努力は意外と裏切らない
この文章を読んで、才能は意外と関係ないかも、と思っていただけると幸いです。
読者の中に、この世の中は才能が支配していて、努力は評価されず無意味だ、と思っている人がいるかもしれない。
それは間違っている。私はそう言いたい。
例えば、小説ではよく、凡人がいくら努力しても、天才によって軽々追い抜かれていく描写がある。
だがそれは天才が努力した凡人を追い抜くために努力した、ということだ。
いくら天才でも、何もせずに努力した凡人を抜くことは無理だ。
そして努力した凡人を追い抜くのは、凡人が努力した時間に比例して難しくなる。
最終的に、人並み以上に努力した人が天才であるかのようにもてはやされる。
努力した過程を無視して結果だけを見てだ。
天才と言われる奴は才能があったから上手くなったんだろう。
そう思う人がいるかもしれない。
だが私は、人間の才能が手助けするのは成長スピードだけであり、成長の限界は凡人でも意外と高いと考えた。
私はそのことを最近身をもって感じた。
私はFPSと言われるジャンルのゲームをよくやっている。
そのFPSは格ゲーやMOBA系のゲームと同じくe-スポーツと呼ばれることもある。
日本では人気が下火だがe-スポーツはプロが億を稼げる世界だ。
そしてFPSはスポーツだ。
「たかがゲームでしょ」と思ってFPSをやると、他のプレイヤーとのレベルの差に耐えられずすぐやめてしまったり、初心者ができるわけがない技術を当たり前のようにできると思ってやろうとして、もちろんなにもできず、他のプレイヤーから軽蔑の視線を受けたりする。
そして、初心者プレイヤーは何も考えず上手いプレイヤーにこう言う。
「俺もあんなにうまかったらなぁ、才能があったらなぁ」と。
最近、私もそう言われてとてもビックリした。私はFPSの才能が無いとずっと思っていた。
何故なら、動体視力や反射神経は人並み以下だったから。
私が上手いと思われたのは「経験」と「努力」のおかげであり、他の人が自分と同じだけ頑張ったら自分を簡単に追い抜かせると思っている。
だが私はその努力した時間を自分は自慢に思っている。なかなか追い抜かせないであろうくらいやったからだ。
数ヶ月というレベルでは無い。5年だ。
たった5年?と思うかもしれないが、スポーツを5年間、初心者とプロが入り混じる中で、初心者にすら負ける弱さで始め、しかも部活のように毎日やらなければいけないわけでも無く、更にFPSはゲームという意識のせいで、他の人にやられて自分は何も出来ないというストレスを感じながら継続するのは難しい。
FPSを始めてから最初の数ヶ月で沢山の人間が辞め、その後数年間かけて更に少なくなる。
そうした中で残ったプレイヤーは、上手くなりたい初心者に言う。
「同じジャンルのゲームを長いことやっていたら自然と上手くなる。」
沢山の人が辛抱強く何か同じ事を続けてこの結論にたどり着いた。その事実をきちんと考えて欲しい。
努力は意外と裏切らず、才能はそんなに関係ない。そう思うと自分が何か出来ないのは努力不足であって才能のせいとかではない、そう考えて簡単に諦める事はないだろう。
最後に、確かにこの世界には才能の差があるかもしれません。何かのプロになるには確実に才能か、人並み以上の努力が必要です。人並み以上の努力とは、貴方が考えている以上の努力のことです。人並みの努力では天才の成長スピードには置いていかれます。ですが、もし人並み以上の努力というものが出来たのならばすごいところまで行ける気がします。