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七、不本意な買い出し

 翌朝、メレは十時十分前にイヴァン家に到着する。


「へえ、時間に正確、どころか十分前行動とは感心だ」


「時間くらい守れて当然、お飾りで商会の代表を務めているわけじゃないの。支度ができているのなら、さっさと市場へ案内なさい」


「美しい女性をエスコートできるとは光栄だ」


 差し出された手には無視を決め込み、白々しいと一瞥してオルフェと並んだ。

 ちなみに本日もノネットは『日没までに戻らなければ以下略』の命令で待機させている。


 率先して歩き出したのはメレだ。しかし明らかに違うリーチでは必然的にメレの方が遅れてしまうだろう。ところがオルフェはメレの歩幅に合わせて歩き始めてきた。常ならば紳士的だと尊敬する行為すらメレにとっては憎たらしいものである。


「良い天気だな」


「……そうね。この快晴が嵐に見えるなら色々と手遅れでしょう」


「機会を逃してしまったが、今日のドレスとても似合っている。昨日は随分と大人しい雰囲気だったが、そうしている方がお前らしいな」


「……褒めてくれたことに関しては素直に受け取ってもいいけれど、わたくしのコーディネートに口を出そうなんて余計なお世話。それから、昨日は商会の代表として出向いたのだから当然の格好よ。今日はメレディアナとして出向いているの、着たい物を着るわ」


「お前」


「だから、どうしてさっきから飽きもせずに話しかけてくるの!?」


 かれこれこんな状態が延々と続き、メレは早くも後悔していた。


「目的地まで黙っていればいいでしょう。なに、口を縫い付けて欲しい? ええ、すぐに終わらせてあげますけれど!?」


「無言で歩くなんて退屈だろ。じきに着くんだ、少しくらい付き合えよ」


「ああもう、わたくしの愚か者! どうして一緒に並んで歩くような状況を許可してしまったの……」


 最初から現地集合にすっればよかったのだ。


「嫌なら無視すればいいだろ。律義に答えるとはお人好しだな」


「――っ、うるさいわよ!」


 その通りだと気付かされた頃、一行は市場に到着していた。


 真っ直ぐに伸びる道を間に挟み商店が立ち並ぶ。一歩足を踏み入れれば焼き立てのパンの香りが食欲をそそった。


「賑わっているのね」


 恋人と腕を組んで店を回ったり、子どもがお菓子を手にはしゃいでいたり。誰もがそれぞれに市場を楽しんでいる。自分もその一人になれたら、どんなに良かっただろう。


「観光名所でもあるからない。昼はもちろん夜も賑わうぜ」


「夜まで営業しているの?」


 不覚にも話題に釣られてしまったのは仕事関係なので仕方がないと目を瞑る。


「夜はランタンを灯している。これから一週間は眠らない街になるぜ」


 オルフェが足を止めた店には季節の野菜やフルーツが色とりどりに並べられていた。


「おや、オルフェ坊ちゃんじゃないですか!」


「店主、邪魔するぜ」


 どう解釈しても顔馴染みの関係だ。隣に立つ男は伯爵のはずだが、気さくな関係を築いているようで驚かされる。


「ぜひ見てって下さいな! 旬の採れたてストロベリー、お勧めですよ。甘さも抜群で、ほら、あっちの出店なんかではアイスにもなってるんでね」


 差し出されたストロベリーは宝石のように艶やかな赤。説明の通り甘くて美味しいのだろう、メレは良い品ですねと微笑んだ。


「そっちのお嬢さんは見ない顔だがさては……坊ちゃんの良い人とみた! サービスしとくよ。せっかくだ、味見してご覧て!」


 何故、満面の笑顔で片目をつぶる。


「いいえ、それは違います。ただ偶然隣にいるだけですから」


 隣では同じように差し出されたはずのオルフェがしっかり味見していた。何ごともなかったように店主と談笑している姿を横目にメレは訂正を要求しようと口を開く。


「ちょっと、まっ――んっ!?」


 小さな赤い粒が口の中に飛び込み、反射的に開いた唇を慌てて閉じる羽目になる。

 口内に広がる風味に意識が傾き、確かに甘みが別格だと納得させられてしまった。


「美味しい……」


 思わず零れた感嘆に、だがしかしちょっと待ってほしい。

 先ほど自分は何をされていたのか。何故手に取ってもいない果実が口の中に……


「だろ! エイベラに来たら是非とも食べてもらいたいね。そんで、この街を気に入っておくれよ」


 誇らしげに語る店主の声が遠い。ほんの少し、だが確実に唇に触れた感触。細く美しい――けれどまごうことなき自分以外の、異性の指先である。


「な、なんてことしてくれるの!」


 我に返って怒鳴るもオルフェは平然としていた。


「何が?」


 出会って二日の女性、しかも対戦相手(敵)に手ずから果実を食べさせる所業。軽率な行動だと怒鳴っても許される、許されるはずだ。許されるに決まっている。それなのに罪深きオルフェは過剰反応を示す方が異常なのかと疑問を抱かせるほど平然としていた。


「落ち着くのよメレディアナ……女の敵め」


「何か言ったか?」


「コホン。いいえ特に何も。お気になさらずに!」


 そうだ彼には妹がいる。おそらく家族に接するようなノリで軽率な行動を取ってしまったのだろう。メレはそう結論付けた。そしてにっこりと、だがもう近づくなと笑顔で牽制する。


(偉大な魔女メレディアナ・ブランともあろう者が異性に触れられたくらいで動揺するなんて不覚だわ!)


 頬が熱くなったような錯覚を起こすのも、胸が騒ぎたてているような感覚に陥るのも気のせいだ。現実にあるわけがない。

 だとしたら、これは普通とは違う体の状態を知られてしまうことに対する恐怖からくる動揺、そのはずだ。今更少女のように甘い感情で戸惑っているわけではないと、そう思いたい。


 他人の手で食べさせられるくらいならいっそ自分でと意地を張りまくった結果、満腹だ。気さくな店主はあの店だけではなく、親しみやすいのはエイベラの人柄なのか。

 材料の目途が付き心にゆとりが生まれたおかげで、隣から向けられる視線にも幾らか穏やかに対応できるようになっていた。罪深い所業は赦してはいないけれど。


「だからと言って意味深に見つめられるのは納得いかないわ。何? 言いたいことがあるのならどうぞ」


「お前、ちゃんと笑えるんだな。安心した」


 美味しい物を食べれば笑顔になる。それだけのこと。後ろめたいことをしたわけでもないのに改めて指摘されると悪い物を見られた気分になってしまう。


「貴方に心配されるなんて、わたくし一体どんな顔をしていたのかしらね」


「無表情から、焦った顔、苛立ちを含んだ表情に、頬を染めた羞恥に怒り。そんなところか」


「わたくしではなく食材を見ていなさいよ!」


 びしっとどこかの店を指差す。そこに何が並んでいようがオルフェの視線が逸れるなら何でも構わない。


「……ところで、どの店も似た装飾をしているけれど何か意味が?」


 軒先や商品のそばには白い薔薇が飾られている。風に乗って運ばれる中には高貴な薔薇の香りも混じっていた。


「ああ、白薔薇祭りの準備期間だからな」


 疑問符を浮かべているとオルフェは呆れることなく説明を続けてくれる。


「エイベラは早咲きの白薔薇が有名で、収穫祭のようなものだ。一週間ほど前から祭りにかこつけて出店も盛んになる。七日後の最終日に向けて盛り上げていくんだ」


「ふうん……面白そうね」


 ようやく薔薇の都と呼ばれるに至ったエイベラに納得がいった。

 祭りという言葉には少なからずメレも興味を掻き立てられるが一週間後のことである。まずは作戦を立てるべく早々に引き上げなければならない。


 決戦は明日。相手も同じ条件だ、急すぎるなどと泣きごとを言うつもりはない。さっそく緊張感たっぷりに出迎えてくれたノネットとメニューを検討し始める。

 テーマは卵を使ったお菓子、多種多様。その中でより卵を生かせる品は何か。見た目の美しさも忘れてはならない。完膚なきまでにオルフェリゼ・イヴァンを打ち負かしてやりたかった。

 メインの卵だけはオルフェが手配することになっている。よってメレが考えるべきことは作るメニューと材料の手配。こうなったからには敵の力だろうと最大限に利用してやるつもりで情報収集にぬかりはなかい。

 そこでふと、思いつく。


「そういえばあの男、嫌いな物はあるのかしら。かといって聞きに戻るなんて格好悪い、というか嫌ね……」


「メレ様、徹底してますね。そんなに嫌いなんですか? オルフェリゼ・イヴァン様のこと」


「大嫌い」


 笑顔で即答し、ため息を吐く。


「たとえ苦痛でも今は彼のことを考えないと。頑張るのよわたくし! カガミ、彼の好物は割り出せる?」


 呼ばれたカガミは肩を竦ませる。


「それは難しい相談だね。管轄外というべきか……」


「そうよね、無理を言ってごめんなさい」


 カガミが映しだせるのは表面上の現象に限定されている。


「笑顔で食事している映像があったとしても心まで図れないわ。貴族なんて腹の探りあいですもの。わたくしが趣向を超越するお菓子を作れば問題ないことね」


「さすがメレ様、かっこいいです!」


 賛辞を受けつつ、材料リストを書き上げる。


「決めたわ。さあ、ノネットは材料の調達へ。カガミを貸すから、どこまでだろうと行ってきて。そして最高の品を調達してきなさい。ただし時間厳守でお願いね」


「イエス、メレ様」


 景気良く敬礼を決めるノネットだがメモを読んで蒼白になる。


「あの、メレ様……これ店の名前じゃなくて地名が書いてあるんですが……」


「ええ。産地直送お願いするわ」


 すなわち畑まで出向いてこいというのだ。はたしてノネットはどこまで出向くことになるのか。


「請求書はオルフェリゼ・イヴァン宛によろしくね。さて、わたくしは試作といきましょう。試食はキースに――」


 そう考えてすぐに、駄目だ多分起きないと途方に暮れた。

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