十四、魔女は語らう
メレは微笑ましい気持ちを胸に喧騒を眺めていた。もう少しだけ幸せな気持ちに浸っていたかったのだ。そんなメレに飲み物を差し出す人物がいる。
「あら、気が効くのね」
熱中していたせいでグラスの中身は温くなっていた。
「本日の功労者様ですから、さぞお疲れではないかと思いまして」
「それは貴方もでしょう」
しかも彼は続けて演奏を披露した後だ。トレイ片手に会場を回るラーシェルを労った。
「メレ様の活躍には及びません。感服いたしました、色々と。その立ち回り、ぜひ今後の参考にさせていただきます」
「こちらこそ、素敵な演奏をありがとう」
ラーシェルの演奏はメレが勝つために華を添えてくれた。であれば反論は飲み物と共に飲みほそう。
「余興もさることながら、主とのワルツは見事なものでした。華麗なワルツのはずが、戦いの演武のようだともっぱらの噂。周囲は美男美女のカップルに見惚れど、当の本人――主に女性の方はまるで仇を見つめているようだと」
「だろうな。俺もいつ足を踏まれるかと思ったよ」
(噂をすればなんとやら!?)
褒めているのか馬鹿にしているのか、判断に困るメレに変わって同意したのはもう一人の当事者である。
「わたくしがそんなミスを犯すはずないでしょう。貴方、キースと仲良くしていたのではなくて? さてはわたくしも丸めこめると思ったわね。大間違いよ」
「素晴らしい友人を紹介してくれた礼だ。俺の友人も紹介してやろうと思ってな」
「いえ、別に嬉しくないわ」
まさかとは思うけれど、わざわざ友人を紹介するためにやって来た?
「――ってラーシェルは!?」
なんという素早さ。退散するのなら主も連れて行ってほしかった。
「あそこにいるのが――」
「だから人の話を聞きなさい」
「父の代から交流があるカレイド男爵家の跡取りだ」
「そう……」
こんな時ばかりは優秀な記憶力が恨めしい。そもそも手の込んだ名簿のせいで出席者の名前はほぼ暗記している。あとは顔と名前が一致すれば完璧だ。何の得にもならないが。
「そいつと話しこんでいるのが俺の親友だったエセル・シューミット、侯爵家の長男だ。その隣の派手な女性は婚約者のレーラ・ミゼリス男爵令嬢」
視線を嗅ぎつけたエセルが声を上げる。
「やあ、オルフェ!」
オルフェは片手を上げることで呼びかけに答えてみせた。
(確か、学生時代からの付き合い……だったかしら)
メレの脳内では不要な情報が再生された。
(これはチャンスね! あとは友人同士でご自由にの展開にもっていくわ)
好機とばかりに席を外そうとしたのだが。オルフェによって逃げ道を塞がれていたことに気付く。
(しまった挟まれた!)
「最近はパーティーもご無沙汰だったのに珍しいね」
「このところ忙しくてな。挨拶が遅れて悪かった」
「忙しい、ね……」
オルフェ相手なら黙って逃走で済むけれど、初対面の相手に挟まれてはそうもいかない。
「いや、遅れたのは僕なんだ。気にしないでくれ。……ところで、そちらの女性は?」
含みを持たせたような呟きだ。向けられた視線にも探るような意図が込められ、あまり心地良くない。逃げる機会を逸してはもはや挨拶する選択肢しか残っていない。
「お初にお目に掛かります。わたくしメレディアナ・ブランと申します。今宵はイヴァン伯爵のおかげで参加の栄誉を賜りましたの」
本当に、彼のおかげで。そう考えるだけで疲れが押し寄せる。
「オルフェが? おっと、これは失礼しました。名乗り遅れて申し訳ありません。エセル・シューミットです」
エセルは食い入るようにオルフェを見つめていた。何か信じられない物でも見ているような驚きである。やがてメレに向き直れば、明らかに好奇心宿る眼差しであった。
「メレディアナ嬢はエイベラにいらっしゃるのは初めてですか?」
友人が連れている見知らぬ存在に興味が湧いたとみえる。
「昔の話ですが、仕事で何度か訪れましたわ」
「と言うと?」
「わたくし、個人で商会を営んでおります。『賢者の瞳』をご存じでしょうか?」
「これは驚いた! 私の親族にもファンが大勢いて、まさかこんなにお若い女性が営んでいたとは」
「ちょっと、エセル! いつまで待たせるの!?」
キンと張り上げられた呼びかけにエセルが顔をしかめる。
「ああ、ごめん。もう少しだから」
婚約者であるレーラがつまらなそうに眉を寄せていた。金髪に翡翠のドレス、胸元はこれでもかと豪勢な宝石で彩られている。きつい眼差しでエセルを睨んでいたが、オルフェを目に留めると不敵に唇を歪めた。
「まあ、オルフェと一緒でしたのね。お久しぶりね、お元気かしら?」
「ああ」
お互いついでのような挨拶にピリッとした空気を感じるような……。
何故こうも次々とオルフェ関係者に囲まれているのか。早く立ち去りたいと願えど、エセルは遠慮なしに提案を持ちかける。
「そうだ、よければ少し話しませんか? ちょうど遠方から取引相手が来ているもので。ああ、噂をすれば! 『こっちだ!』」
最後に放たれたそれはこの国の言葉ではない。唯一反応を示した男が手招きに応じる。
「今、通訳を――」
申し出たエセルをさしおいてメレは自ら話し始めた。
『初めまして、メレディアナ・ブランと申します。お会いできて光栄です』
流暢に話すメレに周囲は息を呑む。
「君、話せるのかい?」
「仕事で使うこともありますので、一通り勉強しています」
メレが扱える言語は他国のものから失われた時代のものまで幅広い。
「素晴らしい!」
喜々とするエセルを余所に、レーラはつまらなそうに髪をいじる。すぐに馴染みの友人を見つけさっさと姿を消してしまった。若い女性が商談に楽しさを見出せと言われても難しいことだろう。その点に関しては同情する。
エセルから解放されたメレは休息を求め、バルコニーから星を眺めていた。
(長かった……)
ガラス一枚隔てた向こう側が別世界のように遠く感じる。
「疲れたか?」
幻想に浸っていたはずが、気安く話しかけられる。残念なことに心当たりは一人だけだ。
「誰に言っているの。まさかわたくし? だとしたら出直しなさい」
「どうやら見間違えたようだ」
呆れるほど素早く掌を返し隣を陣取る。
「こんなところにいて良いのか? エセルたちと盛り上がってたろ」
「同じ言葉をお返ししてあげましょうか、主催者様?」
疲れていないと強がった後では疲弊したとは言いにくいものがあった。
「そうかい」
追求しないということは彼も同じかもしれない。
メレは振り返らずに対応していたのだが、そっと隣を陣取られ挙句柵に体を預けるオルフェに目を見張る。
「貴方、なにを平然とここに居座る図に納まっているの?」
「相席させてくれないか? 俺ほど顔が良いと近づこうとする女性が多くてな。逃げてる最中だ」
「自慢のつもり? 残念、相手を間違えたわね。わたくしも同じ境遇ですけれど何か」
「だろうな」
(ずるい人……)
真っ向から認められると気恥かしく、オルフェの苦手なところでもあった。嫌味の応酬をしているかと思えば、さらりと恥ずかしげもなく肯定してみせるのだ。自分の方が歳上なのに、歳下のような気持ちを味わう。
「貴方の中身を知っていれば彼女たちも近寄らないでしょうに」
「おい、言っておくが俺をそういう風に評価しているのはお前だけだぞ」
真面目な顔で言われメレは素で驚いた。
「そうなの? 見る目がなっていないのね。わたくし初対面から貴方には警戒しか抱けなかったのに」
「へえ、一目で俺の本質を見抜いたと?」
喜ばせたつもりは微塵もないのに、何故か嬉しそうな雰囲気である。闇夜に浮かぶ笑みは不敵だが、それは絵画のように神秘的で――実に彼らしい。同時にオルフェリゼ・イヴァンについて深く知る予定はなかったと誤算に目眩。
会場にいれば嫌でもオルフェの噂を耳にする。
社交界から遠ざかっていたイヴァン家の当主が久しぶりにパーティーを主催したと。なんでも婚約者に逃げられて以来ご無沙汰なのだとか。それも相まって彼は噂の中心にいた。
「きっと――」
言いかけて止める。
その婚約者はオルフェの本質を見抜けなかった。そう言おうとしたのだが、この件について触れるのは止めておこう。
「わたくしには関係のないことね」
他人の傷口を抉る趣味はないのでそっぽを向いて話しを逸らす。
「話題が気にくわないのか? だったら……魔法のランプ、どうやって作った?」
「いえ、まず話題の問題ではないと言わせて。だいたいそれを訊いてどうするつもり? 量産でもするのかしら。ああ怖い、商売仇だわ!」
呆れを滲ませるが前の話題を蒸し返されても困るのはメレだ。利用してやろう。大袈裟なリアクションで話を逸らそうと画策する。
「聞いたところで作れるわけないだろ。俺は普通の人間だ」
「そうね。別に話しても構わないけれど、対価に何をいただけるのかしら?」
「さすがオーナーだけあってしっかりしているな」
「なんとでも。タダでくれてやるには惜しいもの」
当然だと笑い飛ばす。するとオルフェは名案があると告げた。
「パンケーキ、また作ってやるよ。気に入ってくれただろ?」
「……まあ、悪くないわね」
見透かされているのは不本意だがパンケーキに罪はない。けっして美味しさに懐柔されたわけではないと二回明言してから誘いに乗った。




