第7話A
「喉渇くなあ……」
ペットボトルの水を飲みながらぼやく。肉料理だけの食事はとにかく喉が渇いてしょうがない。水は大量に持ってきていたから困らないけど。
今朝はカエルの唐揚げを作ってみた。これが意外に美味いから驚きだ。
「しょうがないじゃない。我慢しなさいよ」
千歳が子供をなだめるように言う。
(もともとは千歳のせいじゃん……)
原因を作った人に言われると腹立たしい。言わないけどね。
山のダンジョンを抜けてから一晩が明けた。食料を手に入れた僕たちは再び、最果ての街に向かって歩いている。幸い後は平坦な道が続くだけだ。遠くの彼方におぼろげな街の姿が見える。
街が見え始めた時には喜びのあまり歓声をあげてしまった。それほどまでに、ここまでの道のりは長かったのだ。もう疲れた。早くまともな布団で寝たい。心からそう願ってしまう。
街に向かって駆け出したい気持ちを抑え、一歩一歩歩む。
「あれ?」
ふと、何かが目にとまった。
千歳が歩みを止める。
人が立っていた。50メートルも離れていない所に佇んでいる。見晴らしがいいのに、この距離になるまで気づかなかった。まあでも、周りに気を配っていなければ気づかないのも無理がない。そう言えるような距離でもある。
千歳が再び歩き出した。後を追う。
「いいの?」
不安になって、千歳に尋ねた。
「他に選択肢がないでしょうが。プレーヤーが目の前に現れたからって、どうするの? 戦うのが嫌だから前の街に戻るの? そんなんじゃ一生他の街に行けないじゃない」
「そっか」
呆れたように言う千歳にそう答える。確かに千歳の言う通りだ。尋ねる前から答えは決まっている。進むしかないのだ。
目の前の人物は動かない。まるで石像のように、微動だにしない。人間なのか一瞬疑ってしまうほどだ。
段々と目の前に立つ人物に近づいていく。
その人は、女性だった。背の高い、スラっとした女性だ。さっきから一歩も動かない。動いているのは風に揺られている肩ほどまで伸びた黒髪だけだ。こちらをじっと見ながら、何もせずただただ立ち尽くしている。その女の武器だろう。鋼鉄の円柱を左右に一つずつ取り付けたような、シンプルで無骨な鎚の柄を片手に握り、ハンマーの部分を地面に置いている。
さらに近づき、千歳が歩みを止めた。10メートル程の距離を隔てて対峙する。
その女性の目を見て、息を呑んだ。
殺気に満ちているわけではない。ある意味、逆かもしれない。
彼女の目には意思が感じられなかった。虚ろな眼差し。
「……」
その目は奈落を感じさせた。どこまでも、永遠に続く深い深い穴。そして、その中では深淵なる闇が蠢いていた。その闇に、思わず吸い込まれそうになる。
この人は、コイツは危険だ。頭の中に警報が鳴り響く。
目の前の人物からは生きている人間が感じられない。言うなれば、死体だ。
「……任せたわよ」
千歳がゆっくりと距離を取り始める。
2ndアビリティを発動した。大剣を呼び出し、構える。
「!!」
さっきから微動だにしなかった女が、突如として動き始めた。地面を蹴り、ハンマーを振り上げながらこちらに突っ込んでくる。
慌てて身を守るように構えた大剣が、真上から振り下ろされるハンマーにぶつかった。
戦いが始まってからすぐに気づいた。
この女の補助効果は僕と同じ、『剛力』だ。
彼女の振るう武器を見れば当たり前かも知れない。彼女のハンマーはきっと僕の大剣より重いだろう。剛力がなければ持ち上げることすらできまい。
ただ、それ以上に根拠として僕に訴えるのは彼女の動きだ。
同じ能力を使っているから分かる。彼女の動きは剛力無くしてはありえない。
「ぐっ」
女の振るうハンマーを大剣で防ぐが、その衝撃を受け止められない。押し負け、膝をつく。
そのまま上を仰いだ時には、すでに彼女の姿はない。
真後ろに彼女が降り立つ音がした。
本能の命じるままに地面を蹴って転がる。ハンマーを躱し、素早く起き上がった僕の目に真横から襲いかかる鉄槌が映った。
なす術なく吹き飛ばされ、地面を転がる。
回転が止まるのと同時に地面を蹴り、起き上がりながら体を真後ろに飛ばす。
僕の目の前を唸りを上げながらハンマーが通り過ぎた。
距離を取りながら頭の中で必死に考える。
彼女の戦闘能力は今の僕を凌駕していた。このままではジリジリと押され、敗北するのが分かる。
しかし、いつものように転送装置で逃げることはできない。転送装置を使えば、今までの苦労が水の泡となる。
女がアクセルを使って突っこんできた。
考えがまとまらぬまま振り下ろされる鎚を剣で防ぐが、勢いは殺せずに吹き飛ばされる。
起き上がり、今度はこちらから攻める。地面を蹴り、雄叫びをあげながら大剣を女目掛け振り下ろした。
「うおおおおおおお!」
女の振るった鎚と衝突する。
押し負けたのは、僕だ。
体勢を崩した僕にハンマー襲いかかり、吹き飛ばす。
空を舞う僕に鉄槌が振り下ろされた。地面に叩きつけられ、一瞬意識がとぶ。
「う……」
呻きながら起き上がった僕の目の前で、女が5thアビリティの待機時間を終える。
闇を纏ったハンマーが僕に叩きつけられ、吹き飛ばされた。
朦朧とする視界の中で体力ゲージの上に追加されたアイコンを見る。
『脱力』か。どうりで体が重いわけだ。
しかし、今はそんなことを気にしている暇はない。さっきから7thアビリティの警告が視界で点滅している。そっちのほうが問題だ。
起き上がり、視界に女を捉える。女の周りを数字が螺旋状に取り囲み、数を減らしていた。なんとかしないといけないが、力が入らない。絶望が水に浸けた布のように染み渡っていく。気ばかりが焦るが、体動かない。焦りが絶望を吹き飛ばし、恐怖が頭の中を埋め尽くす。パニックになった。
女はじたばたと暴れる男を、感情を感じさせない瞳で見つめていた。自分にとってプレーヤーを狩ることはこの世界で課された責務だ。ただ淡々とこなすべき義務であり、今更思うことなど何もない。
その視界に、7thアビリティの警告画面が表示された。
横を見ると、離れたところに新手の女が立っているのに気づく。こちらを睨んでいる。
まあいい、そう思った。
今からではどうにもならない。ただ殺す相手が変わっただけだ。
女の待機時間が終わった。地面を蹴って高く飛び上がり、昼間の白い月と重なる。深い絶望の中でそれを見上げた。
女の全身が縦に回転し始める。そのまま、斜めに降りかかっていった。僕とは見当違いの方向に。
「え?」
思わず驚きの声を上げてしまう。女の向かう先には、いつからいたのだろう、別の女が数字を螺旋状に纏って立っていた。
短めのポニーテールを揺らす二人目の女の待機時間が終わり、手に持つ弓から光り輝く矢が放たれた。矢は黄金に輝く大きな鳥になって、降りかかる女と衝突した。
爆発が起こり、轟音が天を揺らす。
もくもくと上がる煙の中から、吹き飛ばされた一人目の女が姿を見せた。そのまま地面に落ち、バウンドして地面に叩きつけられる。
ハンマーの女はフラフラと立ち上がり、弓を持つ女を無感情な瞳でしばらく見つめると、背を向けて立ち去っていった。
突然の事態に頭が追いついていかない。新しく現れた二人目の女性を見つめる。その女はまだ、立ち去る女を見つめていたが、僕の視線に気づくと、今度は僕をキッと睨んだ。
竦み上がる。
彼女は僕を睨みつけたまま、ズンズンとこちらに向かってきた。
「あ、あの……」
ジリジリと後ろに下がりながら、近づく女に声をかける。
「…………」
返事もせず、無言で僕を救った女が弓を持ったまま近づいて来る。こ、怖い……
その女は僕の目の前で足を止めた。何も喋らず、僕を睨む。
(そ、そうだ、お礼をしないと)
とりあえず何か言おうと口を開いた。
「あ、ありが、くぺっ!」
お礼を言おうとした僕の首を、突然女が締める。
「く、苦し……」
息が……できない……!
「どこに……」
必死な表情で睨み続けながら、僕の首を絞めるポニーテールの女が口を開いた。
(良かった。今度はしゃべれる人だ……)
そんな場合じゃないというのに、奇妙な安堵が胸に広がる。
「どこに行ってたんですか!!」
「へ?」
女が叫ぶ。
彼女の言葉の意味を考える余裕は僕にはない。あ……意識が白んできた……
「どこにっ……どこをほっつき歩いてたんですかぁ……」
女の声に涙声が混じる。
(え……?)
朦朧とした意識の中で、彼女の言葉が引っかかった。
女が首を離す。
「げほっ……げほげほっ……」
崩れ落ちて噎せる僕の肩を女がガシッと掴んだ。
「どこ行ってたんですか!!」
涙声で女が叫んだ。その目には涙が溜まっている。
「ええ……?」
訳が分からず、ただ惚けているしかない僕の肩を女が揺すった。女のポニーテールが一緒に揺れる。
「し、心配してたんですからっ! ずっと……探してぇ……う、うわああぁああああああああん!!」
女はそのまま僕に抱きついて、声を上げて大泣きし始めた。
ちんぷんかんぷんでされるがままの僕を抱きしめながら、女はそのまま泣き続けた。
「うわあぁぁああああん! うわああぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああん!」
混乱しながらも、彼女の温もりに、不思議な安堵を僕は感じていた。




