八、最初の勝負
スミレ色のドレスにハイヒールは大人っぽい印象を与える。レースとフリルで可愛らしさも忘れずに、己の魅力を最大限に生かしたドレスでメレは三度イヴァン家を訪れた。世間一般のそれとは少しズレるが、ある意味勝負服であり気合いも入る。
色素の薄い髪を惜し気もなくなびかせ、颯爽と歩く姿は街中でも注目を集めた。この完璧な仕様も、向かうべき場所が宿敵の元であることが残念だ。
「よく来たな」
余裕たっぷりな表情で出迎えるオルフェといったら、さながら悪魔が降臨したようだ。
「ごきげんよう」
対してこちらも魔女。悪魔相手だろうと怯みはしない。
「材料はどうした?」
「焦らなくてもじきに届くわ」
きっかり十分前行動を果たしたメレもまた余裕の表情で挑む。食材の到着が遅れているにもかかわらず、己の使い魔を信じて疑わない。
「いいだろう、厨房へ案内する」
一階の最奥にある厨房は使用人の領域。そのはずなのだが……
(やけに手馴れている? いいえ、馴染みがあるという雰囲気かしら?)
開始時間まで三分を切った。
今回はオルフェも沈黙に徹してくれる。時折調理器具をいじる姿は料理をする必要がない貴族、ましてや男にしては手慣れていた。
メレの疑問が解消される前に手の中で鏡が震える。そんなことよりも勝負に集中しろと言われているようだった。
「信じていたわ。お帰りなさい」
「た、ただいま、です」
満身創痍のノネットは背負ったリックを置いて静かに倒れた。
「お疲れ様。貴女の奮闘、決して無駄にしないわ。疲れたでしょう、ゆっくりしていなさい。そこでわたくしの勝利を目に焼き付けるといいわ」
――と、労ったはずなのだが。
「それでは! 実況は僕ことノネットで進行させていただきます。よろしいですか、オルフェ様?」
「異論ない」
司会進行に徹しているノネットを前に、メレは二重で呆れていた。
「貴女疲労で倒れていなかった? それに……随分と仲がよろしいのね」
「え? だってオルフェ様、悪い人じゃないですもん!」
いつのまに愛称で呼ぶ仲になったのか詳しく聞きたい。
メレとて悪い人間ではないことくらい認めているが。素直に認めたくないこともあるのだ。
「……性格は悪い」
「まあまあ」
苦し紛れに呟けば本人になだめられる。
「だから貴方のことで……。まあいいわ。そんなことより調理が大事ですもの!」
咳払いで無理やり気持ちを切り替えたところ、絶妙な間合いでノネットの実況が始まった。
「まずは我が主こと、魔女メレディアナ・ブラン! フルネームは長いので省略させていただきますのターン! それでは意気込みをどうぞ」
ノネットのテンションに色々と言いたいことはあるが、まずは勝負、まずは勝負……
「勝つのはわたくしよ。厨房の妖精と謳われた実力、見せてさしあげる。光栄に思うことね」
「さすが貫録の勝利宣言いただきました!」
ノネットはくるりと体の向きを変えた。
「対するは伯爵家当主オルフェリゼ・イヴァン十九歳!」
「はあ!?」
軽やかな紹介文に絶句する。
「ん、どうした?」
露骨な動揺にオルフェが反応を示せば、メレは呆然とその視線を見つめ返す。
「あ、貴方……十代?」
メレディアナ・ブラン現在 ピィ―― 歳は釈然としなかった。急にオルフェが眩しい存在のように感じられた。もちろん最初から歳下の部類に入るとは思っていたが、まさかの十代!? あれだけ不遜な態度をとっておきながら!?
「俺が大人びているという話か? これでも伯家当主だからな、よく言われるよ」
「いえ、そういうことでは……」
「はーい、それではお二人とも準備をお願いします」
モヤッとした感情を無理やり呑み込まされる。驚きなど無視した滞りのない進行であった。
どうやら材料と向かいあう他ないようだ。
厨房がまるで王宮の一室にさえ感じてしまうほどの輝きを放つ。メレはその場でステップを踏み、軽く一回りするとドレスは塗り替えられたように姿形を変えた。
メイドが着るような深い紺を基調にしたエプロンドレスだ。髪は一纏めに結われ早変わりを披露する。
「へえ、気合い入ってるな」
「形から入る主義なの」
すると今度はオルフェがジャケットを脱ぎ捨てた。流れるような動作で受け取ってみせるのはラーシェルである。
「ラーシェル」
「かしこまりました」
彼が長い指を鳴らせばオルフェの姿が塗り替えられていく。真っ白なシェフに早変わりし、コック帽まで装着は完璧だった。
「奇遇だな。俺も形から入る主義でね」
まるで見せつけのような行動。目の前で行われた変身、もとい早着替えに瞠目する。魔法の巧みさにではない。オルフェが着替えている件についてだ。
「まさか貴方が作るの?」
男で、しかも伯爵なのに料理が出来るのか。メレの疑問は尤もである。
「これは俺の手で作りたい。こいつはまだ料理加減というものに不慣れでな」
「そうなのです。料理のような繊細な作業、人の好みは測りかねまして。ああ、もちろん完成品を一瞬で披露することならお任せください」
今回の勝負は調理から。となればラーシェルには不向きかもしれない。それにしても代打がオルフェというのは驚かされる。せめてカティナに頼んだ方が良いのでは?
「こいつには食材集めに奔走してもらった。ここからは俺の仕事だ」
なるほど自分と同じ用件でランプを駆使していたらしい。
「お二人とも、試合前から気合い十分なようで! 視線バチバチ、熱いですねー。ではここに魔法のランプ争奪戦、料理対決開始!」
ノネットの宣言によって落とされた火蓋――
メレは力強い一発で両手を合わせる。
「皆、仕事よ!」
呼びかけに応えるように調理器具が震えた。
鍋は一人で動き出し火の上へと移動する。ノネットが届けてくれた果物たちは自ら進んで水に打たれ全身を綺麗に磨いていく。
全てが魔法にかけられ余計な動きは一切しない。厨房の妖精の二つ名は伊達じゃない。
加えて形どころかメレの動きは素人ではなかった。包丁を持てば限りなく薄く皮をむき、目にも止まらぬ速さで均等に刻む。一度鍋を握れば手足のように扱ってみせた。
一際目を引いたのは魔法にかけられた泡立て器だ。
「出ましたメレ様の必殺技! 目にも止まらぬ泡だて器の回転。人間が回せるスピードを優に越えています。これにより卵の美味さが引き立てられ、より美味しい何かが仕上がる――とか前にメレ様が言ってました!」
「すごいな」
隣のオルフェからも感嘆の声が漏れるほどだ。
「当然ね」
対してオルフェはどうだろう。
メレとて相手の動向には気を配っている。なにしろ妨害禁止令は出ていないのだ。
結論から言えば不審な動きはなかった。唯一不審に感じたのは、開始直後しばしメレの手際に見入っていたことくらいだろう。この男は何がしたいのか。余裕かと非難めいた視線を浴びせるも特別効果はなく。
ようやく調理に動いたかと思えば悠長に計量を始め。別のボールに卵を割り泡立て牛乳を入れた。泡立てる手つきは良いが、ノネットの実況が炸裂する内容もない地味な作業。粉も混ぜて更に泡だて続け……
出来上がった生地をフライパンに流し、生地の表面にプツプツと気泡が浮かんだ頃合いでひっくり返す。
そうして焼き上がった物は――
「どう見てもただのパンケーキにしか見えないのだけど」
「ああ、その通りだ。これがステーキに見えるなら色々と手遅れだろう」
いつかの皮肉を返される。
「ふざけているの?」
「まさか」
薄すぎず焦げてもいない。焼き加減のムラもなくこんがりとした絶妙な焼き加減のパンケーキは美味そうではある。だとしても添えられた木イチゴのソースが僅かばかりの彩りで、正直カティナの作ったケーキの方が鮮やかだった。
「勝てないと悟って試合を放棄したのかしら。見なさい、わたくしの品を!」
颯爽とテーブルにそびえ立つ二段重ねのケーキ。
白いクリームにコーティングされた姿はさながら塔のように美しい。外壁には窓のようにマカロンが飾られ、屋根のように艶やかなチョコレートの飾り、宝石のように飾られたフルーツは瑞々しく芸術といっても過言ではない。そっと包丁を入れ切り分ければ黄色いスポンジが顔を出す。その断面にはあのストロベリーを煮詰めて作ったジャムが挟まれていた。
人間の手は二つ、だがメレには魔法という武器がある。全ての動作を同時に行うことで最低限の時間で作り終えることにも成功している。
「いかが?」
「美味そうだ」
「でしょうね。見た目の素晴らしさはもちろん、材料はどれも産地直送を仕入れさせてもらったわ。フルーツなんて朝日を浴びた摘みたてよ。ありがとう、ノネット」
「なら新鮮なうちに試食させてもらおうか」
「心して味わうことね」