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2-3.半死、半生

連続投稿ここまで。後は毎日、ないし隔日ペースで投稿していこうと思います。

初めてここを開かれた方は、最初の序幕からどうぞ。


 思い耽りはじめたユウを、私は横から眺めている。

 恐らく、過去の回想でもしているのだろう。


 彼は唐突に思考を泳がせるクセがある。

 ぼう、と遠くを、あるいは近くを。

 焦点のはっきりしない視線を、しかし一点に集中させて何かを考える。

 少しだけ首を傾けるため、自然に脱色された暖かい茶髪が流れるままにされていた。さらさらと流れる髪は、きれいだ。

 そんな彼の仕草は嫌いではない。仮に、彼が1日中思考を続け立ち尽くしたら、恐らく私はその彼の傍で彼を眺めながら立ち尽くすことだろう。


 彼の頭の中に描かれているのは、会話の流れからして恐らく私との出会いについて回想しているか、〈ココロ〉について考えているところだろうか。

 感情が希薄だと言われる私であるが、別に思考能力が停止しているわけではない。むしろ思考は私のような〈魂〉の減少した人間のほうが回転が速いらしい。

 単純に、〈魂〉の減少によって感情表現が表に出なくなり、傍から見た際に何もしていないように見えるだけ、らしい。

 これも、彼の受け売りである。


「……」


 それにしても、ここまで長時間別の事を考えるユウも、珍しい。

 拾われてまだ二日目という短い期間だが、頻繁に考え事を始める彼の仕草は目に焼き付いている。

 その経験上、大体2~3秒も意識が逸れていれば長いほう。

 今はおおよそ10秒ぐらい固まっており、未だ復帰の見通しが立っていない。


 ……何を思考しているのだろうか?

 気にはなるものの、私はあまり推測が得意ではない。

 考えるぐらいならユウに聞く。

 だが、今はそのユウが使い物にならない。彼の思考を邪魔するのも、どこか気が引けてしまう。

 彼の邪魔をするのは、本位ではない。


 ならば私も、過去を振り返る時間としよう。

 私の、生後3日ともいえる短いユキの半生を。 









 


 ――先ず目に飛び込んできたのは、真っ赤に染まった自分の身体だった。


「……?」


 身体は冷たく呼吸は出来ず。

 何故こんなことになっていたのか、思い出せず。

 どうにか自分の身体を観察する。


 私は何かの半壊した建物の中で、座り込んでいる。

 天井は、よりによって私の頭の上だけ存在せず、私の周囲にだけ雪が積もっていた。私の身体の上にも雪が少し積もっているから、それなりの時間こうしていたらしい。

 周囲は仄暗く、それ以上の事が見えない。

 だが、むき出しのコンクリート造りになってる冷たげなこの屋内に、瓦礫以外のめぼしいなにかは転がっていないことは分かった。

 

「……かふっ」


 喉元から込み上げてきたものを、抵抗できずそのまま口から吐き出す。

 びちゃり、と私の胸元を、真っ赤な血が穢した。

 まだ喉に張り付いているのに、それ以上は咳き込んで吐き出せない。

 空気を吸い込めないのだ。

 よく今、これだけの血を吐き出すことができたと私が驚いた。


 喀血。病ではない。単純に私は負傷している。

 それは頭の悪い人間にもわかる事。

 なにせ、心臓のある左胸に鉄の棒が一本、無遠慮に突き立っていたから。

 この様子だと呼吸器も傷ついているのだろう。


 客観的に見て、これは致命傷ではないだろうか。

 何故私は活動を続けているのだろう。


 痛みは無い。苦しさもない。ただ、寒い。

 呼吸も止まっており、血の脈動も、心臓の鼓動も感じられない。

 息苦しくないのが不思議だ。酸素がいらないのだろうか。


 ……ああ、私は死んでいるのか。

 この身は既に死体であり、私は死後みっともなく死にたくないと亡骸にしがみついている亡霊と考えると筋が通る。


 ――――。


 無音の世界に、微かな異音。

 だが、私の心は動かない。


 死体なら死体らしくすべきだ。瞼を落とし、四肢を投げ出し、腐れ落ちて地に帰る。

 この雪では私が大地へ帰るまで、ずいぶんとかかってしまうだろう。

 それでもいい。

 私は辛くも、苦しくもない。

 ただ時間が流れるに身を任せればいいなら、そんなものなど那由他の彼方まで飛んでいく。

 あるがままを受け入れればいい。何もかもを考えず、物置になればいい。

 そうすることで、私はここから居なくなれる。


 ――――。


 音を拾わなくなった私の耳が何かを捕える。

 煩い。

 そんなものを聞きとがめてしまうと、時間が流れる、という概念を手に入れ過ぎ去るに身を任せられない。

 私を私たらめてしまう。

 一体、何が私を邪魔しているのか。


 ――――■■■。


 今度ははっきり捉えた。

 ぐちゃぐちゃとした、聞き取りにくい声だ。

 でも、声が乱れているわけではない。

 明瞭で、明確な声だった。認識できていないのは、私。

 言葉を言葉として受け止められていないから、滅茶苦茶な雑音として捉えてしまっている。


 いいだろう。

 私の邪魔をするというなら、その言い分を聞き届けよう。


 脱力した身体はそのまま。

 私は目を半ばまで開き、その声を理解することに集中する。


 ――――■■■!


 段々と音量も大きくなってきた。

 これはいい。ちゃんと判別しやすくなってきている。


 先ず、言語。

 私の脳から、眠っている知識を引きずり出す。

 さきほどから届いている言葉は日本語、というらしい。

 母国語、と付随した情報が得られる。私は日本語を習得している。

 日本語。つまり日本?

 私は日本という国に生まれたのか。新しい情報だ。


 言語の構造や意味を思い出す。

 悪くない。

 なじむように感じるのは、私が日本語を習熟していた証拠だろう。

 私は日本の生まれである。

 一つ、理解を終えた。


 さて、そろそろもう一度聞こえてはこないだろうか。

 次はきちんと、この雑音のような何かを理解できるだろう。


 などと思っていると、期待に応えて声がした。


 ――――起きて!


 ……耳が痛い!

 起きろ、と言ったか。この声の主はどこにいるのだ。

 私の耳が潰れるかと思った。苦情を申し立ててやる。

 私の身体は動かないし、視界を動かせもできないから探してやれない。

 なんということだ。


 それに、この大音量でずっと叫び続けていたのだろうか、この声の主は。

 だとすると大変な労力だっただろう。

 私の知ったことではないけれど。


 ――――起きて?


 今度は控えめに、しかも見えもしないのに小首を傾げる幻視つきで声が聞こえた。

 引きずり出した日本語知識を総動員して表現する。

 あざとい。

 お前はどこの、毎朝起こしに来る隣の幼馴染か。


 ……ん?


 今の表現はどこから来た?

 なんというか、私であって私じゃないような表現だった。


 ――――。


 満足したような気配が何となく感じられる。

 どうやら声の主は私を起こしたことでご満悦のようだ。

 それっきり声も聞こえなくなり、また静寂が訪れる。

 何がしたかったのだろうか。


 ああ、したかったことはずっと声に出していた。

 どうにでもなれと何もかも手放しかけていた私は、すっかり自分を取り戻して起きてしまっている。

 これが声の主の目的とすれば、既に達成されていると言っていい。

 つまり、目的を達成したから黙ったのだ。

 実に論理的である。

 同時に迷惑でもあるのだが。起こして、どうするのだ。


 中途半端に眠気を奪われた就寝間際のようなやるせなさを感じる。

 何もしないこと以外することがないのに、その気がなくなってしまった。


 仕方がない。

 ぼんやりと考え事をしていれば、先ほどのような気分になれるだろう。

 私は、半ば目を閉じながら自分の置かれた状況や周りの環境などを考えることで時間を潰し始めた。







 どれだけ時間が過ぎたのだろう。

 時間感覚の欠落した私には判別しがたい。積もった雪の量が増えていることが、確かな時間経過を教えてくれるが、どれだけ過ぎればこうなるのか、皆目見当もつかない。


 それだけ時間を尽くしただけに大方言語やある程度の常識は復習できた。恐らくだが、生活するには支障が出ないだろう。その行程を振り返ると驚異的だが、言語に始まり服の身に着け方どころか、食事排泄、その他致命的なレベルの生活能力すら所持できていなかった。

 何もせずに動いていたら、とんでもないことになっていた恐れがある。

 これ幸い、といったところか。


 ……それよりも、だ。

 私は意識的に耳を澄ませた。


 久しく耳に届くものがある。

 足音だ。

 コンクリートの床をコツコツと叩く足音。


 ここは人が訪れるような場所だったのか、と思うより先に、足音をちゃんと聞くことができる耳がまだあったんだなという驚きが立った。

 耳が遠のいたのではなく、単純に無音だったということだろうか。


 足音は、私の傍に訪れて止まる。

 衣擦れの音を奏でて、足音の主は膝をついた。私の視界に、地に着けた膝が映る。

 続けざま、そっと私の顔は彼の手で持ち上げられて、初めて視点が動いた。


「……」


 視野に焼き付いたのは、女の顔。

 自然と脱色されたような深い茶髪はふわりとしたストレートで背中まで伸び、屈みこんだ姿勢のせいで頬にかかっている。

 髪より明るい茶色の瞳は、物憂げで悲しい光を宿して私を見ていた。

 

「……マスター。その少女は」

「分かってる」


 マスターと呼ばれた彼女は、どこか感情を押し殺したような声音をしている。

 何か、悲しいことでもあったのだろうか。

 ところで片膝立ちはスカートに良くない。トレンチコートの前を留めずに羽織っているものだから、女学生服の彼女のスカート内がちらちらと見える。ニーソックスで守れるのは足だけなのだということを理解すべきだ。そもそも見るからに寒そうである。

 気がそちらへ行って仕方ない。もう少し防御を固めることを進言する。

 ちなみに薄桃色。中々少女趣味のようだ。


「どいてください、マスター」


 彼女の後ろに、さらに気配がある。

 だが、私はそんなものなど気にもならない。


 注視すべきは、眼前の女性だ。

 彼女はどこか違和感があった。そして同時に、既視感も。


 おかしい。

 だって、どうみても"彼女"なのに、私には"彼"にしか見えない。

 何故だろう。少し考えて、私が"彼"を知っているからなのだと気付いた。既視感は、恐らくそこ。

 なら、違和感はその"知っている"情報が食い違っていることから来るものだろうか。私は、この外見ではない"彼"を知っている……?

 

 深く記憶を探りなおすが、常識のような浅い情報とは異なりなかなか手ごたえが返ってこない。

 懸命に記憶を掘り起こす私を置き去りにして、状況はさらに進んでいく。


「……〈ココロ〉」


 芯の通った、声。

 それが私には、震えて聞こえる。

 何故、貴方はそんなに悲しそうなのか。

 そんな風にされては、困る。

 記憶めぐりなどという優先度の低い行為は、すぐに投げ捨てられた。


 軽い振動を感じたけれど、気にもならない。

 私は、"彼"を大事だと心の底から想っている。

 

「――おい」


 "彼"が、私を呼ぶ。


 "彼"の瞳を真っ直ぐに見た。


「生きたいか、死にたいか。選べ」


 強がったような、か細い声。

 "彼"は私に問いかけているようで、自分に問答しているようだった。

 自分は、生きているのか。死んでいるのか。

 はたして、選んでいるのだろうか、と。


 重たい腕に鞭打って、私はどうにか"彼"の頬に手を当てる。

 暖かい。

 私の冷え切った手に人のぬくもりが沁みていく。

 消えてしまった蝋燭に、小さな灯が灯ったような気がした。


 私の声が聞こえるだろうか。

 唇はぴくりとも動かない。けれど、伝えたい想いは肌を通じて届いた気がした。


「……っ」


 大丈夫。

 貴方は生きている。

 そして、私も。


「いいか? 今からこの鉄筋を抜く。痛いぞ、我慢しろ」

 

 "彼"は戸惑いを誤魔化しながら、一息に言うと私に突き立った鉄の棒を抜き取った。


 ……ッ!!!


 痛い。

 痛い!

 いたい!!


 目の前が真っ赤に染まるようだ。

 強張りきった、動かし方の分からない顔はぴくりともしなかっただろうが、私の内心は悲鳴でいっぱいだった。

 心臓に突き立っていたというのを初めて実感する。

 ああ、これが痛み。


「『聖者の手当て』!」


 暖かい手が痛みに重ねられると、波が引くように薄れていく。

 空っぽになっていたものが、埋まっていく感覚。

 あるべき場所に、あるべきものが収まった感触。

 失っていた、しかし今新たに生まれ出てくる感情。

 いま、私は生まれたのだと文字通り痛感する。


 込み上げてきたものを、身体を折って吐き出した。びちゃりと溢れてきた血は、生まれてきたその証のようだ。


 私は生きている。

 これが生きるか死ぬかの選択だとするならば。

 私は生きることを、生まれることを選んだに違いない。

 どちらも選ばなかった私は、もうどこにも居なくなった。


「おい……大丈夫か?」


 間近に寄せられる顔。

 整った顔立ちに、どこまでも吸い込まれそうな瞳。

 眺めていて安心を覚える、暖かい色。


 こうして触れ合いたかったのだ。

 こうして見つめ合いたかった。

 抱き合って、ぬくもりを感じて、心を重ねたかったのだ。

 どんどん欲が溢れてくる。

 湧き出るように、思い出すかのように、確かに在ったものを確認していく。


 この情動のままに、行動したい。

 だが、欠如した私の〈魂〉は、その情動を"どのようにすれば"満たせるのか、私に教えてくれない。


 ――――こうすると、いいよ。


 聞こえなくなっていた声が、また耳元で聞こえた。

 声と一緒に、その"行為"が流れ込んでくる。


 それは悪くない行為だ、と思う。

 これならば、私の行き場を見失った情動をきちんと表へ出し、心を満足させてくれるだろう。


 ならば躊躇う必要などないだろう。

 即決即断。悩むほど上等な感情は持ち合わせていない。


 私は、するりと腕を"彼"の首に回して顔を寄せる。

 僅かばかり傾け、瞼を落とす。

 本当に浅く唇を開いて、押し付けるではなく触れ合わせるかのような優しさで。

 "彼"に口付けを、した。


 好きも嫌いも表へ出して表現できない私の、〈魂〉からくる求愛行動。

 説明不要の〈あなたがすき(I Love You)〉。



 私の恋の物語は、きっとここから始まった。


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