二十一、最後の戦い
いよいよ魔法のランプ争奪戦も最終日に突入します。
祭りの最終日、すなわち決戦の日である。
文句なしの快晴だ。からっとした空気に乗って運ばれるのは薔薇の香りで、この日ばかりは薔薇がパンに勝る。ベランダに飾られた鉢植え、玄関に吊るされたリース、いたるところで白薔薇が客人をもてなす。白く彩られた街は幻想的で薔薇の都の本領を発揮していた。
その白に埋もれぬよう、メレは赤を基調とした簡易な服装を選ぶ。ドレスなんて動きにくいものは脱ぎ捨てて足元も軽快なブーツだ。
下調べは完璧。シミュレーションをくり返し、行程表も頭に叩き込んでいる。時間の許す限り走り回ることになるだろう。ノネットはオルフェにつけるためサポートは期待できないが、それは相手も同じこと。
メレは早くも髪に二輪の白薔薇を挿していた。初めての祭りを楽しんでほしいとの思いを込めてフィリアとカティナに贈られたものだ。その様子を見ていたオルフェは「母さんもカティナも、毎年俺にくれていたのに裏切るなんて」とぼやいていた。
「あなたは毎年毎年満喫しているでしょう。今年くらいメレディアナ様に譲っても罰は当たらないわ」
「そうよ、お兄様。薔薇もメレお姉さまの方が似合うもの!」
たとえカウントに入らない薔薇だとしても朝から心強い味方を得たメレである。少なくともオルフェが貰うことは阻止できたのだから。そんな二人はチャリティーのため既に出掛けてしまった。
「最後の勝負、幕開けのようね」
長かった魔法のランプ争奪戦も今日で終わる。
「ああ、せいぜい健闘するといい」
「言ってなさい。ノネットには苦労をかけて悪いけれど、しっかり伯爵を見張っていてね」
「僕は大丈夫です。任せてください! オルフェ様、お菓子買ってくれるって言ってましたもん。僕は苦労なんて感じません。薔薇の砂糖漬けって美味しいらしいですよ!」
大丈夫だろうか。主の不利になるようなことはさせないと思うのだが……どうか買収されませんように。
次いでメレはラーシェルに向き直る。
「一応、今日はよろしく頼むわ」
どんな形であれ本日のパートナー。こんな形で連れ歩く予定ではなかったのに人生とはなにが起こるか分からない。
「もちろんです。日頃は主の影として暗躍していますが、本日はメレ様の影としてひっそり見守らせていただきます」
そういえばいつも影のように現れる。暗躍――何をしているのか気になったが勝負に集中しよう。
「まあ、そうね……人目につかないように頼みたいわ」
不審者がいますなんて通報されてはたまらない。いくら他人の所持しているランプとはいえ製作者の責任もある。前科一犯はごめんだ。
時計塔から開始を告げる鐘が響く。
それを合図に至るところで拍手が巻き起こった。歓声と拍手の波が街中に伝わり、誰もが白薔薇祭りの開催を知る。
現在の時間は十時きっかり。あとは角を曲がるだけでメインストリートに到着するだろう。そばにラーシェルの影はなく監視手腕は見事なものだ。
露店が並ぶメインストリートはメレが案内された時とは比べ物にならない人で埋め尽くされている。一大イベントであれば当然のこと、カガミの映像からも想定内だ。
メレは持ち前の記憶力で叩きこんだ行程表と地図を頭に広げている。すると小さないさかいの現場に遭遇してしまった。
「これ私の!」
「僕のだもん!」
幼い兄妹が奪い合っているのは一輪の白薔薇。微笑ましくもあるが、見かねたメレは両者の頭に手を乗せた。
「こら、せっかくのお祭りなのよ。仲良く楽しまなくちゃね」
メレは拳を握り子どもたちの前に差しだす。その手を開けば掌に納まる白薔薇が顔を出した。
「お姉ちゃん凄ぉい!」
無邪気な瞳は魔法だと信じきっている。それを見守る周囲の人間も手品だと思ってくれたはず。あちこちで大道芸が行われている日、ここで披露していてもおかしくないだろう。種も仕掛けもないことはメレと監視者だけが知っている。
「どうぞ」
「わあ、いいの?」
「もちろん。でも、もう喧嘩はだめよ。お祭り、楽しんでね」
「うん!」
手を取り合って母の元へと走って行く。だが何を思ったのか、二人で顔を見合わせると方向転換して戻ってきた。
「これお姉ちゃんにって、二人で話して決めたんだ!」
小さな手から差し出された白薔薇に、メレは視線を合わせるようしゃがみこんだ。
初めて他人から送られた白薔薇は強く握りしめたせいでくたびれている。けれどメレは気にも留めず嬉しいと言って受け取った。勝利に一歩近づいたことが嬉しいのではなく、差し出された純粋な好意が嬉しかった。
「これくらい、良いわよね?」
兄妹の背を見送りながらラーシェルに向けて呟く。耳ざとく拾ってくれたはずだ。小言がないのなら許可された証だ。
白薔薇探し、薔薇の目利き、大食い大会、飲み比べ……話には聞いていたが。
(薔薇と関係ないもの多すぎない!?)
たとえどんな勝負であろうとメレは果敢に挑み続けた。勝敗はさておき、その姿が観客を沸かせ順調に薔薇を集めている。
全てにおいて勝利を残せていないのは大食いや飲み比べの存在が大きい。魔法を駆使すれば勝てるだろう。上手く使う自信もある。けれどオルフェと張り合うなら頼りきってはいけない。ようするに矜持の問題である。ラーシェルを預けたオルフェに誇らしく勝利を飾るなら自分の力で勝ち取った薔薇で着飾らなければ意味がない。
メレが通りかかった喫茶店はオープンテラス席に薔薇の砂糖漬けが有名で、ノネットが喜びそうだと視線を向けた。
(あの子、苦労していないかしら……)
オルフェに振り回さる大変さなら身をもって学んでいる。それも、せっかくの祭りに監視を任せるなんて可哀想なことをしてしまった。申し訳ない思いで店内を覗けば、まさに見知った顔が幸せそうに頬を膨らませていた。実に美味しそうに、満面の笑顔で紅茶も啜っている。
ノネットがいるということは、もう一人いるはずだ。
どこかで見たようなシルエットは、カップ片手にティータイム中のようだ。
「余裕じゃないの……」
あまりの寛ぎぶりに恐れ入る。ざっとオルフェの姿を確認したところ、胸ポケットに三本、腰にコサージュのようにして五本ほど束ねていのが見られた。
(意外と少ない? ――て、何よあれ!)
背後の籠にたんまりと薔薇が詰まっていることに気付く。時間にして昼を過ぎたところなのに、どうしたら花山が形成されるのか。
「オルフェ坊ちゃんたら、今年もしっかり満喫されているのね」
「本当、あの楽しそうな顔ったら。貴族様なのに気取ったところがなくて、親しみやすいなんて珍しい方だよねえ」
「そうそう! あたしの店、花探しのイベントをやっていたんだけど、あっという間に攻略されてしまったわ」
「見てた! 年々スピードが上がって上達されていない? 先々代や、先代もだけれど、イヴァン家の方々ってお祭り好きよね。寄付までしてくれるし嬉しいことだわ」
「あれ何本あるんだ? 今年も優勝は決まりかね。連覇を止めろーなんて街の連中も気合い入れてたけど難しいか。阻止出来たら、よほどの大物だわ」
雑踏の中にいるはずが周囲から音が消えていた。
時間は昼を回ったところ、太陽ならまだ空で輝いている。周囲はオルフェに夢中で気付いていないだけだ。メレの籠にも多くの薔薇が収まっており、彼を止められる唯一の可能性がここにいることを。だから諦めてはいけない。
オルフェは不意に薔薇を手に取った。それを顔の前で見せつけるように掲げると視線は遠くへ投げかける。その仕草に女性陣からは黄色い悲鳴が上がった。「オルフェ様の視線は私に向けられたものよ!」なんて争いが起こるほど色香があるのに視線を受け取った張本人は至極不機嫌である。
「よくも、よくもまあ!」
挑発に違いない。メレは踵を返し次のイベントを目指した。
勝てるものなら勝ってみろ? 越えられるものなら越えてみろ?
良い度胸。細められた蒼い瞳に向けて、今に見ていろと対抗心を燃やしていた。




