22話「ベッドの下」
ウィッチ達が去って三十分、僕の体はやっと言うことを聞くようになった。
だが、もうやる事も無い。説得は失敗したんだ。馬も無い以上、二人を追うこともできない。
夢から覚めるのを願い、ふて寝し始めた僕を責められる人がいるだろうか。いたら叩き起こして欲しいくらいだ。自分で情けなくて仕方ない。
寝てばかりの姿勢が辛くなって上体を起こす。テーブルの上にある大金貨五枚に目が行って、すぐにまた寝転がった。
別れ際、ウィッチがテーブルを叩いた時、彼女本人が置いていった物だ。ネメスの死角になるように体を移動させて、怒るふりをしながら、バレないように取り残していった。自分達の旅の資金だろうに、五十万円相当の金額を僕に渡して行ったのだ。
「『情けは仲間にだけ』じゃないのかよ……!」
歯軋りの音が耳の内で鳴った。胸の辺りがぐちゃぐちゃになる。
やはり、ウィッチは甘い人物だった。ヴァンプさんを無視した時もそうだ。ネメスの前だから強く振る舞おうとしているだけで、冷徹になりきれていない。
言い表しがたい感情に飲まれそうになる。布団を頭まで被り直し、目を閉じた。
「もう関係の無い事だ」
自分しか聞いていないのに、ポツリと呟く。思考を休めたら瞼も自ずと降りてきた。
宿屋のオジサンには後でお金を払いに行こう。いや、どうせ目が覚める頃には現実世界か時間が戻っているかしているだろう。どうか前者でありますように。
――――鬱々として数時間は眠れないかと思ったが、精神的な負担からか、存外寝つくのは早かった。
おかしい。またまた予想外の事態が起きている。
目覚めた時、外はすっかり夜だった。そう、夜だ。時間が巻き戻っていないのだ。
場所は変わらずアルストフィアの宿。現実世界に戻ってきたという訳でもない。
「クソ、本当に何が目的なんだ……!」
体を起こした状態で頭を抱える。
どうやら意地でも夢世界から出す気は無いらしいな。まあ、ウィッチ達を説得し損ねた時点で半分諦めていたが。
だから、僕が困惑している理由はそこじゃない。時間が戻っていない事に狼狽えているのだ。
それはつまり、ウィッチが死んでいないという事。現在の時刻は、部屋の掛け時計によると、午後六時四十二分。遅れてなければモルトか別の町には着いている頃だ。
「彼女達は生きている? だとしたら今はどこに……」
頭はすっかり冴えている。眠気も無い。疑問だけが頭の中を巡っていた。
深い息が漏れる。もう居ても立ってもいられなかった。何かして気分を紛らわせたい。
ベッドから立ち上がり、テーブルの上にある硬貨をポケットに入れると、部屋の扉へ近付いていく。
「散歩でもしてこよっと。夜風に当たれば落ち着くだろう」
ノブに手をかけたところで、つい癖が出て振り返ってしまった。忘れ物を確認する癖だ。
部屋には茫漠たる闇が広がっている。月明かりも入ってこない。ずっとその中にいたけど、多少は物の在処が判別できるくらいだ。
だけど、そこに気になる物を見つけた。歩いた場所を戻り、無言で部屋の灯りをつけると、『それ』をジッと観察する。
ベッドだ。さっきまで僕が眠っていたベッド。掛け布団や枕、シーツなんかは起き上がる時に直しておいたため、乱れてはいない。
忘れていた事に気付いたのだ。イスターさんの言葉。その意味を確かめることを。
『ベッドの下に何かがいる』
モルトの屋敷でも調べてみたが、こちらのベッドは確認していなかった。『帰りたいなら成し遂げろ』とか『サタンが世界を滅ぼすかもしれない』とかは確かめようが無い。でも、ベッドの件は別だ。
唾を一つ飲み込んだ。こんな状況だというのに、怖がりな性分が出てきてしまう。
あの時は二人が隣の部屋にいた。僕も魔力をある程度有していたし、呪文を持っていたんだ。けれど、今は丸腰の貧弱男。強盗なんかが潜んでいたら最悪だ。それだったらまだ良いが、幽霊でも出てきたら死ぬ自信がある。
「すぅ……ふぅ……」
大きく深呼吸をしてみる。イスターさんが夢の世界を見せている可能性は大きい。あの台詞に意味があるなら、引っかけかヒントだ。
ということは、言葉の真偽を知ることには大いに意味がある。他の二つの情報が有力か否かの目安になるからね。
そうだ。確かめる意義はある。だから見るぞ。覗いてみせるぞ。ベッドの下を!
ゆっくり膝を折り曲げていき、まず片手をつく。もう一方の手も床に置いた。片膝だけをつき、土下座でもするみたいに頭を下げていく。
目線はベッドを向いたまま。その下にある空間は暗然としていたが、部屋の明かりのおかげでボンヤリと認識することはできる。
「あれは……?」
人でも、幽霊でもない何かがそこにはあった。本だ。分厚い本が、誰かが意図的に置いたように綺麗な姿勢で佇んでいる。
手を伸ばして引きずり出してみる。上側になっていた部分に埃などは付着していない。五センチくらいの厚さで、紙のサイズは文庫本ほど。黒い装丁には見覚えがあった。
「これは、現実のイズさんが持っていた呪文の本かな? 毎年出版されているとかいう……。この世界にもあったのか。どうも現実で見た物よりも厚い気がするけど……」
表紙には『呪文・魔法事典(第七版)』と書かれている。立ったままペラペラ捲ってみると、現実との相違の正体を発見した。
以前イズさんから僕も借りたことがあるのだが、あの時は無かった記述があるのだ。
「ネメスのハピネス、アルルのインビンシブル、レイブンのセーブ。彼女達だけにしか使えない『限定呪文』と呼ばれていた特殊は呪文の説明まで書かれているぞ」
独り言をこぼしながらページを進める。流し見しているだけなのに、本の中には更なる発見があった。
「それに知らない呪文まである。エターナルノスタルジー、クロックロック、チャイルズガーデン、メタフィクション、ロイヤルガード……」
どれもサッパリ聞いたことのない呪文だ。効果も書いてあるけど、取るに足らないものから卑怯すぎるようなものまで盛り沢山。名称と効果以外にも射程範囲や持続時間の記載がある。
それにしても、どうしてこんな物がここに? イスターさんが置いていったのか? だとしたら何故?
「……ダメだ、頭がろくに働いてくれない。やっぱり散歩をしてこよう。お腹も空いたし」
思えば朝飯も昼飯も食べていない。この時間軸で今日の間に食べたのはオレンジだけだ。
意識した瞬間、お腹の虫が悲鳴で胃を叩いた。落ち込んでいても腹は必ず減るもの。現実が僕の悩みを嘲笑っている気がした。
額を掻いて本を閉じる。複雑な気分だが、背に腹は代えられない。ウィッチのお金で食べ物を買ってこよう。アルストフィアで手に入れられるかは微妙なところだが、被害の出た町村に残る人のために、配当があったりしないかな。
僕は本だけを部屋に放置し、鍵をきちんと閉めてから一階へ向かった。
・人物紹介
【エミーナ】
呪文「スコーチングヒート、インテンスコールド」
服装「白シャツに黒の長ズボン、そして盗賊幹部お揃いの茶色ジャケットを着ている。首もとに黄色いバンダナを掛けており、腰の左右に特殊装備の剣を差している。普段もボーイッシュな服装を好む」
特徴「変化は無い。十六歳の女の子。生まれつき褐色肌で色素の薄い髪色をしている。身の回りの事は基本的に無頓着で、よくイズ達に面倒を見てもらっているらしい。他人の事には興味を示さないように努めていたが、他の盗賊幹部には少しだけ懐いている」




