十八、魔女の帰宅
玄関先でエセルを見送りメレはキース低の敷居を潜った。すると顔目掛けて何かが襲う。
視線を覆うようなそれを慌てて受け止めれば正体は乾いたタオルだった。ノネットかと手元から視線を上げればオルフェが出迎えてくれる。
「わたくし家を間違えた?」
どう考えてもここはキース邸だが。
「俺が誘ったことだ。風邪でも引かれちゃ寝覚めが悪い。不戦勝で勝っても嬉しくないぜ。ノネットが温かい飲み物を用意している。早く温まれ」
オルフェリゼ・イヴァンはお人好しなうえ律義な人間だとメレは認識を改めた。
次に会ったら言いたいことがたくさんあるはずだったのに、不意打ちで待ち伏せされては混乱もする。けれどこの機会を逃してはいけないと思った。
「イヴァン伯爵!」
慌てていたのか予想していた以上に大きな声となった。
「どうした?」
「……色々と、その、悪かったわ。何より一方的に帰ってしまって、プレゼントも決まっていなかったのに、わたくしのせいで時間を無駄にさせたわね」
「いや、目星はついた。お前のおかげだ」
「そう、なの?」
真っ直ぐに見つめる瞳、そこに怯えの色は窺えない。
「……良かった」
張りつめていた緊張が解け息を吐く。
それはどんな意味を持つ?
(わたくしどうして良かったと……。役目を果たせたから? それとも彼が、変わらずに接してくれたから?)
対等ではいられないと思った。それなのに彼は臆することなくメレの前に現れた。しかも心配までされている。
強張っていた肩の力は抜けていた。
「無神経だった。悪いのは俺だ」
「いいえ。貴方は知らなかった」
「だが――」
「わたくしが勝手に動揺して逃げただけ。貴方は何も悪く――って、わたくしたちこんな問答をしているなんて可笑しいわね」
「そうだな」
口を開けば喧嘩越し、挑発的なものに変換されてばかりいた。それが互いを庇い合っているなんて。
どちらからともなく笑いが零れた。
「……ありがとう。お互いに水に流しましょうか」
「賛成だ」
たとえ一瞬で乾かすことが出来ようとタオルで拭ったのは素直に嬉しかったから。無論オルフェもそれを承知でタオルを投げただろう。それでもあえてタオルを渡したのは心配の現れなのかもしれない。
「失礼するわね」
歩き出したメレは風を纏った。さすがにこのままでは床が水浸しになってしまう。
「お前、エセルと一緒だったのか」
「ええ、偶然。濡れたわたくしを見かねて送ってくださったのよ。それが何か?」
帰る直前だったはずのオルフェは方向転換しメレの腕を取って連行する。
「ちょ、ちょっと……?」
自分の家のように勝手知った足取りで進まれては二重の戸惑いが生まれた。
問答無用でノネットの元へ連れて行かれる。
「メレ様、お帰りなさい!」
「た、ただいま?」
当たり前のようにオルフェを受け入れているノネットに目眩が。
「ノネット。わたくしの留守中に、勝手に対戦相手を家に上げてはいけないわ」
きょとんとしたノネットは「でも……」と続ける。
「キース様もオルフェ様なら構わないって、棺桶越しに許可してくださいましたよ」
「キース……」
彼らを顔見知りにしてしまったのは誤算だった。ノネット一人ではオルフェの侵入を渋ったかもしれないが、家主の許可と言う免罪符があれば話は別。キースも顔見知りの来訪に警戒することはないだろう。
「どうぞ! 特製のハーブティーです」
冷めてはいけないとメレはソファーに腰掛け口を付けた。それはともかくとして理解しがたいことがある。
「それで? どうしてイヴァン伯爵様は、わたくしの正面に座って一緒になってティータイムに興じているのかしら。ノネットも、わざわざ給仕することないのよ」
「でも、せっかくメレ様の心配をして訪ねてくれたわけですし」
「感謝するぜ、ノネット。美味かった」
「ありがとうございます!」
自分に褒められた時よりも喜んでいるようなノネットに主としては複雑だ。
「もう用は済んだでしょう。居座る理由はないはずよ」
「メレディアナ、俺の家に来ないか」
「ゴホッ!」
嗜んでいたお茶を噴き出しそうな驚愕が襲う。とっさに呑みこんだせいで若干むせ返った。
「――ケホッ、な、もちろん返事はノーだけれど、いきなり何? 理由くらいは聞いてあげる」
喉の痛みにうっすら涙を浮かべながらも意思表示は怠らない。
「理由を聞くまでもなく即答かよ」
「当然ね。どうしても命令を聞いてほしければ――」
「ランプには頼まないしランプも渡さない」
「あら残念」
「これは命令じゃない。ただお前が心配だから傍に、目の届く範囲にいてほしいと思っただけだ」
「何故わたくしの心配を、そもそも何から? 仮にわたくしがいなくなればランプはあなたのもの。それが心配ですって? おかしいわ、無縁の言葉だと思うけれど」
そうは言っても彼がここに居る時点で矛盾している。心配でここにいるわけで、改めて考えてみると可笑しいことだらけだ。
「それは、そうだな……」
初めて気付いたという様子だ。彼自身その考えに至らなかったらしい。
「エセルが、お前のことを嗅ぎまわっているんだ」
「怪しまれるような行動を取った覚えはないわ。確かにわたくしの経歴は調べられて困るものだけれど、人間相手にバレるほど迂闊ではないのよ」
先ほどから話題に上がっている人物。彼とはパーティーで言葉を交わし、顔見知りとして送られただけの関係である。シューミット家ともかかわりはない。
「違う。……あいつは女に見境がないんだ」
「は?」
「だから! 言葉そのままに、『お前が狙われている』ということだ」
メレは色々と出かかった言葉を呑み込んだ。
「……言いたいことは把握したわ。つまり、わたくしが美しいが故に愛妾に狙われていると。誰かさんの親友はろくでもないのね」
「言ったろ、親友だった。あいつの婚約者は俺の元婚約者だ」
「……そう」
更に言葉が出ない。つまりオルフェは婚約者に逃げられ、挙句親友にその座を奪われたということになる。事情を知ってみれば先日のパーティー、三角関係の修羅場に発展してもおかしくない構図だ。
「素直に同情はするけれど、泥沼愛憎三角関係にわたくしの名を連ねるのは止めてちょうだい。出演料をいただいたとしても遠慮するわ」
「勘違いするな。レーラを愛していたわけじゃない。もちろん愛そうと努力はしていたが」
「ストップ。伯爵様の恋愛事情に興味はありません」
黙っていれば事細かに解説されそうなので切り捨てる。
誰もが隣にいるメレを見つけて誤解するのは、そういった恋愛事情が根底にあるからだろうか。
「はいはい、ここまで聞いてくれて感謝するよ。だから俺の家に避難しろと言っている。あいつも手が出しにくい」
「わたくしが人間の男相手に遅れを取ると?」
「気を悪くさせたなら謝る。だが人前で堂々と魔法が使えるわけじゃないだろ。魔女だとばれて困るのはお前だ」
オルフェの指摘は正しい。魔女の存在は極秘でなければならない。
「助言は素直に聞き入れるわ。付きまとわれる可能性がある、というのなら迷惑この上ないことね。ここが知れているなら宿を手配するだけよ」
「金の無駄だろ。その点、俺の家ならタダで済む」
「貴方の存在が気に入らないもので」
わざわざ言わせるなと非難の視線を送る。敵と同じ屋根の下? 落ち着かないに決まっている。
「別に同じ部屋で寝ろとは言ってないだろ」
「そうだとしたら絶対に行かないわ。宿くらい自分で手配出来るもの」
「全室満員にしておこう」
「……嫌な男」
やはりこんな男にランプを与えてはおけない。
「わたくしの親切を無駄にしないでいただける。貴方が良くても貴方の家族は良く思わないはずよ」
他人が屋敷に入りこんで気分がいいわけない。あんな恋愛事情を聴いた後なら尚更だ。
「母も妹も、お前のことは気に入っている。お前はどうだ?」
だからこそだ。せっかく良い話し相手ができて嬉しかったのに、また悪い虫がついたなどと思われたくはない。けれどオルフェが世辞を言うとも思えない。
「……フィリア様は、素敵な方ね。お優しくて、親しみやすい人よ。カティナ様は、可愛らしい方。女の子の夢を詰め込んだような、甘い子。でもそこが可愛らしいわね」
とてもオルフェの身内だとは思えないほどメレも心を許していた。
「なら、問題ないだろう。どうせ俺たちはまた会う運命なんだ」
響きだけならロマンチック。でもそんな言い回しをしては詐欺だ。
「仕組まれた運命ね」
誤解を招かぬよう訂正する。所詮、勝負のために会うだけの間柄なのだから。
結果として折れたのはメレである。ノネットも主の危機に文句を言うことはなかった。それどころか結末は見えていたように話しあいの最中から荷造りを始めていたという。その甲斐あって合意に達した時点で速やかに送りだされてしまった。
私物の鞄は一つ、エイベラに訪れる際持参したものだ。さあ出発とばかりに荷物を持とうとしたメレの手は空を切る。
「ちょっとわたくしの荷物! どうするつもり!?」
「俺はそこまで薄情だと思われているのか? 女性に荷物を持たせたりしない」
確かに手ぶらで歩くオルフェの隣を重そうな鞄を抱えたメレが歩くのは客観的に体裁が悪い。ただでさえ彼はエイベラで顔が知れ渡っている。
「今更紳士ぶったところで手遅れなんだから……」
小さく嫌味を言ってからメレはありがとうと添えた。
雨は止んでいた。道路に伸びる影は長く、つい隣の影に目が向いてしまう。さっさと歩いて行ってしまえばいいのに、オルフェは歩幅を合わせて隣を歩いてくれる。イヴァン邸の場所なら知っているのに共に行くと譲らなかった。




