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二、魔女の旅立ち

「すぐに発つわ!」


 鏡台を破壊しかねない勢いで立ち上がり、クローゼットから目当ての白いドレスを引っ掴んで着替え始めた。


「ちょっと地味じゃないですか? 薔薇の都とも呼ばれる街に行くんですから、着飾らないと田舎者――って浮いちゃいますって!」


 指摘しつつもノネットは時間が惜しいとの意図を汲んで背中にあるリボンを結んでくれる。


「あなたエイベラの話をしている、のよね? あそこはそんな華やかな表現が似合う土地だったかしら……わたくしの記憶では嘆きの森に帰らずの館、どちらかというと退廃的な言葉がしっくりくる、そんな街だったと記憶しているけれど」


「メレ様、それ何十年前の情報ですか?」


「――え? あ、あら? 現在いまはそうなの? 聞かなかったことにしてちょうだい」


 些細な反対にあいながらも身支度を整える。改めて鏡を覗くとノネットの意見は尤もで、肌の全てを覆い隠すドレスは年頃の女性が身につけるには固く地味だ。


「遊びに行くわけではないから、これでいいのよ。実際ここは田舎だから指摘されても間違いとはいえないし。さて――わたくしは化粧、ノネットは髪を。邪魔にならないよう編み込んで、リボンも黒でお願い」


 最低限の言葉だけで下される命令にもノネットは手際よく化粧道具を並べブラシとピンを用意する。

 メレは今度こそ大人しく淑やかに椅子へと落ち着いた。ここから先は暴れるだけ手元が狂い時間の無駄になる。

 鏡に向かい白粉を叩く。過剰にならない薄化粧を施し、最後の仕上げに瞳と同じ淡いピンクのルージュを引いた。

 背後ではノネットによって髪が結い上げられていく。透き通るような髪にブラシが当てられ、頬のラインを隠すよう控えめに残された揉み上げがポイントだ。ここで本来ならば髪飾りの一つでも挿したいところだが今回は控えるべきだろう。

 身支度を整えたメレの瞳に先ほどまでの絶望は窺えない。それどころか切れ長の目元は苛烈な印象を与える。そんな己の姿を確認し、今度はふわりと表情を和らげ――営業スマイルも完璧だ。

 商会のマークが入った箱と手鏡を鞄に詰め、最後の仕上げとばかりに白い手袋をはめた。


「さあ、行きましょう!」


 蹴破るような勢いで自室から飛び出す。その後ろではノネットが律義に鍵をかけ追いかけてくれる。



 真っ先に異変を察したのは廊下に控えていたメイドだ。


「お、お嬢様、どうされました?」


「急用なの、すぐに出るわ。二、三日で戻れると思うけれど、あとはよろしく伝えてちょうだい」


「で、ですが、馬車の用意が」


「心配ないわ。徒歩で行くから」


「徒歩――って歩くんですか!? 伯爵令嬢ともあろうお方がそんな、まさか徒歩なんて、そもそも街まで何キロあると……あ、ああっ、待ちくださいお嬢様!」


 なおも食い下がるメイドを振り切って進めば、見かねた別のメイドが声高々に宣言する。


「皆、お嬢様のお出かけよ!」


 散々お嬢様を連呼される中、お嬢様らしからぬ速度で玄関ホールを突っ切ると見計らったように重厚な扉が開かれる。気の効く執事に感謝して、お嬢様は馬車も待たずに屋敷を後にする――という演出は完璧だ。

 馬車に乗って街まで行き、汽車に乗って悠長に目的地を目指す? そんなまどろっこしい真似をするつもりはない。ブラン領からエイベラまで、陸路を使えば丸一日はかかる。そのうちに魔法のランプがあれやこれやに利用されてしまったら……


「ああっ、考えただけで怖ろしい!」


 思わず叫んでしまった口元を押さえる。何しろ派手な演出で外出しておきながら、こっそり自室に戻っている最中なのだ。気の効くメイドが人目につかない通路を手配してくれた。

 屋敷の人間全てがメレの正体を知るわけではない。外出するにしても遠出するにしても、それなりの格好をとっておく必要があるのだ。



 先ほどと同じようにカガミを呼びだす。ちょっとだけ手加減はした、そのつもりで叩いた、はず。

 カガミの力侮るなかれ、道を繋げばすぐに事は済む。加えてエイベラにはメレを魔女と知る友人がいる。出口工作も完璧だ。


「鏡よ鏡、鏡さん。エイベラのキースまで繋いで。断りなら不要、彼が寝ていようが起きていようが入浴中だろうが関係ないわ。一刻を争うの、すぐにやりなさい」


「仰せのままに」


 人の姿が消えた鏡の向こうは真っ暗闇が広がっている。出口は人目に付かない部屋の奥に置いておけと言いつけてあるので上出来だ。


「ところでメレ様。ご当主様に挨拶はいいんですか?」


 出掛けるのなら挨拶を。当たり前のことだ。そこに悪気がないことは誰よりもメレが知っている。だから急いでいると前置きをして平然と答えた。


「……時間がないもの。それに、わたくしの顔なんて見たくもないでしょう」


 顔を合わせることなく一日を終える。もう何年もその繰り返し――

 自分の放った言葉で傷つくなんて情けないにも程がある。未練がましいと苦笑して、感傷に浸っている場合ではないと叱咤する。

 複雑な心情を汲んでくれたのか、ノネットが追求することはなかった。


「さあ、待っていて魔法のランプ!」


 忘れるほど強く別のことを考えてしまえ!

 決意を胸に拳を握る。口にすれば暗い感情が紛れていくのを感じた。今は出立の時、世界の命運を取り戻す時だと言い聞かせる。


「……でもなんだか、魔法のランプなんて神秘性の欠片もない呼び名よね。製作者の名を取ってメレ、メレディアナ――、ディアナのランプなんてどうかしら!」


「メレ様、それ取り戻してからゆっくり考えましょう!」


 半ば後ろから押されるような形で鏡に飛び込んだ。

 目指すはエイベラ、いざランプ奪還を目指して旅立ちの時――



 ――けれど旅立ちなんて一瞬だ。

 小説のネタになるような情緒の欠片もなしに、メレたちは真っ暗な部屋へと降り立つ。同時にムワッと埃が舞う。


「コホッ! メレ様ぁ、なんだかここ埃っぽくないですか?」


「コホッ! ええ、まったく」


 まず空気が悪い。とにかく埃っぽい。今しがた出口に利用した鏡を振り返れば埃まみれという有様だ。湿気はないとしても乾燥しているので喉が痛くなる。


「また換気を怠って!」


 恨み事を連ねながらカーテンを引く。

 部屋は二階のようで見下ろせば道路を走る馬車が目に付いた。

 広い道は舗装が行き届き平坦で、そのまま視線を上げれば道に沿って隙間なく家が並んでいる。どこに視線を向けても人が映りこみ、広大な敷地はあれど人気のないブラン領とは大違いである。すなわち外に広がるのは都会エイベラで間違いはない。


「カガミ、ランプはもう使われてしまった?」


「まってくださいよー。……ちょっと、よくわからないかな」


 カガミは国中の鏡と繋がっているが、そこに映った物事しか把握できないという欠点もある。


「つまりどの可能性も考慮しなければ、ということね」


 メレは口元に手を添えて思案する。


「一つ、相手がただの誤発送だと思っている場合。謝罪し正規の納品、かつお詫びの品を差し出して丸く収めるわ」


「なるほど!」


 期待に満ちたノネットの眼差しは心地良かった。


「わたくしのお客様対応力、見せてさしあげる」


「さすがです!」


 しかしメレは興奮気味なノネットを制し重々しく語る。


「でも油断は大敵よ。二つ、すでにランプが使用され人間がその価値に気付いている場合。……まず取り替えに応じないでしょう。ただの化粧水よりよほど価値があるもの」


「そ、その場合はどうしたら?」


 ごくり――ノネットの喉が鳴る。

 メレは不安を和らげようとつとおめて穏やかに微笑んだ。


「決まっているでしょう、戦争よ。わたくしがただの人間に遅れをとると思って? 立てついたこと後悔させてやるから安心なさい。ランプの精に負けてやるつもりはなくてよ」


 台詞で台無しだ。おまけに目が笑っていない。


「う、うわー……」


 あれーおかしいな不安しかないぞとノネットは数歩身を引いた。


「算段がついたところで行動に移しましょう。事態は火急、家主への挨拶は後よ!」


「イエス、メレ様!」


 久しぶりの都会に浮かれているのかノネットの返事はやけに明朗だ。事態が収拾した暁には日頃の感謝もこめてゆっくり遊ばせてあげたいと密かに計画を立てる。


 この時はまだあんなことになるなんて微塵も思っていなかったと、後にメレは語る。

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