2.遠野十六夜
そして、月姫の居場所の手がかりすら掴めないまま、無為に時間だけが過ぎていった。
時の流れは残酷だ。
月姫の失踪は最初こそ騒ぎになったものの、一ヶ月もすれば噂さえされなくなった。
クラスメイト達は月姫について話題にする事を意識的にも無意識的にも避け、そして本当に忘れていった。
僕が月姫の名前を話題に出すと、思い出したように気の毒そうな顔をして、その話題を避けた。
暗に「もう、忘れよう」と言っている事を察して、僕はやりきれない気持ちだった。
しかし、そんな状況でも変わらず月姫について親身になってくれたのが、後輩の遠野十六夜だった。
彼女との出会いは月姫が失踪して数日後の事。
僕が月姫の手がかりを探そうと、学校の生徒に手当たり次第に声をかけていく中、彼女と出合った。
「私なら、先輩の力になれるかもしれません。」
そう言って、彼女は僕に協力してくれた。
確かに、彼女はよく僕の力になってくれた。
月姫の捜索に。
そして、僕の特殊な事情についても、だ。
しかし、それでも月姫は見つからないまま月日は過ぎていった。
梅雨に入り、そして明け、夏になった。
もう、誰も月姫の事など覚えていなかった。
クラスメイトの失踪という暗い空気は、梅雨の雨と共に流されていった。
僕自身、もうやれることは全てやり尽くして、あとはもうどうすれば良いのか分からなかった。
手を尽くしても目撃情報一つ見つからなかったのだ。
僕だけでは警察のように科学捜査が出来るわけでもなし、町会のように人海戦術で山狩りが出来るわけでもない。
たかが中学生に出来る事などあまりにも少なかった。
けれど、そんな時。
その諦めに、小さな変化をもたらしたのは十六夜だった。
ある日の事。
僕が夕焼けに染まる放課後の屋上でボーっとしていた所に、彼女はやって来た。
そして、言ったのだ。
「先輩。学校の七つの怪談を知ってますか?」
と。
◆
「七つの怪談?」
僕は十六夜に聞き返した。
夕日が逆光になっていて、十六夜の表情はよく見えない。
彼女の、肩ほどで短く切りそろえられた髪が風に揺れる。
色素の薄い、茶色がかったその髪は、後ろの夕日を透かして紅色に輝いていた。
華奢で小柄なその姿と大人しい性格もあいまって、妖精か何かのような印象さえ受ける。
実際、容姿もそれなりだから男子生徒にもさぞや受けが良い事だろう。
そんな女子が、放課後、立ち入り禁止の屋上で僕のような男と会っていると知られれば、どんな噂がたつものか分からない。
まあ、それはさておき。
しかし、怪談……学校の怪談である。
もちろん、その言葉自体はよく知っている。
どこの学校にもある、校内にある幽霊や妖怪、その他常識では説明できない不思議な話。
別名、学校の七不思議。
話の内容は学校毎に違っていて、全国的に有名な話から、その地域・学校特有のものまで様々だ。
「そうです。学校の怪談。……先輩、この学校に伝わる怪談って聞いた事あります?」
「うーん……。いくつか小耳に挟んだ事はあるけど。」
夏になったからか。
最近はその手の話をよく聞くようになった。
例えば、夜になると理科室の人体模型が廊下を走り回る、だとか。
深夜2時に特別棟の1階にある鏡の前に立つと自分の死んだ姿が映る、だとか。
僕は体質上、そういった話に首を突っ込むのは避けるようにしているが、それでもいくつかは耳に入ってきている。
他にはどんな話があったか……と悩む僕に十六夜は続ける。
「じゃあ、怪談の中にこんな話があるのは知ってますか?『校庭の隅に見知らぬ生徒が立っていても話しかけてはいけない。それは学校で亡くなった生徒の幽霊で、独りではさびしいから仲間を欲しがっている。』」
「いや、その怪談は初めて聞くね・・・・・・。」
僕は首を横に振りながら答えた。
しかし、その怪談自体は珍しいものではない。
病気で、事故で、あるいは自殺で亡くなった生徒の幽霊が校内に現れるというのは、学校の怪談においてもっともオーソドックスな話の一つだろう。
「でも、それがどうしたの? 十六夜はその生徒を見たの?」
しかし、そんな僕の言葉に十六夜は首を振った。
「いいえ、私は見ていません。でも、もしかして、この話が月姫さんの失踪に何か関係があるんじゃないかと思って・・・・・・。」
"月姫"という名前を聞いて、僕は一瞬言葉に詰まった。
「──月姫に?」
「はい。そうです。」
十六夜は真剣な様子で頷いた。
「先輩……月姫さんが失踪してから何ヶ月も経ちました。でも、手がかりは何も見つかっていません。……おかしいと思いませんか。警察まで出てきて、大人の人達がみんなで裏山の山狩りまでやったのに。」
十六夜は何か言い難そうに下を向いた。
確かに、彼女の言うとおりだ。
大人たちも皆首を傾げていた。
月姫が失踪したのは、まだ生徒達が大勢居る放課後の事。しかも最後に目撃されたのはこの学校の中だ。
それに加えて、失踪直前に誰かに会っていた事まで分かっているのに、ろくな目撃証言も、物的痕跡も出て来ない。
普通なら、こんな事はありえない。
「だから……、私、思ったんです。もしかして、これは、普通の事件じゃ無いんじゃないかな、って。」
「……。」
そこまで聞いて、僕は十六夜が何を言おうとしているのか理解した。
理解した……が、僕は何も言わなかった。
何故なら月姫は――。
「先輩。もしかして、月姫さんは"神隠し"に逢ったんじゃないでしょうか?」
そう言って、十六夜は伺うように僕を見た。
神隠し。
それはあまりに有名な怪談。
神様による人攫いの怪異。
広義には、神様だけでなく怪異全般に起因する人間の消失を指し、転じて不可解な状況で人が失踪した時にその言葉が用いられる。
確かに状況だけ見れば、月姫の失踪は神隠しと呼ぶに相応しい。
十六夜の言い分はこうだろう。
過去に病気で亡くなったとされる、この学校の生徒の幽霊。その幽霊は時折校庭に現れては"友人"として生徒を攫っていく。
その"神隠し"に月姫が巻き込まれたのではないか、と。
十六夜の言いたい事は分かる。
校庭で誰かに連れていかれたというシチュエーションも合致する。
むしろ、僕のようなような人間ならば、もっと早くにそれを思いつくべきだったのだろう。
なにせ、僕達は知っているのだから。
それが、いつ起こっても不思議ではないという事を。
でもそれでも、僕は十六夜の言葉に首を振った。
「いや、それはあり得ないよ。」
「何でですか……?確かに普通だったら信じられない話ですけど、先輩だったら分りますよね……?私の考える事がまったくあり得ない事では無いって事。」
そう、確かにあり得ない事では無い。
それどころか、僕の様な"視える"人間にとっては、その危険は常に付きまとう。
でも、月姫だけは例外なのだ。
「十六夜。前に話したと思うけど、怪異は月姫に近づけないんだよ。」
「――……。」
その言葉に、十六夜は押し黙った。
それが、月姫の体質だ。
月姫は僕の様に幽霊が見えるわけではない。
けれど、月姫は"怪異を寄せ付けない"という特殊体質を持っている。
だから僕と月姫はずっと一緒に暮らしてきた。
僕は幽霊を見たり、触ったり、場合によっては話したり出来るけれど、それ故か、怪異を引き寄せ易い。
たいていの怪異は害にならないが、それでも人間に害を及ぼす怪異も存在する。
僕にとってそれは、交通事故なんかよりもずっと深刻な、死亡要因なのだ。
子供の頃、僕に霊感がある事が分かってから、僕は月姫の家に預けられ、そこの家族として育ってきた。
理由は明白。
"怪異を寄せ付ける"僕の体質を"怪異を寄せ付けない"月姫の体質で相殺するためだ。
故に。
月姫が"神隠し"に逢う事などありえない。
仮に月姫でも祓えない怪異が居るというのなら、僕だって犠牲になっているはずだ。
だから僕は初めから、月姫が"神隠し"に逢った可能性を排除していた。
「でも、先輩。"神隠し"に逢った人間がどうなるかって知っていますか?」
しかし意外にも、十六夜は僕の否定に食い下がってきた。
「神隠しに逢った人間のその後?そりゃあ永遠に"向こう側"に連れて行かれるか、普通に戻ってくるか……そうでなければ、"神様の遣い"になって怪異の一部として人々の前に現れるか――」
僕自身が体験した話ではない。
けれど、本やテレビで語られている神隠しの結末はだいたいそんなところだ。
「そうです。"神隠し"に逢った人間は、その神隠しの怪異の一部として人の前に姿を現す事があります。」
十六夜は、彼女には珍しく少し早口に話す。
でもいまいち、彼女が何を言わんとしているのか分からない。
まさか月姫が――。
そのまさかの可能性を完全に思いつく前に、十六夜が告げた言葉は、僕の脳を揺るがした。
「実は……夜の学校で、月姫さんを見たって人が居るんです。」
「え――。」
そんな、馬鹿な。
思いがけない言葉に固まる僕に、十六夜は続ける。
「今、生徒の間で肝試しが流行っているのを知っていますか?夜の学校に忍び込んで、学校の怪談がある場所を巡るんです。」
それは、知っている。
休み時間に、クラスメイトが夜の学校に忍び込んだ事を自慢げに語っていた。
「その中の一人が、見たそうなんです。夜の学校を彷徨い歩く月姫さんを。」
「――……。」
それが、何を意味するのか。
僕には分からない。
分からないはずだ。
いや、そもそも――。
「はは……馬鹿を言うなよ、十六夜。そんなの、嘘に決まってるじゃないか。失踪した人間が夜の学校を彷徨っている。作り話としてはあんまりにも捻りが無さ過ぎ――」
「でも、唯一の目撃証言です。」
しかし月姫は、僕の逃げを切り捨てた。
「先輩。気持ちは……分かります。失踪した人間が夜の学校を彷徨い歩いているなんて、それはもう真っ当な人間のする事ではありません。もし、その噂話が本当なら、月姫さんはもう……。」
そうだ。
夜の学校を彷徨い歩く……それは人間ではない、幽霊のする事だ。
幽霊とは死んだ人間の魂。
つまり、月姫はもう死んでいるという事になる。
「でも、これしか手がかりが無いというのなら、調べるべきだと私は思います。ただの嘘ならそれでよし。もし本当でも……もしかしたら、まだ間に合うかもしれません。"神隠し"に逢ったと言うのなら、連れ去られただけで、まだ生きているという考え方もありますし……。」
十六夜の言うとおり、神隠しに逢った人間が死んでいるのか生きているのかは微妙なところだ。
しかしそれは十六夜の気遣いだろう。
「……。」
僕は、しばし考える。
月姫が"神隠し"に逢った。
その可能性はやはり限りなく低いと思う。
月姫の怪異を祓う力は十六夜が思っている以上に強力だ。
ここ数年、月姫が傍に居る限りにおいては、僕は怪異に遭遇した事が無い。
そんな彼女が"神隠し"に逢ったなど、考えるだけ無駄な気もする。
十六夜が月姫の目撃情報を"神隠し"に絡めて来たのも、もしかしたら彼女なりの気遣いかもしれない。
連れ去られただけならば、まだ生きている可能性もある、と。
むしろ可能性として高いのは、月姫が何らかの要因で普通に死亡し、幽霊になった可能性だ。
考えたくは無いが――普通であれば考える事も馬鹿馬鹿しいのだろうが――、その可能性なら、僕でも理解できる。
そして何より、十六夜の言うことももっともだ。
月姫の目撃証言は、この噂話だけだ。
例えそれがどんなに信憑性に欠けるものだったとしても、調査すべきなのかもしれない。
「……ねえ、月姫が目撃された場所って、分かる?」
しばらくの葛藤の末に僕がそう言うと、十六夜の雰囲気が少し和らいだのが分かった。
自分の情報が役に立ちそうで嬉しいのだろう。あるいは、僕が怒らなくて安心したか。
人によってはその反応を不謹慎と感じるかもしれないが、月姫の件で疲れている僕にとっては変に気をつかわれるよりはずっと良い。
「場所は分かりません。でも、目撃した人は学校の怪談を見て回っていて、その途中で月姫さんを目撃してるんです。なら逆に、私達も学校の怪談を追ってみれば分かると思います。」
「それって結局、学校全部を回る事になるんじゃないか?」
僕はちょっと呆れて笑った。
十六夜もそれに釣られて小さく笑う。
いつの間にか夕日が傾き、十六夜の顔を照らしていた。
彼女の照れ隠しのような苦笑を見て、僕はなんとなく安心した気持ちになる。
「そうでも無いですよ。ポイントはだいぶ絞れます。怪談の舞台の半分が特別棟。あとは校庭と……」
と、指折り数えていた十六夜の言葉が止まる。
「そう言えば、この屋上にも怪談が一つ、あるんですよ?」
そう言いながら、十六夜は少し意地悪そうに微笑んだ。
「『屋上には、以前自殺した生徒の霊がいる。屋上に踏み入ると生徒の霊に引きずり落とされる。』……だからこの屋上って、立ち入り禁止なんだそうですよ?」
「お、おい。聞いてないぞ……。」
十六夜の言う様に、僕達が立っているこの屋上は本来立ち入り禁止だ。
屋上への入り口は、校舎内から通じる通常の階段と、校舎の壁沿いに設置された非常階段の二つがあるが、基本的はそのどちらについても扉に鍵がかかっている。
けれど、外付けの非常階段の鍵が壊れていて、それを知っていれば簡単に屋上に出る事が出来る。
……そもそも、それを教えてくれたのが十六夜だ。
月姫が失踪して傷心だった僕が一人になれる場所として、教えてくれたのだ。
でもここが怪談の舞台であるのなら、洒落にならない。
先にも言ったとおり、僕にとって怪異との遭遇は死活問題。
そんな僕が、怪談話の中心地にのこのこやって来るなんて、自殺行為もいいところだ。
「ふふっ。大丈夫ですよ。先輩。」
しかし十六夜は、僕の焦りをかき消すように笑った。
「今までこの屋上でそれらしいものを見たことは無いでしょう? 昼間の学校には人がいっぱい居ます。そんな活気に溢れる場所に怪異は現れませんよ。」
「……。」
「ごめんなさい。ちょっとからかい過ぎました。でも、本当ですよ。よっぽど何かが無ければ、昼間の学校に怪異は現れません。まあ逆に、夜は他の場所よりも怪異が現れやすいわけですけど……。」
そういうものか。と、一応は納得する。
月姫が居なくなってからも、昼間の学校で本格的な怪異に遭遇したことは無い。
見る怪異と言えば、幽霊とも言えないような薄い靄か、小さな妖精モドキくらいだ。
まあ、「月姫が神隠しに逢った」という話の信憑性はさらに薄れたが、それは言わないことにする。
「でも、それだとやっぱり夜になるよね。」
「……はい。そればっかりは仕方ありません。」
僕の言葉に、十六夜が申し訳なさそうに答える。
月姫の噂話。
月姫が目撃されたのは夜遅くの事。
この件について調べると言うのなら、当然調査は夜になってからになる。
十六夜が言うように、夜の学校は怪異が現れ易いのだとしたら……それは、ちょっと、マズい。
「でも、大丈夫です。」
そんな不安をよそに、十六夜は力強く言った。
「私が、先輩を守ります。絶対に先輩を危険な目には合わせませんから。」
そう言って、十六夜は僕の手を取り握り締めて来る。
華奢な手だ。振り払えば、簡単に折れてしまいそうな程に。
それでも今は、そこから伝わる彼女の暖かさを頼りにするしか無さそうだった。