5話「命令は絶対」
翌日、僕はベッドにうつ伏せで倒れていた。体中の鈍い疲労感に唸りながら、布団の上をカサカサ動いて独りごちる。
「今日もハズレばかりだった……。精神的に疲れるよ~……」
本日も昨日と同様、数箇所を回っただけで何の手掛かりも得られなかった。
ずっと気を張っているのってかなりキツいな。たまに魔物がいたりするから、常に魔物の王が近くにいる感覚でビビりながら進んでたよ。
レイブンはもうとっくに寝てしまっていた。
イビキうるさっ。頼りになる時も沢山あるのにこういうところでほんと損してるよな、この人。
何をするでもなく、ひたすらグデ~としていたら、部屋の扉がノックされる。
少し間をあけて開かれた隙間からは、透き通るように綺麗な金髪が見えた。そこからさらに、空色の瞳が覗いている。
「失礼します。今、お時間よろしいですか?」
「ん? どうしたの、レイチェル」
「マッサージでもしましょうか? その……お疲れのようでしたので」
「えっ。君、そんなことまでやれるの?」
「はい。……余計なお世話でしたか?」
一見いつもの無表情のようだったが、その眉はやや八の字になっていた。常時は針金のようにピンとしている背筋も、今は妙に曲がっている。
せっかくの好意だし、ここは受け取っておこうか。女の子にマッサージをしてもらうだなんて、日本じゃ金を払わないとできない経験だ。
「いいや、全然。それじゃ、お願いしようかな。よろしくね」
「こちらこそ。まず初めに、これから言う通りに寝転がってもらえますか?」
僕はレイチェルに言われた通りの姿勢になって、体をリラックスさせた。
ふっと布を被せられるように、優しく手のひらが背に当てられる。服の上からでも、彼女の指が冷たいのが伝わってきた。
女の子に触られるのって緊張するな……。あんまり意識しすぎないようにしないと。
「ちょっと仰向けになってもらえますか?」
レイチェルの手が腰から離れた。呂律の回っていない声で応えながら、半ば夢の世界に飛びかけていた意識を手繰り寄せる。
「あ、うん……。気持ちよすぎて、危うく眠っちゃいそうだったよ」
「寝かせつけるつもりでかかりましたので」
「ハハハ。今度またやってもらおうかな」
「この前ヴィーレに比べてもらったんですが、兄さんは私よりも上手いらしいですよ」
「エルって本当に何者なのさ……」
ヴィーレも呼び捨てで呼ばれるようになってるし。
エルは家族、僕は兄妹練習の流れで様付けが外されたんだよね。
でも、僕ら以外にも、彼女が様を付けない人間が二人いる。ヴィーレとネメスだ。
ネメスは年下だし、まだ分からなくもないけれど、ヴィーレは一体どうやって仲良くなったんだろう。
魔王城の使用人や子供達とも知らないうちに友達になっていたし、コミュ力極振りなのではないだろうか。
「こういうの、エルにもやってるの?」
体勢を変えながら質問を投げる。金の睫毛が縁取る瞳と目が合った。
「はい。ですが、兄さんには痛い方のマッサージを施しています」
痛い方とかあるんだ……。
前から思ってたけどこの子、Sなのかな? 献身的なのかと思えばエルにはやたら攻撃的だし。
あっ。でもあれは、彼がレイチェルを煽っているからか。この子を怒らせるのはやめておいた方が良さそうだ。
腹を上に向けてベッドに寝そべる。彼女は次のマッサージへ移行したが、暫しの間をあけて、窺うように話しかけてきた。
「あの……和也?」
「ん~?」
「普段、よく私の面倒を見てくださって、ありがとうございます。あまり伝わってないかもしれませんが、本当に感謝しています」
小さく区切って渡された言葉の量にビックリしてしまった。
彼女がこんなに一人で話すのって初めてじゃないだろうか。この子なりに、気にしてたのかな。感情はできても、伝え方はまだ不器用ってとこなのか。
「大丈夫、伝わってるよ。それにウィッチも僕も、他のみんなだって、仲良くしたいから君に構ってるんだ。何も感謝されるようなことじゃないよ」
目を閉じて僕が言うと、僅かな間だけ彼女の腕が止まった。反応は瞼を開いて確認するまでもない。
「……そうかもしれませんね。それでも、ありがとうございます」
その後も彼女のマッサージは続いたが、僕は途中で眠ってしまったようだ。記憶がそこで途切れている。
翌日は体が羽のように軽かった。今さらだけど、これをレイブンにやってあげれば良いのでは?
数日後、僕達は依然として魔王を見つけ出せないでいた。
安堵とも焦燥ともつかない心中で、宿への道を辿っていく。
「今日も駄目だったね~」
「もしかしたら、本当にユーダンク側にあったのかもしれませんわね」
「見つかったらノエルやサタンが伝えてくれるはずだ。まだ発見されてはいまい」
「ん、呼んだ?」
突然背後から聞こえた声に脊髄反射で振り返る。
そこにはやはり、ノエルがいた。だが、その顔はあの不気味な笑顔だ。
ロープを着てるわけでもないのに、どうしたんだろう。
「ビックリした~。何か用? ヴィーレ達が魔物の王倒しちゃったとか?」
「ううん。ただ、アドバイスをするの、忘れてたなって」
アドバイス? ノエルからコピーした呪文の扱い方についての、だろうか。
「違うの。これから先のことについてのことだよ」
彼女は心を読んで会話を進めてきた。レイブン達は当然ながら話の要領を得られず、首を傾げている。
「まあこれは、私からの遠回しなプレゼントと思ってもらえたらいいかな」
そこまで言ってノエルは手招きした。意図を察して身を屈めてやると、耳に口を近づけられる。
「みんなの命は、君にかかっているんだよ」
え、どういう意味だ?
意味深な忠告に顔をしかめて彼女の方を向くと、ただただニコニコと笑っているノエルがそこにいた。
「特に意味はない言葉なの。ただ、諦めちゃダメだよってこと」
呪文を唱えようとするも、なぜか口が開かない。テレパシーで心を読みたかったのだけど、これじゃ会話すらできないぞ。
「君は⬛⬛⬛なんだから、ね?」
そう告げて彼女はどこかへ消えてしまった。
なんて言ったんだ? 口は動いていたけど、靄がかかったように一部だけが聞こえなかった。
「最後、彼女はなんて言ってた?」
「いや、俺には聞き取れなかった。お前は何とかだって言ってたな」
他の二人にもノエルの言葉は届いていなかったようだ。
何だったんだろう。口元は五回動いていたけど。読唇術もできないんじゃ詳しい内容までは分からない。
……とりあえず、気を付けなきゃいけないことだけは分かったな。
その夜、僕はウィッチ達の部屋へ向かった。
ノックして、中から返事をされたら、扉を開いて中へ入る。そこではウィッチがレイチェルの髪をとかしてあげていた。
「ちょっとウィッチに聞きたいことがあるんだけど」
「あら、何の用かしら?」
「ちょっとノエルのことでね」
「私は席を外した方がよろしいですか?」
「いや、いてくれて構わない……と思う」
ノエルのことを教えてもらいにきただけだ。
彼女が何を考えているのか、どういう行動理念に従って動いているのかがいまいち掴めない。
ひょっとすると、ウィッチなら何か知っているかもしれないと考えて来たのだ。皆の過去を聞いた感じだと、サタンの次に付き合いが長そうだし。
「ノエルってどんな子?」
「普通の女の子で、サタンのお友達ですわ。ただ、呪文と魔力量が異常なほど強力なようですわね」
それ普通の女の子じゃなくないですかね……。
「どんな呪文が使えるの?」
レイブンの話やコピーさせてもらったものから得た情報だと、僕は彼女の呪文を三つしか知らない。
一つはサイコキネシス。お馴染みの超能力だ。念力で物を自由に動かすことができる。
二つ目はテレポート。簡単に言うと瞬間移動だ。ただし移動する際、使用者や対象物を認識している人物の視界は一瞬暗転するらしい。自分以外に他人や離れた物も対象にできる。
三つ目はテレパシー。僕は人の心を読んだり、逆に心の声を届けたりできる。ノエルはどうやら人の記憶を見れる域にまで来ているようだ。
そして、それらを彼女は唱えることなく使うことができる。十分に魔力量もあるようだし、ぶっちゃけレイブンよりも強いかもしれない。
だけど、ノエルの行動を見てきた結果、それ以外にも何か呪文が使えるような気がしてならないのだ。
「あの子はサイコキネシス、テレパシー、テレポート、プレディクションの四つの呪文を持っていますわよ」
「プレディクション? 何それ」
「予知の呪文ですわ。だからあの子は少し大人びた雰囲気を纏っているのですの」
未来予知の呪文……サタンもたしか所持していたな。あれはノエルからコピーしたものだったのか。テレパシーもコピーしてたし、そうに違いない。
「未来予知ねぇ……。だからアドバイスをしてきたのか」
あれ、待てよ。……ていうことはこれから先、みんなの命が危険に晒されるってことか? そしてそれを救うことができるかが、すべて僕にかかっていると?
「……そんなわけ、ないよね……」
僕は手の汗を握りしめて自分に言い聞かすように呟いた。彼女が未来を知っているということを知っただけで、ただの推測がひどく現実味を帯びたように思えたのだ。
その光景を想像してしまう。なんだか目に見えない圧力が押しかかってきたように体が重い。いつ来るかも知れない不安が倍増したように感じられた。
「和也、大丈夫ですか?」
レイチェルが隣まで来て、両肩に手を添えてくれる。いつの間にか震えていたみたいだ。足から地面にへたりこむ。
続いて、視界に引き締まった脚が侵入してきた。顔を上げると、ウィッチの顔が近くまで来ていることに気付く。
「何を言われたのかは知らないですけれど、心配いりませんわ。あなたは一人じゃないんですのよ」
黒い感情を溶かすように、甘美な言葉を振りかける。突然様子がおかしくなった僕の手を、何の躊躇もなく両手で握ってきた。とても温かくて安心する手だ。
だけどまだ悪い予感は消え去ってくれなかった。
その時が訪れた時、僕には何かができるという自信が無い。ノエルが忠告してきたという事は、僕はこのままじゃ失敗するという事なんじゃないか?
嫌な感情だけが募っていく。答えの出ない疑問ばかりが積もっていった。
視線を下に落としていると、ウィッチの溜め息が聞こえた。
直後、顎に指を添えられ、クッと持ち上げられる。凛とした目尻が怒っているようにも、微笑んでいるようにも見えた。
「まったく、世話が焼けますわね。和也、あなたに命令しますわ。幸せになりなさい。これから先、どんなことがあっても、あなたが傷付くことを許しませんわ」
その言葉には抗えないほどの強制力を感じた。優しく、それでいてとても厳しい命令だ。
何かが僕の心の底から湧き上がってくる。
「はい、これであなたはもう幸せにならざるを得ません。だから、不安になることなんてもうないんですの。いいですこと?」
ウィッチが頭を撫でてくる。
不思議なことに、不安や心配、緊張や重圧がスーっと引いていった。気分が晴れ、世界が煌めいて見える。
彼女の言葉を聞いてから一分も経っていないのに、先ほどまで考えていたことがもう全て馬鹿らしく思えるくらいになっていた。
「……うん。ウィッチ、レイチェル、ありがとう。僕、頑張れそうだよ」
「うんうん。それでこそ私の召し使いですわ」
「いざという時には頼ってくださいね」
二人はそれぞれエールを送ってくれる。彼女達に勇気を貰ってしまったな……。
幸せになりなさい、か。
そうだ。僕にとっての幸せは、みんなで笑っていられること。シンプルなことだった。それさえ忘れなければいいんだ。
何も一人ではない。頼れる仲間だっているんだ。必ず、やり遂げてみせるぞ。




