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真実の噂話  作者: 桜辺幸一
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5.望まぬ再会

階段を一段飛ばしで駆け上がった。


二階の廊下に出る。


右か左か。

迷うまでも無く、左の方向。

遠く離れた廊下の角を、再び白い影が横切るのを目で捉えたからだ。


僕はすぐさまその方向に駆け出す。


ドクン、ドクン、ドクン――


期待からか不安からか。はたまたそれ以外の感情か。

心臓が早鐘を打つ。


見えたのは本当に一瞬。

しかも一部分。一回目は足元、先は尾を引く髪の毛。

それすら見間違いかもしれない。

けれど何故か、それが月姫であるという確信が僕にはあった。


廊下を走り抜けると、その先は教室棟へと続く渡り廊下だった。

そして渡り廊下の先に、またしても影。


「月姫!」


叫ぶ。

しかし、その影は止まることなくまた視界から消え去った。


「っ・・・・・・!」


僕は慌ててそれを追いかける。


どうして月姫がこんな夜中の学校に居るのか。

今までどこに行っていたのか。

いや、そもそもなぜ僕から逃げようとするのか。

色々な考えがぐるぐると頭の中で渦巻く。


そんな僕をよそに、影は僕を弄ぶように校舎の中を移動していた。

渡り廊下の先へと着けば、今度はまた別の廊下の先に。

そこに追いついたと思えば今度は階段の下へ。


現れては消え、現れては消え、一向に僕にその姿を掴ませない。

呼びかけても、返事は無い。

まるで、鬼ごっこをしているようだ。


暗闇の中での全力疾走に足がもつれる。

纏まらない思考が呼吸を乱す。

それでも僕はその影を追いかけ続ける。


月姫、月姫、月姫!

この数ヶ月抑え込んでいた寂寞が胸中に荒れ狂う。


教室棟の二階から一階までをぐるっと回り、終には渡り廊下の下、学生用の正面玄関までやってきた。


「待って!月姫!」


当然、影は止まらない。

玄関前に並ぶ下駄箱の奥へと消える。


ごく短い時間走っただけにも関わらず、僕はすでに息があがっていた。

それでも諦めずに影の消えた場所に走り寄る。


「ハァ、ハァ・・・・・・!」


なんとか呼吸を整えようとしながら、下駄箱の間を覗き込む。

しかし今度こそ、そこに影は見えなかった。


「月姫!」


大声で呼ぶも、反応は無い。

いや、今までも反応は無かったのだから当然か。

僕は諦めまいと、いくつも並ぶ下駄箱の間を順々に見て回る。


そして。


そこに、月姫は居た。


いや、正確には下駄箱の近くにではない。

彼女は、玄関の扉を抜けた先の小広場。

そこにぽつんと点く街灯。

その灯りに照らされたベンチに座っていた。


こちらに背を向けて座っているので、月姫の表情は見えない。

だが、あの後姿。

それはたしかに、僕が幼い頃から見慣れたそれだった。


僕は玄関のガラス扉に駆け寄る。

そして扉を開けようとして、しかし、開かないことに気付き、あたふたとしながら鍵を開ける。


扉は、ガチャリと意外な程に大きな音を立てて開いた。

月姫だってその音に気付いただろうに、彼女はこちらを振り返る素振りすら見せない。


だた、もう、逃げる気は無い様だった。

僕はゆっくりと歩いて彼女に近づき、その背後に立つ。


「・・・・・・。」


制服姿に、長い黒髪を後ろで一本で纏めたその姿。

間違いなく、月姫だ。

しかし、こんな至近距離に近づいても月姫は振り返りもしない。


僕の中で嫌な予感が膨れ上がっていく。

何故、何ヶ月もの間姿を消していたのか。

何故、夜の学校に居るのか。

何故、僕から逃げたのか。

何故、追いかけている間、月姫の足音は聞こえなかったのか。

何故、ドアが閉まっていたはずの玄関を抜けて外に出られたのか。


・・・・・・それらが何故かなんて、僕にはあまりにも分かりきった答えだ。

けれど、僕はそれを認めたくない。


何と言葉をかけていいか分からない。

けれど僕は結局、いつも通りに彼女の名を呼んだ。


「月姫。」


・・・・・・月姫はゆっくりと。


ゆっくりと振り返る。


その顔は、僕の記憶にあるものから全く変わっていない様に見えた。

真っ直ぐ長く伸びた前髪と、その奥から覗く勝気な瞳。

頬は僅かに朱に染まり、口元には僅かな微笑みが湛えられている。

――どこからどう見ても、普通の人間。いつも通りの月姫だ。


そして、月姫は僕と目が合うと、意外な程あっけらかんとした様子で言った。


「久しぶり。ケーシ。」


その懐かしい呼び名に思わず目頭が熱くなった。

この名で僕を呼ぶのは月姫だけだ。


「やっと、見つけてくれた。」


そう言って月姫は微笑む。

美しい黒髪が、さらりと彼女の頬を撫でた。


「つ、月姫、今までどこに――」


言葉に、詰まる。

感情と思考がごちゃまぜになって苦しい。

言いたい事がありすぎて言葉が纏まらない。


「いや、それよりも!早く帰ろう!お義父さんもお義母さんも心配してる……!」


僕はそう言って月姫の腕を掴んだ。

それを見て、何故か月姫は驚いたように言う。


「凄い・・・・・・。ケーシ、本当に触れるんだ(・・・・・・・・)。」


「な、何を言って――」


不可解な台詞に戸惑う僕に、しかし月姫は顔を横に振った。


「駄目だよ。ケーシ。」


「・・・・・・え?」


「だって、私はもう――。」


「っ・・・・・・!いいから!帰ろう!」


何かを言いかけた月姫を遮って、強引に腕を引っ張り上げる。

しかし、やはり月姫はだらりと脱力してその場所を動こうとしない。

このまま僕についてくれば何もかも今までどおりになるというのに、それを否定する様に顔を伏せる。


「ケーシ、私はね――。」


その先は聞きたくない。

聞いてしまえば戻れなくなる。


「やめろよ!」


思わず、叫ぶ。

それに驚いたのか、月姫は押し黙った。


「やっと・・・・・・やっと見つけられたんだ・・・・・・。ずっと探してて・・・・・・でも何の手がかりも無くて・・・・・・。それでもようやく・・・・・・。」


今まで我慢していたものが溢れ出す。

月姫の居ない生活は、どれだけ不安だったか。

小さな時からずっと一緒に居た月姫。

それが失われた事は、正に魂の半分を喪失したに等しかった。


だから、こんなに苦しいのはもう終わりにしたい。

明日からまた一緒に学校に通って、いつも通りの日常に戻るのだ。


「ケーシ。」


俯く僕の頬に、そっと暖かなものが添えられた。

見れば、月姫は慈しむような表情で僕の頬を撫でていた。


「ごめんね。心配をかけて。」


月姫は言う。


「でも、これはもう起こってしまった事だから。」

「・・・・・・。」


僕は、何も言えなかった。


「私はね――。もう、人間じゃ無くなったの。」


そう言う月姫の言葉を、僕は静かに受け入れた。



◆◆◆◆◆



「じゃあ、あの後の事は覚えて無いの?」


僕が一頻り泣き終えるのを待って、僕と月姫は状況を確認しあっていた。


月姫が言うには、自分が何故幽霊になったのかは覚えていないとの事だった。

普通に死んだのか、それとも十六夜が言っていたように神隠しに逢ったのか。

僕が最後に月姫を見た時に、彼女の手を引いていた人物の事もわからない。


「うん。それに、幽霊になったからかな。時間の感覚が曖昧なの。私がまだ生きていた頃の最後の記憶は何で、幽霊になってから最初の記憶は何なのか、よくわからない。私が人間だったのは昨日の事の様にも感じるし、もう何十年も昔の事のようにも感じるわ。」


でも、数ヶ月前の事なのよね?と、月姫は困惑したように笑う。


「私は気付いたら夜の学校に居て、そしてずっと居続けている(・・・・・・)の。何回も昼間を越えてきたはずだけど・・・・・・よく思い出せない。」


・・・・・・夜にしか存在できないという事だろうか。

そう言えば、十六夜も夜になると怪異の存在が濃くなるという様な事を言っていた。


「・・・・・・。」


僕は考える。

月姫は幽霊になった。

それが怪異に巻き込まれたからなのか単に死んだからなのかは兎も角、彼女は人間では無くなった。

それは、誰がどう足掻いても覆すことの出来ない事実だ。


僕はこの体質故に、普通の人間に対するように月姫と接する事が出来る。

しかし他の人は月姫に触るどころか見る事すら出来ないだろう。


僕がいくら月姫を見つけたと言ったところで、誰も信じないに違いない。

信じてくれるのは僕と同じ体質を持った十六夜か――ああ、そうか。


「ねえ月姫。せめて、お義父さんとお義母さんに会えないかな。」


僕は提案する。

月姫が失踪してからと言うもの、両親の落ち込み様はそれはもう酷いものだった。

町の中を駆け回り、月姫の目撃証言が無いか熱心に聞き込みを行っていた。

それは正に鬼気迫る様子だったと思う。

けれど、それも長くは続かない。最近は両親の間にどこか諦めにもにた無力感が漂っていた。


もし、月姫が幽霊になった事を伝えれば両親は悲しむだろう。

でも――、真実も知らずに、ずっと月姫を探し続けるような事はさせたくないと、僕は思う。


しかし、僕のその提案に、月姫はゆっくりと首を振った。


「駄目だよケーシ。お父さんやお母さんには私の事が見えないだろうし、特にお父さんは・・・・・・私がこんなになったと知ったら悲しむと思う。」


「・・・・・・。」


「それに、私はこの学校から動くことが出来ない、在るかどうかも分からないあやふやな存在よ。見えなくても一緒に暮らしていけるなら兎も角、私がこうなった事を知れば、二人をこの学校に縛り付けちゃう。」


どちらにしろ一緒に暮らせないのなら、月姫が幽霊になった事なんて知らないほうが良い。

このまま緩やかに、月姫はこの世から居なくなったものとして忘却していったほうが良いのだと、月姫は言った。


どちらが正しいのか、今の僕には分からなかった。

このまま忘れてしまった方が良いという月姫の主張にも一理ある気がするし、苦しむ両親を見てきたからこそ、僕は真実を伝えた方が良い様に思う。

月姫が言うように、せめて家で一緒に暮らせるのなら、真実を伝えた方が良いだろう。

それならば、見えないながらも両親も少しは安心すると思うのだが――。


「ってちょっと待って。"学校から動くことが出来ない"・・・・・・?」


あまりにも当たり前のように言うから、聞き流しそうになった。

学校から動けないというのは、僕の感覚から言えば、少し違和感がある。


幽霊になった月姫が学校に現われたのは、そうおかしな事ではない。

幽霊の類は、本人が死んだ場所に現われる事も多い。

月姫が学校のどこかで死んだ――若しくは神隠しに逢ったというのなら、学校の中に現われるというのはあり得ることだ。


けれど、学校から出られないとなると話は違ってくる。

これは僕の経験則だが、たいていの幽霊は移動くらいは出来る。

何かしらの理由があれば・・・・・・例えば、僕の様に付きまとわれ易い人間が歩いていれば、それに一緒に憑いて行く事が出来る。

それは、僕が何度も体験したことだ。


確かに、その土地に憑いている地縛霊などはその場所から動けないだろう。

だが、地縛霊はその土地に強烈な執念を残しているものだけがなる。

ただの一生徒だった月姫が、学校と言う土地に縛られる理由は思いつかない。


「それって・・・・・・月姫が学校に縛られているって事?」


僕は聞く。

その問いに、月姫は考えるように首を傾げた。


「んー。縛られてるって言えば縛られてるのかも。でも、土地そのものに執着しているわけじゃないわ。単に、学校という場所でないと私は存在できないの。」


「それは、どういう・・・・・・?」


月姫は、「説明が難しいんだけど・・・・・・」と言いながら、少し考えた末に言う。


「たぶんだけど・・・・・・私は"上代月姫"の幽霊じゃないの。」


「・・・・・・は?」


あまりにも突拍子も無い答えに、思わず間抜けな声が出た。

幽霊になったとは言え、彼女はどこからどう見ても僕の知る上代月姫だ。

もしそうで無いとしたら、いったい何だと言うのか。


「私は昔から存在していた怪異で、そこにたまたま上代月姫としての意識が上書きされただけ・・・・・・なんだと思う。」


何を言っているのか分からない。

月姫自身もよく分かっていないのだろう。

彼女の自信の無さそうな語り口が、余計に僕を混乱させる。


「昔から存在していた怪異・・・・・・?それに、月姫が取って代わったってこと?」


なんとか言葉を搾り出す。

理解は出来ないが、僕の言っている事もそう外れてはいないだろう。

月姫も首を傾げながら、「そういう解釈も出来るのかな」などと言っている。


「まあとにかく、私はその昔から在った怪異に成ったの。だから、私はこの学校から動くことが出来ない。だってその怪異は――」


そうして、月姫は言った。

あまりにも使い古された言葉。


"学校の怪談"


学校を代表する七つの怪異。


「そう。私はね、学校の怪談、その七番目の怪異になったの――。」



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