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ぼくは道化だ

 最初に目に入ったのは、吹き飛ぶ窓ガラスと、勢いよく立ち昇った真っ赤な炎。それとほぼ同時に、腹に響く重い音が鼓膜を揺らした。

 体ごと、脳が揺さぶられるような感覚が訪れた。

 黒い煙がもくもくと天へと向かっていく。まるでわたしの思いを昇華していくかのように。

 その様子を、わたしはただただじっと見ていた。

「……ざまあみろ」

 小さな小さな呟き。悲鳴と怒号と、そして破壊音が入り混じった音の洪水の中に紛れ込んで、誰にも聞き取られることなく掻き消えた。

 聞かれていようが聞かれていまいが、正直どうでもよかったけれど。咎められたとて、知ったことか。

 誰にも邪魔はさせない。ここまで来たらもう、止まるつもりもない。

 わたしは今日のこの日に思いを遂げるために、四年近くをかけて準備してきた。


 村田を破滅に導く。その目的だけを胸に生き続けてきたのだから。


 逃げ惑う人々の流れに逆らって佇んでいるわたしは、明らかに異常な存在だった。

 つい先ほどまでは日の光を反射して輝きを放っていたガラスは、存在していたとさえ分からないほどに粉砕されている。何とか割れるまでは至らなかったらしい箇所にも、ヒビが入っていた。

 荘厳だった巨大な高層ビル。そこにはもう見る影もなく、今まさに破壊行為があったことを、まざまざと周囲に示すための象徴に成り下がっている。

 ざまあみろ。

 ざまあみろ、ざまあみろ、ざまあみろ。

「……ふ、あはは」

 笑いをこらえながら駆け出して路地に入り、脇道に駆け込んだが、そこまでが限界だった。

「あはははははははは!!」

 走りながら腹を抱え、笑い声をあげる。

 こんな状況で笑っているなんて、きっと周囲からすれば異様すぎた。周囲の人間たちは怯えたようにわたしを見るけれど、目が合えば「関わりたくない」というようにしてすぐに逸らしてしまう。

 自分や近しい人の命を守るために走っていく彼らの様子に対し、笑いがますます発作のようにわたしを襲った。

 ああ、馬鹿みたいだ。無駄なことなのに。

 そんな行動、全部が無駄になるのに。


 わたしが総てを壊すから。


 世界なんて要らない。わたしを必要としてくれない世界なら、わたしが必要としていない世界なら、要らないじゃないか。

 どうしてヒトは、そんなものを大事に抱えるようにして守り、必死になって維持しようとするのだろう。

 一生分からないし、分かりたくもない。そういうわたしは、『普通』からは掛け離れているのだろう。

 ひとしきり笑うとすっきりしたが、それと同時に、笑っていた自分のことさえくだらなく思える。一気に気持ちが冷めていって表情が失せる。

 歩いていた路地を抜け、大通りに出る。

 まだ現場から近いこともあり、混乱しきりの人々でごった返している。

 わたしは被っていたキャスケットを目深に被り直し、コートのポケットに手を突っ込みながら、その騒ぎの中を歩き始めた。最新の情報は聞き逃したくないため、耳をそばだてることを忘れずに。

「総帥はご無事なのか!?」

「そのようです、どうにか避難を試みられていると……!」

 避難誘導をしているらしい村田本社職員の会話に耳を澄ませれば、コンツェルンの最高権力者は死ななかったらしいと分かった。

「……なぁんだ、死ななかったのか」

 ぼろり、口からは思わずそんな言葉がこぼれ出た。

 それも仕方ないといえば仕方ない。総帥は、あの超高層ビルの頂上の住人である。爆破されたのはビルの中腹部だったから、建物が総崩れでもしない限りは死にはしない。

 もしかしたら、と願っていたのも事実だから、全くがっかりしていないわけではなかった。

 でも、そんなことは初めから薄々分かっていたことであり、期待していない。その分、落胆もさほど大きくなかった。

 わたしの本来の目的は総帥ではないのだから、どうでもいいといえばどうでもいい。

 村田本社と、その周辺施設たちを一瞥してから、その道路を挟んだ向かいにあるビルの群れを眺めた。

 そこは上條の敷地。

 今回爆破事件があった村田本社を中心として、村田コンツェルンの傘下のビル群は同心円状に連なっている。中心に近ければ近いほど、コンツェルンの中で高い地位を占めているのだ。

 傘下の頂点――つまり最も中心に近いところにいるふたつのグループを、わたしは長年恨み続けてきた。

 上條と、そして宮苑。

 だけど正直、宮苑に対する感情なんて、上條へのものに比べたら笑ってしまえるぐらいに軽い。

 わたしを監禁していたということだけで、そうまで憎悪しているわけではない。


 復讐があるのだ。


 わたしが受けた傷の何もかも、上條も同じように背負わなければおかしいではないか。

 足を止め、ポケットから一枚の写真を引っ張り出した。

 そこに映っているのは、上條現代表の『唯一』の子である、上條ゆかり。

 わたしの異母姉あね

 ネットで見つけたものであるため、画質は粗いものの、どこか影のあるうれいを帯びた微笑みを浮かべているのが分かる。

 彼女とわたしは、確かに血縁上においては姉妹である。だが、一度も会ったことがない。まず、姉はわたしの存在さえ知らないし、わたし自身も彼女を姉だとは思えない。

 だって、あまりにも境遇が違い過ぎる。

 何不自由なく育てられ、学校の中で同年代の友人たちと笑い合い、父母のどちらからも愛情を充分に受けたはずの彼女。

 監獄のような家に押し込められ、学校になど通えず、母はわたしの誕生と同時に死に、父からは見放されたわたし。

 母が正妻でない。たったそれだけのことで、どうしてこれほどまでに差別されなくてはならないのか。

 それなのに、わたしよりもずっとずっと幸せだったはずの姉は、ある日突然失踪した。

 わたしの持たない総てのものを持っているくせに、ただひとつ許されなかった自由である『父親に決められた相手との結婚』を姉は受け入れなかった。お見合いから逃げたのだ。

 自分だけ、愛する人と幸せになるために。

 どうしてわたしはこんなにも不幸なのに、姉だけは満たされているのか。

 彼女はわたしの存在をそもそも知らないのだから、嘆いても詮無いことなのだが。

 元代表は、わたしの母を冷酷に切り捨て葬り去った。そういう男が、「お前には妹がいる」などと口が裂けても言うはずがない。永遠の秘密として墓場まで持っていくだろう。

 でも、知らないということは、罪にはならないのだろか。

 輝かしい表側を生きる彼女が幸せになるために、どうして薄暗い裏側にいるわたしが不幸せを受け入れなければならないのか。

 許さない。

 許さない、許さない、許さない。絶対に。

 念じながら、強い覚悟で以て上條のビルたちを睨みつけた。


 本当にそれだけなの? 本当に、不幸せしかわたしの人生にはなかったの?


 その瞬間、不意に語りかけてくる自分自身の声。

 持っていた写真をぐしゃりと握り潰し、その手をポケットに突っ込んだ。

 自分の声には、それ以上耳を傾けない。そんなもの、これからのためには妨害でしかないのだから。

 再び歩き始めながら、上條の周辺からでは窺いようもない宮苑のビル群に意識を向ける。

 宮苑は、母の出た家だ。

 母の生家は、宮苑とはいえ分家も分家。本家の人間からすれば存在すら知らないような人間だったが、『宮苑』ではあったのだ。それなのに宮苑は、救いを求めた母を、同族を見捨てた。

 上條も宮苑も、わたしから母を奪った。

 誰より母のことを愛していたあの人からも――

「怪我人運べ!」

「瓦礫の下敷きになってる人がいるぞ!」

「救急車はまだ来られるのか!? 足りないぞ!!」

 村田本社のエントランスの前にある広場には、血を流していたり火傷を負っていたりする人が、どこか途方に暮れたようにしながら座り込んでいる。比較的怪我が軽い人たちは救急隊によって処置が施され、酷い人たちは次々と担架で運ばれていっていた。

 それを見て胸が痛むことがないわたしも、大概だと思う。

 恨みで総てが麻痺してしまったのか。村田にどんな形であれ関わる者ならば、消えてしまったところで構わないと思っているのか。

 どちらにしても、わたしは修羅になっているのだろう。

 どうでもいい、もうどうでもいいんだ。

 ――シュリ。

 ――珠里お嬢さま。

 耳に響く優しい声は、聞こえないふりをした。

 もう、あのあたたかかった場所には帰らない。帰れない。心に決めたのだ。

 あいちゃん、後藤、ばいばい。

 感傷を振り払って再び駆け出すと、ますます多くの情報が耳に届く。

「宮苑の代表夫人が誘拐された!?」

「上條や宮苑の関係施設が次々と爆破されてるって……」

 上條も宮苑も、大きな一族ゆえに内部での小競り合いが多いため、それを利用して壊す。壊せなくとも、せめて最低限、揺さぶりたかった。わたしの成し遂げたい最終的な目的のために。

 今のところ、直接的に手を下しているのはわたしじゃない。自分でも知らないうちにわたしに従わされて働いている者たちに、総ての罪を被っていてもらわなければならないのだ。

 最終的には捕まって母のようになるのかもしれないし、それでいいと思っている。だからこそ、今は捕まるわけにはいかない。

 最後の復讐を終えるまで。

 果たしたその時には、彼のことも逃がしてあげなくてはならない。頭の片隅では分かっているが、どこにも行かせたくないという思いも間違いなくあり、心が強く揺さぶられる。

 やっぱり、連れてこなくてよかった。後藤が上手くやるだろうし、彼自身が賢い。崩壊しかかった世界の中でも、彼はしっかり生きていけると思う。

 彼が自由になるためには、わたしから逃がしてあげなくちゃ。

 わたしの大好きな彼と過ごした、あの本だらけの部屋にはもう戻れない。愛おしい彼に、二度と会えない。

 望んだことのはずなのに、心臓が軋むような感覚がある。

 それとも彼は、わたしのために殺されてくれるだろうか。姉の夫と同じように、命を懸けてでもわたしを愛してくれる人となってくれるのだろうか。

 考えながらも、馬鹿じゃないのか、と自分を嗤う。

 わたしは監禁犯で、彼はその被害者。一生揺らがない絶対不変の事実。

 彼がわたしを愛することなんて、ない。


 ねえ、あいちゃん。

 あのちっぽけな部屋が、もしも世界の総てだったなら。

 わたしと君の二人だけで、もしも世界が成立したなら。

 きっと、もっともっと息がしやすかったのにね?

 籠の中の狂った愛情で、全部が片付いたならよかったのに。

 ねぇ君は、あの青いラプソディの中で、わたしのために死んでくれる?


 自嘲の笑みは止まらなかった。くだらない期待、くだらない感傷。わたしは誰かに愛してもらえる人間ではない。

 ――あんたたち皆、異常だ! この家に関わる奴ら全員、異常だよ!

 彼が言った通り、異常者の身である。狂った人間は、狂った道を歩まなければ。

「どこまで行っても、あいつらにとってのぼくは、道化なんだから」

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