三
放課後。
周りの生徒達が騒々しい中、彬は黙々と帰り仕度を進めていた。
――いや、参った。
ほんと、心の底からそー思う。自分に霊感があるとノせられて、意気揚揚挑んでみれば、まったくもって成果なし。女の子の話を聴くどころか、その姿すら確認出来ない始末。
見間違いかと疑いたくなる程の白い靄が、秀行の左肩にうっすらと見える程度だった。それがなんとか、人形をしているというシロモノ。
「ダマされたかなぁ」
ノートを鞄に詰め込みながら呟いた彬は、「いやいや」と首を振った。
白い靄が思い込みからくる幻覚だと言われれば、それが正しいような気もする。だが、そんな筈はないのだ。少なくとも、秀行に女の子が憑いているという事実は、疑ってはいけない。
それを否定する事は、俊介の存在をも否定する事だ。
「結局は、俺が役不足って事かよ」
深い溜め息と共に額に手をあてた彬は、フッと無意識に視線を上げた。その瞳が、廊下に佇む隆哉の姿を捉える。
「ありゃま。『お迎え』かよ」
あの無感情な視線を感じ取れたなんて、俺ってスゴくね? と自分を褒めた彬は、「そーだ。あいつはどーやって視てるか、訊いてみるか」と前向きに意識を変換した。
「どうせ一緒に帰るんなら、それぐらいしか話す事もねぇもんな」
しかし彬と目を合わせた隆哉は、なんの反応も示さず視線を逸らせた。そのまま、廊下を歩いて行く。
「ちょっ、待てよ!」
急いで鞄を閉めた彬は、それを小脇に抱えて駆け出した。廊下の角を曲がろうとしていた隆哉に追いつき、横に並んで歩き出す。
「なんだよ、せっかちな奴だなぁ。俺を待ってたんじゃねぇのかよ」
彬が隣に来ても表情を変えない男は、眉一つ動かさず真っ直ぐ前を見つめていた。
「違うよ」
ボソリと、愛想のない答えが返ってくる。
「なんでよ。お前は傍にいなきゃなんねぇだろ、俺が死ぬ瞬間にはさ。そーでなきゃ、俊介の依憑を叶えらんねぇだろが」
「死なないよ」
「えっ?」
「今日は死なない。昨日と比べて、濃くなってないもの。それを確認しに、寄っただけ」
早い足取りの隆哉に、「それなら」と彬は人差し指を立てて提案した。
「一緒に帰んねぇ? 俊介の依憑は関係なくさ」
彬の言葉に、ピタリと隆哉の足が止まる。ゆっくり顔を彬へと廻らせ、虚ろな瞳で見下ろした。
「確か昨日。迷惑だとか消え失せろだとかの台詞を、その口から聞いた憶えがあるんだけど。俺の記憶では」
「さぁ? 俺の記憶にはねぇなぁ」
ベッと舌を出し、にへらと笑った彬に文句を言うつもりもないらしく、隆哉は再び歩き出した。
「どっちにしても、今日は駄目。俺、寄る所があるから」
「寄るトコ? じゃ、そこに行く途中まででもいいからさ、一緒に帰ろうぜ」
「…………」
一瞬、目の端で彬を捉えた隆哉は、無言のまま少しだけ歩くスピードを落とした。
「それで? 用は何?」
低く放たれた隆哉の問いに、「むー」と唸り声を発した彬は、彼の前に回り込んでその無表情な顔を指差した。
「なになに。友達と帰んのに、用事がいるワケ?」
責めるように呆れた声を出す。すると相手は、仕方ないとでも言うように足を止めた。
「あんたと、友達になった憶えはないけど。俺は只……」
「『時任の依憑を叶えるために』だろ」
隆哉の言葉を引き継いだ彬は、うんざりと肩を竦めてみせた。
「聞き飽きたよ、んな台詞。だからちゃんと言ったろ? 俺。『俊介の依憑は関係なく、一緒に帰んねぇ?』ってさ」
黒い硝子の瞳が、感情なく彬の顔を映す。
「お言葉だけど。何か用があるのは確かでしょ」
「なんでそー思うよ?」
フイッと彬から顔を逸らせた隆哉は、彬の脇をすり抜けるようにして歩き出した。
「だって、俺は寄る所があるって言ったんだよ。友達として只一緒に帰るだけって言うんなら、その寄る場所を訊いて、方向が一緒なら「じゃ、途中まで」とかって事になるでしょ、普通。でもあんたは場所も訊かず『途中まででも』って言ったじゃないか。あれは、俺に何か用があるからでしょ」
靴箱へと向かう隆哉の少し後ろについて歩きながら、彬はバツが悪そうに鼻の頭を掻いた。
「まぁ、当たってるよ。――でもなぁ、別に用事がある時だけ、お前に声かけるんじゃねぇからな。お前は友達じゃねぇって言うけど、俺はそうは思わねぇからな」
「それはどうも」
靴を履き替える隆哉は、顔すら上げない。その口から、感情の籠らない声が彬へとかけられた。
「それで? なんなの?」
「ああ、あのさ。いきなり弱音を吐くつもりはねぇんだけど、やっぱり俺には視えねぇみてぇなんだ」
両脇にポツリポツリといる生徒達に聞こえぬ程度に声を顰め、彬は隆哉の顔を窺い見た。
「なんかコツとかさ。そーいうのってねぇの?」
「コツ…」
吐息のような声を出した隆哉は、玄関から外へ出ると、視線を空へと向けながらぼんやりと呟いた。
「視る気がないんじゃないの」
「ある! そりゃもうこれ以上ねぇってくらい、視る気満々!」
そこは即答。思いっきり両腕を広げてから、グッと拳を握りアピールする。
「じゃ、視えるでしょう」
それをあっさりとスカされて、気のない答えが返ってくる。
「マジ! 視えねぇんだって! 俊介の時はあんなにはっきり視えたのに、なんか変な靄みたいにしか視えねぇよ。なんでだ?」
「さぁ」
逆に問われた隆哉は小首を傾げ、徐に空を指差した。
「あの星、見える?」
声に導かれて、空を見上げる。
隆哉の指の先を辿っていくと、青に薄く黄色がかった陽暮れ前の空には、確かに星が一つ瞬いている。
「ああ、ほんとだ。まだそんなに暗くなってねぇのに。あの輝いてるヤツだろ? 見えるよ」
それが何? と見遣った彬に、隆哉は首を横に振った。
「違うよ。その隣にあるだろ。右横に」
「あぁ? え…っと」
眉間に皺を寄せた彬が、再び視線を上げる。隆哉の言う星の右隣に意識を集中すると、微かに何か、そこには違和感のようなモノが感じられた。
「え?」
目を見開くが、何も見えない。もう一度目を細め、意識を集中させる。
「見えた?」
「……ああ…、なんとなく」
輝いている星より幾分か小さめ。付き従うように、輝く星に寄り添っている。針で突いたような大きさのくせに、見えてしまえば、輝いている星よりも自分をアピールしてくる。
――それはまるで、第三の目で見ているかのような感覚。
『3D』を見る時のような、とも言えるかもしれない。真っ直ぐそのモノを見ようとすればかえって見えず、更にその先にあるモノを見ようとすると、当然のように姿を現す。
「へぇ、おっもしれぇ」
輝く星と小さな星を交互に見遣り、彬が呟く、
「コツはそんな感じ」
ボソリ、と呟いて隆哉が歩き出す。急いでその後を追った彬は、「でもさぁ」と少々不満げな声を出した。
「俺、朝からずっとあの子の事視ようとしてんだけどさ、その何回かは今と大差ないような視方してると思うんだ。なぁ。俺ってホントに、霊感なんてあんのか? 俊介だから視えたって事はねぇ?」
「――どーいう事?」
少しの間を置いて、隆哉が問い返してくる。
「だってあいつは、親友だもん。あの時お前が言ったように、俺は俊介にずっと逢いたいと思ってたし、訊きたい事だってあった。それにあいつも、ずっと俺に逢いたいと思ってくれてたんだろ? だからさ。俺達二人共が、視る方も視られる方も、互いに相手を望んでたからって事はねぇ? 互いに相手を特別だと思ってたからって」
「…んー……」
顎に手をあてた隆哉は、暫く沈黙したまま動きを止めた。彬に向けられた虚ろな瞳は、目の前にいる彬ではなく、別の何かを見つめているように感じられた。
ゆっくりと瞬きした隆哉が、彬に意識を戻す。
「これは俺を信用してもらわないと仕方ないんだけど。俺をっていうよりは、俺の勘を、かな。まあ確かにあんたの言うのが正解なら、俺を通して時任の声が聴こえたのも説明出来なくもないけど。でもやっぱり、俺はあんたに、霊感があるからだと思うよ」
「そっ…かなぁ?」
――じゃあ、なんで視えない?
俯いた彬は、足元の小石を見つめた。それをコツンと、蹴飛ばしてみる。
「俺の、真剣みが足りねぇのかなぁ…」
ポツリと呟いて、歩き出す。
遊び半分でやってるつもりはない。ヒデを助けたいと思ってるのも事実だし、これを解決しないと死ねないとも思った。俊介と一緒に、逝けないと。
――クソッ。俺っていつもこう! なぜ肝心な時に、大事なヤツを助けらんない?
「俺ってば。全然ダメじゃん」
口惜しくて、ギュッと下唇を噛む。それを、歩調を合わすように隣を歩いていた隆哉が、チロリと一瞥した。
「じゃあ。……今から、一緒に来る?」
「え?」
真っ直ぐ前に向けられたままの隆哉の顔を、彬が見つめる。
「どこに?」
「俺が、今から行こうとしている所。そこには俺に、霊との接し方を教えてくれた人がいるから。俺はその人から学んだんだ。成仏させたり、滅したりする方法もね。だから、俺の知らないコツなんかを、知ってるかもしれない」
淡々と話す隆哉に、彬は目を見開いた。少しばかりの嬉しさが、フツフツと込み上げてくる。
――コイツが、こんな事を言うなんてよッ!
どうする? と顔を向けた隆哉の顎に、彬はハハッと笑って軽く拳をあてた。
「行く!」
馴れ馴れしくあてられた拳に、隆哉が微かに顔を顰める。しかしそんな事はお構いなしに、彬は言葉を続けた。
「相沢ぁ、お前って実はいーいヤツなんだなぁ! 例え他のヤツがお前の事、気味ワリィとか、無愛想だとか、最低だとか、まるで妖怪のようだとか言っても、俺だけはお前の味方だかんな!」
両手を広げ楽しげに宣言する彬に、隆哉は眉間をポリポリと掻いた。
「それはどうも。でも、そこまでは言われてないケド」
その顔は決して嬉しそうとは言えないが、微かに戸惑ったような表情が浮かんでいる。そして彬は、そんな事に気をよくしていた。
「んじゃ、仕切り直しといきますか! ちっこい霊にナメられっぱなしってのも、シャクだしよ。こー見えて俺は、結構な負けず嫌いなんだぜ!」
唇に親指を押しあて、ニヤリと笑う。隆哉へと向けられた目線は、意外な事にしっかりと受け止められた。
「俺もだ」
フイッと逸らされた隆哉の瞳には、間違いなく試合中の俊介と同じ、鋭い輝きが宿っていた。