24話「みんなのお兄ちゃん」
宿のオジサン達に事情を説明すると、僕はすぐにギルドへ向かった。宿を出た時点で時刻は午後の七時五十三分。もうほとんど時間がない。
オジサンが「余ってるから」とくれた手提げバッグに荷物を入れて目的地までひた走る。一歩を踏み出すごとに決意が固くなっていくのを感じた。
いつかのような月明かりが夜道を照らしている。曲がり角を曲がったその先に、月とは別の灯りがあるのを見つける。
ギルドだ。アルストフィア村の中で無事だった数少ない建物の一つ。一部屋根が損壊しているものの、窓からは暖かな光が漏れ出ている。
そして、その入り口前に見えるはワゴンの馬車だ。二頭立ての四輪荷馬車が四台停まっている。周辺には甲冑を着た人々や、馬車の中で不安そうに寄り添う村人達の姿が確認できた。
「す、すみません! 僕も乗せてください!」
片手を挙げながら叫ぶ。何人かの視線がこちらへ向いたことに安心して、無理やり回していた足が止まってしまう。両膝に手をついて呼吸を整える僕のもとに、二人の男女がやって来た。どちらも武装している事から兵士だという事は察せられる。
「ギリギリだったねぇ。あと一分も遅れていたら置いていかれてたよ。君も他の町へ行くのかい?」
「は、はい……。モルト行きの車に乗せて頂きたく……」
息も絶え絶えに返事を返す。飄々とした態度の男が目配せすると、隣の女兵士がペンと名簿らしきものを取り出しながら一歩分僕に近付いた。
「では、お名前と身分証を」
凛とした声と共に差し出された片手を、僕は間抜けな面をして見つめる事しかできなかった。
「へ? 身分証?」
「ええ。その通り、身分証。或いは自身の地位や役職を示せる物でも構わないよ。最近は強盗に盗賊と物騒でねぇ。念のための確認ってわけだ」
男の方が親切に教えてくれるが、僕の中にある問題は解決しない。
どうする。身分証どころかマトモな持ち物なんて何も所持していないぞ。それどころか怪しまれそうな服装してるし。この世界って、ジャージは存在するのか?
「あの、実は……身分を証明できる物が無くてですね……。と言っても怪しい者ではないんですよ!? ただ、言うに憚れる事情がありまして……」
しどろもどろになって打ち明けるも、二人の疑惑は明らかに強くなっていた。女性はこちらに伸ばしていた片手を剣に添え、男は微笑みながらも目を薄く細めて観察してくる。
「そっか。じゃあちょっと手続きがややこしくなるけど、向こうでゆっくり話をしようね」
一変してにこやかに肩に手を回してくる男。そのままグイグイと他の兵士達のもとへ連れていこうとする。
目だけ笑ってないんですが……。やましい事は無いんだけど、これ大丈夫かな……。
治安の悪い世界によくある冤罪の可能性に怯えつつ、僕は二人と共に並んでギルドへ歩いていった。
「アッハッハ! すまないねぇ。まさかあんなに怪しい素振りと格好をしておいて普通の一般人だなんて、思いもよらなかったよ」
馬車の中で先の男が高らかに笑う。隣では一緒にいた女性が丁寧に頭を下げていた。
「すみません。こちらの勘違いでした」
「いいえ、良いんです。お金と食料だけ無駄に持った変な服装の男が一人で来たら、そりゃ不審に思いますよ」
愛想笑いで対応する。ていうかどうしてこの人達は僕と馬車に乗っているんだ。
あの後、持ち物検査やら呪文の確認やらで大幅に時間を消費して、僕はようやくモルトに出発する事ができた。幸いモルトへ行く馬車には僕しか人がいなかったようで、必要以上に誰かを待たせる事にはならずに済んだらしい。
今は目の前の彼らを合わせて六人の兵士に護衛されている状態である。一人で晩ご飯を食べているのが何だか申し訳ない。
しかし、そんな気遣いも腹を揺らすような空腹の前には無力。僕は会話を交わしつつ、チョコレートココナッツ味の携帯食料とバナナを鞄から取り出していた。ご飯がまだだった件なんかをボソッと独り言のように呟いて早々に頬張る。
スティック状の携帯食はクッキーのような食感かと思っていたが、どちらかというとドーナツに近い食べ物だ。茶黒のブロックに白いパウダーがまぶされている。空きっ腹なことを除いても十分美味しい。喉が乾くこと以外は文句なしの一品だ。
咀嚼を繰り返しながら対面の二人をチラ見する。先ほど気が付いたのだが、この兵士達も現実世界にいた人物だった。
男の方はモルト町で大猿退治の依頼をしてきた館の主。女の方はエルと合流した後にユーダンクで寄った喫茶店の店員。外にいる兵士達も、覚えていないだけでどこかで会ったことのある人なのかもしれない。
「これまた美味しそうに食べるね。……君、飲み物は持っていないのかい?」
こちらを観察していた男が不意に尋ねてくる。口に手を添えて「ふぁい」と返事をすると、馬車の隅に行って水筒を持ってきた。また元の位置に座り直し、僕にそれを差し出してくる。
「走ってきて疲れただろう。好きなだけ飲むといい」
「えっ。わ、悪いですよ……!」
「遠慮をする必要はない。疑ってしまった詫びだよ。私も不誠実な男のままではいたくないんだ。口は付けてないし、私の仕事も今日はこれで終わりだから、安心して飲みたまえ」
彼は半ば強引に僕に水筒を手渡すと、隣で名簿と睨めっこをしている女性に目を向けた。何が書かれているのかは分からないが、多分アルストフィアの被害に関係している事だろう。
「……では、ありがたくいただきます」
正直言うと、ちょうど口の中がパサパサしてきたところだ。向こうに着いたら数時間はネメス達について情報収集するつもりだったし、今のうちに水分は摂っておきたい。
僕は蓋を開けると香りを楽しむ間もなく一気に中身を飲み込んだ。そして――――
「……っ! ゲホッゲホッ! おえっ……!」
盛大にむせた。途端に胃が焼けるように熱くなり、懐かしくありつつも一生味わいたくなかった苦々しさが口の中一杯に広がる。
「こ、この雑草を泥水で煮込んだような最悪の香ばしさ……! キンキンに冷えてるのに舌や消化器官の悉くを焦がしてくる謎の効能……! 食道全体にこの世のありとあらゆる不快物質を塗りたくったような後味の悪さ……!」
舌を出しながら水筒を叩きつけたい衝動を必死に抑える。しかし、口は全く自省してくれなかった。
「間違いない! これは、この禍々しい味は、薬草ジュースだ! なんでこっちでも流行ってるんだよっ!」
苦々しい顔をしたまま急いで蓋を閉める。悪い意味で正気に戻してくれる魔法の飲料だな。
僕の大声に驚いた様子だった女性の兵士が名簿から目を離して困惑顔でこちらを見てきた。
「また薬草ジュース、ですか……。流行って分かりませんよね。パートナーの彼から初めて勧められた時は私も吹き出しちゃいました。ほんと、よくそんな不味い物を飲めますね」
言いながら横目で隣の男を見る。すると、そこで初めて彼は感情を爆発させた。
「不味いだと!? 聞き捨てならないな! 薬草ジュースを好きな人に薬草ジュースの悪口を言うんじゃないっ!」
立ち上がり、僕ら二人を鋭く指差す。ヤバい、至極真っ当な正論過ぎて返す言葉がない。
確かに初対面の人にする態度じゃなかったな。不意打ちだったからってのもあって口が滑りすぎた。
「す、すみません……。親切を無下にするようなことをして……」
「……まあ、今回は忘れよう。私もカッとなってしまったし。分かる人にしか分からない価値ってのは往々にして存在するものだからね」
彼は流れるように僕から水筒を奪取し、そのままクネクネした動きでそれに頬擦りを始めた。女性の方が可哀想なものを見る目になってるんですが。
「でもね、君たち、勘違いしちゃいけないよ。美味とは料理や飲物ではなく、己の舌にこそあるものなのさ!」
どこかの偉人が言ってそうな名言を宣いながら、男は颯爽と馬車から外へ飛び去っていった。残された僕と女性は二人で顔を見合わせ、揃って首を傾げたのだった。
あれから女の兵士も護衛に回るべく外へ出た。結果的に僕は馬車の中に一人となる。
外は静かだった。時折話し声が聞こえてくるが、あとは蝉のような虫の鳴き声がするだけだ。
食事を終え、床を呆然と見つめ続ける。変に思考するのは止めにした。今得ている情報じゃ、どう考えたって確実な攻略法には辿り着けない。それなら少しの間だけでも休んでおこう。まあ、休めるかは保証されていないのだが。
モルトに着きさえすれば、それからレベル上げをするなりして、慎重に進んでいけばいい。もう死ぬつもりも誰かを死なせるつもりもない。絶対に彼女達へ幸せな結末を見せてやる。
ただ、そうなると、やはり懸念すべきはモルトに行くまでの道のりだ。兵士達のレベルはイズさん達の半分しかなかったが、あれだけの人数がいれば苦戦はしないだろう。彼らが戦闘系の呪文を使えるなら、の話だけど。
「……一人でいると悪い方にばかり考えちゃうな」
頭を振り、沸き上がってきた不安を払拭する。現時刻を確認しようとして、時計を持っていない事を思い出した。
「すみません。あとどのくらいで着きますか?」
尋ねながら御者がいる方向を見ると、そこには誰もいなかった。僕が前を向くのを待っていたように馬の足が止まる。
声が出なかった。猫背で首を横に向けた状態から五秒、十秒と時間が経過していく。その間、人の声は一つもない。虫すらも押し黙り、耳が痛くなるような静寂を作り出す。
「おお、これはこれは……」
ふと、目の前から声が聞こえた。誰もいないはずの空間から人の言葉が飛び出してきたのだ。それに対して何かアクションを起こす前に、僕は何者かによって首を締め上げられた。足が浮き、顔が一気に熱くなる。
「あ、やっぱりいたよ。イズ姉、こっちこっち」
続けて誰かが馬車に入ってくる。もがきながら視線を向けると、見知った二人の人物が立っていた。
「イズさん……エミーナ……?」
身の毛がよだつのを感じる。彼女らに僕の声は届いていなかったのか、反応はない。
「あら、本当だわ。アジトに帰る途中に死体に囲まれた馬車を見つけたから、まさかと思って来てみれば……案の定あんただったのね」
二人の目は僕を掴んでいる何者か、何もない空間を捉えているようだ。日常の取るに足らない会話でもするみたいにリラックスした調子で話を続ける。
「収穫も全然みたいだし、さっさと済まして帰りましょう。今日はあんたが晩ご飯を作る番でしょ」
「そだね。食材の買い出しはやってきたからさ」
エミーナは言いながら近付くと、僕の前の空間に触れた。肩を叩くような感覚で、無表情のまま空中に手を置いたのだ。瞬間、まるで初めからいたような自然さで、そこに人の姿が現れる。
「一緒に帰ろう、エル兄」
僕がしばらく呼吸を忘れたのは、彼が僕の首を握り潰さんとしているためではなかった。




