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籠の中の愛情

 オレはどうしようもなく弱かった。自分自身でだって気づいていたくせに、目を逸らし続けていた。

 愛されない。愛されようがない。だってオレは不幸なのだから。

 そう思い込ませていれば、どうすれば不幸から抜け出ることができるのかを考えずにいれば、もう傷つくことなんてなかった。

 だけどオレはもう、自分自身の中の弱いものに負けたくはないのだ。

 なぜなんてそんなの、単純なことだった。


「シュリ、足元滑るから気をつけろ」

「うん」

 細い指がオレの指に絡み、力が籠る。オレはその小さな手を握り返して、そのまま手を引いて歩きやすい方へと誘導していった。

 今日は、シュリが引き起こした事件からおよそ二ヵ月が経った、七月のとある日曜日。

 シュリの誕生日だった。

 しばらく前にシュリは退院し、ゆかりさんの家で静養している。自ら負った傷はまだ完治はしていないが、だいぶ快方に向かっていて、動き回ることができるぐらいまでには回復していた。

 医師が言っていたように、シュリは本当に生命力が強かったらしい。怪我自体の回復は、医師たちも驚くぐらいに早かった。月に一度の外出の時ぐらいしか体を動かしていなかったはずで、体力に溢れているとは言い難いはずの彼女。それほどの速さで回復を遂げたのは、オレも驚きだった。

 座ることができそうなベンチの辺りまで導いていって、シュリを座らせる。それから自分もその隣に腰を下ろした。

 途端、目前にはきらきらと輝く青が一面に広がった。

 オレたちは今、海にいる。海に行きたい、と言っていた彼女の要望を叶えたのだ。

 誕生日プレゼントは何がいいか尋ねたら、彼女は端的に答えた。

 ――あいちゃんがぼくにあげたいと思うものが欲しい。

 オレがシュリに与えたいと思うもの。たくさんあるようで、難しいお題だった。

 だからまず、彼女の願いのひとつを叶えることにしたのだ。

「広いね……」

 前方の景色をじっと見つめ、シュリはそう呟く。

「……そうだな」

 何と返したものか分からなくなって、ただ頷く。素っ気ないね? なんて彼女が笑うので、ちょっと困ったように笑い返した。

 彼女はもう外に出てもあの監獄のような家に戻る必要はなく、どこにだって行けて、存在する人間として扱ってもらえる。

 それはとても喜ばしいことではあるけれど、同時に本来なら当たり前に享受できたはずのことで。彼女の失われた約十四年が返ってくることはないのだ。

 それを思うと、「広い」という言葉にいろいろな感情を読み取ってしまって、やりきれなくなる。

 個人的に、海は最も世界の広大さを感じさせる場所だ。もしかするとシュリにとってもそれは同じで、だからこそ実際に見たいといったのではないか、なんて思う。穿ちすぎなのかもしれないけれど。

「……どうだ、初めての海は」

 思考を押し留め、尋ねる。

 シュリはそれに磯の香りを充分に吸い込むかのごとく深呼吸をしてみせる。

「うん、綺麗。映像で見るより、ずっとずっと」

 今日の海は凪いでいるため、寄せては返す波も穏やかだ。そんな景色に目を遣る彼女は、ここにいながらもどこか遠いところを見ているよう。その瞳を見ていると、総帥から託されたシュリへの伝言を――彼女に対する罰を伝えた時にも、同じような色を映していたことを思い出す。

 総帥が去ってしばらくしてからシュリは目を覚まし、薄茶の目がオレの視線を捕らえた。当時のオレはまだ、オレ自身の中で全く整理が済んでいなくて、伝えなくてはと思っていてもなかなか踏み切れず、口を噤んでしまったのだ。

 そういうオレの態度を見透かしたように、彼女から尋ねてきた。何かわたしに言いたいことがあるんじゃないの、と。

 揺るがない彼女を見て一抹の情けなさを感じ、オレはようやく踏ん切りをつけた。

 『上條令嬢』として生きること。被害者の死の瞬間を記憶し続けること。そのが罰だと伝えれば、彼女は「そう」と呟いて、窓の外を眺めただけだった。

 ――拒否権なんてわたしにはないよ。

 拒否しないのかと問えば、明るく笑ってそう答えて。

 瞳に湛えられたその静けさを見るに、初めから覚悟していたのだろう。どのような形であれ、厳しい罰が下ることを。


 彼女の誕生日であるこの日は、宮苑代表の手によってその罰が施される日でもあった。


 最初は別の日が提案されていたのに、彼女が自分から希望したのだ。この方がより忘れないから、と。シュリはやっぱりいつも通り笑っていたが、オレは複雑な気分だった。

 彼女は彼女なりに前に進もうとしている。罪を犯せば罰が下る。頭ではよく分かっていても、どこか腑に落ちないものがずっと燻っている気がする。

 それでもシュリは今ここに生きて、納得していると笑うから。オレももう、彼女の笑顔がある限りは、それでいいと思うことにした。

 真っ直ぐに海を見ている彼女の中にはもう、記憶は植え付けられている。いくら頭の隅に押しやろうとしても決してなくならない、罪の記憶が。

 オレはその場に立ち会うことはできなかったから、宮苑代表に初めて向き合うことになったシュリがどんな様子だったのかは、知りようもなかった。でも、別室で待っている間は何も物音が聞こえてこないほどに静かで、時折小さな話し声が漏れてくるだけだった。多分、彼女は粛々と総てを受け入れたのだろう。

 オレにはテレパシーなんてものはない。彼女が今何を思い、何を考えているのかは分からない。だからただぎゅっと手を握ると、力が返ってくる。それが彼女の存在証明であるかのように、オレはじっとしていた。

 オレは無言で、シュリも口を利かなかったし、波が規則的に立てる音やカモメの泣き声、船の警笛の音だけが世界に息づいている。

「ねえ、あいちゃん?」

 ややあって、シュリがそんな静寂を打ち破った。

「ん?」

 首を傾げると、彼女はじっとオレを見ている。目を瞬けば、握り合っていない彼女の自由な方の手が、そっとオレの服の袖を掴んできた。

「……後藤だけじゃなくて、あいちゃんも自ら進んで罰を受けたって、本当?」

 真剣な様相が、オレに嘘をつくことを許さない。そもそもシュリに対して嘘をついたところで無意味ではあるが、その顔を見れば、いい加減に誤魔化すことは不誠実だと分かる。

「……ああ」

 だからオレは、正直に肯定することにした。

「どうして……?」

 戸惑いと、なぜと問いただすような声色。

 代表と後藤さんに対する罰への処置は、シュリの入院中に行われた。

 それは即ち、後藤さんとシュリの別れを示す。シュリの父親が死ぬまで、彼は外に出てくることはない。次に会えるのは数年後では多分済まないだろう。もしかしたら十年二十年、それ以上が必要かもしれない。

 どうするのだろう、とは思っていた。でも、オレが想像していた以上に、二人の別れは淡泊なものだった。

『どうかお元気で、お体にはくれぐれもお気をつけて。またいつかお会いできるその時まで、生き抜いてください』。シュリが寝ている間にそんな書き置きが残され、目を覚ました頃にはもう、総てが終わった後だった。

 驚くまでに呆気ない別れの仕方はきっと、彼の意志。

 ――どうしてそんな大事なこと、わたしに何も言わずに決めたの!

 後藤さんが勝手に決め、勝手にいなくなったことに、シュリは泣いて暴れて手が付けられないほどに憤っていた。

 だが、たとえシュリがいくら泣いてすがることができたとしても、後藤さんの答えは変わらなかったと思う。後藤さんはそれぐらいには一度決めたら頑固な人で、彼女もオレ以上にそれをよく分かっていたからこそ、どうにもならない感情のままになおさら暴れたのかもしれない。

 その上オレまで彼女に何も言わずに決めてしまったとなって、ますます腹を立てているとしてもおかしくはなかった。

「オレにも責任の一端はある。お前と後藤さんだけに総てを押し付けるのは、違うと思ったんだよ」

 しかしオレは、彼のようにはなれない。なるつもりもない。

 自分なりに考えてみろ。総帥に言われて、言葉通り自分なりに考えて、あの答えを選んだのだ。


「何があっても、これから片時もシュリの傍を離れないこと。生きるも死ぬも一緒に過ごすこと。後藤さんがあの男の見張りになるように、オレがシュリの見張り役になること」


 シュリの目がみるみる見開かれていく。

「――それが、オレの罰」

 世間からすれば馬鹿みたいな決心であることは重々承知だ。

 人の気持ちに永遠なんかない。今オレたちは互いを欠かせないと感じていても、ずっとそのままでいられるなんて保証はどこにもないのだ。オレのシュリへの好意はいつか憎悪に変わるかもしれないし、シュリがオレを見放すかもしれない。

 いつかこの罰が重荷になる日が来る可能性を理性では否定できないのに、自分でも馬鹿みたいだと思っている。

 決してそんな日は来ないと心から思っているだなんて。

「あいちゃんは、本当にそれでよかったの?」

 今にも泣き出しそうだと分かる震える瞳。

「……自分の閉じ込められた籠があっちこっち動いても厄介だしな」

 そんな彼女に、口角を少しだけ持ち上げてみせた。

「え」

 シュリは狐につままれたようにしており、今にもこぼれそうだった涙は引っ込んでいる。

 自ら断ち切った頃からは少し伸びている彼女の髪の毛を、そっと手で梳いた。

「オレにとっては、あの家じゃなくて……お前自身が籠だったんだよ」



 籠に閉じ込めたのはお前だった。閉じ込められた籠もお前だった。



「…………もうひとつだけ、訊いてもいい?」

 オレの言葉にたっぷり数十秒は言葉を失った後、相変わらずの表情のまま、おそるおそるといった感じでシュリはオレを見上げる。

「わたしが病院で初めて目を覚ました日、もう一度寝ちゃう直前、君は何て言ったの?」

 今まで何も訊かれなかったからもしや聞こえていたのかと思っていたが、やっぱり覚えていなかったか。予想はしていたからあまり落胆もない。

 肩を竦めて、また笑う。

「聞きたい?」

「聞きたい」

 視線がぶつかり合った。内緒、と言うことは簡単だったけど、オレがこの子の訴えるような目に勝てるはずもない。

「……もう一回しか言わないからちゃんと聞けよ」

「うん」

 しっかり頷いたシュリの細い肩を不意打ちするように引き寄せ、しっかりと抱きしめる。

 そのまま、耳元に口を寄せて囁いた。


「――好きだ」


 驚きで強張っていた彼女の体が徐々に弛緩していく。それから間もなく、小刻みに震え始めた。

 それは寒いからでも、ましてや恐ろしいからでもない。

 漏れ聞こえる泣き声。小さな手がオレの服の背中をぎゅうっと掴む。

「ほんとに……?」

「ほんと」

「ストックホルム症候群とかじゃなくて? だとしたらビョーキだよ、あいちゃん」

「別にいいよ。だったらお前がオレを捕らえ続ければいい」

 その病気なら人質が犯人に好意持つんだからそれでいいだろ。そう言って笑えば、シュリはくしゃりと顔を歪めた。

「……馬鹿だね。わたしは監禁犯だよ?」

 確かに、オレは馬鹿だ。疑いようもない。

「そうかもな。でも同じ馬鹿なら、大事だと思ったものを失くす馬鹿より、大事にしようと頑張れる馬鹿がいい」

 雪が視界をけぶらせたあの日、シュリに出会ったその瞬間から、オレは囚われていたのだろう。だったらもうどうしようもないじゃないか。

「わたしもあいちゃんが好きだよ」

「知ってる。さんざん言われたからな」

 笑いながらも抱きしめていた体を離して、不思議そうにしているシュリの頬に触れる。

 そして、そっと唇を重ね合わせた。

 海風のせいか、あるいは涙のせいか、唇からは塩辛い味がする。世界は静まって、波音さえも耳朶に触れることはない。

 しばらくして離すと、オレからの口づけなど今までほとんどなかったからだろう、シュリは放心したように固まっていた。

「……帰ろう」

 彼女の様相に何度目か笑いつつも、手をしっかりと握る。



 籠の中へ、帰ろう。


 勇気を振り絞り外に飛び出して傷ついたなら、また籠の中に戻ればいい。また飛び立つことができるように。

 オレたちは弱いから。

 でも、たとえ今が弱くとも、二人でならきっと強くなれるから。

 いつか、格子の隙間からでなく、何の覆いもない本物の景色を見られるように強くなろう。乗り越えよう。

 君にはオレが、オレには君が、それぞれいるのだから。



 歩き始めながらも、シュリはまた肩を震わせている。そしてはなをすするようにしながら、小さく言う。

「あいちゃん、好き」

「うん」

「大好き」

「……うん」

 気恥ずかしくて返せない言葉の代わりに、力いっぱい握られる手に優しく力を返した。

 通りがかった車から漏れ聞こえてくる音楽にふと耳を留めると、偶然にもあの曲であることに気づく。

 ラプソディ・イン・ブルー。『青の狂詩曲』。

 あの白い家の中ではとても寂しく、悲しげに聞こえたその曲は、なぜだろう。今は楽しげで優しい音のように感じられる。それだけオレの中で変化があったということなのだろう。

 彼女にとっても、『青』が寂しさや悲しみの象徴ではなく、この海の青に、幸せな記憶に埋め尽くさればいい。

 だんだん遠くなっていく音に耳を澄ませ、ただ願った。

「シュリ」

 呼びかけると、じっとこちらを見返すその瞳に向かって笑みを向ける。今の自分にできる、最高のものを。

「誕生日、おめでとう。……生まれてきてくれて、生きていてくれて、ありがとう」

 そして願わくば、君という籠に、ずっと囚えていてくれますように。







       ねぇ君は、このラプソディの中で、わたしのために死んでくれる?




        死んでやるよ。お前と共に共に生きると決めたのだから。

          お前が、オレのために生き続けてくれるのなら。





 長い間のお付き合いを本当にありがとうございました。『籠愛-狂愛ラプソディ-』、これにて完結となります。

 監禁、生と死、性、愛。親という存在へのアンビバレンス。そして多分誰もが悩むだろう『自分とは何であるのか』。

 自分が書きたいテーマを詰め込んだ物語です。

 彼らの行い、決断には賛否両論あるでしょう。それでも、『自分で選び、考え、実行する』という簡単なようで難しいことを、もがきながら懸命に行おうとした彼らの様子から、何かひとつでも感じ取っていただけたら、作者としてこれほどの喜びはありません。

  ここまで読んでくださった方々、連載中ずっと応援をし続けてくださった方々に、心より感謝を申し上げます。

 ありがとうございました。


2017/06/04 汐月 羽琉




※以下は補足となります。

▼ストックホルム症候群

 犯人と人質が閉鎖空間で長時間非日常的体験を共有したことにより高いレベルで共感し、犯人達の心情や事件を起こさざるを得ない理由を聞くとそれに同情したりして、人質が犯人に信頼や愛情を感じるようになる。

[中略]

 このような恐怖で支配された状況においては、犯人に対して反抗や嫌悪で対応するより、協力・信頼・好意で対応するほうが生存確率が高くなるため起こる心理的反応が原因と説明される。


(Wikipediaより引用)

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