23話「純粋な悪魔」
ホールまで来ると、宿屋のオジサンが奥さんと大荷物を抱えて「えっさほいさ」と掛け声をあげていた。入り口の扉も既に閉めている。いつもならまだ営業時間であるはずなんだが……。
「あの、すみません」
二人が荷物を一旦置いたところで話しかけた。彼らは僕の姿を見つけると、疲れを押し隠して柔らかな笑顔を浮かべてくれる。
「あぁ、お見苦しいところを……。お出かけですか? この荷物はすぐに退けますので」
「ま、まあ出かけるんですが、そうでなくて、すみません。お金も払わずに眠りこけていて……」
既にベルは返した。けれど、もしウィッチ達が宿に泊まる期間を昨晩だけとしていたのなら、僕は無断で居座っていた事になるのだ。
この気が良いオジサンなら遠慮してしまっていたのかもしれない。そう考えての挨拶だった。
「はて? 宿泊代なら明日の分まで頂いておりますが?」
「えっ。初めから二日分の宿泊代を?」
「いいえ。今日のお昼に、勇者様から追加で十日分の代金を確かに預かりましたよ」
「十日分も……ネメスが……」
胸中に罪悪感やら自責の念やらといった後ろ暗い気持ちが渦を成したが、頭を振ってそれらを飛ばした。いちいち暗くなっていても仕方ない。意識を別のことに向ける。
オジサンと奥さんは腰を押さえたり両手を開閉したりしていた。奥さんはふっくらした体型で身長も僕と同じくらいだが、オジサンと同様に魔力はそこそこある。
なのに疲れている様子なのは何故だろう。他にも重い荷物を運んでいたのだろうか。
「何を運んでいたんですか?」
「大して面白い物ではありませんよ。裏庭の方にしまっていた道具を少しね……。実は私どもは引っ越しを考えておりまして。といっても、他の村人もほとんどは家を移されるそうなのですがね」
愛想笑いと苦笑いの中間で応じる主人。奥さんは陰鬱とした表情を隠せていない。
「なるほど。だから宿も閉めているんですね。となると、あまり長居するのも悪く思えてくるな……」
「とんでもない。こちらの事情ですから、お気遣いなく。代金を頂いた以上、相応の働きはさせてくださいませ」
「非常事態なのに落ち着いてますね。こういう経験は以前にもおありで?」
「まさか。当然のサービスをしようとしているだけですよ。お客様は神様ですから」
そう答える宿主の顔は誇りに満ちていた。己の信条に真っ直ぐな人らしい。関係無いのにオジサンに対する好感度がグイグイ上がっていくな。
「素晴らしい心がけですね。経営者の鑑だ。ただし、世の中には貴方のような人に対して思い上がる人もいますからね。自分の事を神様だと勘違いしている『お客様』には注意した方がいいですよ」
「ハハハ。残念ながら経験はしております。対処の仕方も心得ておりますよ」
今度の彼は快活に本物の笑いを漏らしてくれた。その後、ふと奥さんに目をやる。そして腕時計をチラと見てから、僕に再度確認してきた。
「お出かけでしたね? 鍵をお預かり致します」
「はい。お願いします」
言ってポケットから取り出した鍵を渡している途中、荷物を挟んでオジサンの反対側に立っていた奥さんが話しかけてきた。
「お帰りは早い方が良いですよ。今日の昼、村で強盗が出たらしいので」
「強盗?」
「はい。村の混乱に乗じたのかは分かりませんが、そういう輩もいるという事です。夜遅くまで出歩いていると大変危険ですよ。今は人通りも少ない事ですしね」
強盗か。呪文を一つも覚えていないのなら危惧すべき存在だな。もしこの大金貨を奪われたら詰みだぞ。
……別に詰みとか言う以前に、この世界はもう諦めているんだけどね。油断すると気を引き締めてるな。本格的に精神の異常を疑うぞ。感情が支離滅裂だ。
夕飯だけ済ませたら眠ろう。きっとまだ疲れているんだ。
「それなら早めに行って用事を済ませてきた方が良いですね。そろそろ失礼します」
「ええ。いってらっしゃいませ」
笑いかけてくれる二人に礼をして、僕は宿を後にした。
外に出ればリフレッシュできるだろうという計算は間違いだった。当然といえば当然なのだが、村の様子は散歩には不向きな状態だったからだ。すっかり忘れていた。
都会に無いような静けさと星空が澄んでいるのは良いけれど、少しでも視線を下げると瓦礫の山が見えてしまうのはいただけない。街灯もほぼ全て消えている。地上より空の方が明るいくらいだ。
だが、僕は歩かずにはいられなかった。お腹の具合が限界だ。こんな空きっ腹じゃ帰っても眠れないだろう。
店を探すもろくな場所は見つからない。あるとしても既に閉まっている所ばかりだ。
商品が売り切れたのか他の町へ逃げたのかは知らないが、宿主のオジサンが引っ越そうとしていた理由が痛いくらいによく分かった。もうこの村じゃ客商売なんて成り立たない。
「ん? あれは、まさか……」
村の入り口、何故かまだ開いている門の向こうに薄ぼんやりとした灯りを見つけた。屋台だ。いつもの店が立っている。
ヴァンプさん、こんな時間まで何してるんだろう。本当にアルストフィアの被害に乗じて商売しているのか? それとも……。
若干の不信を抱いたけど、それもすぐに消え失せた。彼女なら食べ物を売ってくれる。経験からそう確信したのだ。
足取りが割合軽くなった。店の前に来ると、やはり中にはヴァンプさんが一人。そこそこ接客をこなしたのか緊張した様子はない。
「いらっしゃいませ!」
「えっと、食べ物って売ってますか?」
今更だけど、ウィッチと口喧嘩した後にヴァンプさんと会うのは気まずいな。この世界でのウィッチの両親は彼女達じゃないらしいが。
「バナナと携帯食料ならありますよ。バナナが一房で銀貨三枚、携帯食料が一食分で銀貨四枚です」
言ってからヴァンプさんは僕の前に箱を二つ出してきた。
一つにはバナナが三房入っており、もう一つには携帯食料の入っている薄い箱が十個くらいある。パッケージを見るに、スティック状のお菓子みたいな物らしい。
「味が三種類もあるのか。栄養価は……プロテインバーみたいな割合だな」
チェックをして栄養バランスを調べる。チョコレートココナッツにリアルラズベリー、そしてソルティッドキャラメル。甘いのが大好きな僕にとっては最高の夕食だ。ただ、お金には余裕があるというのに、荷物を入れるバッグが無いから目一杯は買えないな。
「じゃあバナナを一房と携帯食料をそれぞれ一つずつお願いします。支払いはこれで」
言いながらポケットの中の大金貨を一枚取り出す。
我ながら五十万円を持ち歩くにしては無用心だったかな。盗まれてなくて良かったよ。ていうか千円ちょっとの買い物に十万円出すとか迷惑すぎるね……。
「ありがとうございます! ……あれ?」
ヴァンプさんはお釣りを落とさないように手渡してくると少し頭を傾げた。
「何かあったんですか? すごく疲れているような……」
「ええっ!?」
不意を突かれて露骨に仰天してしまう。反射で顔が横を向いた。
この時間軸でヴァンプさんと会うのは初めてだ。なのに一発で疲労が見抜かれた? そんなに顔に出ていたのだろうか。恥ずかしい。もしかしたらオジサンや奥さんにも心配かけちゃってたかもな。
「へへんっ。これでも人の気持ちを読み取るのは得意なんですよ。たしか勇者の子達と宿に泊まっていた方ですよね?」
「そうですが……どうしてそれを?」
「昨夜に偶然見たんですよ。お客様が運ばれているところを」
戦闘中にも村にいたのか。それとも戦いが終わった後か? いずれにせよ、商人も大変だな。呪文も使えないっていうのに。
「それで、私の読みは当たってましたか? せっかくですし、私でよければお悩みをお聞きしますよ」
グイッと身を乗り出してくるヴァンプさん。ノリノリだ。現実の彼女もこんな感じだったな。世話焼きな面はウィッチそっくりだ。
「……まあ、そういうことなら、少しだけ」
自分の言葉に自分で驚く。無意識のうちに口をついて告白してしまっていたのだ。参ってしまっている事は自明だった。誰でもいいから話を聞いて欲しかったかもしれない。
僕の返事を聞いたヴァンプさんは長い話になると思ったらしく、屋台の中から椅子を二つ持ってきた。一つに座ると居住まいを軽く正す。彼女に倣って僕も着席することにした。屋台の灯りが鈍く二人を照らす。
「その……ちょっと、友達と喧嘩別れしちゃって……」
「喧嘩別れ? 勇者の子達とですか?」
「はい……。どうして言い合いになったのかは教えられないんですけど、とにかくもう二人とも別の町まで行っちゃって」
答える声が萎んでしまう。視線を地面に落とすと、対面にいたヴァンプさんが隣まで移動してきた。そのまま片手で背中を擦ってくる。慰めてくれているのだろうか。
「でも、後悔はしてるんですよね? それならネメスちゃん達を追えば……」
彼女の提案にも低い声で唸るくらいしかできない。僕の言だけ聞けば、『顔を合わせるのが気まずくて未だに謝りきれていない少年』と判断されても無理はないだろう。
だが誤解を解きたいからといって、『死んだことがある』だの『実はこの世界は夢の中で』だのと打ち明ける訳にもいくまい。
当然、何の問題も無ければウィッチ達には謝りたい。夢の中と割り切るには世界があまりにもリアル過ぎるのだ。彼女達から受けた施しに報いたい。しかし、それじゃ夢世界の呪縛から逃れられないかもしれない。板挟みの形だった。
「……とりあえず悩んでいるなら最善を尽くすべきだと思いますよ。深く考えないで、自分に正直になっちゃうんです。そうあり続ければきっと後悔はしないで済みますよ」
「そうですかね……」
「ええ、きっと。どうか忘れないでください。あなたが仲間思いの優しい方だという事を」
「でも……僕は……」
言葉を言い切る前に温かい手のひらが両頬に当てられた。顔を持ち上げられ、聖母のような笑みを見せつけられる。
「妥協はそれなりの結果しか寄越しませんよ」
ピシャリと、窓を閉じるように言われた言葉は、確かな強さを帯びていた。その双眼は僕の心の内を見透かしているようで、僕はただ一歩下がることしかできなかった。
「……和也って言います。相談に乗ってくれてありがとうございました」
立ち上がり、短く礼を述べ、左手を差し出す。
「私はヴァンプです。風来の商人って呼ばれちゃってます。もしかしたら、またどこかでご縁があるかもしれませんね」
重ねられた彼女の手、その指には宝石の付いた指輪が嵌められていた。現実でイスターさんがプレゼントした婚約指輪と同じ物だ。
握手を終え、踵を返して歩きだす。両足にあった鉛のような重たさはもう無くなっていた。
「モルトに行くなら村のギルドに行ってみると良いですよ! 八時頃には避難民のための馬車が来ているはずです!」
歩みを止めないまま振り返っても、そこには誰もいなかった。今さら動じる事はない。探す暇だって無いんだ。時間は限られている。急いで駆けつけなければ。
この夢を見せている人への説教は後回しでいい。ウィッチ達を幸せな結末に導いた後で、ろくでもない趣味をきっちり矯正してやる。
・人物紹介
【イズ】
呪文「イグニッション、フローズンスノウ、ヒーリング」
服装「盗賊時はエミーナと大体同じ。武器は持っておらず、バンダナは付けていない。代わりに他の盗賊幹部から貰った金のピアスを装備している」
変化「エミーナより前から盗賊幹部だった。似たような服で似たような呪文を使う、同じ女性のボッチ仲間として、エミーナには勝手に親近感を抱いている。そのため彼女に対して姉貴分のように接し、やたらと世話を焼く。黄色いバンダナをプレゼントしたのもイズ」




