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青に染まる部屋

 夢を見た。

 オレは泣いている。うずくまって泣いている。誰かを呼びながら。

 ――とうさま。

 確かに自分から発せられたはずなのに、まるで聞いたことのない声だった。

 いや、違う。聞いたことはある。だけど、オレのものじゃない。

 ――ねえ。どうしてとうさま、あいにきてくれないの?

 目の前に佇むのは、中年の男。後藤さんと同じようにきっちりとスーツに身を包み、こちらを見下ろしてくる。

 ――代表はとてもお忙しい御方です。時間をお作りになることができないのでしょう。お嬢さまがいい子にしていらっしゃれば、きっと会いにいらっしゃいますよ。

 『父さま』。『代表』。『お嬢さま』。その言葉たちの意味するところは。

 ――とうさまにあいたい。かあさまは……なんでしんでしまったの? わたしをひとりぼっちにしたの?

 あいたい、あいたいよ。涙声が反響し、視界がぐにゃぐにゃと歪んでいく。そして回る。ぐるぐる回って、落下して。恐ろしさに目をきつく閉じた。


 瞼を再び開くと、そこは現実世界だった。薄暗闇に包まれた世界が、先ほどまでのものの方が幻なのだと教えてくれる。

 頭が重い。ゆっくりと上体を起こし、こめかみの辺りを押さえた。

 隣を見ると、シュリがまだ深く眠っている。時計を見れば朝の4時を少し回ったところだし、まだまだ起きる必要はない。だが冴えてしまったこの意識では再び就寝することは厳しそうだ。

 かといって、動くこともできない。寝返りを打つシュリを見ながら小さくため息をつく。

 首に手を伸ばすと、冷たい金属の感触がした。その先に伸びた長いものからも同じような温度が感じられる。首輪とそこから伸びる鎖は相変わらずのままだった。

 仕方なく再び寝そべり、無機質な白い天井を眺める。

 それにしても、今の夢は何だったのか。いや、記憶の再生であることには間違いない。オレのものではなくとも、誰の記憶が姿を現したのかは明らかなのだけど。

「何で記憶が……」

 思わず声に出してしまっていて、慌てて隣を見た。深い眠りに落ちているようでシュリは微動だにしていない。胸を撫で下ろし、思考に埋没する。

 多分、彼女の幼い頃の思い出がオレの夢に出てきたのだ。それは分かる。どうしてそうなったのかという原理が不明なだけで。

 一緒に眠りに就くと、どちらかが片方の夢へと渡ることがある――なんてメルヘンな話を聞いたことがあるにはあるが、実際にそんなこと有り得るのだろうか。

 ふと左腕にあたたかいものがくっついてくるのに気づき、そちらを見遣る。予想通りシュリが甘えるように頬をすり寄せていた。もちろん、眠ったまま。

 彼女の新たな一面に触れたような気分で、少し驚いた。もう随分と色んな表情を見ていた気がしていたから。

 でもよくよく考えれば、ここに来てからまだ3日目なのだ。知らない一面があってむしろ当然なのだ。あまりの密度の濃さのせいで、ものすごく長い時間を共に過ごしていたように思っていたけれど。

 長い金の髪を梳いてやると、シュリは満足そうに何か寝言を口にした。子供みたいだ。

 小さく吹き出して、目を閉じる。子供みたいに高いシュリの体温で体があたためられてくるうち、もう一度眠ることができる気がしてきたのだ。

 予想通りあっという間に寝ることができたけれども、先ほど見た夢のことは、後藤さんに起こされた頃には頭の片隅に追いやられてしまっていた。

 初めてまともにシュリの『日常』に触れ、そちらに気を取られてしまったというのも大きい。

 起きて、食事をして、その後はあの本に囲まれた部屋にこもって、しばらくしてから昼食を取り、それが終わればまた本の部屋に籠る。これが常なのかと訊けば肯定された。これでよく太らないものだ。そういう体質なのかもしれないが。

 別にオレは活発な方ではなかったけれど、家にいた時は掃除なり洗濯なり食事の用意なりで動き回っていたから正直退屈だ。

 お手伝いさん二人に家事を手伝いたいと申し出たが、予想通り聞き入れてはもらえず、シュリの傍でのんべんだらりとしているしかない。幸いにも本は山ほどあるから、どうにか暇を潰すことはできたけれども。

 でも、「退屈だ」とか思えている時点で、オレの神経は割と図太いのかもしれない。

「あいちゃん?」

 目についた一冊のページをぱらぱらとめくっていたオレは、その声に反応して顔を上げた。

「今日の夜さ、ぼくと一緒に星空観賞会しない?」

「星空観賞会?」

「うん。1週間に一度本家から来る監視役がいるんだけど、そいつと後藤がいれば、父親の気まぐれでたまーに許可出るの。屋上で見てみない?」

 どうせ夜も明るいからそんなには見えないけどねーと彼女は残念そうにしているが、一も二もなく頷いた。オレも星を眺めることは好きだから。

 ここに閉じ込められる前、あの家で感じる息苦しさが頂点に達すると、よくオレは屋根に登って星を眺めていた。その瞬間だけは自由になることができる気がして。

 そう思うと、オレも自由などではなかったのか。他人事のように考える。

 だけどオレは、家から出してもらえないことなどなかった。

 オレとは比べ物にならないくらいに自由のないシュリだもの、空を見上げたくなるのも無理からぬところがある。

 絶対に会うことなどないだろうが、よしんばシュリの父親たる上條代表と対面することがあったとしたら――オレはきっと張り倒すかもしれない。

 どうして愛してやらないんだ、って。彼女が望んでいることなんてとても簡単なことなのに。たったそれだけのことなのに。

「やったー、あいちゃんも一緒! じゃあ、夜まで好きにしててね」

 オレが考えていることを知る由もないシュリは、上機嫌で自分の好きな作業に没頭し始める。

 オレはこんな1日の過ごし方を退屈だと思うけれど、彼女にとっては日常で、順応するしかなくて。たとえ望んだとしても、『普通』の日々は手に入らない。こうして彼女が白い家に封じられている限り。だとしたらどうにもならないことを喘ぐより、日々を楽しんで生きることだけが彼女に残された道なのか。

 考えてしまうと頭から打ち消すことができなくて、思わず抱きしめてしまっていた。

 じゃらりと鎖が泣く音で自分がどういう状況に置かれているのか改めて思い出す。監禁犯を進んで抱きしめているのは、被害者である人間。滑稽というか、異常というか。

 でも沸き上がる気持ちはどうしようもなかった。この腕の中に留まらせたくてたまらない。オレは彼女に同情しているのだろうか?

 ――あら坊や、あなただあれ?

 ただ、愛してほしかっただけなのに。

「あいちゃん、どしたの?」

 シュリは驚いたように目を瞬かせている。何とも反応に困り、曖昧に笑った。

「何かあったの?」

 今日の明け方に見た夢が、問われて初めて頭の端を掠める。ああそれでか、と自分でも納得がいった。オレも彼女も親から見捨てられて、泣くことしかできなくて。自分と似たところを感じさせる部分にシンパシーを感じているのかもしれない。

 しかし、口にしづらい。どうして一人ぼっちにしたの、と泣いていたのはオレだったけれども、それは夢の中での話。


 実際にああやって泣いていたのは、間違いなくシュリだ。


「寂しいの……?」

 泣いていたのはどちらだったのか。寂しいのは、どちらの方なのか。

 薄茶の目がオレを真っ直ぐに射抜く。そして彼女の人形のように美しい顔がゆっくりと近づいてくるのは分かっていたけれど、よけなかった。

 柔らかい唇がオレのそれに押し当てられるのとほぼ同時、瞼を伏せる。離されて再び目を開いた時、彼女は意外そうな顔をしていた。

「曲、」

 シュリが口を開く前に。そう思って少し焦ったからか、口をついたのは自分でも何ゆえであったのかよく分からない言葉だった。

「曲?」

「あ、うん。お前、普段は何を聴いてるのかなって思って」

 オーディオ機器を指差しながら取り繕うと、怪訝そうだった彼女は納得したように頷いた。

「いろいろ聞くけどねー、うーん……でもほとんど毎日聴いてる曲はあるよ」

「毎日?」

 それがほぼ日課のようになっているということだろうか。

「うん。大好きなんだ」

 シュリはにこりと笑って、しばらく動作させていなかったためスクリーンセーバーになっていたパソコンを操作し始めた。間もなく、部屋中を音が満たす。

「これ……」

 最初に耳に届いたのは、クラリネットの伸びやかな音だった。

「ふっふー。知ってる?」

 にこにこと笑っている彼女に、「聞いたことは、ある」と呟く。

 テレビなどでよく耳にするメロディなのだが、ここまで心が揺さぶられたのは初めてだ。

 機器の性能が高いからなのか音質がよく、それ故かもしれないが、耳に入る音総てに圧倒される。

 クラリネットの音が軽快に跳ね、ピアノの音は楽しげに踊る。トロンボーンの音は心を直接掴んで揺さぶってくるかのようで。

 なぜだろう。明るい曲だと思うのに、オレには酷く青に満ちているように聴こえる。

 青は美しい色である。けれどもそれと同時に、悲しさや寂しさに支配された色だ。

「曲名は……?」

 シュリはそれに柔らかく微笑み、オレの手をそっと握る。


「ラプソディ・イン・ブルー」


 ああ、その名前は、なんて――

「青の……狂詩曲……?」

なんて青に満ちて、彼女が焦がれてしまうに違いない名だろう。もちろん、オレもまた惹かれてしまうわけでもあるのだけど。

「ふふ。あいちゃんたら、ぼくと訳し方がおんなじ。ぼくもそう思うんだぁ」

 中の人間に逃げることを決して許さない嵌め殺しの窓。そこから覗く、まるで子供が絵の具を塗りたくったかのように青い空。それに視線を遣りながら彼女は笑う。笑っている。その顔はとても柔らかいのに、同時にとても悲しくて、苦しげで、それでいて空虚だ。

「狂詩曲。ものすごく綺麗な言葉だとは思わない? 狂ったうた、だよ。なんてぼくにぴったりな言葉だろうって、初めて聞いたときは感動しちゃったよ!」

 けたけたけたけたと笑い転げる人形のように美しい少女。

「だから大好きだよ、この曲。残念ながらわたしには楽器の類はできないけど」

 何度目だ。シュリのこの、狂気に満ちた目に悪寒を覚えるのは。

 思い知る。どれだけオレが勝手に心を寄せたところで、彼女は狂人には違いないのだということ。そういう彼女にシンパシーを覚えるということはつまり、オレもまたそちら側に近づいているのだということ。

 笑みを含んだままの表情を湛えた彼女に、後ろにあったソファへと倒される。見下ろしてくる彼女の目の色は、いつかと同じ。縋るような、そして同時に更なる狂気に支配された色に満ちている。

 ああ、怖い。恐ろしい。

 監禁初日以来の悪意をびりびりと肌で感じる。痛いくらいに。こうして恐怖に定期的に晒されないと、ここでの生活は心地よすぎて、自分が監禁されている身だということを忘れそうになる。

 彼女が今わざわざオレを冷たい笑みを浮かべながら組み敷いているのは、もしかしたらそれを狙っているのかもしれない。お前の命は自分が握っているのだ、それを忘れるな、と。

 彼女は犯罪者で、オレは監禁されている身なのだ。変えられないはずの前提が時を重ねれば重ねるだけ薄らいでいく。それはきっとオレの脳が懸命に現実逃避をしようとしているからなのに、聡くて残酷な彼女はそれを赦さない。

 彼女の望みは、オレを傍に縛り付けておくこと。身体だけでなく精神も、生命自体も全部。オレの何もかも総ては既にオレのものではなく、彼女のものなのであると刻み付けようと言うのだ。

「あいちゃん、わたしのこと今『怖い』って思ったでしょう」

 皮肉っぽい口角の持ち上げ方。このたった13、4の少女は、いったいどこでそんなものを覚えてくるのやら。

 だが、それよりもまず気になることがある。

「前々から思ってたけど、何でオレの考えることが分かる?」

 問いかけに、シュリは艶やかな笑い声を上げた。

「だってあいちゃん、分かりやすいもの。嬉しいことも悲しいことも、むっとしてることも簡単に察せるぐらい顔に出てる」

 少しむっとしたが、結局は何も言い返せない気もする。口に関しては多分に彼女の方が達者なのだから。

「……オレはどうでも。あの鉄仮面の後藤さんの考えてることまで簡単に読み取ってるだろ」

 無表情で、オレに限らずほとんどの人が何を考えているのか分からないというのに、シュリは驚くくらい容易く読み解く。付き合いが長いから、というだけではあまり済まされない気がする。

 ――私が嘘を申し上げていないことくらい、お嬢さまならお分かりになるでしょう。

 昨日の朝に後藤さんから発せられたあの不可思議な言葉と、脈絡なく差し出された右手。シュリはそれを取って間もなく、納得した上で部屋を出て行った。

「……、ナ・イ・ショ。秘密が多い方が女は綺麗になるって言うでしょ」

 少しの沈黙の後、彼女は立てた人差し指をおどけた表情で唇に当てる。秘密が多いどころか秘密だらけだ、と思うも、口にはしない。

 馬乗りになった彼女がオレの鎖骨に指を伝わせるので、僅かに劣情が煽られる。無意識に動いた足が蹴ってしまったせいで、軋むような音を立てて鎖が再び泣いた。耳障りな、しかしそろそろ耳に馴染み始めてしまった金属音が荘厳な音楽の間に紛れ込む。

「あんまり我儘言ったり詮索したりすると、牢屋に繋いじゃうから。分かった? あいちゃん」

 ほとんど吐息と言ってもいいほどの笑い声が耳を掠めるとほぼ同時、耳朶に触れさせられた唇。

 牢屋なんかあるのかよ。言おうかと思ったけれども、ろくなことにならないだろうからやめておいて素直に頷いた。

 一度上体を起こしていたシュリは満足そうにして、また徐々にこちらへ体を倒してくる。

 『青の狂詩曲』に脳の芯を心地よく揺らされながら、シュリの舌が首筋を這うのを黙ってただ感じていた。

 熱い吐息が漏れそうになるのを強く唇を噛むことでこらえ、それでも耐え切れなくなると拳を握りしめる。

 だが彼女はそんな小さな抵抗など無意味だと言うがごとくオレを嗤い、肌蹴はだけた部分に紅い痕を残していく。

 最後の頃には、自分の頭をドロドロに溶かしているのがシュリの甘い声なのか曲なのか、それとも両方なのかさえ、呼び起こされる強烈な快感故に分からなくなっていた。

「あいちゃん、可愛い」

 楽しそうに笑う彼女と、疲労のせいで口も利けないオレ。柔らかいシュリの肌の感触が手にこびりついているくらいで、あとは何も感じられないぐらいに疲れ果てていた。

 リピート再生になっていたらしく、流れているラプソディ・イン・ブルーはもう数回目だ。

 額を流れる汗に不快感を覚えつつ目だけを動かしてシュリを見ると、彼女はオレのシャツを羽織っただけの姿でぼんやりとまた窓の外を眺めている。

 そこでまた、あの曲名が脳裏に浮かんできた。

 狂詩曲とは自由な形式で表現された曲のことを言う。

 彼女にとって『自由』とは最も縁遠いものではなかったのか。だから焦がれたのではないのか。

 訊いたところで、彼女は決して答えはしないだろうけど。

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