昭利
柚子が出ていって暫く。
家の扉が開く感覚と、わずかな血の臭い。
やはり赤子を連れ帰ってきたようだ。
家で待っていたこの男の墨色の髪は伸びるがままに放っておいたために解れ、絡まり放題。
髪の間から覗く切れ長の目、墨色の瞳もくすんで見え、三十歳前後に見える凛々しい顔立ちも、今は煤で黒ずんでしまっている。
それもこれもすべて赤子のためだ。
「おかえり、柚子。」
柚子からの返事は聞こえない。
いくら声を張って話されても、男は柚子の声を聴くことができない。
男は耳が全く聞こえない上、目もほとんど見えないのだ。
二十年ほど前
男は赤子を捨てる桜があると噂を聞き、助けたいがために桜の近くに土地を買い、小さな家を拵えた。
ところが目が悪く出歩けない上に、変な噂をたてられてしまった。
赤子を喰うと。
其故ごくたまに、人の忙しい昼間にしか見に行くことができずに、捨て桜に赤子を見に行っても死んでしまっている事ばかりであった。
ひょっとして、死んだ状態で捨てられるのではないかと肩を落としていたときに拾ったのが柚子だ。
救うことができなかった他の赤子と違い、柚子は息をして顔を真っ赤にして口を動かしていた。