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7.デイ・ブレイク

 ちゅんちゅん。

 窓から陽光が差し込み、鳥の声が耳朶を打つ。


「んん……」


 まだ半分しか開けない瞼をこすりながら、俺は身を起こした。

 いや、起こそうとして、起こし損ねた。重い。


「なんだってんだ……」


 あくびを噛み殺しながら、手探りして重みの元を掴む。


「 」


 むにゅ、と柔らかい感触。柔らかい、と感じるくせに、むやみと柔らかくない弾力性。その正体を俺は知っている。

 俺は瞬く間に眠気が飛んだ。




 はっきり覚醒した。ここはルナ邸の個室。あの天蓋付きベッドの上だ。その上に、俺と……スッケスケのネグリジェを着た姫が居る。

 下着も身に着けず、あるのは防御力を疑うネグリジェと美しい青い宝石のネックレスのみ。むにゃむにゃと口を動かす彼女は、まるで猫のように温もりを求めて俺の胸に頭をこすりつけてきている。

 俺はそんな彼女の整ったサイズの胸を鷲掴みにしてるわけだ。

 ……Oh。


「……」


 そっとシーツをめくって自分の身体の状態を見る。

 上は薄手のブラウスだけで、下半身に至っては何も穿いてないせいで白いショーツが見える。ただ救いとして、乱れた様子はないし男の子がいない。

 だいじょうぶ。いたしてない。

 いや、致して問題があるわけでもないのだが……過去は文字の通り過ぎ去ったのだ。愚かしい俺たちはもういない。


「昨日一体何してたんだっけ……?」


 人形を作る講義を終わって、確か俺が飯を作って……ああ!

 酒か! 姫が酒を作ったんだ!

 思い出してきた。この幼女モドキ、とんでもない酒豪で酒を造ることに関しては俺よりはるかに上手い。

 特に度数の高いものほど上手に作る。普通に酒造するよりも上手いのではないかと言わんばかりだ。こいつが酒屋でも開いた日には爆発的に売れるのではないだろうか。


「……で、これか」


 何があったのだろう、思い出せない。

 さぞ飲んだに違いない。ちょっと気持ち悪いのがその証拠だ。

 別に酒に弱いわけではないが、そこの姫ほど強くはないし、過剰に飲むと記憶が消し飛ぶ。

 これはすぐに帰られないな。少し気分が上向きになるまで休ませてもらう必要がありそうだ。

 立ち上がるとすぐ倒れそうだ。マジでどれだけ飲まされたのか、考えたくない。


「……んぅ」


 ぐりぐりと俺の薄い胸に頭を擦り付けていた子猫が目を覚ました。

 ツインテールは解いているので、綺麗な金髪が流れるままになっている。

 差し込む朝日とかけあわせて、目がくらむような光景だ。


「良い朝じゃの」

「ああ、最高の朝だよ。お前の吐息が酒臭くなけりゃな!」


 こいつやっぱり俺より飲んでやがる。吐息だけでまた酔っ払えそうだ。


「なんじゃ、甘い吐息で囁いて欲しかったか?

 我が師も男じゃのう……」


 枕元から、俺が前に作った口臭消しのカプセルを取り出して口に放り込んだ。

 随分慣れているあたり、日常的なことなのかもしれない。


「アルコール中毒にはなるなよ……突然手が震えるとか」

「クク。儂は我が師に中毒かのう。しばらく会わんと手が震える」

「冗談は程々……んんっ」


 不意打ち気味に唇を奪われる。どころか、カプセルを口移しに押し込んできた。


「お前が飲んでから寄越せ!」


 酒の匂いが鼻いっぱいに広がる。甘い気分なんてロクに味わえやしない。

 もう少し女らしい花のような香りにしてくれ。切実に。

 水なしでもなんとかカプセルを嚥下すると、魔法のように漂っていた酒の香りが失せる。実際〈魔法〉の品なのだが。


「人の事は言えん臭いを撒き散らしておるくせに。儂とて辛いのじゃぞ?」

「誰の作った酒だ誰の……」

「作り方と楽しみ方を教えてくれたのは我が師であったなあ」

「こんな酒臭くなるようなガブ飲み誰も教えちゃいねえよ!」


 遠い目をしながらカプセル飲みやがって。

 俺は露天風呂に入りながら僅かばかりの酒を舐めるように飲むやり方しか教えちゃいない。


「ところで師よ。酒も抜けたことだしマジバナなのじゃが」

「お前その口調で気の抜けるような言葉使うのやめねえ?」

「拾った娘の話じゃ」

「――」


 思わず、口を閉ざす。

 伺い見る彼女の横顔からも、真剣さが伝わってきた。

 茶化す場じゃない。俺も気を引き締める。


「儂は当初、師がハーレムでも囲う為に女ばかり拾うてきとるのかと思っておった」

「おい」

「じゃが実際は、拾った後自立できるようになったらぽいぽい捨てておろう?」

「もうちょっと字面を考えて喋れ」

「流石の儂もヤリ捨てはどうかと――」

「手も出してなけりゃ捨ててもねえよ!

 人聞き悪すぎるだろ! ちゃんとRPにするか集落に住めるように手配してから送り出してるっつの!」


 自分の師に対してなんて言い草だ。

 マジな話かと思って真剣に聞いていたのになんてこと。

 いつものユルいテンションに戻ろうとしたところで、姫の表情が変わらず引き締まっているところを見て、戻し損ねる。


「今回の娘もそうするつもりなのかの?」

「え? ああ……アイツか。

 まあ、そうだな。かなり〈銀化〉が進んでたし、〈魂〉総量も目算1~2割ぐらいだろう。それなりに自立までかかるだろうが、そうしてやるほうが良いだろう」


 自然な〈魂〉の回復にはそれなりの期間を要する。

 とはいえ、ただ安定させるだけなら、半年もあれば大丈夫だろう。心身ともに健康的な生活を続ければ、ユキも2割を超える〈魂〉を得た上で揺れにくい精神を持つはずだ。

 後は知識を詰め込んでやって、ハンター業でもやれるようにしてやれば大丈夫。

 あの〈銀化〉具合では集落に溶け込むのは簡単じゃない。が、そこも仕事の一環で連れ歩いて、安全な印象付けを繰り返せば不可能じゃない。


「それがどうかしたのか?」


 だが、唐突にそんな話を切り出した彼女の意図が掴めなかった。

 ユキの育成方針を隅に追いやって聞き返す。


「……いや」


 大事なことを言おうとしていた。

 何度も口の形へ変え、言葉を紡ごうと訴え、やがて音を発することができなかった喉に苦笑しながら彼女は唇を結んだ。


「なんでもない。野暮は言わぬ、そう言った覚えもあるでな」


 よそよそしい表情で彼女は締めた。

 急速に開いたように感じる距離。真横に居るのに熱が遠ざかった錯覚。

 快活なツインテールを解いた彼女はふてぶてしくも憎みにくい小娘ではなく、触れれば壊れる美しい人形だった。


「ルナ」


 だから、つい。

 壊れるかもしれない彼女の背に手を回して、ふんわりと抱きしめてしまった。


「なっ、なななっ」

「こら……暴れるな」


 俺の体温を服越しに伝えながら、彼女の背中をぽんぽんと叩く。


「お前の葛藤はよくわからないが、こういう時に必要なのは人の温もりだ。

 〈魂〉と〈魂〉の接触は、互いを強くしてくれる。

 俺の持論だが、間違っていない自信があるぞ」


 やはり、僅かに震えていたようだ。

 抱き留めた小さい身体はやけに冷たく、何かに怯えているように感じる。

 大丈夫。

 そう胸に秘めながら、心音に合わせて背を撫ぜる。


「……この、タラシめ」

「自覚は無くもないな」


 弱弱しい悪態が耳に心地よい。

 するりと抱き返すべく伸ばされた彼女の両腕が、俺の背に回った。力ない腕のくせに、やけに強く抱き返してくる。

 何人も助けてきたせいで、こんな情動ばかりに敏感になってしまった。

 肝心の中身についてを察する能力が欠落してしまっているのが少々気掛かりなのだけれど。




 優しい沈黙が、どれだけ過ぎただろうか。

 やがて熱を取り戻した姫が、やんわりと俺を押しのけた。


「儂のように手玉に取っておる娘が、他に山ほどおるのではないだろうな」

「幸い、しつこいクセに扱いやすい弟子はお前だけだよ」

「刺されろ」

「そいつは遠慮したいな……」


 仄かに朱に染めた顔を隠しながら言われても、あまり気分は害されない。

 俺も照れ隠しにあんなことを言ったが、正直言って弟子なんてコイツしかいないのだ。扱いにくかろうが扱いやすかろうが、他に居ないので刺される心配はない。


 ……ない、よな?

 知らないうちにフラグでも立てたのだろうか。背中が寒い。


「さ、て。そろそろ帰らないとウチのメイドからお小言を頂いちまう」

「朝帰りの夫を待つ本妻か。儂なら刺すな」

「夫だの妻だの、だいぶ死語気味の単語使ってんじゃねえよ。

 大体アイツはそういうんじゃない」

「……」


 処置なし。姫の顔にそう張り付いていた。

 何か間違ったことを言ったか?

 あいつは人形だし、そんな間柄ではないのだから正しい見識の筈。


「鋭いのか鈍いのか、いい加減はっきりせんかの?」

「洞察力はあるつもりだし、探査系の〈魔法〉は自信があるぞ」

「その探査系、穴だらけじゃぞ。主に使用者が」


 返しにくい文句に、誤魔化した返答をしたらぶすりと刺さるお言葉を頂いた。

 探査の魔法はいいのだ。優秀な自信がある。

 ただ使い忘れたり、検索条件を間違ったりして何かと漏れが出るのだ。

 この間の危険地帯での遭遇戦も、うっかり使い忘れていたせいで起きてしまった事故だ。勿論ココロにはお小言を頂いている。


 耳の痛い話はそっと水に流すとしよう。

 この如何ともしがたい雰囲気を打破する時だ。

 ベッドから立ち上がって近くのソファに投げ捨ててあった自分の制服を回収する。幸い、しわになるような放り捨て方ではなかったので大丈夫そうだ。

 これで変なしわやら染みやら作って家に帰った日には、ココロの小言が2倍になるところだった。酒に酔っても身に染みた恐怖には正直だったらしい。

 ベッドの死角に回って、下着を着替えて回収した制服を身に着ける。


「お前もそろそろ服を着ろ。部屋の中は暖房がきいてるといっても、流石にその着てるのか何もないのかわからんような服じゃ風邪をひくぞ」

「時折思うのじゃが師よ。その制服スカートが良くて普通のドレスやワンピのようなスカートがダメなのは何故じゃ?

 偶に勧めても全く袖を通そうとせん。男じゃからと言うならわからんでもないが、制服とてスカートじゃろ。中々歪んではおらんか」

「そんなのは俺が一番良く分かってんだよ」


 人の服装にケチをつけやがって。

 コレ以外のスカートは身体が受け付けないんだ。俺の大切な何かがゴリゴリと削れていくような錯覚を覚える。

 逆に、この恰好ならば違和感がない。むしろ一番馴染むといってもいい。

 以前男の服装。例えばココロが穿いていたようなジーンズに挑戦してみたが、どうにも落ち着かなかった。身体はちゃんと覚えていて、馴染みのある履き心地だったのだから不思議なものだ。こればかりはどうしようもない。


 恐らく俺の成り立ちが特殊すぎるのだろう。

 この辺りは一考の余地がある。じき、どんな服装でも問題ない身体になってみせる予定だ。

 ……いや、スカートはいらないな。


「お前が甘ロリとゴスロリを区分けしているのと一緒だ」

「ば、馬鹿者ッ! あれはああ見えて全くの別種じゃぞ。

 田中と中田ぐらい違う!」


 その説明もどうなのか。確かに違うものだが、俺には似たようなものに聞こえる。

 名前が似ていても全くの別物だと言いたいのだろうか。

 確かに田中さんと中田さんは全くの別人には違いないのだろうけれど、比較対象としては不適切な気がしてならない。


 そんな言い争いをしているうち、互いに身なりが整った。

 陰から身を出すと、やはり見慣れたゴスロリドレス……ただ違うのはやたらミニのスカートだということぐらいか。

 フリルのついたニーソックスとスカートの合間に覗く白い足がまぶしい。

 スカート裏にはフリルが効きまくっていて、あれは下から覗いてもショーツは見えないだろう。何となくその様子を見てフレアーという単語が浮かぶ。


「その駄洒落は評価しにくい」

「いい加減俺の心のうちを読むのは止せ」


 軽い応酬を繰り返しているうちに、自然と足は屋敷の外へ向いていた。

 こうして別れるのもそろそろ数えきれない回数になってきているだけに、お互い慣れてきているのだろう。


「さて。次は一体いつ来てくれるのかの?」

「ま、いくら早くても1週間ぐらいじゃないか。お前だって、ハンターの仕事をしないで生活はできないだろ?」

「そりゃあそうじゃが、儂は蓄えが多くてな。知っておろう?

 多少働かんでも問題ない。師が来てくれるならいくらでも歓迎じゃ」

「そう言ってくれるのは嬉しい限りだが……あんまり怠惰な生活を送って〈魂〉を削るんじゃないぞ。

 人らしく動いて生きるのもまた精神衛生にいいんだからな」

「わかっておるわかっておる。

 ま、ここの所サボっておったし、少し仕事でも探してみるかのう」


 本当に分かってるんだか。

 ひらひらと手を振る姫に別れを告げ、俺は帰路につく。




 いつもの生活。いつもの日常。

 慣れきったそれに身を委ねていて、俺は異物(ユキ)を懐に入れているのにも関わらず緩み切っていた。

 その代償はほかならぬ俺自身の痛みで、支払うことになる。


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