十九、敵陣から送る
イヴァン邸に着いたメレを歓迎したのはフィリアである。
「ラーシェルから聞いたわ。水道管が破裂して水浸しになってしまったんですって? 大変でしたのね」
そういう設定なのかとオルフェに目配せすれば、そうだと頷かれたので話に乗った。
「ご迷惑をおかけします。本来は宿を取るべきなのですが、非情な輩が宿を独占しておりまして。イヴァン伯爵が親切な申し出をしてくださり、本当に助かりました」
真実を知らぬフィリアは酷い人がいたものねと同情してくれた。それはあなたの息子です。
「家族三人、広くて持て余していたくらい。亡くなった主人がいたら、もう一人娘ができたみたいだって喜んだはずよ」
フィリアは懐かしそうに目を細める。
「またお屋敷が賑やかになって嬉しいわ。早くカティナにも知らせてあげないと。そうだ、良ければ食事も一緒にいかがでしょう?」
そんなのまるで……家族のよう。
「賛成だ」
「ちょっ――あ、いえ! ご厚意は有り難く頂戴させていただきますが!」
断るつもりはなかった。とはいえ本人より先に返事をするなと言わせてもらいたい。
じき夕食の時間になるだろう。その前に話があるとオルフェの部屋に通された。客間ではなく、さらにラーシェルも待ち構えていることから大事な話なのだと直感する。
扉が閉まる。小さく鍵の閉まる音も聞こえた。
邪魔をされたくないということ。秘密の話――ならば話題は一つ。
部屋の主は奥へと進む。てっきり机に向かうのかと思えば見向きもせずに窓辺に寄った。
白いカーテンを開けば薄闇が広がっている。日が沈む前の幻想的な色合いだ。
「メレディアナ、見てみろよ」
隣に立ち視線の先を追えば白い薔薇が咲いている。
「綺麗ね」
「白薔薇祭り、憶えてるか?」
「わたくしの記憶力を侮らないことよ」
「良い答えだ。待たせて悪かったな」
その言葉を待っていた。三日どころか、オルフェの答えは早いものだ。
「毎年、祭りを楽しんだ者に与えられる称号『薔薇王』というものがある。最終日に選ばれることになっているんだが、三戦目は『薔薇王』に選ばれた者の勝ちとする」
与えられた条件を整理する。そしてまた訳の分からない提案をという結論に達した。
「もう少し詳しく教えていただける?」
「白薔薇で飾るのは見ただろ。祭りを楽しんでいる相手に白薔薇を贈る風習もあってな、受け取った方はその薔薇で自分に着飾るんだ。つまり、もらった白薔薇の多い奴が勝ち。単純明快だろ? ラーシェル!」
入り口付近に立つラーシェルに命が下る。
「かしこまりました」
ラーシェルが指をならす。もう一方の手には本のようなものを広げいていた。
カーテンはひとりでに閉まり、灯りが消える。部屋は闇に包まれた。
「わたくしが怯えるとでも?」
同じような演出を披露したメレは怯える観客ではない。
「まさか。白薔薇祭りは初めてだろ? わかりやすく教えてやろうと思ってな」
ラーシェルの本から小さな紙が飛び立つ。蝶のような羽はないけれど、まるで意思があるように舞い紙吹雪がメレを襲った。
(なるほど、密室にしてこれを見せようというわけね)
本ではなくアルバムだった。
目の前に広がるのは部屋いっぱいの絵、鮮やかに甦る景色。オルフェの部屋にいたはずが街に下りているような錯覚を起こす。駆け出し、飛び込んでしまえそうなほどリアルな魔法。
「アルバムから記憶を構築しているのね。さすがわたくしのランプだわ」
「多少は私のアレンジが加わっておりますが、概ね本物通りかと」
場面はオルフェと買い出しで訪れた市場のようだが、あの日とは比べ物にならない人で埋め尽くされていた。多くの人間が薔薇で着飾っているのが見て取れる。
「これが当日の様子だ」
過去の映像にすぎないはずが、生き生きとした雰囲気を肌で感じた。それほど表情には笑顔が溢れている。
「地元の人間が有利なのは明白ね。顔馴染みも多いし、もらえる確率が高いはず。当然、魔法で出した薔薇で着飾るのは禁止でしょう? そもそも、あなたがズルをしない保証もないわね」
(そんなこと、するはずがないと思っているくせに……)
「互いに信頼の置ける相手に見張らせればいい。あの子に俺を見張らせたらどうだ?」
彼は互いにと言った。
「ラーシェルにわたくしを見張らせたら、貴方魔法が使えないわよ」
「必要があれば呼ぶさ。ハンデをやろうと言っているのがわからないか?」
その言葉は的確にメレの琴線に触れる。
「俺は過去何度も『薔薇王』に選ばれている。何を隠そう昨年の勝者も俺だ。もはや殿堂入りレベル、魔法なんて使わなくても勝つことは容易い。そもそも女性の方が圧倒的に薔薇に映える点で有利だろ? 目立てるからな」
エイベラには伯爵がなにをやっていると指摘する人間はいないのか。
「薔薇は祭りを楽しんでいる者に個人が渡すものと、開催されるコンテストで自ら勝ち取れる二通りだ」
「制限時間は?」
「最終日、つまり明後日の夜に表彰式がある。当日開幕の鐘が鳴ってから表彰式までだ。それまでに俺より多くの薔薇を集めてみせろ」
「相変わらず強気なことね」
「お前ほどじゃない」
「褒め言葉として受け取ってあげてもよくてよ。負かしてさしあげるから覚悟なさい」
メレは不敵に笑う。けれどオルフェとて負けてはいない。
「全ての薔薇を手に入れるのは俺だ」
不遜な呟きを切っ掛けに、瞬きというわずかな間で部屋は元に戻っていた。
「お疲れ」
「別に疲れていないわ」
急な視界の変化に対してオルフェは労うがメレはしっかりとした足取りで立っている。疲れてはいないというのも本心だ。
「お前ちっとも驚かないな」
「慣れているもの。酔いもしないわ。それより伯爵、写真が倒れていてよ」
オルフェの机には倒れた写真立て。今の衝撃で倒れたのかと親切で指摘してしまったが、失敗だったと後悔する。
「ああ、それは良いんだ」
オルフェが写真立てを戻せば『良い』の理由を悟った。
今よりも若いオルフェが映っている。中央にはレーラ、その隣にはエセルが映っていた。おそらく学生の頃だろう。
「……わたくし余計な事を言ってしまったのね」
倒れているのではなく、伏せてあったということだ。
「いや、自分でも時々見るよ。だからここに置いている」
その通りだ。見たくないものなら破り捨ててしまえばいい。メレのように――ラーシェルがいるのだから一瞬で灰にすることも出来る。
「貴方は……残しているのね」
「メレディアナ?」
「わたくしは、見たくないものはすぐに燃やしてしまうもの」
家族の写真、昔の自分――見たくないもの、思い出したくないものはたくさんある。彼は違うのだろうか。
(自分を裏切った相手の写真を今も飾っているなんて何を想って? 心が強いのか鈍いのか、よほど未練が強いのか……)
いずれにしろメレには理解が及ばないことだ。
「忘れずに済むだろ」
「忘れたく、ないの?」
「エセルとはガキの頃からの付き合いで、俺にとっては親友だった。だがあいつは違ったらしい。俺を嘲笑うためだけにレーラを奪い、イヴァン家の事業も次々と邪魔しにかかる」
「だから、親友だった」
オルフェはあっさりと肯定する。
「心を許すな、裏切りを忘れるな、これは戒めなんだ」
(強い人なのね。わたくしは見たくないものから逃げてしまったというのに)
「だからもし、俺のせいでお前がエセルに目をつけられたとしたら……」
オルフェがエセルに抱く警戒心に疑問を感じていたが納得する。だから多少強引にでも家に連れてきた。
「イヴァン伯爵のくせにらしくないわね。心配は不要と言ったでしょう? 貴方の眼にはわたくしが利用されるような軟弱者に映っているのかしら」
彼を真似て不敵に笑ったつもりだ。はたして上手く出来ただろうか。
「確かに……お前はエセルの手にはおえないか。ありがとな」
「それは、わた……の……よ」
「今最後なんて言った?」
「さあ? そろそろ食事の時間ではなくて? ほら、ラーシェルもいなくなっているわ。急ぎましょう!」
言葉にするつもりはなかった。それが自然と零れてしまってははぐらかすしかない。
(ありがとうですって? それはわたくしの台詞よ)
もう何度も感謝の気持ちを自覚させられたのはメレの方だ。
まだまだ行きます!




