰ってないだろ。だから、つまりは、それだけのことさ」
彼女の左手を取り、小指に嵌めてやる。
悪魔の国の本で知ったが、左手の小指に指輪を嵌めると願いが叶う力があるらしい。
他にも色々あったけど、何よりこいつには幸せになってほしいからな。これで良いだろう。
ネメスはキラキラした目で指輪を眺めていた。
そして思い立ったように、いつもの如く抱きついてくる。尻尾があったらブンブン振ってそうな勢いだ。
「お兄ちゃん! ありがとっ! 願い事、叶えてみせるね!」
「おう。頑張れよ」
ぽんぽんと頭を軽く叩く。彼女も指輪のことは知っていたようだ。
願い事とやらが何かは知らんが、ぜひとも叶えてもらいたいな。まあ心配せずとも、きっと彼女なら大丈夫だろう。
その後、イズが来るまでの間、俺達はヘレンと一緒に遊ぶことにしたのだった。
【特訓と休憩とするめいか】
乾いた空気が肌を撫でる。一秒一秒がとても長く感じられた。武器が激しくぶつかる音が響き渡る。
今日は魔王城の庭でレイブンに戦い方の稽古をつけてもらっていた。
接近し、いつかのリベンジを果たすべく、持てる力の全てを駆使して臨む。
魔力が上限値まで達したため、以前より圧倒的な差は無くなったが、それでも苦戦している事に変わりはない。
一旦距離を取ったところで、彼に挑発の言葉を投げかけてみた。
「レイブン。あんた、結婚しないのか?」
「あ?」
刹那、目の前にレイブンが移動し、鳩尾に蹴りを入れられた。
たまらずその場にうずくまる。本気だったろ、今の。
「喧嘩売ってんのかよ。殴るぞ」
苦悶の顔を浮かべる俺のことなんか知ったことではないといった様子で、レイブンは言葉をかけてくる。苦しいからこんなとこでボケんな。
「そんな時間無かったんだよ。両親の復讐が終わったら、悪魔の差別について考えなきゃいけなかったし、アルストフィアでは身を潜めてた。その後はお前らの知る通り、走り回ってたからな」
頭をわしゃわしゃと掻きながら近くの木陰に腰を下ろす。そこでようやく俺も立ち直り、彼に続いた。
レイブンはポケットから大好物のするめいかを取りだし、ゲシゲシかじり始める。ここでくわえるのがタバコじゃない辺りが実に彼らしい。
こちらにゲソを五つ寄越してきたのでありがたく受け取る。
昼間っから魔王城の庭でするめいかを食べる男性二名。シュールだな。
「あんた、仲良い女性は一人もいないのか? 魔王城のメイドとか、一緒に仕事してるウィッチとかさ。歳の差があるが、あんたなら今からでもいけると思うぞ」
「ハハハ、世辞は良いって。それにウィッチは恋愛対象として見てない。当然サタン達も同じだ。メイドの中にも仲良い奴はいるっちゃいるが、ちっこい兎だしな」
「兎? もしかして、ラヴィか?」
「ん? 知ってるのか。本当ここでの人脈は無駄に広いんだな」
おい、『無駄に』は余計だ。それにしても、レイブンもラヴィと知り合いだったんだな。
ラヴィだって何百歳も生きてるらしいし、サタンよりは大人っぽい雰囲気だから良いと思うんだが。見た目重視なのだろうか。
「まあな。この前友達になったばかりだから、あんたが知り合いなのは初耳だ。そうそう、あいつの妹とも仲良くさせてもらってるぞ」
「マジかよ。節操がねえな」
「おい。いい加減、俺を無理やり軟派野郎にしようとするのやめろって。その妹、フォクシーっていう狐っ子なんだが、そいつが以前俺に話しかけてくれたことがあってな。ラヴィを紹介してくれたのもあいつなんだ」
「へぇ。なに考えてるか分かんないような顔してるお前に話しかけるとは、なかなかの物好きだな」
「自分で言うのも悲しいが、俺も初めはそう思ったさ。あの子だって何百年も生きてるんだ。変わり者にもなるだろうよ」
分けられたゲソを食べ終わる。
中途半端に食ったら余計腹が減ってきたな。もう一試合したら昼食にするか。
パッと立ち上がったところで、一つ気になることが思い浮かんだ。振り返ってレイブンに問いかける。
「どうしてあんたはラヴィと仲良くなったんだ?」
「なんでって……。あー、まあもう言ってもいいか」
誰に言うでもなく独りごちて、彼も立ち上がった。
「あいつの前の仕事場に昼飯を持っていくのが一時期、俺の役目だったってだけさ。そこでちょっと話してみたら、思いのほか話が弾んでな。それからよく個人的に会いに行ってるんだ」
「ほうほう。てことは、あんたは彼女の仕事やイスター達のことも知ってたのか」
「あ? お前、聞いてたのか?」
「ああ」
「……ハハハッ! やっぱりお前は怖いな!」
突然、快活に笑い飛ばされる。言葉の意味が分からなくてオウム返しに尋ねるしかなかった。
「怖い?」
「おうよ。誰とでもすぐに仲良くなってしまう。それこそあの秘密主義なラヴィから、重要な情報をあっさり引き出しちまうくらいにな。お前みたいな奴が一番敵に回したくないね」
「……そうだとしても、俺が敵になるシチュエーションがまず無いだろ」
「それもそうだな。さてと、そろそろ特訓の続きといくか」
仕切り直すように彼が籠手をつけた両拳を激しくかち合わせた。俺も大剣を模した木刀を構える。
「おう。覚悟しろよ。仲間の力を頼るまでもなく勝てるってことを証明してやるさ」
「ハッ。一丁前に格好つけやがって。さあ、どこからでもかかってこい!」
【お薬効果②】
ある日の昼下がり、エンジェルズにて。俺はベッドの上でサタンに押し倒されていた。
「ヴィーレ……えへへ……」
俺の上に乗っかってるサタンは酔ったように顔を紅潮させている。二人きりになった時のネメスみたいな懐きようだ。
確かにこいつとは仲が良いが、こんなにベタベタされたことはない。明らかに様子が変だった。
「どうしてこうなった」
改めて現状を認識し、そう声が漏れる。初めからもう一度振り返ってみるか。
事の発端は数分前、珍しくエンジェルズに遊びに来たサタンを部屋に招き、トイレに用を足しにいった後のことだ。
部屋に戻ると、サタンがポーっとした顔で突っ立っていた。ゆらゆらと怪しく体を揺らし、何をするでもなく虚空を見上げている。
「サタン? どうした」
声をかけながら近づくと、足元に転がっている小瓶に気づく。昨夜、ノエルがこの部屋に置き忘れていたものだった。
中は空で、瓶のラベルには『呪文や特殊装備は使用せずに服用してください』とだけ書いてある。
「えいっ!」
サタンが声をあげたと思って顔を上げたら、突然押し倒されたわけだ。で、今に至ると。
……やはり意味が分からんな。一体あの小瓶の中身は何だったんだ?
「こら、離れろ。今から遊ぶんだろ」
やんわりと注意し、俺の上に乗っかっているサタンを引き剥がそうとするが、びくともしない。なんでこんな所で魔力上げてんだよ、こいつ。
「ダメだよっ。今から遊ぶのは本当だけどね。えへへ、今日は恋人ごっこするの!」
そう言うサタンの息は荒かった。毛布で二人をスッポリと覆い、羽でその中に空間を作る。おかげで息苦しさは全くない。
「二人っきりだね……?」
彼女が体を移動させ、俺の顔の上にサタンの顔が来る。
白い髪が俺の顔にかかるが、そんなことはもう気にならない。俺の目は彼女の蕩けた笑顔に釘付けになっていた。暗いからか、彼女がいつも以上に魅力的に見える。
「ねえ、ヴィーレ。私のこと……好き?」
耳元で囁かれた声は妙に艶かしかった。頭を優しく撫でられる。
今のサタンからは普段の彼女とは別人のような母性と魔性が放たれていた。彼女の腰に手を回したくなる衝動を根性で無理やり飲み込む。
「いや……嫌いではないが……」
相手はあのお子様なサタンなのに変にたじろいでしまう。
なぜか緊張が止まらない。彼女の体から放たれた甘い香りが毛布の中に満ちている。
言葉に詰まる俺を見てサタンは得意になっているようだ。
「そっかぁ。えへへ、私もヴィーレ好きぃ。いっぱい遊んでくれるし、沢山一緒にいてくれるもん。ネメスやノエルと同じくらい、大好きだよっ」
笑顔で言い終えると再度抱きつかれる。少しだけ柔らかい胸が顔に押しつけられた。小さくも確かな生命の音がトクントクンと時を刻んでいる。
既に抵抗し続けるのにも疲れ、俺も力を抜いて、されるがままになっていた。
「そうそう、良い子だね~。……たまには休んでもいいんだよ。私が甘やかしてあげるから」
宥めるように頭を撫でられる。手櫛を通すような撫で方が小さい頃死んだ母を思い出させた。なんだか物凄く安心する。
「辛いことあるなら、ちゃんと私達にも相談してね? 一人で頑張らなくて良いから」
「サタン……」
その聖母のような優しさは今の俺にとっては天敵だった。このままじゃこの誘惑から抜け出せなくなる。天然かは分からないが、彼女は確実に俺の弱い部分だけを攻めてきているのだ。
もういっそそのまま眠ってくれたりしないだろうかと願ったが、その期待もすぐに裏切られた。
彼女はパッと身を起こし、片手を俺の顔の横について上体を支える。もう片方の手が俺の頬に添えられ、その親指が唇の上に乗せられた。指の腹で確かめるようにそっとそれをなぞる。
その行動の意味は察し得なかったが、どうもいけない方向に事が進んでいる気がしてもう一度力を振り絞った。
「んん! ん!」
口を開けるわけにもいかず、どうにか離れることを必死に伝えようとする。
瞬間、目と目が合った。彼女の瞳はトロンとしていて、とても正常な精神状態にあるとは思えない。
「なんかね、変な気持ちなの。ドキドキして、切なくて、寂しくて。でも、ヴィーレに触れてるとすっごく幸せで」
彼女の指と俺の指が絡み合い、目の前の顔がどんどんこちらに接近してくる。
ま、まさかこれは……。おいおい、冗談にしてもまずいだろ!
全力で逃げようとするも、体はまったく動かなかった。呪文だろうか、何か不思議な力で押さえつけられている。
「お、おい、サタン。冷静になれよ。な?」
「冷静だもん。ほら、ヴィーレも一緒に……もっと幸せになろ?」
そう言うとサタンは目を瞑ってしまった。その口は少し恥ずかしげに笑っている。どういうわけか、その笑みがとてつもなく愛おしく感じられた。
鼓動が自然に激しくなる。彼女の息がかかってくすぐったい。もうあと少しで彼女の唇が俺のそれと重なってしまう。
くそ、体が動かない。逃げ場は無いのか……。そう観念し、俺も瞼を閉じた、その時――――
「ストーップ!!」
視界が暗転し、毛布がどこかへ消える。部屋の扉の近くには息を切らしたノエル。
察するに、彼女が異常事態に気付いて慌てて飛び込んできたのだろう。その手には三人分のお菓子とコーヒーが乗ったお盆がある。
「ちょ、ちょっとサタン! これ嵌めて!」
言ってノエルは手のひらの上に乗せた月輪の指輪をサタンの指にテレポートさせた。その時から、サタンの顔が普段通りの表情に戻っていく。
「あれ? 私、何してたんだっけ?」
サタンはしばらくポカンとしていたが、鼻が触れそうなほど近くにある俺の顔や絡まった指を見ると、急激に顔を赤くしていった。まるでリンゴのようだ。
「あ、わっ、わ……私……!」
混乱して纏まらない言葉を発している。数秒間その状態だったが、唐突にバサッとベッドから飛び降りると手で顔を覆い隠し、そのまま部屋を出ていった。
「うわぁぁぁん!」
そんな叫び、泣き声が遠ざかっていく。反射的に避けてしまったノエルがテーブルの上に盆を置いて追いかける姿勢に入った。
「さ、サタン!」
「ちょっと待て。ノエル」
俺が冷たい声で呼び止めると、駆け出そうとしていた彼女はピタッと止まった。ひきつった顔だけをこちらへ向ける。
俺は床に転がっていた小瓶を揺らして『営業スマイル』をしてみせた。
「後でゆっくり話そうか」
「は、はい……」
その夜、かつて無いほどの怒声がエンジェルズに響き渡った。




