二十二、魔女は踊る
噴水のある広場ではフィリアから聞いたダンスが催されている。
ワルツのように格式あるものではない。演奏にしたってオーケストラとは程遠く、弦の少ない無名の楽器に横笛や打楽器、アコーディオンなど編成はめちゃくちゃだ。時折ベルを鳴らす人間もいる。
明確な楽譜は存在しないのだろう。好き勝手自由に奏でているように見えた。唯一統一感があるとすれば音楽隊が頭に乗せている帽子に飾った白薔薇くらいかもしれない。耳の肥えた貴族にとっては聞き苦しい物となるだろう。
けれどメレはこの陽気さが気に入っていた。一見するとめちゃくちゃのように感じる音楽もステップにハマっていて踊りやすかった。
陽気な楽団たちが音楽を奏で、人が入れ替わりながらステップを踏むのでダンスが途切れることはない。
手を叩いてステップを踏んで、また手を叩いてターン。優雅でもなければ形式を重んじる必要もない。パートナーも代わる代わる。あるいは一人で踊ろうとも構わない。
開放感に任せて好き好きに踊り明かすのだが――
「ひいっ!」
メレは盛大に肩を揺らした。たとえ音楽に紛れたせいで変な目で見られることはないにしても羞恥は湧く。予想外な事態に見舞われた時、人はものすごい声を上げるようだ。なにせオルフェが目の前にいるなんて想像もしてなかった。
「な、何故わたくしの目の前に!?」
かろうじてステップを踏みながら問い詰める。
「踊ってたら自然とこうなった。そう目くじら立てるな、楽しめよ」
メレは手を叩く。
「言われるまでもなく楽しんでいるわ」
ステップを踏んで回って、はい次の人――とはいかなかった。
「この手は何」
「もう少し付き合えよ」
腕を掴んで引き戻され再びオルフェと踊ることになってしまう。すると方々から残念そうな声が上がっていた。
「ああっ、次は私がと思っていたのに!」
なるほど彼女たちから逃げたかったのか。
「そうね。わたくしなら貴方にうっとりすることもないし?」
「少しくらいは見惚れたらどうだ」
「ご冗談。なら、貴方はわたくしに見惚れてくれるのかしら?」
「ああ」
どうして簡単に認めてしまうの? しかも目を細めて眩しそうに言うなんて。
どうせいつもの軽口の続きに決まっている。わかりきっているのに体温が上昇したような心地だった。そんな錯覚さえ起こってしまう。
手を取り合う場面のはずが、とっさに掴むことができなかった。
手袋越しだ、もとより温度なんて存在しない。触れたところで何の問題もないのに、今オルフェに触れてしまったら何かが変わってしまいそうな気がした。
音楽に乗ることも忘れ、数歩よろめく。運が悪いことに石を踏んで重心が傾き、態勢を崩したメレはそのまま後ろへ倒れていった。歩きまわって、さらには踊り疲れてくたびれた足はとっさの動きに対応してくれない。
「メレっ!」
焦った声だ。
驚くオルフェの顔が見えた。
すぐに手が差し伸べられる。
次々に映るその全てが、やけにゆっくり動いていく。だが現実の流れはさほど遅いものではない。
転ぶ――
しかもただ転ぶどころか水しぶきを上げて噴水に落ちた。
派手な水しぶきの音を聞きつけて注目が集まる。それでも音楽が止まないのはさすがだ。周囲もダンスを中断することはない。一人で落ちたなら救助の声も上がるだろうが、連れがいるので心配ないと思われているのだろう。
「おい、大丈夫か!」
尻持ちをついて腰まで水に浸かる。派手に飛び込んだせいで頭から水を浴びた。髪から滴る水が頬を伝って鬱陶しい。濡れた服が肌に張り付いて重く感じる。
(それなのに――)
「メレディアナ?」
声と共に手が差し伸べられる。辿るように顔を上げれば焦るオルフェの表情がメレの抱く感情を助長させ、もう抑えきれなかった。
「ぷっ、――ふふ、あはは!」
口元を手で隠すような控えめな笑いではない。湧き上がる想いを隠しもせず声を上げて笑えば、今度は困惑交じりに名を呼ばれる。
「何を驚いて固まっているの? でもそんな顔、初めて見た!」
勝負を持ちかけられる度、表情を崩されるのはいつも自分の方。そのオルフェが困惑しているだけで勝ったような気分だ。
「ああ、おかしい! こんな失敗をするなんて、しかも噴水に落ちるなんて! わたくしったら、らしくないわ」
ダンスに失敗して噴水に落ちるなんて初めてだ。雨に打たれたり噴水に落ちたり水難の相が出ているに違いない。
「こんなにはしゃいだの、何年ぶりかしら!」
声を上げて笑うなんて最後にしたのはいつだろう。
「お前、そんな顔もするんだな」
あまりにも真剣に呟かれていた。メレは気まずさから顔を逸らす。
「な、何か文句でも?」
「いや、素直に可愛いと思った」
反論すべく口を開いたメレを沈黙させたのは空を舞う薔薇だ。噴水に投げこまれた薔薇が水面に浮かび、漂いながらメレの傍へ寄る。
「いいねえ、嬢ちゃん!」
歓声と共に口笛が鳴らされた。
「ははっ、早く着替えないと風邪引くよ。坊ちゃん、早く助けておやりよ!」
一人が投げ込めばつられるように薔薇の雨が降る。まるで雪のようだとメレは思った。いっそ寝そべってしまえばもっと美しく見えるかもしれないと行儀の悪いことまで考える。
魔法を使えば同じことが出来る。もっと豪華絢爛な花の雨を降らせることも容易いけれど、メレはこの日この光景を忘れない。一輪一輪に灯った人の優しさは魔法以上に尊く価値がある。水の冷たさなんて忘れてしまうほど温かく見惚れていた。
とはいえ水に落ちて全身ぬれ鼠となった寒さとは別物だ。
頭が冷えたおかげで今度こそオルフェの手に捕まれた。水を吸った服に苦戦していたが、そんなメレを含めて軽々引き上げたオルフェは意外なことに逞しいと気付かされる。
合間に形成された通路を通り二人して輪から外れた。
「見事に濡れたな」
事実を述べただけの、どちらかといえば笑いをこらえたような口調である。自覚はあるので返す言葉もない。
建物の隅で髪と裾を絞れば、メレの足元には盛大な水たまりが出来た。
「すぐに物陰で乾かしてくるわ」
数秒もあれば事足りるだろう。水浸しになったくらいで終わる勝負ではない。早く祭りに復帰しようと意気込んだ。
「オルフェ」
メレの気概を打ち砕くように邪魔が入った。同時に振り返るとドレスに身を包んだレーラが待ちかまえていた。豪華な宝石を見せびらかすように着けた姿は祭りの雰囲気に馴染めていない。
「レーラ……お前一人か?」
オルフェはすぐにエセルを警戒する。ひとまず彼の姿は見当たらなかった。
「ええ、近くを通りかかったら姿を見つけたのよ。そちらの方、メレディアナ様でしたかしら? 濡れて大変でしょう。わたくしのタウンハウスが近くにありますから、いらっしゃいませんこと? 変えのドレスもありますわ」
「そうさせてもらえよ。心配するな、俺も休憩させてもらう」
オルフェは申し出を受けるよう促す。メレとしても魔法で乾かせるので大丈夫とは言えず、互いに休憩なら構わないだろうと親切を受けることにする。
着替えるだけなのでラーシェルは一時的に持ち主の元へと戻った。なんでも主からの命令があるらしく、ならばとノネットには引き続き監視の任を言いつけておく。




