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 珍しくギッとキツイ瞳で前方を見据えた秀行は、足早に廊下の角を曲がった。

 彬が慌ただしく教室を出て行ってから、まだそれ程は経っていない。このまま行けば、もうすぐ追いつけるだろう。

 普段なら、当然のように一緒に帰る自分の方を見向きもせず、廊下に飛び出して行ったのだ。そしてその廊下には、相沢隆哉の姿があった。

「これ以上、妙な事を吹き込まれてたまるかッ!」

 小さく吐き捨てるように呟いて、更にスピードを上げる。

 自分に想いを遺した女の子か何か知らないが、その為に何故高橋があそこまで必死になるのかが解らない。オカルトに興味があるなんて聞いた事もないし、どちらかと言えば、苦手な方だと思っていた。

「それとも何か、高橋(あいつ)と関係があるのか?」

 柄にもなく、焦っている自分がいる。額には冷たい汗が浮かび、手の甲で何度拭っても一向に治まらない。

 ――嫌な…予感がする。

 それは、正確には昼休みから続いていた。

 今まで見せた事もないような、高橋のあの表情。――おどけた調子のクセに、どこか不安げで落ち着かない。まるで、切羽詰まっているような……。

 どうして、あんなに必死になるんだ?

 その子がずっと自分に憑いているにしても、今までなんの悪影響もなかったのだ。自分を特別な友達と思い込んで憑いているのなら、それでも構わない。好きなようにさせてやるだけだ。

 よくテレビなどで言っているような、自分の身辺で悪い事が起こるなどという事も……。

「あれ?」

 ピタリと足を止めた秀行は、「ちょっと待てよ」と眉間に皺を寄せた。そういえば、高橋はあの時なんて言ってた?

 ――『じゃあさ、今までの友達で死んだヤツは? 勿論、男も含めて』

 あれは、どういう意味だ? 何故あの場面で、あの台詞?

 ゆっくりと視線を泳がせた秀行は、思い当たった考えに「チッ」と舌打ちした。強く確信して、勢いよく走り出す。

「あのバカ。一番肝心な事を言わないで!」

 唸るように言葉を吐き出した秀行は、グッとカバンを握る手に力を入れた。

 急いで靴を履き替え、玄関から外へと飛び出す。左右に素早く走らせた目線が、先を行く二人を捕え、そしてそのまま凍りついた。

「うそっ…だろぉ……」

 声が、震える。

 二人の後ろ姿。隆哉に向けられた彬の横顔が、血に染まっている。血に濡れた死体が、じゃれ合うように、隣の男に拳を繰り出していた。

 目の前に広がる信じられない光景に、秀行は暫く呆然と、只その場に立ち尽くしていた。


 その気配に、最初に気付いたのは隆哉の方だった。

 正門近く。彬の隣でゆっくりと振り返った隆哉が、微かに瞼を揺らした。それにつられて振り返った彬に、ぼんやりと呟く。

「あんた、いったい何したの?」

「え?」

 隆哉の視線の先には、目を剥いてこちらに駆け寄ってくる秀行の姿があった。そのあまりの形相に、たじろいだ彬が半歩後退(あとずさ)る。

「お、俺ぇ? してねぇしてねぇ。ヒデをあそこまで怒らすようなマネは、なんもしてねぇよ!」

 手を振りながら必死に言う彬に、隆哉の顔が廻らされる。

「違うよ。あの女の子にだよ」

「なん…?」

 訊き返す彬に隆哉が口を開いた瞬間、秀行の手が隆哉の胸倉を掴んだ。

「相沢ぁ! これは、どーいう事だ!」

 隆哉の口から声が発せられるよりも早く、秀行が捲くし立てる。それに顔を向けた隆哉が、虚ろな瞳で目の前の人物を見返した。

「触らないで」

 ピシリと、秀行の手が弾かれる。

「俺まで、巻き込む気?」

 感情の籠らない低い声を出した隆哉に、秀行が眉尻を上げた。グイと顔を近付けて歯を食いしばり、こちらも負けぬ程の低い声をノドの奥から絞り出す。

「巻き込むも何も、お前が発端だろう」

「俺が? どーして?」

「お前に関わるまで、こんな事はなかったんだ! なんだこれは! 何かの悪戯(わるふざけ)のつもりか?」

「悪戯?」

「ちょ…、ヒデ?」

 友人のあまりの憤慨ぶりに、訳が解らず彬が止めに入る。周りを行く生徒達が、不穏な空気に自分達を避けて通って行った。

「やめろよ」

 声を顰め言った彬に、怒りを含んだ秀行の視線が向けられる。

「邪魔をするな。お前も、何平気な顔してんだ」

「どーしたんだよ? 落ち着けって」

「うるさいッ」

 掴み掛からんばかりの勢いに、仕方なく二人の間に割って入る。二人の胸を押し遣って、なんとか引き離した。


『とらないで!』

  

 途端。

 彬の耳に幼い子供特有の、甘ったるい舌足らずな声が響く。

「なっ!」

 弾かれるように手を引っ込めた彬の肩を、トンと隆哉の両掌が受け止めた。目を見開いて秀行を凝視する彬の瞳に、白い小さな人影が映っている。

 それは先程視た時のあやふやな影ではなく、今やはっきりと姿を現していた。隆哉の言う通り、四、五歳程の女の子。ドレスのような白い服に、人形のような愛らしい顔つき。しかしその女の子は、日本人とは思えぬ銀髪をしていた。ウェーブがかった長い髪が、フワフワと揺れている。

「なっ……」

 絶句する彬に、後ろの隆哉が囁いた。

「ねぇ、視えた?」

「あ、ああ」

「どう思う?」

「どうって――日本人じゃねぇのか?」

 秀行の左肩に両手をついた女の子の顔は、確かに日本人顔。しかしその白い肌と銀の髪は、日本人には似つかわしくないシロモノだった。

「………」

 無言の隆哉に、振り返る。すると隆哉は、彬の肩から手を放して肩を竦めてみせた。そうしてゆっくりと、首を横に振る。

「解んない」

「だよな? 顔と言葉は日本人っぽいけど、銀髪ってのがなぁ」

「じゃなくて、訳が解んない」

「は?」

 彬をチロリと見下ろすと、隆哉は顎に手をあて視線を逸らせた。

「だって。俺が昨日まで視てたのとは、違うんだもの」

「は? ちょっと待て。――それって……また別の霊って事か?」

「ううん。同じ霊」

「へ?」

 きょとん、と顔を見上げる彬に、隆哉はぼんやりと独り言のように呟いた。

「顔は同じだから、同一人物。でも、昨日まではちゃんと真っ直ぐな黒髪だった。長さも肩ぐらいまでしかなかったのに」

「なにぃ!」

 目を剥いた彬が、秀行を振り返る。しかしその肩には既に女の子の姿はなく、目を凝らしても視えやしない。驚愕に目を見開いたまま自分達を凝視する秀行と、一瞬視線を合わせてから、彬は再び隆哉に向き直った。

「どーいう事だ?」

「俺が訊きたい。でも、考えられる原因は一つだな」

 そう言って、彬を指差す。

「げっ。なんで俺?」

「朝から何度も視ようとしてたって、言ってたよねぇ。あの子の事」

「お? おお」

「あんた。自分にじゃなく、あの子に能力(ちから)を使ったでしょ。必要以上に思い入れとか、同情とか、しなかった? 彼女に」

「……し、た――」

 半ば呆然と、彬が応じる。「え? ダメなの?」と無邪気に問いかける彬に、隆哉がゆっくりと息を吐き出した。

「霊に関わる時の、最低限の心得だよ。後、恐怖心も絶対ダメ」

「なんで?」

「恐怖心がダメな理由は、霊に付け入る隙を与えてしまうから。更に恐怖心を煽られて、向こうの思うツボ。生きてる人間と同じだよ。『いじめ』もそうだろう? 相手がビクビクしてたら、尚更いじめたくなる。逆に、同情なんかは霊に頼られてしまう。『いい人だなぁ』とか思って、フラフラ憑いてきちゃったりね。あんたの場合は、思い入れた相手に力を与えてしまうみたいだね。無意識に」

「げっ。先に言っとけよ、そーいう事は。……でもさぁ、変じゃん。なんで力を与えたからって、髪型や色が変わるんだ?」

「さぁ?」

 首を傾げた隆哉が、チロリと秀行の左肩に虚ろな視線を投げた。

「判んないな。これが彼女の『望み』なのか、『本来の姿』なのか。今の時点では、俺には判断出来ない」

「なんだってぇ?」

 意味不明な台詞について行けず、彬は頭を振った。

「ワリィ。もー少し、解りやすく説明してくれ」

「んー…」

 気のない様子で応じた隆哉は、それでも丁寧に説明を始めた。

「まず。俺達が今聴き取れるのは、彼女の『トモダチをとられたくない』っていう感情だけなんだけど。本来彼女が此処に留まっている本当の理由はそれじゃない。それを、今あんたが突きとめようとしてるんだけど……。この銀髪の姿がその『望み』に関係している、というのが一つ目の可能性。そして、俺が昨日まで視ていた姿が偽りの姿で――それこそ、日本人形か何かに思い入れがあったとか何とかで――今までそれに縛られていたのが『本来の姿』に戻ろうとしている、というのがもう一つの可能性。ってワケ」

 肩を軽く竦めた隆哉に、「なるほど」と小さく頷く。

「その場合、あの子はハーフって事になんだよなぁ」

「まあ。可能性の問題だけどね」

「で? どっちの可能性の方が高い?」

 上目遣いに自分を見上げてくる彬に、隆哉は硝子の瞳を秀行へと向けた。暫くの沈黙の後、視線は秀行に向けたままで重く口を開く。

「そうだね。可能性の話なら、やっぱり一つ目」

「でも、二つ目の可能性も捨てきれねぇ?」

「うん。だって、あんたは彼女の『姿』を視ようとして、ちから能力を使ったんだよねぇ。それに応えてかもしれないし」

「だけど、んな事言ったら」

「そう。その目的は、彼女の『望み』を聴く為な訳だし」

 フーッと、肩の力を抜くように隆哉が細く息を吐く。彬に視線を戻し、逆に問いかけた。

「あんたは、どっちだと思う?」

「俺? 俺は――。俺もやっぱり、一つ目だな」

「その根拠は?」

「ねぇよ」

 ハハッと大らかに笑った彬は、「だって勘だもん」と顎を突き出し、ニンマリと微笑んでみせた。

「なるほど」

 短く応じた隆哉が、腕時計に視線を走らせる。

「あんたの勘のよさは、時任のお墨付きだからね。いいんじゃない、そのセンで」

 そう言って、隆哉はクルリと背中を向け歩き出した。それに続いた彬が、秀行を振り返る。

「ヒデ、俺に任せとけよ。ゼッテー、その子と話すコツを掴んでくっからさ」

 グッと親指を突き立てる。しかし呆然と二人のやり取りを見つめていた秀行は、それに弾かれるように反応して、慌てて足を進めた。驚く彬の横をすり抜けて、縋るように隆哉の腕を掴む。

「ちょっ…と待てよ、相沢。そんな悠長な事言ってて、本当に大丈夫なのか? だって、このままだと、高橋が」

「触ら――」

 振り返り、秀行の手を振り払おうとした隆哉が、グッ! と声を洩らし両手で咽喉元を押さえた。苦しげに息を詰め、その場に(うずくま)る。

「えっ」

「相沢!」

 驚愕のあまり固まったままの秀行を押し退け、彬が隆哉に駆け寄る。苦しげな隆哉の顔を覗き込み、背中を擦る。

「おい! おいってば、相沢! 苦しいのか? どっか痛いのかよ?」

 訳の解らぬままで、背中を擦り続ける。息を詰めていた隆哉の体から力が抜け、地面に膝をついてなんとか息を吐き出した。大きく肩を揺らしながら、荒い呼吸を繰り返す。

 ようやく少し落ち着いたらしい隆哉が、不意に背中を擦る彬の手首を掴んだ。蒼い顔を彬に向け、喘ぐように声を吐き出す。

「時任、の…言うとおり、だ……。こー…いう、時ってあん…た。真っ…先に、走ってくる……んだ、な」

 薄っすらと口許だけで笑みを浮かべる隆哉に、彬が目を瞠る。

「こんな時に、お前何言って」

 呆れとも怒りとも判断つかない声音を出した彬の顔を、黒い硝子の瞳が見据えた。

「ほんとにさ。どーして……あの時だけ、時任の傍に行って…やらなかったの?」

 ケホ、ケホと合い間に咳き込みながら、首を傾げて言う。その視線から逃れるように、彬は身を引いた。

「相沢、大丈夫か?」

 心配そうに身を屈め、秀行が問いかける。隆哉の肩に触れようとした手を寸前で止めて、戸惑うようにそれを引っ込めた。

「もしかして。俺の所為、なのか?」

 自分の掌を凝視して、呆然と呟く。「そんなバカな」と続く言葉は、声にはならなかった。

「他に誰かいる? だから言ったのに。触らないでって」

 虚ろに秀行を見遣った隆哉が、詰襟の咽喉元を緩めた。第二ボタンまでを外し、中のTシャツを引っ張って、彬達にそれを見せ付ける。

「お陰で見て。彼女に烙印を押されたじゃないか」

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