3.夜の学校
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「じゃあ、先輩。今日の夜11時半に、この校門の辺りでお待ちしてますね。」
その日の帰り。
僕と十六夜は、学校の校門前で今夜の待ち合わせの約束をした。
無論、月姫を目撃したという噂について調べるためだ。
「・・・・・・でも、本当に大丈夫ですか?先輩のお家から学校まで、夜道を歩くことになりますけど・・・・・・。」
ふと、十六夜は心配そうに僕を見る。
「大丈夫だよ。歩いて10分くらいだし。危ない場所も無いし。」
そんな彼女に、僕は笑って言った。
「すみません・・・・・・本当は私が付き添えれば良いんですけど・・・・・・。」
そう言って十六夜は申し訳なさそうに下を向く。
しかし、流石に彼女を家まで迎えに来させるわけにはいかない。
なぜなら、十六夜も僕と同じ体質を持っているからだ。
怪異を見て、触って、時にはしゃべることさえ出来る、僕と同等の強い霊感。
しかし僕と違うのは、彼女は自分だけの力で周りに寄ってくる怪異に対処してきたところだ。
月姫に守られていた僕とは違う。
よって、十六夜は自分の能力との付き合い方をよく心得ていた。
怪異との接触を避ける方法、付きまとわれた時に引き剥がす方法、危険な怪異と無害な怪異の見分け方・・・・・・彼女はいろいろな事を僕に教えてくれたのだった。
彼女に色々な事を教わるたびに、僕はいかに自分の力や怪異そのものについて無知であるかを思い知らされた。
彼女は僕の事を"先輩"と呼んでくれているが、こと怪異との付き合い方に関しては向こうの方がずっと先輩だった。
・・・・・・だから、情けない話だが。
先の僕の言葉は、完全な虚勢だった。
大丈夫だと言ったその言葉には、何の根拠もない。
月姫が居なくなってからというもの、僕の周りの環境は一変した。
怪異を祓う力を持った月姫。
その加護を失った僕は、常日頃から怪異に付きまとわれる事になった。
日常のあらゆる場所は、僕にとってはもう安全地帯では無くなっていた。
建物の陰、繁みの中・・・・・・墓地の周辺など酷いものだ。
ありとあらゆる場所に怪異は存在し、そしてそれらは僕を見つけると、執拗に付きまとってきた。
ほとんどの怪異は無害と言えば無害だ。
けれど、人に害を与える怪異というものは確実に存在する。
誰も知る由もないが、制服を脱げば僕の体にはいくつもの痣が残っているのが見て取れるだろう。
手の痕、引っかき傷の様な痕。
そういった些細な傷を受けるのはもはや日常茶飯事だ。
いや、その程度で済むものならばまだいい。
中には、僕の命を狙う怪異さえ居る。
幸いにして、十六夜の教えでそういった怪異との接触は避けることができている。
けれど、いつかは──
……家と学校の間には、今のところ特別に危険な怪異は存在しない。
それでも、少なくとも心休まる道のりではない事は確かだった。
「はは・・・・・・心配し過ぎだって。通学路なんて今までに何回通ったと思ってるの。それくらい僕だって大丈夫だよ。」
未だ心配そうに僕を見る十六夜に、僕は再び見栄を張った。
その言葉を信じてくれたのかどうか。真意は不明だが、十六夜は「そうですか」と言うと手を振って僕を送り出してくれた。
「・・・・・・。」
十六夜と別れ、家路を急ぐ。
一人の帰り道はいつも小走りだ。
一刻も早く、家にたどり着きたい。
その一心で家路を急ぐ。
見れば、夕日は山の陰にゆっくりと沈もうとしていた。
木々の陰は長く伸び、あらゆるものが茜色に染まっている。
夕暮れ時。黄昏時。誰そ彼。
十六夜が言うには、場合によっては深夜よりもこの時間の方が危ないらしい。
夜・・・・・・即ち怪異の世界と昼の現実世界を繋ぐ時間。
世界の境界線が曖昧であるからこそ、向こう側に引っ張られやすいのだとか。
「――。」
僕は、道の脇にある電柱の影に目を向ける。
そこには、老人が独り佇んでいた。
もしよく観察したならば、その老人の顔、両目があるべき部分には、底の見えない穴が二つ開いている事に気付くだろう。
僕はすぐに目をそらして、その場所を通り過ぎる。
畑の横の藪の中から、金属を擦り合わせたような・・・・・・そして同時に何かの獣のうなり声のような音が聞こえてくる。
僕は気付かないふりをしてそこを通り過ぎる。
またしばらく歩いていると、すぐ後ろに人の気配がした。
先の藪の中の金属音に気をとられるあまり、接近に気付いていなかったのだ。
その気配は僕の耳元に顔を寄せると、なにやらぶつぶつと呟き始めた。
これは──まずい。
そう思っている内に、気配が僕の首にまとわりつく。
そして、グッ……と、締め付ける様な息苦しさ。
「……!」
瞬間、僕は全力で走り出した。
気配は「ギ、」と悲鳴の様な音を残して、それきり僕の後ろから離れていった。
僕はそれを確認し、走る勢いを少し落とす。
首に手をやると、微かな違和感。
痣とはいかないまでも、少し赤くなるくらいはしているかもしれない。
これらの怪異は今の所は問題無いと、僕は知っている。
いや、問題はあるが、少なくとも僕自身の力で対処ができる。
しかし・・・・・・学校から家までのたった10分の道のりでこれだ。
この先・・・・・・本当に僕はこういったモノと折り合いを付けていけるのか。
正直に言って、その自信は全く無い。
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さて、その日の深夜。
僕は家族が寝静まったのを見計らって家を抜け出した。
行き先はもちろん夜の学校だ。
残念ながら僕の家と学校の周辺は街灯も疎らな田舎の住宅地だ。
足元もおぼつかない夜の通学路を脇目も振らずに走り抜ける。
電柱の影も藪の中から聞こえてくる音も後ろに迫る気配も、一切合切を振り払うように。
・・・・・・そうしてなんとか、僕は学校に到着する。
息を切らしながら校門に歩み寄る。
当然のように門は堅く閉ざされていた。
とは言え、少しよじ登れば越えられる程度の高さだ。
実際に夜に肝試しに来ていたという生徒も、この門を越えたのだろうから問題は無いだろう。
「・・・・・・。」
僕は校門の先、闇に沈む校舎を見る。
当然と言えば当然なのだが、第一印象は「暗い」だった。
ここから見える明かりは正面玄関前の小広場に設置された照明のみ。
あとは非常口を示す緑の明かりが、校舎の窓から覗いているだけだ。
まだ・・・・・・十六夜は来ていないようだった。
待ち合わせは11時半。
腕時計を懐中電灯で照らすと、針は11時25分を指し示していた。
走って来た分、少し早く到着してしまったようだ。
ふと、冷静になって辺り見回すと、予想以上に闇が深いことに気付いた。
学校の周りは基本的に畑と林しかない。
明かりと言えば、先の正面玄関前の明かりと、通学路に転々と灯る街灯、そして弱弱しい星明りだけだ。
聞こえてくるのはわずかに虫の鳴き声のみ。
風が吹くたびに、まるで何かが移動するかのように周囲の木々がざわざわと音を立てた。
「ヤバ・・・・・・。」
得体の知れない危機感が、足元からじわじわと立ち上ってくる。
今までに正門付近で怪異を見た事は無い。
見た事は無いが――夜の、怪異の世界に切り替わってから学校に訪れたのはこれが初めてだ。
木々の陰に何かが動いているような気がする。
風の音に、人の声が混じっているような気がする。
背後に何かの気配があるような気がする――。
逃げ場は無い。
世界は360度遍く闇に包まれている。
それでも僕は、何かに気圧されるように一歩後ずさり――。
「先輩。」
「ひょ・・・・・・!」
突然背後からかけられた声に驚いて、僕は大げさにその場から飛びのいた。
「っ・・・・・・!」
そして声のした方向に視線を向ける・・・・・・と。
そこに居たのは、何のことは無い、十六夜だった。
十六夜は驚きで変な体勢で固まっている僕を見て、クスクスと笑う。
「ふふ。『ひょ』って何ですか、『ひょ』って。先輩、驚きすぎですよ。」
十六夜のクスクス笑いは、次第に大笑いに変わっていき、終いには・・・・・・声は抑えられているが、腹を抱えての爆笑になった。
彼女がここまで笑うのも珍しい。
僕は恥ずかしくなって、取り繕うように着ていたシャツの裾を直してみたりする。
顔も少し赤くなっているだろう。暗くてよく見えないとは思うが、無駄な抵抗として少し顔を背ける。
「・・・・・・それで、何で十六夜はもう中に入っているわけ?」
気まずい雰囲気を誤魔化すように、僕は聞いた。
見れば、十六夜が立っているのは何故か校門の内側だった。
しかも彼女の服装は制服のままだ。
「もしかして、放課後からずっと学校に残ってたとか・・・・・・?」
まさか・・・・・・と思いつつも恐る恐るそう聞くと、十六夜は苦笑して首を振った。
「まさか。ちゃんと一回家に帰りましたよ。先に来て、本当に校舎の中に入れるかを確認してたんです。」
「ちゃんと、窓の鍵開いてましたよ」と言う十六夜を見て、僕は言いようの無い安心感を感じていた。
僕一人では、足が竦んで校門を越える事すら出来ないに違いない。
十六夜も僕と同じ体質を持っているはずなのに、この違いは何なのだろうか。
「さ、先輩も早くこっちに来てください。」
そう促されて、僕は校門をよじ登る。
「・・・・・・?」
学校の敷地内に降り立つと、なんとなく気温が下がったような気がした。
「? どうしました?先輩。」
動きの止まった僕を覗き込むようにして、十六夜が聞いてくる。
僕は「何でもない」と言って手を振った。
きっと気のせいだ。
校門の外と内で世界が変わった訳でもあるまい。
「・・・・・・で、どうしようか。まずは校舎の中に入る?」
僕は十六夜に聞く。
彼女は指を口元に当ててしばらく考える仕草をすると言った。
「そうですね・・・・・・。今日の放課後に話したとおり、今回は学校の怪談に沿って見て回ろうと思ってます。月姫さんが目撃されたのは、学校の怪談を確認して回っている最中ですから。・・・・・・先輩、そもそも学校で噂されている怪談についてどこまで知ってますか?」
彼女の問いに、今度は僕が考える。
「いくつか知ってるだけだね。えーっと・・・・・・夜になると理科室の人体模型が廊下を走り回る。深夜2時に特別教室棟の1階にある鏡の前に立つと自分の死んだ姿が映る・・・・・・あとは・・・・・・」
確か、音楽室にも何か怪談話があった気がするが・・・・・・思い出せない。
怪談を指折り数えようとするが、意外と詳しい内容を知らない事に気付いた。
「まあ、学校の怪談自体は色々ありますけどね。・・・・・・今、学校の怪談として噂になっているのは――。」
十六夜は訥々とこの学校に伝わる怪談を語る。
曰く、
一、校庭の隅に見知らぬ生徒が立っていても話しかけてはいけない。その生徒は幽霊で、仲間を欲しがっている
二、深夜2時に特別棟の1階にある鏡の前に立つと自分の死んだ姿が映る
三、音楽室にあるベートーベンの肖像画は夜になると目が動く
四、夜になると理科室の人体模型が廊下を走り回る
五、 教室棟の階段は14段。それがもし13段になるとその先は異界に繋がっている
六、屋上には、以前自殺した生徒の霊がいる。立ち入り禁止の屋上に踏み入ると生徒の霊に引きずり落とされる
七、七番目の怪談は校長室に隠された本に書かれている。その本を読むと死んでしまう。
計7つ。他にも細かいものを挙げればキリがないそうだが、特に有名なのはこの7つとのこと。
「・・・・・・なるほど。」
こうして見ると、校庭から始まって特別棟、教室棟と怪談は学校全体に散らばっている。
結局学校全体を見て回る事になりそうだと嘆息する。
「怪談の一番目は校庭です。まずは順番に校庭から見て回るのはどうですか?」
十六夜がそう提案する。
僕としてはそれに反対する理由も無い。
「・・・・・・。」
僕は校庭を見回す。
月は満月に近く、夜にしては視界の効く方だ。
けれどやはり月明りだけでは、その全体を見渡すことまでは出来ない。
ここに、月姫が居るのか。
居たとしても、それは本当に月姫なのか。
僕は仄暗い気持ちを抱えながら、目の前の闇へと向かって歩を進めた。