二十、魔女は備える
翌日、メレはブラン家に戻っていた。
ブラン家の地下に建設された研究施設にこもっている。
鏡の先はエイベラのキース低へと繋がっていた。話し相手はノネットで、エセルの配下が屋敷を訪ねて来たらしい。主人の不在を伝えはしたが、それでもマークが外れていないそうだ。既に綺麗な婚約者がいるというのに呆れてしまう。
「エセル・シューミットの件は引き続き放置。警戒は怠らないとしても、こちらから動く必要はないわ」
この勝負に勝てば元の生活が待っている。さすがに領地まで追い回すような真似はしないだろう。しても撃退してくれる。
「イエス、メレ様! メレ様には近寄らせません。僕は鉄壁の守備です!」
「頼もしいわ。さっそく本題に移るけれど、ノネットは白薔薇祭りを知っていて?」
「噂くらいは耳にしていますが詳しくは……。手の内に情報がないのは厳しいですね」
「……あまり当てになる気はしないけれど、ここはエイベラ在宅の友人に話を聞いてみようと思うの。離れて、そっちへ行くわ」
カガミに命じてキース低へ戻った。家中のカーテンは閉め切ってあるのでエセルに感づかれることもない。
「フライパンとお玉、使います?」
何故か用意されている調理器具。明らかに本来と違う用途で差し出されている。
「騒音ごときで起きてくれないから困りものよ。そういえばキースの使い魔たちはどうしているの? ここへ来てから一度もエリーたちを見ていないわ。やけに静かじゃない?」
天井にぶら下がっていた使い魔たちの姿を想像する。
「エリーたちは帰省中だそうですよ。あまりにも休暇がもらえずストライキ、からの一年休養をもぎ取ったそうです。あ、これカガミさん情報なんで確かですよ!」
部屋を訪れたメレは自称棺の精こと吸血鬼を引っ張り出し、間髪いれずに説教を始めた。
「呆れた。使い魔にストライキ? 貴方何をしたの! いいえ言わずもがな。何もしていないのね!」
「寝起きにメレディアナの説教とか、きつい」
棺桶から引きずり出されたキースは血色の悪い顔で嘆く。
「嘆きたいのはわたくしよ! 貸している家は埃まみれ、しかもあと一年はエリーたちが戻らないですって? はあ……」
「ため息、俺も出るよ。出そうか?」
「呑み込んでちょうだい。ところで貴方、エイベラは長いでしょう。白薔薇祭りに参加したことは――」
「あると思う?」
「……わたくし勝負に夢中になるあまり我を忘れていたのかしら」
この引き籠りに限ってあるわけがない。
「でも話に聞いたことくらいは――」
「あると思う?」
「ありなさいよ!」
まったく同じ返答に声を張り上げていた。
ならば引き籠りからの情報は諦め、その使い魔から話を聞くことにしよう。
「鏡よ鏡、鏡さん。エリーに繋いで」
カガミが映すのは薄暗い洞窟のような場所だった。
闇を縫い二つの目が光る。
「これはメレディアナ様! いつも主がお世話になっております!」
闇と同化した黒い蝙蝠は呼びかけに応じてくれた。
「お久しぶり、元気そうで何よりだわ。今よろしいかしら?」
「はい! メレディアナ様からの連絡なら大歓迎です!」
「気苦労、お察しするわ。休暇の邪魔をして申し訳ないわね」
「いえいえ! お恥ずかしながら、休暇を使って洞窟巡りの最中で、薄暗くて申し訳ないのですが。珍しいですね。何か困ったことでも――あ、もしかしてそこ埃だらけですか?」
「全面的に察しの通りだけど、埃のことはいったん忘れましょう。聞きたいことがあるの。貴女白薔薇祭りを御存じ?」
「もちろんです。エイベラで知らないのは日頃棺桶に引き籠っている吸血鬼くらいのものですよ」
「話が早くて助かるわ。わたくし訳あって『薔薇王』に選ばれたいのだけど」
エリーは顎に翼を当て『白薔王』と重々しく呟いた。
「実はその称号、毎年のようにとある伯爵家の方が連覇しているんです」
「ええ、よーく知っているわ」
エリーいわく、この時のメレはやけに遠い目をして語っていたそうだ。
エイベラは大陸の中でも温暖な地域に属しどこよりも早く季節が変わる。その気候にあやかり初物に定評がある。とはいえ目立った産業も名物もなく、ならば作ってしまえと目をつけたのが薔薇だ。元々生息していた野薔薇や蔓薔薇に改良を重ねるうち暗かった街は花で溢れ薔薇の都と呼ばれるに至った。その功績と発展を称えるための祭りだという。
祭りの概要を知識として得た。次は実際の様子を知るべきだろう。
カガミを駆使して過去の様子を見せてもらうとして、もう一つ。オルフェは敵だがその家族は頼もしい友人ということである。
午後のお茶会を提案すればフィリアは心良く応じてくれた。屋敷の庭園にも薔薇が咲いており、お茶会にはぴったりだ。カティナも誘うつもりでいたが、彼女は祭りで売る菓子の監修に追われているらしい。
「カティナ様はお店を出されるのですか?」
「大げさなものではないのよ。あの子、お菓子作りが好きでしょう。チャリティーのイベントもあるから、たくさんの人に披露できる機会だって張り切っているの。その分、メレディアナ様とお話できないことは嘆いていたけれどね」
それは残念だとメレも素直に頷く。
「他にはどのようなことをなさるのですか?」
「そうねえ……パレードをしたり、色んなコンテストがあちこちで開催されたり。噴水広場では一日中踊り明かしたりもするのよ」
「一日中、ですか?」
大変な体力が必要ではないだろうか。
「ああ、一日中といっても一人で延々と踊り続けるわけじゃないの。音楽に合わせて、入れ替わりながら踊りたい人が踊るわ。服装も身分も自由、踊るのも辞めるのも自由よ。ステップも難しいものではないし、メレディアナ様も参加されてはいかが? わたくしも昔、主人と楽しんだのよ。実は主人と出会ったきっかけでもあるの」
「素敵ですね!」
キラキラとした話題に声が弾む。
「手を取り合って踊ったあの日を、わたくしは今でも忘れられないの。蒼い瞳に見つめられて胸が高鳴った。周囲では賑やかな音楽が鳴っていたのに、わたくしったらぜんぜん耳に入っていなくてね。何度もおかしなステップを踏んでしまったわ」
「フィリア様でもそんな失敗を?」
この穏やかに微笑む完璧な淑女がと思わず訊き返してしまう。
「今思い出しても恥ずかしいわ。でも、お祭りなんて楽しめればそれでいいのよね。失敗なんて恐れちゃいけない。楽しい空気になれば周囲の人も笑ってくださるし」
「素敵な祭りですね」
「ぜひメレディアナ様にも楽しんでいただきたいわ。わたくしが案内出来れば良かったけれど、カティナを手伝う約束なのよ」
「お気になさらないでください。当日はわたくしも寄らせていただきますね」
「まあ嬉しい。ああ、そうだ! オルフェに案内させましょうか? あの子、誰よりも詳しいと思うから」
(でしょうね!)
なんといっても連覇中。
「とんでもないことです。伯爵も当日は色々とお忙しいでしょうから、ご迷惑はかけられません。それに当日の約束はもう別の方としていますので」
ラーシェルは自分との勝負に忙しくて、メレはオルフェと回る予定だ。
「あら、エスコート役はもう決まっていらしたのね。あの子ったら、さぞ残念がることでしょうね」
そっと口元を隠すフィリアからは笑みが零れているが、それはないだろうとメレは苦笑するしかなかった。
「イヴァン伯爵は、その……随分と祭りを満喫されているようですね」
本当にねとフィリアは優雅に肯定する。




