一、痛恨の発送ミス
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少しでもお楽しみいただければ幸いです。
いずれ魔法史に語り継がれる偉大な魔法には芸術的な器が相応しい。輝かしい未来を想像すれば磨き上げた表面には恍惚とした表情が映る。
だが自らの仕事ぶりに酔いしれていられたのは実に短い時間だった。
「ああ、なんてこと……」
呟きは重く、絶望に満ちている。幽かに揺れる蝋燭の灯りに照らされた面影は深刻そのもので、常ならば強気と評される眼差しも暗い。
「こんな失態、わたくしの経歴に傷が付く。偉大な魔女として君臨するメレディアナ・ブランにあってはならない失態よ。早急に、迅速に、全力で抹消しなければ!」
それほどの事態とは、これすなわち非常事態。絶望した勢いのままテーブルに倒れ込む。衝撃に花瓶が倒れなかったのは奇跡だ。
かと思えば俊敏な動作で頭を上げる。せわしないことだが名案を思い付いてしまったとあれば仕方ない。
「そうよ、いっそ世界を滅ぼして全部なかったことに!」
スパアーン!
なんとも景気の良い音が響いた。
「いった!」
名案を閃いたばかりの頭を衝撃が襲った。完全なる不意打ちに前のめる。
「天才の頭を殴った不届き者は誰!? わたくしの頭脳は国宝と知っての狼藉?」
とはいえ部屋への入室を許可し、さらには屋敷の『お嬢様』に暴挙を振るうとなれば一人しか思いつかないけれど。後頭部を押さえながら振り返れば想像通りの人物が呆れた表情を浮かべていた。
「もー、その国宝級の頭湧いてるんですか、メレ様?」
ショートカットに膝丈のズボン、まるで少年のような出で立ちの彼女が呆れている。
親しい者は彼の魔女をメレと呼び慕う。そう、あくまでメレが主人なのだが。彼女の手にしている紙製の武器から目が逸らせない。恐らく衝撃の正体である。主人相手になんと乱暴なツッコミだろう。
「ノネット、わたくしの頭にどれほどの価値があると思っているの。失われた歴史に秘術を継承している貴重な頭脳よ。唯一の継承者が忘却なんて笑えないでしょうに!」
小さい両肩を掴みがくがく揺すればノネットもたじろぐ。
「わ、わかりましたって、叩いてすみませんでした! けど落ち着いて、落ち着いてください! なに血迷ったこと言ってるんですか!」
そもそもの発端はメレの世界滅ぼす宣言である。主人とは打って変って落ち着き――を通り越して呆れを滲ませた使い魔が問う。
「え、あ、ああ………………何もなくてよ」
さりげなく肩から手を外し、さらには視線も逸らし。長考の末、明らかに取り繕った発言は嘘としか取りようがない。
「まったく、困った時はすぐ破壊で誤魔化そうとするんですから」
「まあ、世の中物騒な人がいたものね」
素知らぬ顔で答えれば、貴女のことですよと言わんばかりの表情だ。
「これだから座右の銘『困った時はぶち壊せ』の破壊系魔女様は……」
どんな座右の銘だと本人否定のそれにも訂正は後回し。呑気に談義している猶予は残されておらず、覚悟を決めたメレは口を開く。
「……アレがないのよ」
「アレ? ええと、あまり言い淀まれると不安を煽られるんですが」
「だから、ちょっとした手違いというか、発送ミスというか……」
その単語に憶えがあるノネットはさっさと吐けという眼差しを切り上げ「ああ!」と声を上げた。
「もしかして昨日の出荷のことですか? 確か化粧水に魔法薬、久しぶりに大口大量の注文でしたよね! 液体と瓶の詰め合わせってホント重くて。僕、何度腰が折れるかと覚悟しました」
「そう、それ……。ええ、それよね。やっぱり、どう考えてもそれしか……」
無事に梱包作業を終え、発送担当の使い魔たちに引き渡したのが昨夜のこと。一仕事終えた達成感にノネットは満足げだが、メレは尚も頭を抱えている。
「アレが人間の手に渡ったら世界の終わり……。わたくしが天才すぎるばかりに世界終焉の引き金を引いてしまうなんて……」
「メレ様ー、帰ってきてくださーい。僕を筆頭に皆さんそろそろ焦れて来た頃ですし思い切って詳細発表しちゃいませんか?」
皆って誰かしら……
そんな疑問を抱きながらもメレは覚悟を決めさせられた。ノネットの言う通りだ。先延ばしにしても現実は変わらない。
「だからっ、魔法のランプがないのよ! 荷物に紛れて発送してしまったかもしれないの!」
興奮で頬を赤くするメレとは対照的にノネットはみるみる青ざめていく。
「ちょ、ま、魔法のランプってあの、メレ様が最高傑作と豪語して回っていた? ランプの精がなんでも願いを叶えてくれるという便利すぎる、あの魔法具のことですか?」
簡潔かつ丁寧な説明を感謝する。けれど足りない部分もあるので補足しておこう。
「そうよ、天才魔女であるわたくしの最高傑作にして世界の秘宝(予定)魔法のランプ!」
「は、早く! 宅配業者追いかけたほうが!」
補足をさらりと流してノネットはそれっぽい方角を指差す。しかしメレは力なく笑うだけだ。
「わたくしの手の者は主人に似て優秀、今頃は遥か遠く空の上。それを貴女、わたくしに今すぐ追いかけてこいと言うの? わたくしが高所恐怖症なの知っているでしょう!? それに出荷したのは昨日のこと、場所によっては配達を終えているかもしれない。わたくしの商会『賢者の瞳』は迅速な対応がモットーですもの」
ぱっちり開いた瞳の中にハートマークが浮かぶロゴといえば、巷で人気の商会『賢者の瞳』を連想するだるう。
化粧水から魔法薬まで手広く開発、その販売を担っている。貴族から庶民にいたるまで幅広い顧客を抱え、愛用する年齢どころから種族まで多種多様という盛況ぶりである。メレはそのオーナーを務めているのだが、世界を滅ぼす可能性すら秘めた、ある意味世界の運命を誤って発送……
「あり得ないっ! わたくしどうしてしまったというの? 商品の管理には気を付けていたのに、なんてこと……いいえ、まだ完全にそうと決まったわけでは!」
嘆くことは後でゆっくりすればいい。僅かな希望を胸に頭を切り替えなくては。
「メレ様、どうぞ」
次に何をすべきか、長く連れ添った相棒はよく理解していた。主人が動揺している間に鏡台を開き備え付けの椅子を引いてくれる。
「さすがね。ありがとう」
本来ここは優雅に腰を下ろす場面なのだが座る間も惜しい。
メレの髪は雪のように白く、それも光に当たれば赤みを帯びるという珍しい色彩を放つのだが、そんな自慢の髪が乱れるのも構わず詰め寄った。
誰も見ていないのをいいことに鏡面を叩く。鏡の縁を彩るのは繊細な細工だが、やっていることは優雅さの欠片もない。軽くノックするだけで十分のはずが焦るあまり強く叩き過ぎていた。
『鏡よ鏡、鏡さん!』
使い慣れたはずの呪文がやけに長く感じる。
鏡に映るメレの姿が歪んだ。白い霧のようなモヤ発生し緩やかに漂っている。やがて鏡面を覆い尽くし――そんな様子にすら焦りを覚えた。
「早く出てきてくれないと、うっかり割ってしまうかもしれないわ。カウントダウン三、二、いっ――」
「はいはいはーい! いますよ、いますから! あと三秒、三秒くださいって!」
被せるような返答は鏡の中からだ。本気で切羽詰まっている様子が伝わったようで何より。
きっかり三秒後。鏡には青年の姿が映っていた。鏡越しにも柔らかさを感じさせる髪質に人懐っこい笑みを浮かべている。
「そんなに慌ててどうかした?」
鏡の中に住む青年、通称カガミ。彼はメレの生み出した精霊である。悪いが安易な名称だというツッコミを受け付けている暇はない。
「カガミ、昨日発送した商会の荷物にランプは交じっていなかった? ランプを手にした人間が映っていないか、すぐに調べて!」
「オーケー、このカガミにお任せあれ」
鏡の中から青年の姿が消え、再び焦ったメレが映し出される。そこに映るピンクの瞳は不安を宿し、これが自分の表情とは嘆かわしいばかりだった。
魔法の鏡は鏡に映った物事ならば遠くの現象を覗くことが出来る優れ物。その情報量が膨大ともなれば魔法の鏡とて即答出来ず、しばし世界中の鏡を検索する時間が必要になる。
「はあ……」
本当にどうして、何故こんな失態を……
そこからは延々とため息が連発された。ようやく腰を落ち着けはしたが、落ち着くどころか焦るばかりだ。その間自らを責め続ける主をノネットは健気に励まし続けた。
「き、きっと疲れてたんですよ! ほら、納期も迫っていて徹夜続きでしたし。それに、まだそうと決まったわけじゃ――」
「メレ、お待たせ。鏡を通して見たところ、エイベラに住む男が君の商会マークのついた箱からランプを取り出す姿が映っていたよ」
あっさりと絶望宣告だ。
「……ありがとう。さすがね、カガミ」
「役に立てて嬉しいよ。何かあったらまた呼んで。おそらく次はすぐになるだろうけど、今度は穏便に頼みたいね」
答える気力もない主に代わってノネットが鏡に向けて手を振っている。
「どうして、なぜ出荷されてしまったの? 戻ってきてぇー!」
力の限り喚くこと数秒。
突如乱心した主人を前にうろたえる使い魔を放置して気持ちを切り替える。悔やんだところでランプは戻ってこない。
閲覧ありがとうございました。
いかがでしたでしょうか……
恋愛ものになりますが、その割に肝心の相手役がまだ登場しておりませんね!
なので少しでも早く続きをお届け出来ればと思います。
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何より、少しでも気に入っていただけましたらまた読んでいただけると嬉しいです。
最後の最後まで、ありがとうございました。