四.追憶『桜花』
とても良く晴れた、青い空がまぶしい日の出来事。
一人の少女とその父母は仲睦まじくデパートへの買い物に出かけていた。
急成長する都会はとても賑やかで、人には笑顔が溢れていた。
景気も向上するばかりで、仕事が上手く行きすぎて怖い、などとおどけていたほどだ。少女も学校生活が非常に楽しく、色鮮やかな毎日を送っていた。
この日は祝日で、仕事の忙しい父が休みだった。
では家族サービスといこう、と陽気な父は言い、やってきたのがここだ。
娘としては色々と気恥ずかしい年頃になってはいたが歓迎する気持ちが強かった。もう、しかたないな。などと断る気もないくせに渋々了承した。
それはもう最高の一日だったと言える。
金回りは良く、家族仲は良好で、娘は男の気配こそ無かったが充実した日々を過ごしていた。
彼女を中心に世界は回っているのではないか。
本人がそう錯覚するほどに世の中上手く行っていたのだ。
この日までは。
例えるなら断崖絶壁。
未曽有の谷への急転直下。
下に川などというクッション材は存在しない。
「――?」
彼女は固く冷たい地面へ叩きつけられたと言える。
あれだけ賑やかだったデパートは阿鼻叫喚の地獄絵図。あちこちで火の手がまわり、地震もないのにあちこちが砕けて壊れた。
客が慌てふためき迷走する中、娘はこの事件の最初の犠牲者となった。
「ぁぁぁあああぁぁあぁぁあぁ!!」
狂人としか言えない叫び。
世界に絶望した嘆き。
娘の前には男が独り。
常軌を逸脱した膂力を発揮し、壁を砕いては投げる超人が暴れていた。
まるで駄々っ子のようだな、と娘はぼんやり思う。
〈魔法〉がようやく世間へ浸透し、かつてない盛り上がりを見せている現代。
なんでもかんでも〈魔法〉が成し遂げ、全てが上手く行き始めた世界。
あまりにSFめいたその姿はとても奇異に映った。CGか、と喋られるなら娘が突っ込んでいただろう。
「サクラ、サクラァ!!」
「き、危険だ! ここは逃げよう!」
娘の閉ざされていく視界には泣き叫ぶ母とそれを抑える父。
聡明な父には娘が死にゆくことが見えている。
ああ、だって心臓にモノが突き刺さった人間が生き延びられるはずがない。
十字架めいた鉄骨付きのソレはあの狂人が投げたもの。
それは寸分たがわず娘の心臓を貫くどころか、えぐり飛ばしていたのだから。
だから父は、生きている母をなんとか救おうと踏みとどまる。
父は別に、娘を見捨てたわけではない。
父は現実が見えているだけだ。彼は恐らく、何もかもが終わった後なんとしても娘の遺体を手に入れるだろう。きちんと埋葬し、弔ってやる心積もりがもう既にできている。
良い父だと思う。あまりに冷静で、娘は少しだけ悲しさを覚えるが些細な事だ。
母は取り乱して混乱しているから、さっさと引き連れて逃げて欲しいと娘は思う。
父からすれば愛した女は母なのだ。
自分たちの娘もまた愛する相手であっても、家族愛と異性愛では異性愛のほうが強いと娘も思う。
いいから、とっとと逃げて生き延びて欲しい。切に、娘は願った。
暗く沈んでいく世界を前に、良い両親だと娘は今わの際でもはっきり言える。
だからここで目を閉じ眠りにつくことに心残りや不満は残っても、家族へ残していく呪いの言葉は決してない。
でも、そう。
胸に残る心残りを贅沢に口にするならば……一度ぐらい、恋をしてみたかった。
化けて出た。
私は真剣に焦った。
なんだこの廃墟は、というのが私の最初の感想。
見覚えがあるようなないような、と首を傾げて思い返そうとして、はっと自分がおっちんだことを思い出す。
ゲロゲロ。
あんな綺麗な死に顔を見せておいてこの様。
私の死体は見当たらないのだが、私自身の手足も見えないのだから多分化けて出たのだ。こいつはヤベえ。
私のお肉はどうしたのだ。燃やしたのか、埋めたのか?
きっちり燃やしたならここに化けるはずないだろうが!
お経を読め、お坊さん。成仏し損ねた奴がここにいるぞ! お経がお化けに適切なのかは知らないが!
……あー、なんてことだろう。もしかして死に際のお願いを神様が聞き届けたのだろうか。馬鹿な神様もいたものだ。
肉体なしにどう恋をするのだろう。呪えばいいのか? ん?
だいたいその……移動できない。
地縛霊か。
このクッソさびれた廃墟から移動出来ない。
心が死ぬ。マジで。
単行本を3桁ぐらい連載させているシリーズを10種類そろえても潰しきれない暇が目の前に寝転がっている。
世のお化けの大半がぶっちゃけ性格悪いのは、この気が狂うような孤独感なのではないか?
なんか偉い霊能力者さんなんて実は対話するぐらいしか能がなくて、お化けの愚痴聞いてやる飲み屋のねーちゃんぐらいでしかないんじゃなかろうか。
あ、いや。対話出来る時点ですごいわ。スゲー霊能力者。今すぐここに来い。
ぶつくさ言っても来る者なし。
季節の繰り返しを眺めては、過ぎ去る時間を弄ぶだけが私のできることだった。
なんというか、ものっすごく時間をかけて朽ちていく廃墟の映像はなんだかとてもグーではあった。
不満点としてはどうも霧が邪魔して植物が上手く生えなかったところか。
もっと味のある世界になってくれると思ったのに。
この風景は完全に記憶してしまって、今なら写真なしに描ける気がする。
こう見えても壁側の住人、紙とペンさえあれば人を唸らせることなど容易なのだ。生憎と握る手がないだけで。
変化の薄い日々は、ある時変わった。
あれ、人かな。
この辺りは動くものが全く訪れなかったのに、動くものが初めて私の視界範囲に訪れた。
その人影をよーく睨む。
季節は夏。日差しこそ霧で和らいでいるが――その吾人は、どう見ても暑そうな格好をしていた。
どこの高校だろう。いいとこっぽい。オシャレなブレザーを着た女の子だ。
夏なら脱げよと言いたい感じ。膝上ニーソックスがまた脚線美を眩しく飾っている。あれはスポーツやってる足だね。たるんだ様子がない。
彼女はウロウロと何かを探しながら歩いていた。
もしや私か、私なのか!?
俄かにいきり立つ私であったが、彼女は特に気付いた様子もなく、私の視界を横断して端から端に消えていった。
なんだ、つまらん。
ここは心霊スポットにもなっていないと見える。
こんな都心に出来た廃墟群、おっかなびっくり訪れるには最高のスポットだろうに。
いや、まて。もしや立ち入り禁止の区域にでもなっているのか……?
いやいやそんな。もしそうだったら私、今後どうすりゃいいの。今後もクソもない身ではあるけども!
また来た。
彼女は凝りもせず不定期に横切っては、折り返して帰っていく。
ご到来後半になってくると別の人も連れていることが増えてきたが、大体女だ。男はいない。
そういうご趣味なのかと疑ってみたがそうでもないみたい。
廃墟で致すことなんて一つしかない気もするのだが……最初のころ一人だったから、何か目的でもあるのだろうか。
観察していて分かったことは、随分年月が経ったことと、その女の子の風貌が変わらない事だ。
最初は今にも死にそうな顔だった。お化けが出そう――現に居るのだが。そんな場所を歩いているから怖がっているのだと思っていたがそうじゃない。
あれは何かに絶望していたんだ。
でもそれが最近は和らいできた。
いいことでもあったのだろう。うむうむ。可愛い女の子は笑顔であるべきだ。
季節の繰り返しが3回も過ぎたのではないかと思うのだが、相変わらず彼女は制服だ。もしかして留年でもしているのだろうか。こんなけちなところに来ているからいけないんだぞ、若人よ。
全くファッションも変わらないものだから見ているこっちが飽きてくる。
でも、動いている者はそれだけ。
彼女が居なければ、私はホント独りなのだ。
その点は感謝している。
だから、自然といつ来るのかな、今日は来ないのかな、なんて――恋する何かに似た感情を抱くのだって仕方のない事だ。
名前も、声を知らない女の子にそんな感情を抱くなんて、私もだいぶどうかしてる。あー、未練が未練で、生きてるのがそれしかいなきゃそうなるのかぁ?
吊り橋効果も真っ青である。
でも仕方ないじゃないか。彼女が通りかかる度、なんだか暖かいものが降りかかってきている気がするのだ。
そうでなければ、ずっとずっと前に私は怨霊化していたのではないだろうか。
まったく、あの子には感謝してもしきれないものだ。
お礼を言いに行きたいのだが、さて。枕元に出て行けばいいのだろうか?
マジで?
私は驚いた。
マジで?
こんな日々もいい加減熟年夫婦並に慣れてきたころ、激烈な変化が訪れた。
私の死体が出没した。
いや、マジで。
杭に穿たれた私の死体が、私の視界の下に転がっている。
いや、いやいやいや。ばっかじゃねえの。
今出てくる理由は何なんだ。
お前空気読めてなさすぎるだろう。早く出ろよ。そしたらあの子が気付いてくれたかもしれな――ばーか! 気付くなよ。絶対気付くなよ! 埋葬されちゃうだろ!
あわあわと慌てるものの、見る事以外にやれることはないので観察してみた。
私の体はピチピチ新鮮。なんだか死にたてほやほやに見える。
というか、私の死体ごと杭まで湧いて出るのはどんなマジックなのだろう。もしかして、私だけ見えてなかったのだろうか。
なんだか心臓っぽいところからじわーっと血が滲みだしてるし……ぅわああ。
グロッ、うわグロッ!
自分の死体とかどういう罰ゲームだこれ。
見てられない。主にスプラッター的な意味で。
思わず目を逸らすと、無音だった世界に聞こえる微かな呼吸音が耳……耳? に届いた。
え、生きてんのこれ。
許されたせまーい可動範囲に収まった私の死体に近寄って口元を見る。
浅く開かれ、呼吸していた。
……いや、死ぬでしょこの杭。
ていうか、待て。私はここに死んでいるのだぞ。
ならお前は何なのだ。
ええい起きろ!
ぐーすか寝やがって!
そいつは私の体だぞ、好きに使っていいもんじゃあないんだよ!
耳元で喚き散らし続けた結果、なんと死体からうめき声のような何かが聞こえてきた。
「……かふっ」
しかも喀血。喀血だと。ふざけてるんじゃあないぞ、生きてるじゃねえか!
私はあらん限りの罵詈雑言を散らしまくる。
淑女がどうとか偉そうな話は無しだ。死人に口なし。ん、これだと罵詈雑言も言えないのか?
本末など転倒させて、兎に角叫ぶ。
とにかく眠たそうなソイツをこのまま寝かせておく気には全くならない。
先ずはこの寝坊助を叩き起こさなければ!
……疲れた。
罵詈雑言は枯れ果て、徒労感だけが花を咲かせている。
もう駄目なんじゃねーのこれ、と諦めたところで、初めてレスポンスがあった。
まさか罵詈雑言だけ聞こえない出来のいい耳なのか。
仕方ない。私の美しい声で起きてもらうしか無いようだな、と襟元を正す。ような気分になる。
起きて。起きて!
起きて?
私は何度か繰り返すことで、初めて手ごたえを得た。
覚醒した気配。
よしよしいいぞ。余は満足じゃ。
ふう、とひと段落ついたところで――私は目的を既に見失っていた。
さあて。なんか私に雪が積もりまくってんのが気になるが分かったことを語ろう。
先ず私はこの"私"にくっついていて離れられない。まあ、これは元からそうだったから良いだろう。というか、私は土地に憑いてたんじゃなくて、死体に取りついていたんだな。初めて知った。
次にこの私モドキ。どうも生まれたての赤ん坊のようで何も知らなかった。
頭蓋に残った私の脳みそから、ちゅるちゅると知識を吸い取って今やいっぱしのレディであるが……何だ。こいつは何なのだ?
その肉は私の肉なのだ。おっぱい大きくするのにどれだけ苦労したか、母のバストサイズから語ってやろうかこの小娘。
まあ、私は死んだ身だからもう好きに使ってもらってもいいのだが……好きに使って欲しいのだが。そこで俯いたままでは結局変わらない。
対話する相手が増えたことは嬉しい。
でも見るからに長持ちしない。雪降り過ぎ積もり過ぎ。そのうち埋もれて見えなくなるんじゃないか?
妙にしぶといこいつも、じきに死んじゃう気がする。
そうなったらまた憂鬱だな。むしろ私も無事でいられるのか。だいたい無事でいる必要はあるのだろうか――
最近になって考えることが多くなったのは、きっといいことなのだろうけれど。
まったく、救いの手は来ないのだろうか?
来た。
大して間を置かず、あの子が。
やだ、かわかっこいい。
慎ましい胸が寂しそうだが、凛々しくておっぱいのついたイケメンでありがら、どこか幼さの残る顔がキュート。こいつは十年に一度の逸材である。
しれっと盛り上がる私をよそに、シリアスな空気が場を包む。
「――おい」
やだ声までイイ。
「生きたいか、死にたいか。選べ」
そりゃ生きたいに決まっている。が、答えるのは私ではなく他人の私だ。
じっと眺めていると、彼女はゆるゆると女の子の頬に手を伸ばした。
それでわかってしまった。
こいつは、私と同じものを見てきている。
何度も、何度も往復するこの女の子の姿を。
そして抱いている感情も同じだ。
なんたって私の肉体に収まった奴なのだ。私と似たような感じで会って当然である。今私が決めた。
なら、そうだな。
私は手伝いをしてやるべきなのだろう。今ここに居ない人間として。
私の恋は成立しないけれど、私が恋を成立させてくれるかもしれない。
ああ、それはなんて――素敵な事だろう。
鉄骨抜いたりなんだかごちゃごちゃやってる様子をしれっと無視し、わかってない初心な娘に私は耳元で囁いてやった。
こうすると、いいよ。
垂れ流してやったのは私の欲望。
こうしてやりたいという願望。
だからこそ彼女にはダイレクトに届くことだろう。
結果は言うまでもないことだ。
彼女は見事にやってみせてくれた。
私はとても満足だ。
私のファーストキスは、私以外の手によってこれ以上ないほど素敵に奪われてくれたのだった。




