15-16.決戦前夜
私はあの賑やかな酒盛りの場から抜け出して、割り当てられたトボトボと歩いていた。
あの騒がしい場所の居心地が悪かったわけではない。
一部私の容姿を見て訝しげに睨んでいたが、半数以上は好意的に私を肯定してくれていた。ローガンやホリィは過保護ともいうほど絡んできており、かえってやりづらいと感じるほどだ。
では何故抜けてきたのかと言えば、やはり姿の見えない彼のせいだろう。
楽しくはあったけれど、どこか空っぽのようで。
空転する歯車のような錯覚。
彼が居なければ、私という存在が形を成さないような気がした。
ホリィはそんな私の内情を察したのだろう。
大人数での騒ぎが苦手な人間はさっさと個室に帰っているから、気にすることなく抜けると言い、と私の背を押してくれた。
――――出来る女だねえ。
私もそう思う。
あの混乱した場を上手く利用して、私が居なくなったことを気取らせないままに送り出す手腕は場馴れした感じだった。
この業界、気遣いの上手な者ほど上に立つという。
それは精神的な問題が深く生命に関わるようになったこの世界で、必要となる重要なスキルなのだろう。
――――ところで、ユウのとこへ行かないの?
行く気ではあったのだが、どうも気が引けてしまった。
このまま行ったとして、私は何を求めればいいのか。
そもそも、夜に訪れるというのは、いらぬ誤解を招くのではないか。
優柔不断というよりは、臆病なのだと思う。
――――仮に自主規制対象になっても、別にいいのでは
"声"の主さん。湾曲した表現はやめてほしい。
そういったモノを期待してはいなかったが、そうなったとしても私はきっと受け入れる。
だけど、惰性的にそうなってしまったら、それこそ空転した歯車が二度と噛み合わなくなってしまうのではないだろうか。
――――つまり、心と身体、両方合致してからお互いを重ね合わせたいってこと?
その表現は正しい。
何よりそれを、彼が求めているように感じるのだ。
理由は判らないが正確な推察だと思う。
――――自分のことより、相手のことのほうが判ってる感じだね
何故だろう。
ユウの心境は判ってしまう。
寂しい、楽しい、そういう感情をどうすれば引き出せるか。
私の引き出し方は判らなくても、彼のならば。
――――まあ、そうだよね。その理由はそのうちわかるよ
そういうそちらはもう既に分かっているようだけれど。
というか、随分饒舌になってきていないだろうか。
――――ユキがしっかりしてきたからね。私もしっかりしてきたのだ
まるで私がしっかりしていなかったような言い様。
否定こそ出来ないが、さも当然のように言われると反論したくなる。
――――遠くないうち、しっかり生の声でやりとりできるようにするよ
それは嬉しい。
頭の中で会話すると言うのは、意外に技術が必要だ。
早く改善されて欲しいものだ。
結局、私はユウの元へ行こうかと足を向けたものの、途中で怖気づいて踵を返し自室へと向かった。
のだが。
「おや……そこにいるのはユキか?」
「ルナ」
髪を下ろした薄着のルナが、ユウの部屋側の通路から現れた。
瞬時に下世話な想像を組み立てたものの、彼女の様子からそんなことはないのだと悟って頭を振る。
「なんじゃ、夜這いか」
「違う」
「詰まらん。否定するにしてももうちょっとしどろもどろになれば面白いのに」
いつも通りに笑う彼女は、しかしどこか無理をしているようにも見えた。
「違うなら暇しておるのじゃろう?
ちょっと儂の部屋へ来んか」
「……わかった」
それだけに彼女の申し出を断るに断れず、素直にうなずいてしまう。
ユウとの関係から、距離感をつかみかねている彼女の申し出は確かに渡りに船だ。ここは、相手の考えを伺ういい機会だろう。
私たちは特に会話を交わすことなく、静かに彼女の部屋へと向かう。
そして、変わり映えのしないホテルの一室にたどり着くと、促されるままにベッドの端へ腰を下ろした。
「儂は近いうちに過労死するのではないだろうか」
「突然どうしたの」
「いや……少々働き過ぎではないか、とな。
まあ良い。これも儂が好きで始めたことじゃ」
良く分からない独白を置いて、彼女は私に向かって口を開く。
「単刀直入に行こう。何故、お主はユウをそこまで好いておる?
ああ、好きか嫌いかなど詰まらん問答は無しじゃ。
そんなことは聞くまでも無いことじゃからな」
「何故、って?」
「人を好きになるのに理由は不要――などとロマンチックな話はせんよ。
何事にも理由はある。例えそれが些細なことでものう。
じゃが、お主には理由が見えぬ」
理由が見えない、とはどういうことだろうか。
助けられて、一目惚れ。そういうのは理由足りえないのか。
そのことを口にすると、彼女は苦笑しながら首を左右に振った。
「ああ、普通はそうじゃろう。その情動は儂にも覚えがある。
じゃが、覚えがあるだけに儂には"そう"だとは思えぬ。
一目惚れの愛情は、出会って直ぐに生まれ、すくすくと育つものじゃ。
が、お前の愛情は、ずっと、ずっと永く温められてきたもののように思える。
それほどに大きく、強い感情じゃ」
「……どうして、そんなことがわかるの?」
彼女はどこか自虐的な笑みを浮かべて答える。
「儂はなあ、一度心を、〈魂〉を"壊した"事があるんじゃ。
ユウに助けられなければ、今頃〈空人〉の仲間入りであったろう」
「でも、助けられた」
「そうとも。しかしユキ。大きく破損した〈魂〉をゆっくりと治癒したところで、欠けた心は取り戻せんのじゃよ。
何かが抜け落ちたり、歪んでしまったりするのは致し方のないことじゃ。
儂もまた、助けられはしたものの、欠け、歪んでしまったものがある」
その様子は怯えた子猫のよう。
私には決して目を合わせぬまま、彼女は告げた。
「儂は、儂に向けられる感情を理解出来んのじゃ。
敵意、好意、諸々全て。
相手が浮かべている表情や会話の流れ、口調からどういう風に思われているか、推測するしかない」
「……それ、は」
なんて苦痛だろう。
彼女は感情を"感じる"事が出来ない、そう言っている。
浮かべた表情などから"推測"している。
その違いがどれだけのものであるか、私には痛いほど理解出来た。
「それには例外があってな。儂の欠けた〈魂〉を救う為に尽力してくれたユウにだけは、感情を感じる事が出来た。
ユウに向けられる他人の感情も、ユウから向けられる感情も、ユウ本人の感情も……まるで、〈器〉を介さず〈魂〉同士でやり取りしているかのように、な」
言葉から滲み出る気持ちは、とても暖かいもの。
ああ、それだけで伝わってしまう。
ユウがどれだけ彼女の為に心を尽くし、身体を重ね、〈魂〉を守ってきたのか。
湧き出た感情は羨望。
でも、続く思いは、そんな彼を労わってやりたいという願望。
妬む以上に、彼と彼女の歩んでみた道の困難さが私の胸を突く。
「それ、じゃ」
「……それ?」
「お主の抱えている"それ"。その大きく柔らかな"感情"は、急造のそれではない。
脇から見ておる儂にすらはっきりとわかる。
お主、記憶を失っていると云うたが……ユウと関わりがあったのではないか?」
「関わり」
言われて、思い返す。
記憶を手繰る。手繰って、手繰るが、手応えは決して帰ってこない。
――――そうじゃない。記憶を辿っても決して見つからない
"記憶"では、ない。
――――脳には収められていない。在るのは〈魂〉の中
無意識に私は心臓へ手を当てる。
ユウとの関わりを示す記憶は決して存在しない。
だが〈魂〉には、ユウを想う暖かな何かがあった。
言葉に出来ない感情の奔流が、栓をしてしまった私の感情口へと溢れそうになる。
「わたし、は……」
記憶ではない。この〈器〉には過去のユウの情報など欠片も存在していない。
〈魂〉が知っている。彼のことを。
ありありと。それこそ、彼の迷いや葛藤、孤独感も含めたすべてを。
「……ッ」
気付いてしまった。気付いてしまった以上は、見ないことは出来ない。
今やはっきりと自覚した。
私はユウを知っている。その"内側"を見ていた。
彼へ抱く恋心もまた、つい先ほど芽生えたようなものではなく、既にたらふく溜め込んでしまっている。
さながら決壊寸前のダムのよう。
既に亀裂は走っている。後は、切欠ひとつで崩壊する――
「良い。無理をさせた」
締め付けるような錯覚に、私は自分の身を抱いていた。
そこへ、ルナの小さい身体が私を覆う。
ふわりと重なるその温もりが、私に迫ってきていた圧迫感を取り除いた。
「お主が何者か、というのは、さしたる問題ではなかった。
それが痛いほど分かった」
「ルナ」
「その時ではない。"それ"をブチ撒ければ、お主はきっと壊れる。
その情動に耐えられるだけの〈魂〉を持って、それを口にするが良い」
――――そして、その〈魂〉を得るのは、もう遠くない
二人に優しく語り掛けられ、不意に目頭が熱くなる。
何故だ。
私は決して、悲しんではいないのに。
「やはり、お主は決して〈空人〉になどなるまい」
ルナは微笑みながら私の髪を撫でつけ、優しく私を抱き込んだ。
それだけで救われたような気がした。
亀裂の入った壁が割れることは無く。
その隙間から染み出た想いが、僅かばかり私の瞳から零れ落ちた。
「で、これか」
気が付けば、窓から日差しが差し込んでいた。
どうもあのまま寝落ち、彼女のベッドを占領してしまったようだ。
「儂はユウより早く、ユウの女候補と寝たのか」
彼女は含みを持たせて苦い笑みを浮かべている。
寝たとは言うが、本当に寝ただけで何もなかった。
――――何もなかった。大事なことは2度言う
「ルナは感情がわからない。
でもどうして私の気持ちをきちんと捉えられたの」
目覚め、身支度を済ませた私たちは、向かい合って朝食を取っていた。
そこで良い機会と思い、不思議に思っていたことを口にしたのだが。
「なに。ユウに関わることならば十全に感じ取れる」
「それだけじゃわからないこと、ない?」
「ユキよ、それはわかって問うておるのか?」
「……何が?」
彼女はどこか酒臭い息を吐きながら笑って答える。
「お主の感情は、ほとんどユウで染められておるよ」
……なるほど。照れくさいとは、こういう時の感情を言うのか。
私は一つ賢くなった。
「しっかし、締まらぬ関係に収まったのう……」
しみじみと彼女が漏らす。
まあ、もともとお互い敵対意識はなく、どちらかといえば中立、ないし友軍みたいな感はあった。
挙句幼子をあやすように面倒見られては、立てる牙も丸くなると言うものだ。
「ま、もともとその気ではあったし、狙い通りになりやすかろう」
「狙い?」
「うむ。しかし、それは儂からは言わぬよ。
変に知恵を与えるより、なるようになったほうがきっと良い結果になる」
彼女は納得しているが、私は妙に気になるのだが……
――――気にしなくて良し。君は君らしく行こうぜ?
口調まで変えて、何なのだ急に。
馬鹿にされてるような気すらするのだが……まあ、いいならいいか。
「さ、自室に戻って寝なおすが良い。今夜徹夜となると少々睡眠が足らぬであろう。
ああ、ユウには見咎められるでないぞ。変に勘違いされるでな」
「女同士で勘違いも何もないのでは」
おどけている様子からして、恐らく冗談なのだろう。
部屋を出るべく立ち上がるが一つ言い忘れていたことがあった。
真っ直ぐルナを見ると、彼女が首を傾げる。
「何かあったか?」
「言い忘れ」
「ふむ。何じゃろうな」
彼女が聞く姿勢になったところで、私は伝えた。
「ありがとう。きっと、私はルナに救われた」
あの夜がなければ、私は壊れていたか、気づかぬまま終わっていた。
彼女という、自分を見返す休める場所が無ければ。
はっきりそれを告げると、彼女はきょとん、とした表情の後、頬を赤く染めて顔を背けた。
「わかったから早う行け」
ひらひらと手を振られ、大人しく言われるがままに部屋を出る。
扉を閉じる直前耳に届いたのは、こんな独り言だった。
よもやユウと全く同じセリフを吐かれるとは。
次回投稿も日を開ける予定です。
当分は隔日更新になるような気がしてます。




