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4-5.行方


「ユウ」


 私は思わず彼の名を読んでいた。

 無意識的な行為だった。とても珍しい事だと思う。

 恐らくは、私の内側を蝕む何かに背を押されたからだろう。


「どうした、ユキ?」


 彼は私を見て、少し困ったような表情を浮かべた。

 突然名前を呼ばれたからなのか、私を見て何かを感じ取ったのかは分からない。

 ともあれ、私は何か言葉を続けようとして、続く言葉が見つからないことに気づいた。

 そもそも発端が突発的な衝動によるものであるからして、続く言葉など元よりなかったのかもしれない。


 黙ってしまった私を訝しみながらも苦笑し、どうした? と改めて問いかけてくる。


 答える術も無く、私は俯くことも出来ずに彼の目を見続ける。

 そうすれば答えが見つかるかもしれない、という淡い期待に縋って。

 私に与えられた知識から、相手や、相手の服の一部を掴んだりするシーンが浮かび上がる。

 が、今の私はやるべきでないような気がして、それを実行に移せなかった。


――――寂しいんだよ。それに、落胆、かな。この気持ち。


 私の脳裏で言葉が響く。

 いつも私を支え、聞きもしない言葉を紡ぐ声。


――――彼に、もう傍に女性がいたから、捨てられたように感じてる。


 ああ、それは納得できる。

 この気持ちはその通りだと思えた。

 彼を見たとき、自分の寄る辺を見つけたような思いだっただけに、それが行き場を見失っているんだ。


 腑に落ちると、今度は確かな落胆を感じて気分が沈んでくる。

 一緒に居ることで感じていた――これは喜びだろうか。彼から感じていた暖かさが遠のいていくようだ。

 背中に通っていた芯が速やかに冷えていく。


――――黒い嫉妬は感じないあたり、貴女はいい子。


 私の情動を感知出来ている様子の声は、そんな風にコメントを残す。

 それと、微笑ましいものを見るような、そんな暖かさも。


 今の私を見て、そんなに面白いのか。

 憤り……そう、憤りを感じて声を睨み付けるイメージを送り込む。


――――そうじゃない。ココロを見て。


 ココロ?

 逃げ出すように視線を逸らして彼女を視界に収める。

 彼女もまた、何とも言えない表情を浮かべていた。

 強いて言うならば苦笑。感じるものは、姿なき声と同じ、子供を見るようなまなざし。


 視線を向けられたことを察して、小さく頷き口を開いた。


「障害は、マスターの察しの悪さぐらいでしょう」


 それだけ。

 主人の察しの悪さを鏡写ししたかのような察しの良さで彼女は言った。

 障害は、それだけ。


――――私から流れ込んだ"常識"が、きっと邪魔をしてる


 声は言う。流れ込んだ常識。

 そうだ。あの長い静寂の中で復元した知識は、"初めて知った"ような情報ばかりだった。

 それが声の言う流れ込んだものなのだろうか。


「なんだよ、それ」

「これで分からないからそんな事を言われるのですよ」

「そうは言われてもな……」

「……マスター」


 気付けば会話の応酬が行われていて、ココロが苦笑していた。

 本気で分かっていない様子だが、本心はどこまで理解していないのか。


――――出合い頭にキスされて気が回らないわけはないんだけどねぇ……


 声すら呆れ気味だ。

 まあ、私の欠乏した感情表現による情報伝達不足もあるのだろう。

 私から何らかの感情を受け取っているかすら不明だ。

 仮に好意を向けていたとして、果たしてそれは伝わるだろうか。

 尤も、伝わったとして……彼がそれを受け止めるかどうか。


 ようやく私の内側に落ち着きが戻ってきた。

 ざわつく感情を外に放出できない影響は大きい。

 叫び散らしたり、抱き付いてみたり、笑顔を浮かべたり。

 そういう"発露"がどんなものかは理解しているのだが、"感情"と結びつかない、と言えば伝わるだろうか。


 例えば楽しい、という感情があるとする。

 その場合、恐らくは笑みを浮かべ、笑い声をあげるのが正しい表現だろう。

 だが、私の欠落した〈魂〉の影響か、楽しいが笑みに繋がらない。

 どうしたらいいのか、と行き先を見失って、楽しいという感情が内側に留まってしまう。

 そうすると大変だ。方向性のない強い感情という力が、胸の内に留まり続けて暴れてくる。これが、とても苦しい。


 〈空人〉がどういう存在かは学習した。そして、その手前の〈植物人間〉も。

 彼らは皆、感情それ自体は持ち合わせているのかもしれない。

 ただ、表に出せないだけで。


 その点私は恵まれている。

 声が私を示してくれるからだ。私のやり場のない感情が何者かを教え、その解消法として正しい"表現"を伝えてくれる。

 もちろん、表情を意図して動かすことは難しい。がんばっても、ひきつった何かにしかならないだろう。

 だが、手を伸ばして掴んだり、抱き付いたり。

 そんな体の動作であれば、不自由なく行える。

 動かしずらい表情筋に比べれば他愛のない事だ。

 あの出会い頭のキスさえ声に教わってやった行為だが、それでも私が自分でやれたことではあるのだし。


「まあまあ。マスターは早く準備へ向かってください。

 〈姫〉を待たせるとむずがりますよ」

「どうも腑に落ちないが……その通りではあるな。後を頼む」


 そうこうしているうちに、ユウが部屋を発った。

 パタン、と閉じられる扉、消える姿。

 緊張して張りつめていた〈魂〉が、ようやく弛緩した。


「……本当、ユキは不思議ですね」

「ココロ?」

「貴女は〈空人〉に一番近いのに、〈空人〉にはなりそうもありません」


 穏やかな雰囲気のまま、彼女は笑った。


「私とマスターの付き合いはもう何年も重ねていますが、貴方のライバルになる方との付き合いは私以上になるそうです。

 つまり、私が製造されるよりさらに前、ということですね。

 まあ、他に恋敵はいらっしゃいませんので、ライバル視するのはその女性だけ、ということになります」


 人形であるはずの彼女は、私の心情を見たかのように語る。

 本当に人形なのだろうか。

 この温かみのある表情が、ただの人形に出せるものとは思えない。

 私はすっかり、彼女の表情に安心しきってしまった。


「その人の事を教えて」


 だから、世間話でもするかのような気安さで声もかけられる。

 たった数日の付き合い。だけど、ユウとは違う温もりが、ココロから感じられるようになっていた。


「本名は不明。ハンターとして〈ルナ〉を名乗っています。

 結構なベテランで、私やマスターとは一線を画した実力者ですね。

 マスターは彼女の事を時折〈姫〉と呼んでいますが、あれは親愛の表れであって姫に由来する逸話があるわけではないようですよ」


 もちろん、ハンターとしてであり、クリエイターとしては別です、と付け加えた。

 本業と副業の差といったところだろうか。


「実力者のハンターは、その多くが〈魂〉を多く削っておりまして人格が歪んでいない方は少ないのです。個性が強かったり、とにかく淡泊だったり……。

 尤も、連携行動がとれないようなハンターは更に少数ですし、コミュニケーションに難のある方は大概お一人で行動されますから、見かけることも稀ですけどね。

 が、彼女はそんなハンターの中でも〈魂〉をそれほど削っていません。

 人格が問われることが多いベテラン陣の中に居て、良識派に属している稀有な人物ですね。マスター同様、人見知りがちでお一人様に分類される方でもありますが」

「同類」

「まさに。ですが彼女はマスターと違い、本当に人と話すのが苦手なようですね。全くそんな風に見えないのは、彼女の被っている猫の皮が厚いからだ、というのがマスターの言です。

 ちなみにマスターは気疲れするからしないだけで、その能力は持っていますよ? 人形師として、交渉や取引をこなしてますし」


 それはそれで、人としてどうなのだろうか。

 ユウの人格にこそ疑問の声があがる。


「彼女は〈フルムーン〉と呼ばれています。由来はルナという名前と、戦闘分野における弱点の無さから。欠けのない"満月"をイメージしたようですね。

 こういう二つ名をつける連中のセンスはどうかと思いますが、あながち間違いでもないでしょう。

 気を付けてください。一度呼ばれ出すと止まらないものですし、ハンターを纏める組織も一応存在していて、そこで登録されてしまったらもうアウトです」


 二つ名がつく、ということは有数の実力者の中でも飛びぬけていること。

 自発的に名乗りださない名前が出回るなら、相当なのだろう。

 もし自分が呼ばれるとしたらどんな名前なのだろうか。ちょっと気になる。


「ユウは?」

「それは、マスターに二つ名があるか、ということですか?

 ……ううん。私も知らないのですよ。

 このルナ様の情報はマスターから伺った話で、私自身は情報を手に入れる経路が他にありませんので。

 誰しも、勝手に呼び始められた自分の二つ名を自発的に教えたりはしないでしょう?」


 確かに。恥ずかしくて死ぬかもしれない。


「他に聞きたいことはありますか?」


 話がひと段落すると、ココロは追加の質問があるかを問うた。

 他に聞くことがあっただろうか。私は首をひねるが、質問は他所から飛び出す。


――――結婚の制度について。


 結婚……けっこん?

 この声は何を言っているのだろうか。結婚、というと、結婚だろう。

 よくわからないが、重要なことのようだ。

 当たり前のことを聞くようで恥ずかしいのだが、この当たり前、と感じるのは"声"の言う常識から来ているものかもしれない。

 素直に私はそのままをココロへ問いかけた。


「けっこん……?

 ああ、過去にあった制度のことですかね」


 何やら、全く違う話が聞けそうな気配に身を乗り出す。


「その……今の日本において、法などありません。

 遠方との連絡方法も少ないですからね。それぞれの集落が自治しているような状態です。

 なので、過去にあった制度もほとんど形骸化していますし、まるっと変わってしまったものもあるそうですよ」

「例えば?」

「例えば……そうですね、名前でしょうか。

 過去はファーストネームとファミリーネーム、二つに分けた名前だったそうですが、今は基本的に名前一つです。

 これは、〈空人〉による混乱で親から名前を聞く前に離れ離れになったり、戸籍管理が全くされなくなったことによる影響のようですね。

 今では少し違った用途でファミリーネームが使われています」


 案外彼女は博識のようで、スラスラと言葉が出てくる。

 こういう教養が人形に厚みある感情を持たせるのだろうか。

 教育を施したであろうユウの手腕に感心する。


「ファミリー、つまり〈家族〉ですね。

 我々は1つの集団である、と周囲に公言するため、ファミリーネームを決め、それを名乗るのです。

 有名どころは、クラウド氏が率いる〈クロガネ〉でしょう。

 クラウド氏は刀鍛冶の職人で、超一流のクリエイターです。

 そのクラウド氏の元に転がり込んだ職人10名からなる〈クロガネ〉は、刀剣使いなら知らぬ者はいないほどのファミリーですね」


 つまり、血の繋がりではなく、〈魂〉の繋がりで出来るものがファミリーということだろうか。

 時代に即した家族の在り方なのだろう。


「さて、ユキが気になっていることを教えて差し上げましょう。

 そんなファミリーですが、中には男1人、女10人からなる巨大なハーレムファミリーも存在していますよ。

 現在は子宝に恵まれてすごいことになっているのだとか。

 将来の夢は家族でサッカーをやることらしいですね。もう達成できそうで拍子抜けだと仰っているとか」


 思わず絶句した。

 いや、確かに欲しい情報ではあった。

 結婚制度がない、ということはそういうことなのだろうと思えたし、後から自分がユウとの間に混ざったとして、問題がないこともわかった。

 だがいくらなんでも、そんな背中が怖くなるような巨大なシロモノは知りたくなかった。


「仲睦まじいみたいですよ。時代が違うと世の中も上手く回るんですかね……昔はそんなの有り得なかったらしいですし。

 ああいう、優れた男に女が駆け込むのは今は珍しくありません。

 子供は減る一方ですので、先が危ぶまれていますからね。〈魔力〉によって長寿化していますが、若い子はいつだって必要です。どうでもいいから生んで増やせ、というのが最近の風潮なのでしょう。

 血の繋がった相手だろうとあまり問題視されていませんし」


 ここまできてようやく、流れ込んできた"常識"と今の世の中の"常識"の明確な食い違いが理解出来た。

 生めや増やせやは辛うじて判るとして、血の繋がりも完全無視というのは"落ち着かない"。身に付いた"常識"と乖離しているのだ。


――――時代はかわったね


 どうもこの声のことが気になり始めてはいたが、声から"まだ聞いてほしくない"という感情が流入していてやりづらい。

 悪意は感じないので良しとしているが……いつまで我慢できるだろうか。


「質問はこの辺りで終わりでしょうか?

 でしたら、先ずは恋敵に印象負けしないように訓練をがんばりましょう」

「わかった」


 こくり、と頷く。

 そういうことなら是が非でも訓練をこなすべきだ。

 次会うまでに熟練しておけば、頼りにしてくれるかもしれない。

 

「では、少しお待ちください。

 マスターの用意を手伝ってからまた参りますので」


 丁寧にココロはお辞儀を見せると、ユウの後を追うように部屋から立ち去る。


 さて、ココロが戻ってくるまで、私はこの古ぼけたノートの読解に努めるとしよう。

 

 


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