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15.好きだよ



 空は霧で濁り、折角美しいであろう月が良く見えない。

 俺は一人、割り当てられたホテル最上階の、いい部屋であろうテラスで月見酒と洒落こんでいた。


 吹き抜ける風が冷たく、熱いシャワーで火照った肌に心地よい。

 高い建造物も減ってしまった今、この7階建ての最上階というのは滅多に見れない光景を直視させてくれる。

 即ち。霧に沈んだ街という、現実を。


「なんじゃ、師よ。酒呑みといくなら儂を誘ってくれねば困る」


 キィ、と浅く鳴る扉を開き現れたのは、下着も付けずに薄いネグリジェだけ着た姫――ルナだった。

 解いてないツインテールは、彼女の"ロールプレイ"が少なくともまだ続いている証だ。髪を結っていない時でも"ロールプレイ"はよく続けているが、断固として素を見せないと決めている時は、必ず髪が結われている。


 今にも寝る、という状態になってまで髪を結っているということは、素面ではできない話をする気でいる、ということだ。


「お前の部屋は別だ」

「おお、つれないお言葉じゃな」


 真っ直ぐ彼女見ず、むしろ目をそらすように月へと向け続ける。

 ルナは構うものかと俺の隣へやってくると、どこから取り出したのか、ワインの注がれたグラスを手にした。


「おい」

「心配せずともこの一杯だけじゃ。

 悪酔いするほど口にはせん。明日は大事な日になるからの」


 それきり、訪れる沈黙。

 吹き抜ける風の音と、偶に酒を嚥下する喉の音だけが耳に届く。


 やがて、互いに注いであったグラスが空になった辺りでルナが口を開いた。


「悩み事であろ?」

「――何がだ」

「知れた事。あの拾った銀の娘の事じゃ」


 思わず彼女へ視線を向ける。が、彼女もまた、数瞬前の俺のように、視線を俺ではなく月へと向けていた。


「聞いてやるぞ。色々、溜め込んでおるようじゃしな」


 その声は暖かく、夜風に冷やされた筈の身体が、また温もりを取り戻すかのようで。

 話すつもりの無かったことを、気が付けば口にしていた。


「アイツは、良く分からない」

「良く分からん?」

「アイツの〈魂〉総量は雀の涙だ。だが、表情はともかく、内面は感情豊かでころころと変わってる。言う事はピントがズレていることが多くて、"声"が聞こえる等と不思議な事も言っていた。

 そのくせ、俺を好いているような気配を感じる。あれだけ〈魂〉が減少した奴から、ただただ普通の恋愛感情を感じるなんて、普通じゃない。

 そのくせ初対面、目を開いた瞬間に口付けだぞ。正直、わけがわからない」


 これまで黙っていた彼女の謎を、一息に吐き出す。

 だが、それも判っていたかのように彼女は笑う。


「なんじゃ、気づいておったのか」

「俺は生憎、向けられる感情には敏感で、その上色恋だけに鈍いなんて特殊能力は持ち合わせちゃいない」

「ックックック。そりゃ失礼したのう。

 じゃが……我が師よ。そんな彼女をどこか歓迎する自分もいる、じゃろ?」


 言いたいことをドンピシャで当てられて、思わず鼻白む。


「どういう形に落としたいか、どうあるべきか。

 そんな面倒くさい話はさておいて、師はユキを歓迎しておる。

 これまで拾った迷い子のように、独り立ちまで手を貸してサヨウナラ――とは、思わない程度にはのう」

「……」

「のう、師よ。これまでの迷い子とあのユキ、違うのは良く分かっておる。

 しかしな。一体、何が琴線に触れたのじゃ?

 儂はの、拾った女子であればいつかこういう事があるのではないか、そう思っておった。が、今日この日までまるでそんな素振りはなかった。

 これは儂の思い違いであったかと思わせるほどに。

 じゃが、まるでユキを待っていたかのように、師は動いた」


 待っていた、か。


「否定は、出来ないな。

 ただ、何て言うのかな。ようやく会えたという感動とか、運命を感じる出会いだとか、そういうことはなかった。

 ――収まるべきものが、収まるべき場所へ収まった。そういう感じだ」

「故に、ユキと問答を交わしておらぬのか?

 記憶を取り戻すための行動はせず、多くを問いただそうともしていない」

「そうだ。居ることのほうが自然で、何か問う必要性が俺には感じられない」


 ユキの現れた我が家は、驚くほど"何も変わらなかった"。

 勿論、彼女の食事を作ったり、部屋を用意したり、起こしに行ったり……変化は当然あった。だが、それは"それだけ"のことでしかなく、本来あるべき"他者の来訪"による変化はなかったのだ。


「アイツは……一体何者なんだろうな」


 記憶喪失だと言った。

 しかし俺には、そもそも喪失するような記憶が無いように見える。

 まるで、あの場に生まれ落ちた赤子。

 ズレた常識だけプリインストールされた、新造の人形のよう。


「師よ。今語るべきは、彼女の正体ではなかろう」


 思案する俺に、やんわりとケーキに入れられるナイフのように切り込む彼女。

 火傷しないように熱せられたソレは、俺に火傷を負わせることなく熱を持ってするりと切り開いてきた。


「欲しいのではないか。あの娘」


 欲しい。一言に込められた物はとても清らかではなく、諸々が入り混じり、酷く生々しい。〈魂〉無き者には発揮できない、清濁併せた生の感情。

 肯定しよう。あの美貌は、声音は、ぬくもりは。俺の求めていたものだ。

 答える言葉に悩む俺を置き去りにして、彼女は続ける。


「その癖ユキ本人と――儂に、遠慮していると見える」

「……」


 真意が見えない。表情乏しい彼女の感情が真のものか、俺には判らない。

 判らないから、保留にした。

 彼女に、先に選んでもらうようにした。

 指摘されれば、その通りだとしか応えられない真実。


 ルナにしても――そうだ。


「幾度も抱いた女となれば遠慮もするか、色男」

「……俺は」


 彼女との出会いは、死臭香る地獄の底だった。

 今にも〈魂〉を失いそうな彼女を見た俺は、彼女を助けるためにモノにした。

 その時の俺は、〈アイ〉を失った心のダメージと、〈アイ〉をその身に宿した〈魂〉の混乱から荒れていた。だから、それは自分を助けるための行為でもある。


 お互い、生きるために必要な事、だった。

 寝て、食べて、寝て。

 理性派などと口を引き裂いても言えないような事を1か月も繰り返すうち、俺たちはようやくの安定を見せたのだ。


 それからは簡単。

 ルナはハンターとして、俺は人形師として別々に活動を始めた。

 時折、彼女に人形師の技術を講師するという繋がりを遺して。


「思えば、ずるずると今日まで来たものじゃな」

「何だ。別れ話でもしに来たのか」


 話の流れからそんな未来が目の前にちらつき、思わず声が震えた。

 傲慢なことだ。

 他の女に目をやりながら、そのくせ目の前の女が去ることを俺は恐れている。


「付き合っていたわけでもなかろう。

 それに、師は本気で儂を愛してくれたことは無かったじゃろう。

 始まりが生きる為、今日までの全てはその惰性。

 臆病者とは言わぬよ。姉を失った痛みから、誰かを真に愛せなくなったことを笑いはせん」


 ここにきて、初めて彼女は俺の目を見た。

 濁りのない、透き通った瞳だった。

 映り込む情けない俺の姿が、はっきりと目に映る。


「儂は期待しておる」

「なに、を……」

「ユキならば、傷ついたあなたを癒してくれるのではないか、と。

 ――わたしには出来なかったことを、成し遂げてくれるのではないかって」


 しゅるり、と。

 彼女は俺の目の前でツインテールを解く。

 夜風に身を任せ、髪を流れるままにするその姿は、酷く幻想的で、儚げだった。


 余人には見せない仮面の下、素の表情。

 ついぞ聞かなくなった、彼女の本当の口調。


「……」


 避けられない何かを感じて黙る俺に、彼女は月の女神を思わせる微笑みを見せ、しずしずと歩み寄る。


「だから、少しだけ……わたしは待っていることにします」

「待つって、何を」

「あなたが誰かを愛せるようになることを」


 するりと俺の首へ回された細腕に、僅かに身を固くする。

 身を寄せ、吐息が届く距離で彼女は囁いた。


「わたしのことは気にしないで。

 ユウの思う通り、望むようにしてくれれば構いません。

 それが、わたしの望みでもあるから」

「姫……けど、それは……」

「安心して。わたしは貴方から離れて行ったりしません。

 貴方が誰を愛しても、貴方が外道に落ちても、決して孤独にだけはさせない。

 わたしの〈魂〉は、ずっと貴方の傍に在ります」


 俺の様々な葛藤を一息に消し飛ばして彼女は笑みを浮かべた。


 触れ合う胸を通して、彼女の熱がじわりと伝わってくる。

 彼女の本気も。


「そんなに想われていたとは……思わなかったな」

「想われているように、思わない。そうしてやり過ごしていたのではないかしら」

「俺は、お前にそこまで言わせるだけのことをしてきたのか?」

「どうでしょう。わたしも、一度心を壊してから、壊れてしまったのかも。

 けれど、わたしは今そうしたいと思うのだから、きっとそうなのですよ」


 唐突に思える彼女のこの言動は、何年も温められていた気持ち、なのだろう。

 なあなあで済ませていた時間はもう終わり。

 ユキという小石を水面に受けて、小さな、小さな波は広がり始めた。


「お前は、本気で俺がユキを好きになると思ってるのか?」

「はい。きっと貴方は彼女を最初に選び取ります」

「何を根拠に……というのは、聞くだけ無駄な話か。

 というか、如何にも他に女が居るような発言だな」

「当然です。次はわたしですから」


 なんというか。

 悩んでいたのが馬鹿馬鹿しくなるほど、丁寧に外堀を埋められた気がする。


「こうしておかないと、貴方は前に進めないと思って。

 今日を逃して、二度と言う機会がなくなる前に言わなきゃ、って」


 猫がマーキングでもするように、俺の首元に頭をすりつける彼女。

 甘い香りがふわふわと俺の鼻腔をくすぐる。


「参った。降参だ」

「嬉しい。初めて貴方を負かしました」

「ここまで言われたらな。

 ……色々、清算させて、全部にけりをつけてからお前を迎えに行くよ」

「はい。待っています、ユウ」


 そうして、深くない口付けを交わし、笑い合う。


「こんな荒んだやりとり、他でやってたら聞いてみたいな」

「とても綺麗なやりとりだったと思いますけど?」


 す、と身を離し、彼女は解いたリボンをくるくると手に巻きつけた。

 流石に、結び直しはしないらしい。


「少し寂しい夜が続きそうですね」

「元よりお前の所へあしげく通っちゃいねえだろ!」

「あんなに熱烈だった夜はどこへいったのでしょう……」

「あのな」

「なんてね」


 呼吸ひとつ。

 静かで落ち着いていた彼女の雰囲気が重箱の奥深くへ押しやられ、普段馴染みのあるいつもの雰囲気へと変貌していく。

 ムラがあり、喜怒哀楽表現の分かり易い"ルナ"というペルソナへと。


「ん、ん……そういえば、儂の名前を言ってはくれなかったのう」

「とっておけ。もっといいタイミングで言ってやるよ」

「うむ。期待して待っていよう」


 つい、と視線を逸らすものだから、何事かと気になって覗きこんでみるが……耳まで真っ赤になっている。

 今更照れているのか。


「お前、素のほうが欠片も照れなくて、仮面被ったら照れはじめるって色々歪んでるな」

「し、しかたあるまい! "儂"はこういう時照れるのだろうな、と思ってロールプレイをしていると、本当に照れ臭くなるものじゃ!

 素のほうが感情の波が薄いから、はっきり分かり易い"キャラクター"にせよ、と申したのは我が師じゃぞ!」


 地団駄でも踏みそうな勢いで叫んでいる。

 ここまでくれば相当な演者ではないだろうか。役に入れ込む、という感覚は俺には理解できないが……彼女は何でも人一倍上手くやる。

 きっと、時代が時代ならば時の人だったに違いない。


「そんだけ演じるのが上手けりゃ、劇団の一つでもやって見たいものだが」

「難しかろうよ……多くの"役"を演じることで、自分がどれだったか、わからなくなってしまうからの」


 そうだ。だからこの世に"劇団"や"ドラマ"のような娯楽は存在しない。

 小説や漫画もそうだ。登場人物に入れ込んだ作家は、ほどなくして廃人になった。

 そうならない作家もいたが……そんな廃人たちが生まれる中、続けようとした者たちはいなかったのだ。


「まあ……遠くへ行った"夢"の話はいいさ。

 そら、帰った帰った。

 とっとと帰らないと、ぱくっと食べちまうぞ」

「おお怖い。足腰が立たなくなる前に逃げねばの」


 おどけてすぐさま扉へと駆け寄るが、開いたところで彼女は足を止めた。


「では、な。吉報を待っておる」

「おう。期待しておけ」


 美しい、高嶺の花を思わせる微笑みを見せ、彼女は去った。

 決して手の届かないところにあるそれは、確かに手の届かないところにあった。


 ただ、俺は勘違いをしていたらしい。

 彼女はずっと高いところにあって、届かなかったんじゃない。

 彼女はずっと低いところにあって、俺の足元よりずっと下に居ただけなんだ。


「知らず、支えられていた……か」


 お互い寄りかかって、倒れないようにしている関係かと思っていた。

 だがその実、俺は彼女の上で胡坐をかいていたらしい。

 彼女は、俺を支えようとずっと手を伸ばし続けていたというのに。


「全く……」


 今夜最後と決めた酒を、一息に呷る。

 俺の周りには、強い女が多すぎる。


次は日を開けての投稿になります。

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