壱.追憶 『新月』
残酷な描写などがこれから増えていくかと思います。
お読みいただく際はご注意ください。
さて……昔話をしよう。
〈満月〉と呼ばれる者が生まれる前の出来事を。
その少女は、裕福な家庭に生まれた。
兄弟姉妹こそいなかったが、父と母、祖父に囲まれた暖かい家庭だ。〈空人〉の脅威が少ない良い集落に屋敷を立て、家族仲睦まじく生活していた。
父と祖父の生業は生活用物資の〈魔力〉による生成。〈魔力結晶〉を対価に食品を生み出すのが得意だった二人は、他人には出来ないその技術をもって集落を潤わせていた。豪奢な屋敷などはその結果だ。
母は取り柄もなく、特筆することがない平凡な女だった。だが、どこにでもいる美人と言うべきか。そこそこの容姿とはかけ離れた、他者を気遣う優しく美しい心を持つ母が娘は好きだった。
緩やかな日常。ゆくゆくは父と祖父の手伝いをするか、誰かのところへ嫁いで母のように過ごすのだろう。そんな風に娘は考えていた。
そんなもの、吹けば消えるような尊いものだということに気づかされたのは、何もかもを失った夜。霧に隠されずとも存在が確認できない、新月の夜だった。
「〈空人〉だ! 〈空人〉が出たぞ!」
「集落雇いのハンターはどうした! 守りがズタズタじゃないか!」
娘は、茫然とその様子を眺めていた。
取り乱す父、落ち着きはらいながらも、額に汗浮かべる祖父。娘を抱きしめながら震える母。
そこかしこで爆発や振動が起こっていた。集落が危機的状況にあるのは誰の目にも明らかである。
「親父、ウチのメイド人形はどれだけ戦える?」
「不出来な旧式の〈自立型人形〉だ。
覚えさせたことぐらいしかできないし、戦力としては大したものじゃ無い。
手負いか、集団で1体ぐらいならなんとか。だが、屋敷の外に出して戦わせるのは無理だ、せいぜいここの守りに使うぐらいだろう」
「こんなことなら、もっと良い人形を買っておくべきだった!」
「仕方あるまい。集落の守りがある家で、警備用に人形を用意する奴のほうが希少だ」
それぐらい判っている、と、父が口に仕掛けた時だ。
炸裂音と共に、屋敷の壁が吹き飛ばされた。瓦礫が飛散し、大きく外へ口を開く。
ぬるりと現れたのは、人とはかけ離れたゲル状の何か、だった。
半透明の銀色で、中心に球体が浮かんでいる。後に娘はそれが〈コア型〉のスライムだと知ることになるが、今の彼女にはただのゲルにしか過ぎない。
「もうここまで……親父、人形は!」
「待て、侵入しやすい出入り口に配置してしまった。今呼び戻――」
「駄目だ、間に合わない!」
その〈空人〉は己の身体を一部を鋭い棘へと変化させ、立ちはだかった父と祖父を刺し貫いた。
ヒッ、と小さい悲鳴は母のもの。
娘は、起きた事が理解できず呆然と眺めていた。
ずるりと棘が引き抜かれると、派手に出血しながら二人が倒れた。
彼らの生命は失われていない。貫かれ、心臓を抉られた時点で〈魔力〉が増大し、その生命を維持している。
しかしそれは、彼らの〈魂〉が霧散し、〈器〉が〈魔力〉のみとなってしまっていることを示し。――つまりは、〈空人〉の同士となってしまったことを指す。
〈空人〉化には多少の時間を要する。時間にして1分。その間に、彼らは全身を〈銀化〉させ、徘徊する人類の敵へと成り果てるのだ。
その後、もし自身がより強力な〈空人〉の領域に存在していたならば、彼らはその〈空人〉へ何もかもを託し、休眠状態へと移行する。彼らは同時に活動しないのだ。
「……あなた、あなた」
その亡骸となる場面を目撃してしまった母は、うわ言のように〈空人〉となりつつある父を呼ぶ。
答えなぞ、返ってくるわけがないと知りながら。
「か、母様、逃げないと……!」
前後の区別もつかぬ〈コア型〉が、はっきりこちらへ"前進"してきたことが分かった。その目的など、語るまでも無い事だ。
呆然としていた母は、その嬲るような遅い歩みに気付いた。
だが、気付いたからどうだというのだ。既に、その"棘"の射程に自分たちは収まっているというのに――
「っ」
「――母様っ!?」
やれることはひとつだった。
無情な現実に、母は娘を突き飛ばすことで対抗した。
どすどす、と突き刺さる棘。柔らかな女性の体はさぞ楽に貫けたことだろう。
だが、刺し貫いたのは母のその身だけだ。
「わたしたちの、ぶんまで、いきて……」
それが遺言。
後は崩れ落ち、〈空人〉となるその瞬間を待つのみ。
〈コア型〉は無感動のまま、作業をこなすように母の身体を打ち捨てて娘へと迫る。
とはいえ……その〈コア型〉が狼藉を働けたのは、そこまでだった。
因果応報と言わんばかりに、そのゲル状の肉体を無数の槍が貫き返した。
周囲には十字槍を携えたメイド。
聊かに遅い。
祖父が呼びつけた戦闘兼任メイドの人形たちが、ようやっとかけつけたのだ。
突き刺した槍のいくつかが中核を成すコアへ突き立ち、その身を破滅足らしめた。
これまで複数の戦闘をこなし、消耗していた〈コア型〉である。その貧相な攻撃でも十分だった。
「処置を」
残された娘を置き去りに状況は動く。
メイドたちは、〈空人〉と成りかけている"元主人たち"をも、その十字槍で貫いた。
「……っ」
息を飲む娘。なんとむごたらしい景色だろう。
ザクザク、ザクザクと念入りに心臓を穿ち、〈魔力〉の守りが無くなるまで殺しつくす。当たりは瞬く間に深紅で染まる。時折痙攣する四肢が、娘の心を何度も削いだ。
「一時処置完了」
「焼却処理を」
決められたルールに則り、彼女らメイドは行動する。
いくら〈空人〉といえど丁寧に殺されてはもう動かない。だが、祖父は高い〈魔力〉を持つ〈空人〉たちを恐れていた。
故に、殺したうえで焼却して完全に葬らなければ落ち着かなかったのだ。
よもや自身が、そうされるなど考えもしなかっただろうが。
「ま、まって……」
メイドたちが家族だったものを運んでいく。
慌てて追いかけるが、足がもつれて追いつかない。
急がなければ。
家族が皆、いなくなってしまう。
もう家族はみな居ないということは、娘は認めたくなかった。
「焼却」
娘がようやっと追いつき、庭先へとたどり着いたころには、遺体は平積みされ火を放たれていた。
油でもブチ撒けたのだろう。
派手に燃える。鼻をつくような異臭は、人形たちには分からない。
まあ、自失している娘にも、嗅覚を意識する余裕など、なかったのだが。
「ああ、ああ……」
娘はその場に崩れ落ち、ただ、ただ、その燃える炎を見ていた。
ずっと、ずっと。火が消え、灰だけになった後も。意識が途切れるまで、ずっと。
娘が意識を取り戻したのは、それから三日も過ぎた日の事。
庭先で倒れた彼女を、人形たちが自室へと運び寝かせたのだ。
娘はもう何もかもを信じられなかった。
家族は皆逝き、護ってくれると信じていたメイドたちはただの人形で。そいつらは家族を救うどころか皆殺しにしてしまった。
「主人がいなくなりました。ついては、貴女様が主人となります。
ご指示を」
メイドたちは、機械的に告げる。
いなくなったもなにも、お前たちが皆、殺したのだ。
殺したのはお前たちだ。
お前が、お前たちが!
娘は、叫んでいた。
「みな、こわれてしまえ!!」
「承知しました、主よ」
みな、壊れた。
娘も巻き添えにして。
〈魂〉を失えば、失うほどに"生活"する必要が減る。
睡眠、食事は不要になり、娯楽を求めなくなる。
娘もまた、放心したままベッドに腰掛けていた。どれだけの月日が流れたのか、そんなの娘のあずかり知るところではない。
足元には人形の残骸。
彼女の命により砕けたメイドたち。
屋敷を管理する者は消え、流れる月日が屋敷を荒らしていく。
集落は墜ちたのだと、遠巻きに気付いていた。
人の気配が消え失せていた。ここはゴーストタウンと化したのだろう。
救いはない。
〈空人〉もまた、辛うじて抵抗した人類によって押し返されていたからだ。
救いはない。
娘を滅ぼしてくれる存在も、遠のかせてしまったからだ。
救いはない。
娘は救われなかった。
なにせ、彼女によって、彼女より先に救われる者が居たのだから。
「何をしている、お前」
がらんどうになった娘に、声をかける者が現れた。
無人となった集落に訪れる馬鹿がいると誰が信じよう。
その者は肩に美しい長剣を担いでいる。ボロボロになった女子制服は、これまでの戦いの激しさを教えてくれる。だが、その声音はとても戦場に生きる者とは思えない程、透き通っていた。
「ここは廃墟だ。死にたいのか?」
繰り返される問い掛けに答える気力を、娘はもたない。
もし答えられたならば彼女はYESと答えただろう。
死ぬこと以外に、彼女が選ぶ道はなかった。
「心が壊れたのか。どれだけ呆けていたんだ、お前。
人に埃が被るのを初めてみた」
実のところ娘は〈空人〉となる寸前だった。
度重なる精神ダメージが彼女を壊し、過ぎ去る日々が確実に追い詰めていた。
彼女の状態を一言で示すなら、〈植物人間〉、だった。
「なんてザマだ」
現れた女は嗤った。
嗤うしかなかった。この世に救いはないのだと、痛感したような顔だった。
「嗚呼、全く。俺はどうしようもない」
女は徐に剣を地面へ突き立て娘を抱き上げると、屋敷を歩き回り浴室を見つけ出した。
無遠慮に服を脱がし、自分を洗い、娘を洗った。
髪を整え、新しい衣服を造りだしてお互い身に着けた。
ベッドメイクをすませ、部屋を掃除し、生活するに問題の無い空間を整えた。
手慣れた手つきだった。まるで、〈植物人間〉の相手に慣れているようだ。
娘は思う。
何故こんなことをするのだろう。
全く意味の無い事だ。さっさと、捨てて行けばいいのに。
「そういえば、この手段だけは試したことが無かった。
一番最初に思いつきそうなものなのに。
ああ、だけど思いついたらいけない手段だった。
なんてザマだ。"これ"を思いつくような奴は、クソ野郎だけだった」
女は怨嗟を吐きながら、折角着せた娘の服をベッドで脱がした。
何をしようとしているか娘はなんとなくわかった。
娘は、その女に抱かれた。
無感情にその景色を見ていた娘は、酷くその女が滑稽に見えた。
僅かに額に汗を浮かべ、呼吸を乱すその姿は、なんとも醜かった。
こちらは何も反応を返さないのに、しきりに声をかけ、身体を動かし、肌を重ねた。
欠片も意味の無い事だ。
淡泊にその様子を見守る娘は、しかし、"見守る"という自発行動を起こしていることに気付いていなかった。
時計の短い針が半周もするころ、その味気のない部屋に無粋な客人が現れた。
〈コア型〉。
せっかく女が張りなおした壁を砕き、娘が記憶する最悪の出来事と同様にして出現した。
〈空人〉の前には、裸の女が二人。
生きている者だ。標的である。
彼らのルールに従い、彼は動いた。
「邪魔をするなよ。いいところなんだ」
しかし、結果残ったのは、その身が両断されたという事実だけだ。
女は剣を持っていた。
美しい、白と青の色彩の剣だ。
流れる髪のように描かれた金細工が、幾多の者の心を揺さぶった事だろう。
娘は、剣ではなくその姿を見て心を揺さぶられた。
問題などなかったかのように、剣を放り捨てて"作業"に戻る女を見て、心が揺れた。
泣きそうな顔だった。
震えるような声だった。
重ねられた肌は凍えるような氷だった。
娘は思う。
この者はこんな目に合わせてはいけない。
こんな仕打ちはあってはならない。
自分なんかより、余程。
救われていなければならない。
娘は言葉を初めて口にした。
「もっと愛してください」
決して、貴女を救うとは言わなかった。
決して、自分を救えとは言わなかった。
ただ、愛して欲しいと彼女は言った。
その言葉は何よりの正解で。
剣を携えた女は、きっと、初めてその言葉で救われたのだった。
娘は知らない。
その女は数えきれないほどの〈植物人間〉を救えずに斬り捨ててきたことを。
姉を失い、自分を見失い、生きる道しるべを探していたことを。
娘が、女にとってはじめて救った、〈植物人間〉となったことを。
そんな娘は、分岐路に立っていた。
娘は愛が欲しかった。満たしてくれている愛では物足りなくなっていた。
そろそろ自分も救われたいと思えるようになっていた。
けれどその前に、あの時自分を助け出したあの女に本当の意味で救われてもらわねばならない。
"彼"を奈落の底から引き揚げたのは自分かもしれない。
でも、その"彼"を天高く飛ばしてくれるのは自分ではなかった。
多少不満はあるけれど、娘はそれでもいいと思う。
"彼"は、救われなければだめだ。
その結果、自分が救われるのだから誰も困らない。
そう結論付け、娘は訪れた。
"彼"が居る部屋を。




