くるわせるもの
俺は何時も此処で屋台を出している。
桜が植わった河川敷。
春にゃ花見で、夏にゃ花火で客が集まる。
酒の入った質の悪い客も来るが、それでも稼ぎには困らねぇし、文句はねぇ。
でもよ、俺には不思議でならねぇんだ。
何が良くって、こんなモノ見に来るんだ、ってね。
特に、桜。
ありゃ確かに、遠目に見てりゃ、綺麗だろうよ。
でもよ、最近じゃあ間近に寄ってよ、花一つ一つ写真で撮ってみたり、それに自分も写り込んでみたりよ。
そんな桜に塗れた奴らを見てると、何が楽しくってこんなもの撮ってんだ、って思っちまうんだよ。
この時期に、四六時中此処にる俺からすりゃよ、桜ほど薄気味の悪いモノはないんだよ。
この辺は、桜の木が他所と比べて密に植わってんだ。
朝早い屋台の準備中とか、屋台たたみ終えた様な、誰もいない時間帯を想像してみろ。
俺が何をしてようとよ、満開の時の桜は、俺に一切の遠慮なく、薄桃色の雨を隙間なく降らせて、地面に絨毯を敷くんだ。
そんな中に、たった独り、立ってみろ。
上も、下も、前も後ろも、どこをどう見ようと。
薄桃色。
花びら。
桜。桜。桜。
今、想像しただけで、背筋が寒くなってきちまう。
だから俺は、そういう時は何時も手元足元しか見ねぇ様にしてる。
そうしなきゃよ、桜に気圧されちまう。
狂わされちまう。
思うによ、桜わざわざ見に行く様な奴らは、俺たちみたいな”あからさまな俗物”が混じってるから、気付かねぇんだろうよ。
あの薄桃色が、人をおかしくしかねない、って事によ。