4話「復讐者」
ある日のこと、俺はレイブンの部屋を訪ねていた。
たしか今日はいるはずだ。たっぷり時間もあることだし、今からなら長話もできるだろう。彼に予定が無ければの話ではあるが。
「レイブン、いるか?」
呼びかけながらノックをすると、扉の隙間から生気の消えた顔がニュッと出てきた。最近みるみる老けてないか? 働きすぎだろ。
「ヴィーレか。何の用だ?」
「聞きたいことがある。なぜあんたがああやって何度も世界を繰り返していたのかについて教えてくれ」
「……あぁ、いつかは話さないといけねえことだな。入れよ。コーヒーでも飲むか?」
「いいのか? じゃあ頼む」
入ると椅子を用意されたのでそこに座る。やはり、長くなるみたいだな。
レイブンは部屋のポットでお湯を沸かしながら話を始めた。
「別に大した理由はないのさ。兵士達の総攻撃、あっただろ? あれを食い止めるのに手こずりまくってたんだよ」
「馬鹿な。お前ほどの強さなら一人でも余裕だろ」
「そりゃ、殺していいなら簡単だったさ。だから俺も最初はそうした。サタン達を守るためなら別にそのくらい躊躇はしなかったからな」
「ならどうして……」
「簡単な話さ。魔王が元気無くすんだよ。それもかなりな。あいつらが攻めてきたとはいえ、人の命を奪ってしまったってよ。だから殺しちゃいけないのさ。もっと言うなら、一生残るような大怪我も駄目」
「つまり、全員をほとんど傷つける事無く撃退しろと?」
「そうだ。おまけにここには戦えない悪魔の使用人や子どもが大勢いる。そいつらにも怪我してもらってはいけなかった」
「とんだ難題だな。どうやってその状況で追い返したんだ?」
「執事やメイド達には子ども達を連れて一時的に悪魔の国に待避してもらった。サタンはどうしても逃げてくれなかったがな。で、あとは俺とレイチェルとウィッチで罠を張ったり、呪文で気絶させたりしてたんだ。それを相手が諦めるまでずっとさ」
気の遠くなるような作業だ。それを何度も何度もずっと一人だけでやり続けていたのか。
「そして前回、ようやくそれが達成できた。でも、それでも駄目だったんだ」
レイブンはコーヒーを差し出しながらこちらを見据えた。
その目からは様々な想いが伝わってくる。その中でも特に、悲しみや後悔の色がより濃く感じられた。
「まだ、お前らがいたんだよ」
「やっと……やりきったぞ……!」
俺は達成感で我を忘れ、地面に寝転がっていた。今、兵士達が撤退を始めたところだ。これでようやくこのループから抜け出せる。
終わりが見えない迷路を走り続けている気分だった。だが、それも今日で終了だ。
「早速やっとくか……」
過去を決定するため、セーブをしようとする。だけど何か嫌な予感がした。変な寒気が背筋を這い上がっていったんだ。
……まだ、やめておこう。サタンやみんなの無事を確かめてからでも遅くはないだろうしな。
「レイチェル、ウィッチ、すまない。先に帰ってるよ」
二人にそう告げて、返事を聞く前に急いで帰る。早く報告してあげよう。きっと心配して待ってるはずだ。
――――帰路の途中で人を見つけた。変な男女四人組。全員人間だ。先頭を歩く少年は赤い目をしている。
「あれは、二代目の勇者? ということは、もしや……!」
俺は全力で魔王城へ走った。悪い予感を考えないよう、一心不乱に足を進める。
「おい、帰ったぞ! レイブンだ!」
城へ入って大声で呼びかけてみるが、誰も来ない。当たり前だ。みんな避難させたからな。でも、あいつだけはいるはずなんだ。
魔王の間の扉は開いていた。外は日が傾いている時間だ。ステンドグラスからもう日は差し込んでいない。
玉座に誰かがいる。その体からは、血が止めどなく流れだして階段を赤く染め上げていた。
「サタン!」
近づいて呼びかけるが、既に彼女は息をしていなかった。今日の朝まで普通に笑っていたのに、その目はもう開かない。そこで初めて、なぜ彼女だけは頑なに残ろうとしていたのかが分かった。
悪魔の国の人々を守るためだったんだ。もしこいつがここにいなかったら、あいつらが悪魔の国まで侵攻したかもしれない。だから自分だけを犠牲にした。
「……っ!」
言葉も出なかった。本当は、ただそこでロードするだけで良かったんだ。でもその時の俺は正気を失っていた。
気づいたら赤い光を纏いながら奴らの後を全力で追跡していた。
そしてそう時間が経たないうちに勇者を見つけ、背後から襲いかかったんだ。一瞬でその首をもぎ取り、投げ捨てる。
「えっ……。ヴィーレ!?」
「お、おい誰だてめえ!」
「ヴィーレさん……?」
奴の仲間が何か騒いでいるが、知ったことじゃない。お前らが仕掛けてきたことだ。今さら後悔したところでもう遅い。
俺が一歩進むと周りに赤い稲妻が次々と落ちる。呪文を制御しきれていない。怒りで何も考えられなかった。
「〈フローズンスノウ〉! あんた達、逃げなさい! ヴィーレがやられた相手よ、私たちじゃ敵わないわ!」
全方位から俺よりも一回り大きい氷塊がいくつも飛んでくるが、すべて殴り壊して無理やり進む。それらが体に当たろうと、蚊がぶつかってきた程度の衝撃しかない。
「バカ! お前が逃げろ! 俺が引き止める!」
「うるさい! あんただから頼んでるのよ! 私じゃその子を守りきれないわ!」
金髪の男はハッとした様子で放心している少女を見ると、表情を引き締める。
「……すまねえ、イズ」
男は歯を食いしばって少女を抱き抱え、走っていってしまった。逃がすものか。
「ネメスを……頼むわよ……。〈イグニッション〉!」
【レベル984・本当に殺すの?】
勝手に発現したチェックの文字に目がいく。当たり前だ。俺は身を焼く炎など気にも留めず、渾身の力を振り絞ってその女に拳を放った。
男にはすぐ追いついた。
俺の体についた血に気付いた女の子は泣いている。それを見て一層むかっ腹が立った。人を殺しておいて何をぬけぬけと。
「おい、ネメスちゃん! 逃げろ!」
男は少女に向けて叫ぶが、その声は彼女に届いてない。彼は一度思いきり目を瞑ると、少女の頬を打った。
「……え、エルさん……?」
「さっさと逃げろ! イズが何のために俺にお前を任せたと思ってるんだ!」
激しい口調でそう言うと、彼女の背中を押して無理やり走らせた。少女は何度か振り返りながら去っていく。
彼女が走り出す頃には俺は男の目の前まで来ていた。
喉を掴みにかかるが避けられる。何度か繰り出した攻撃も、ギリギリのところでかわされた。
蹴りの後、姿勢を戻している間に距離をとられてしまう。
「チッ……」
そこそこデキる奴みたいだ。ここで時間を食ったらもう一人を見失う。速攻でケリをつけてやる。
【レベル1141・ここで引き返しておいた方がいい】
「ヴィーレとイズは俺の親友だ。ネメスちゃんは大事な妹みたいなもん。てめえなんかに、全部奪われてたまるかっ!」
男は剣を引き抜き、慟哭するように吼えてみせた。
体から焦げた血の匂いがする。きっと俺は今、本物の悪魔のような姿をしているだろう。
最後の一人を追う。子どもだろうが関係ない。サタンの味わった痛みや苦しみと同じものを与えてやる。
しばらく走ると、怪しい屋台を見つけた。黒いローブを着た商人がその中にいる。ノエルだ。しかし、今は構っている暇なんかない。
「おじさん。そろそろやめといた方がいいよ」
屋台の前を通りすぎて先に進む。すると視界が暗転し、次の瞬間には屋台を過ぎる前の位置に戻されていた。
「サタンもこんなこと望んでないって」
無視する。これはサタンのためじゃない。自己満足だ。自分が暴走しているのも分かっているが、それでも止められなかった。
店を過ぎたところでまた同じように引き戻される。
「いいか、これ以上、邪魔をするな」
言い捨てて先へ進むと、もう一度辺りが見えなくなった。
次に目に映ったのはやはりノエルだった。だが店はどこかへ消え、いつの間にか彼女は俺の正面に立っている。
「君、この辺で一回頭を冷やした方がいいみたいだね」
彼女はフードを外した。いつもの営業スマイルだ。普段は表情が乏しいくせに、仕事の時だけ嫌な笑顔になる。それが彼女だった。
「戦う気か?」
「ううん。少しお話がしたいだけだよ」
俺は拳を構えた。サタンの友人とはいえ、あいつらを庇うなら容赦しない。思いきり地面を後ろへ蹴りだし、全力で殴りかかる。
だが、その突きは当たらなかった。ノエルは突然姿を消して俺のすぐ横に来ていたのだ。任意の物を瞬間移動をさせる呪文だった。
「……戦う気無いって言ってるのに。まあ、少し聞いてよ。くだらない話だけどさ」
【レベル測定不能・彼女は知ってしまった】
文字を読み終えると同時に、俺の体は見えない力によって近くの大樹に打ち付けられた。深くめり込むほどの威力だ。
「ある人は世界の寿命を知っているの。それを引き伸ばすため、その人はあらゆる努力をし続けた。だけど、やがてそれも水の泡になるでしょう」
体が何度も大樹に叩きつけられる。電流で攻撃しようにも、振り回され過ぎてノエルの姿を上手く視認できない。彼女が言っている言葉が断片的に聞こえてくる。
「ねえ。前から思ってたんだけどさ、どうして君は誰にも自分の呪文を打ち明けないの? サタンですら、チェックとサンダーストームしか知らないらしいけど」
ようやくノエルの攻撃が止む。俺は答えず、彼女に迫った。走りながら同時に電撃を放つものの、それはすべて瞬間移動で回避される。
「何か隠してることでもあるのかな?」
光速の蹴りが彼女を襲う。しかし、当たり前のように避けられてしまった。
「……話を変えようか。私、未来が見れる呪文を持ってるの。プレディクションってやつなんだけど」
話の内容なんて頭に入っていない。ただ攻撃を続けるのみだ。
「それでふと未来を見てたらさ、とんでもないことに気付いたんだ。私達の未来が、ある時から突然無くなってるんだよ」
体がふわりと持ち上げられたと思ったら、顔面から激しく地面にぶつけられる。執拗なまでに叩きつけられた後、再び見えない力によって宙に持ち上げられた。
「あれ、君がやってるんでしょ?」
俺の体は滅茶苦茶な方向に飛ばされ、そこら中にある木々をなぎ倒していく。あちこちの骨が軋みだした。
「セーブとロードだっけ? ……まあ良いけどさ、そんな些細なことは」
最後にまた地面に高速で突っ込む。徐々にダメージが蓄積していっている。
「とにかく、もう疲れたんだよ。本当は今すぐにでも君達に真実を打ち明けたい気持ちで一杯なの」
地面から起き上がろうとするが、それは敵わなかった。何か強い力で押さえつけられているみたいだ。
「まあ、そんな事しても逆効果だから、しないけど」
彼女の表情は依然として変わらない。いつものノエルと違ってニコニコしているのが逆に不気味だ。
「……そろそろかな。じゃあ、今度は君の番だよ。彼女は君に、幸せになれる魔法の言葉をかけたがっている。さあ、いってらっしゃい」
彼女が言い終わると、また目の前が真っ暗になる。
直後、俺は見知らぬ場所にいた。温い風と濃密な気配が漂う森の中だ。辺りには木々が生い茂り、俺の周りだけは広い空間になっている。
手足に力を入れてみると、今度はすんなり立ち上がることができた。
「お前は……」
痛みで気付かなかったが、起き上がった目の前には最後の少女が立っていた。
そこでノエルの言葉を思い出す。『幸せになれる魔法の言葉』……?
過去の記憶と少女の姿が、初めて繋がった。
あぁ、なんで今まで気付かなかったんだろう。この子は、あのお嬢ちゃんだったのか……。
「……それが何だっていうんだ」
だが、それでも、サタンの仇は取らせてもらう。お嬢ちゃんがまさか無害な人を無闇に殺すような奴だったなんてな。失望したよ。
彼女の体はこちらを向いていて、顔は地面を見ている。髪で隠れて表情は確認できない。
その手には、猫のぬいぐるみが握られていた。もう片方の手には禍々しい形をした、どす黒い弓がある。
少女の頭上に文字が滲み出てきた。
【レベル5674・懺悔する時間くらいならあるだろう】
「ヴィーレさん……イズさん……エルさん……ごめんなさい……」
少女は顔を上げる。その表情は、この世の者とは思えないほど険しく恐ろしいものだった。
「ヴィーレさんが言ってくれました……。『一番優しい呪文だ』って……」
俺は心の中でサンダーストームを唱えた。体に赤い電流が絡みつく。
「それにあなたは殺されるんです」
これで終わりだ。さっさとあいつらのところへ連れていってやろう。
「〈ハピネス〉」
彼から全てを聞いた。俺が殺された、あの後、そんなことがあったのか……。
レイブンは俺達の事情をもう知っているからか、苦い顔をして語っていた。
「それで……その、ネメスも殺したのか……?」
「……いや、逆だ。殺された。手も足も出なかったさ」
「なに、ネメスが? あんたを?」
「ああ。ノエルやお嬢ちゃんのおかげで少女恐怖症になりそうだよ」
レイブンは茶化してみせるが、俺にはネメスが人を殺すなんて、とてもじゃないが考えられなかった。てっきり何もできずやられたとばかり……。
「ともかくさ、話を聞いたらスッキリしただろ?」
「……そうだな。ちょっとはモヤモヤしてたものが消えた気がするよ」
ただ、彼の繰り返していた過去を聞く中で一つ気になったことがあった。
「前回カズヤはいたか?」
「いや、召還すらされていなかった」
「そうか……。なあ、あいつにこの事話したのか? あんたは悪くなくても、ちゃんと謝っておいた方がいいぞ」
「分かってる。俺もつい最近知ったんだ。最初は関係ないものだと思ってたのさ。今度しっかり謝っておくことにするよ」
「ならいいが」
まったく無関係に思われていた謎が解けただけか。あとはノエルがなんかヤバいってことだけ? いや、それは前から分かってたな。
……なんだか別の意味でモヤモヤしてきたぞ。せめてレイブンが彼女の話を全部聞いていてくれたら、何か分かったかもしれないのにな。