この世界の破壊者は
一人残された暗闇の中、疑問だけが増えていく。
シュリは何故泣いたのか。どうしてオレを選んだのか。彼女とオレの何が同じだというのか。
鎖は外れず、牢の鍵を破壊することもできず、つまりこの地下室から抜け出すことのできないオレには、考え事ぐらいしかすることはなかったのだ。
でも、つい最近までと比べたら、思考の方向は変わってきた。確実に上向いていると思う。
理由も分からず閉じ込められていた時は、暗闇を嫌でも中止するしかなくて、過去を振り返ってばかりだった。
人間としての尊厳を踏みにじり続けた父親への恐怖。一人だけ狂気の世界に逃げ込んで、オレを置いていった母親への憤怒。こんなところによく理解できない理由で閉じ込め続ける、シュリへの苛立ち。
どこにも行き場のない感情を腹の内に溜め続け、周囲に広がる暗闇に怯えて。自分の中にどろどろと渦巻く消化しきれないものに足を取られていた。
でも今は、何となく分かる。彼女がこの地下牢にオレを封じたのは、気に入らない言動をしたから、ということだけが理由ではないと。
「ここにいれば安全」というあの言葉は、『何から』ということは分からなくても、オレを守りたいのだと思える。都合のいい捉え方だとしても。何から守ろうとしているというのだと訊かれたら、全く答えられないとしても。
考えは止まることなくオレの頭に押し寄せる。暇で暇で仕方なかったこの退屈な時間も、今ではいくらあっても足らないように感じられた。
シュリがようやく姿を現した日から、いったいどれぐらい経っていただろう。
その日は、やたらに静かだった。
『青の狂詩曲』は響かず、自分の立てる音以外は聞こえないような状態。いつものことといえばそうなのだけれど、何となく異質さを感じていたのは否めなかった。
だから、本当に驚いた。
ドォンという大きな音に伴ってやってくる、腹に重たく響く地響きが聞こえてきた時には。
空気がびりびりと震えているのに戸惑う間もなく、重たいものが落下している音と衝撃が繰り返される。そのたびにわずかながら体が地面から浮くような感覚があった。
あまりの大きな衝撃によって、オレのいる地下室を持つこの白い家ごと持ち上がり、揺さぶられているのかもしれなかった。
「――――ッ!?」
少し経ち、今までの騒々しさは何だったのであろうというほど呆気なく、音も衝撃も立ち消える。
再び静けさが戻るが、さっきの今ではかえって不気味である。
「何だったんだ……?」
思わずひとりごちる。思考が中断されてフリーズしていたが、無視できるほどのことではない。
なるべく何の情報も与えないように作られているに違いないこんな部屋にまで音が聞こえてくるなんて、異常事態だ。
地震ではない。それは何となく分かる。最初の衝撃と共に聞こえた音は、爆発音だったように思えた。
嫌な予感がじわじわと胸を覆っていく。
この家の立地はどうなっていた? オレのいた駅からどれぐらいかけて連れてこられた? もう遠い過去の記憶になってしまっていて、思い出せない。
「くそッ……」
役に立たない記憶力に、頭を一発殴ってやりたくなる。
シュリはどうなった。ごとうさんは? お手伝いの二人は? ここにいたのでは何の状況もつかめない。
――あいちゃんは、……ここにいてくれれば、安全だから。
そこでまた頭をよぎる、シュリの声。
――お嬢さま……ではこのまま続行なさると?
――当たり前でしょ。じゃなきゃ総てに意味がなくなる。
盗み聞きしてしまったシュリと後藤さんの会話。
何も分からないのに、散りばめられた情報がパズルのピースのように次々と填まって組み合わせられて、ひとつの完成図を描き始める。
――こんな、世界、なんて……! 壊れろ、壊れろ!! 壊れろ壊れろ壊れろ壊れてしまえ!!
思い違いだったらいいのに、何もかもが繋がっているような気がしてたまらなかった。
世界を憎むシュリ。何もかもを吹き飛ばす爆風。たとえば彼女が破壊の手段を得てしまったのだとしたら?
「シュリ! 後藤さん……! 誰か!!」
鉄格子を掴んで何度も何度も揺らす。しかしびくともしない。今までの経験上よく分かっているはずなのに、諦められなくて続けた。
お願いだから、誰でもいいからここに来てくれ。何があったのか教えてくれ。
シュリはどうしているんだ。
頼むから、オレの中にあるこの疑念や不安を拭い去ってほしい。勘違いだと笑ってほしい。
シュリが起こした騒ぎなのではないか、なんて、思いたくないのに。
間違えているのならそれでいいのだ。いいや、それでいいどころじゃない。そうであってほしい。彼女のやったことでないと証明してほしい。彼女が本当の意味で遠いところに行ってしまうから。
「シュリ!!」
でも、幾度呼んだところで届かない。
行く先を塞いでいる鉄の棒を、揺らすだけでは飽き足らずに拳を作って殴ってもみたけれど、大方の予想通り自分の手が痛むだけだった。
「誰か……」
ろくに動いていないからか体力は極端に落ちていて、たったこれだけの動きで息がぜいぜいとしている。
項垂れ、痛む手を握りしめながら頭に浮かぶのは、オレはどうしてこんなところにいるのだろうという呆然とした考え。
オレを守るためにここに閉じ込めると彼女は言った。オレが安全地帯にいられるように取り計らってくれたのだろうが、それは同時に、オレだけが蚊帳の外であるということ。彼女は危険に身を晒すということだ。
オレがそんなことにさえ考えが及ばないと思っていたのか。
「シュリッ!! 後藤さん!!」
喉が裂けるんじゃないかというくらいの勢いで絶叫する。
オレはそんなの嫌だ。いくら叫んでも届かないのなんて、母親のときだけで充分。
シュリが何をしようとしているのかなんて、オレには分からない。でも今諦めて、そしてもう二度と会えなくなるのなら、オレ一人だけが安全だったところで何の意味もない。
どんなに狂った愛だったとしても、彼女に「好きだよ」と言ってもらえたその瞬間は、確かに幸福だった。
誰も真正面から見てくれようとはしなかったオレを、彼女は初めて真っ直ぐに見つめてくれたから。
そのシュリがいなくなったら、オレは今度こそ独りになる。
それが純粋な恋心だろうと、もしかするとストックホルム症候群かもしれなくても、求めたのは真実のことで。
単純なことだった。簡単なことだったのに。
彼女を突き放させたのは、ちっぽけなプライドと、どうしようもない嫉妬心。逃れられないほど強くオレの心を支配したその思いが、この状況を招いた。
「ちゃんと、言うから……」
だから、お願いだから、お前自身の手でオレからお前を奪ってくれるなよ。
オレみたいな不幸の申し子が口にする言葉じゃないのかもしれないけれど、お前が監禁犯だから認められなかったけれど、オレはもうとっくに――。
きつく掴んだ鉄格子を思い切り揺らす。今までにないほど激しく軋む音を立てているのを確認し、手を留めずに動かし続けた。
破壊することはできなくていい。誰かがこの音に気づいて、オレが本気で抜け出そうとしていることに気づいてくれさえすれば。
どのぐらいの間をそうしていただろうか。
忙しなく扉が開く音。階段を転がるように駆け下りてくるひとつの影が、そのまま部屋に飛び込んできた。
ただし、その人はシュリではなく。
「後藤さん……」
シュリ以上に顔を合わせていなかった彼は、この状況下でさえいつもと変わらぬ無表情だった。
でも何となく、やつれたようにも感じる。
オレがここに閉じ込められている間に、シュリとの間で何かあったのだろうか。それとも、彼自身の中で渦巻く何かの感情からだろうか。
――……左様でございます。
シュリの目的は後藤さんの目的。後藤さんの目的はシュリの目的。二人はいつも同じ方向を見ていて、共に歩いている。たったひとつの結末に向かって。
しばし、沈黙が流れた。何も言いたくなかったわけではなく、互いに言葉を探していたのだと思う。
「さっきの音は、いったい……」
結局、後藤さんはきっかけがなければ言葉を発せないでいる様子だったので、オレがそう尋ねていた。
じっと見つめるオレの目を見、ずっと叩いたり揺らしたりし続けていたオレの手を見、彼は少しだけ眉を悲しげに歪ませた。
その表情に目を瞬かせると、夢中になりすぎていたせいか真っ赤になっている。自覚することで痛みが襲ってきたが、それどころではないと思い直し、無視した。
「恐らくお察しでございましょう。爆発音です」
後藤さんもオレの思考が分かったのか、手については特に触れることなく、淡々と言う。
半ば確信していたことであっても、誰かにこうして改めて言われることによって破壊力が大きく増した。
「どこで……この家ではないですよね?」
この家が爆破されていたのなら、あれぐらいの衝撃と音では済まなかったはずだ。第一、そんな近い位置での爆発だったら、後藤さんだって大なり小なり怪我をしていなければおかしい。地下室だからオレには何もなかったのだとしても。
だけど彼には傷ひとつない。近いとしても別な場所で起きた出来事だと考える方が自然だ。
「はい。この家ではございません。それについてはご安心を」
引っ掛かりのある言い方に、オレは少し眉を顰めて後藤さんを見た。
「それについて、は……?」
思わず返した言葉は、後藤さんに自分の失態を思い知らせるには充分だったらしい。無表情だったものがわずかに強張ったのが分かった。
心臓が耳の近くでどくどくと脈打っている。終いには破裂してしまいそうだ。
「珠里お嬢さまがこの家から脱走なさいました。行方は未だに分かっておりません」
シュリが、この家からいなくなった?
逃げたところで他に行く場所などないのだから、この家から逃げるなど無駄なことだ。シュリをずっと見てきただろう後藤さんは、そう言っていたのに。
あまりの衝撃的な出来事に息を呑む。
しかし、そんなものはまだ序の口だったのだ。
「――そして、今の爆発は、村田本社にて起こったものです」
「なッ……!?」
声にならない声が飛び出て頭が真っ白になる。一瞬目の前にも白い景色が広がったし、目眩がしそうだった。
村田コンツェルンは、幾百もの傘下企業グループを抱えるこの国における経済の要のひとつ。世界に誇る大企業でもある。
その本社ビルといえば、コンツェルンの中枢だ。最重要拠点といってもいい。
話題の大小にかかわらなければ、テレビニュースにはほとんど毎日映される。オレも何度も実際に眺めたことのある、馴染み深い建物なのに。
あれが、爆破された? セキュリティも当然のごとく万全であるはずの場所で、どうやって。
「怪我人が多数出ているとの情報は得ていますが、その正確な数や死者の有無などの細かい情報は、混乱の大きさのために分かっておりません」
後藤さんも淡々と語ってはいるけれど、語尾が微かに震えている。
動揺しないわけがない。シュリの父親が代表を務めている上條グループは、コンツェルンの第一傘下。コンツェルン自体がそんな多大なる損害を被った中、傘下企業のトップである上條だってダメージは計り知れない。
その上條に仕えているのだから、平静でいられるという方が稀だろう。
しかも、後藤さんにとってはそれ以上の意味を持っているのではないのか。
「犯人は、分かっているんですか?」
だってオレの予想ならば、この事件の犯人は。
普通の人たちならば、テロだとかそういうものを疑うのだろう。オレだって、この家に監禁されたりしなければ、まさかこんな疑いは持たなかった。
実際テロであるともいえるとは思うが、この爆破事件はきっと、政治的な主張とか、宗教のいざこざとか、そういうものが原因で引き起こされたのではない。
もっと単純で、もっと原始的な感情からのもの。
「いいえ。そういった情報は、こちらには渡ってきておりません」
それは無感情になりきろうとしている目だと、過ごした時間が短いオレでも分かる。
だから、オレが聞きたいのはそんな一般的な答えじゃない。
「――後藤さんは、どう思っているんですか?」
シュリがいなくなったのなら、貴方もオレと同じように、彼女がやったと思っているんじゃないですか。
言外に込めた思いに、彼は気づいたのかどうか。
目を見張ることで、微かながら初めて顕著に動揺を示した。オレは逃すまいと必死で彼の視線を捉えようとしたけれど、最終的には顔ごと逸らされてしまう。
「……私は、意見できる立場にございません」
言い残して逃げるように去っていくその背中に、オレは初めて、本当の彼を見た気がした。




