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第5話A

 また朝が来た。

 どんなことが起きても、人が何を思っても、変わらず朝が来る。それはこの世界バーチャルワールドでも同じだった。

 優樹は窓から差し込んできた陽光の眩しさに、うっすらと目を開いた。


 昨日はよく眠れなかった。

 神井さんの死を見届けたあと、クエストをクリアしていつものように千歳と別れて布団に入ったが、頭がモヤモヤしてまったく寝付けなかった。

 神井さんはなぜ死んだのだろう。

 それ以前に、本当に神井さんは死んだのか。

 実感がまるで湧かなかった。街に出たら、魅惑的な微笑みを浮かべて悪戯をしてくる神井さんにまた出会うような、そんな気さえしてくる。

 本当は答えは分かっていた。

 神井さんが死んだ理由も、神井さんに会うことは二度とないことも。

 きっと、覚悟はしていただろう。この世界に来た瞬間から。いや、このゲームに参加すると決めた時点から。

「神井さん……」

 特に親しいわけではなかった。むしろ、最初に出会った時には殺されそうだった。

 それでも、心は重く沈んだ。

 分かっている。

 苦手と言いながら、僕は神井さんのことが結構好きだったのだ。



 まだ待ち合わせの時間には早かったが、二度寝する気になれず、待ち合わせ場所に向かうことにした。

 待ち合わせ場所はいつものカフェだ。

 ぼ~っとしながら歩く。心ここにあらず、といった感じだった。

 だから、先客がいるのにまるで気付かなかった。

「おや、君は……たしか斎藤君といったかな?」

 小泉俊昭がカフェでパンを食べていた。


「浮かない顔をしているな」

 ちぎったバターロールを口に運びながら、俊昭がいつものキザな笑みを浮かべて尋ねてくる。

「……よくそんな平気でいられるね?」

 わけもなく不愉快になった。人一人を殺して、何事もなかったように過ごせる精神が理解できない。

 俊昭が少し驚いたような表情を浮かべた。

「もしかして、彼女が死んだことを知っているのか? 驚いたな。もしかして、昨日私たちがいた場所の近くに君もいたのかい? そうすると、黒い魔法使いもか……。いや、油断していたな」

 俊昭は一気にまくしたて、何かを思い悩むように腕を組んだ。

「平気なの?」

 つい訊いてしまっていた。こんなことを訊いても意味がないことは分かっているのに。

 俊昭が怪訝そうな顔をする。

「平気って? もしかして、私のことを心配してくれているのかい?」

「違う!」

 思わず激昂してしまっていた。

「殺したんじゃないか! 神井さんを! どうしてそんなに平気でいられるんだって、そう訊いてるんだ!」

 俊昭は一瞬呆気にとられた後、宥めるように口を開いた。

「申し訳ない。君がそんなに彼女と仲が良かったとは知らなかったんだ。許してほしい。悪気はなかったんだ。ただ、」

「違うよ!」

 怒りで目の前が真っ赤になる。自分でもなぜか分からない程の怒りが体中から湧き上がった。

「別に大切な人を殺されたから怒ってるわけじゃないよ! どうして人を殺して、そんなに普通でいられるんだって、なんでこれっぽちも後悔とか、罪悪感とか、そういうものを感じてないんだって、どうして……!」

 言葉が続かない。息が切れて、言いたいことがまとまらなくて、叫びたいことはたくさんあるのに、声が出ない。

 本当は分かっている。目の前にいる男はこれまでに何人も人を殺してきて、神井さんもそのうちの一人でしかないことを。神井さんだって、この男を殺そうとしていたことも。それでも……

「小泉さんは、知っているの? 神井さんが、何を考えて、どんな思いで今まで過ごしてきたか。どんなに悩んでいたか。どんなに苦しんでいたか。どれだけ夢のために、頑張って生きてきたか。僕は知らない。知らないけど。だけど……!」

 俊昭が「はぁ……」とため息をつく。顔を上げ、白けた表情で淡々と語り始めた。

「君ね……あんまり私ばっかり責めないでほしいなあ。彼女だって私を本気で殺そうとしてたし、実際私ももう少しで殺されるかもしれないところだったんだ。それに、私にだって叶えたい願いがあるんだよ? 彼女がどんな願いを持っていたか知らないけど、差別してほしくないなあ」

 俊昭はそこで一息つき、フッと笑った。

「それにね、そんなに彼女が自分の願いを叶えたかったんなら、私に勝てばよかったんだ。勝てなかったのは彼女の自己責任だよ。私のせいじゃない。私を責めるのはお門違いさ」

 そこまで言って、言うべきことは済んだとばかりに食事を再開する俊明。

 僕はしばらく黙ってしまっていた。俊昭が言うことは正しい。それに比べて、僕のはただの子供のおねだりだ。それでも、

「それでも、小泉さんは神井さんの全部を奪ったんだ……」

 そう。奪ったのだ。昨日までさおりが苦労して貯めてきた経験値は、全て俊昭のものになった。

「いい加減しつこいね……」

 俊昭が再び顔を上げて睨みつけてくる。その顔にははっきりとした敵意がこもっていた。

「いいかい? 弱肉強食はこの世界の摂理だ。略奪はこの世界の根幹だ。太古に他の生命から栄養を得る生命が誕生してから、略奪はこの世界の基本になった。学校で先生から略奪はいけないことですと習ったかい? そんなのはまやかしだ。その教師だってそれまで生きるのにどれだけの人を蹴落とし、どれだけのものを奪ってきたか。今の社会じゃ見えにくくなっているが、生きている限り何かから搾取し続けている。そうしないと生きていけない。君は、ライオンがシマウマの、今まで草を食べて貯めてきた栄養を奪い尽くしているのを見て、ライオンを責めるのかい?」

「…………」

 何も、言い返せない。勢いに押されて、口を開くことさえままならなかった。

「君は甘い。甘ったれているんだよ。綺麗ごとが好きな連中のまやかしに流されて、この世界の本質が見えていない。自分の後暗いことから目をそらして、他人ばかり責める。もういい。君と話しているとせっかくの朝食が不味くなる。早くどこかに行ってくれ」

 何も言い返せないまま、追い立てられるようにその場を後にする。

 反論しようと思えば、できたかもしれない。だけど、何も言えなかった。分かっていたのかもしれない。自分に、彼を責める権利なんてないことを。



「あんた、まだそんなしけた顔してんの?」

 隣を歩く千歳がため息をつくように話す。

「そんなに仲良かったけ?あの……なんて言ったけ?名前忘れちゃった。あの、」

「神井さおりさん」

「そうそう。さおりと」

 はぁ……とため息をつく。

 昨日なんだか寂しそうな顔をしていたのはなんだったんだろう。名前すら覚えていないなんて。

「あんたさ、最初はさおりに殺されかけてたじゃない。もう忘れたの?」

「……覚えてるよ。それくらい……」

「じゃあなんでそんなに落ち込んでんのよ。お人好しにも程があるわ」

「…………」

 千歳は黙り込んだ僕を一瞥して嘆息したあと、無視するようにズンズンと歩き始めた。

 そんなに仲が良かったわけじゃない。だけど、一昨日の夜に神井さんが話してくれた言葉がまだ心に残っている。

(自分のレベルを、経験値を見て、思う時があるの。これが自分が踏みつけてきた人たちの重みなんだって)

(みんなそれぞれ別々の、十人十色な『殺しの哲学』っていうのを持っていると思うの。お姉さんはそれを集めて本にしたらすごく素敵だと思うわ)

 神井さんの言葉を思い出す。

 神井さんは言っていた。辛い時があると。殺し続けて、その重みに苦しさを感じる時があると。

 きっといろいろ悩んでた。それでも一生懸命、必死に生きてきた。だけど……

「……無駄、だったのかな。神井さんが今までやってきたことって。今まで考えてきたことって」

「そうね」

 背中を向けたまま、千歳が即答する。

「結果の出なかった頑張りなんて、努力とすら呼ばないわ。努力はそれが実って初めて価値を持つの。結果が出なかったら、それは全部無駄なのよ」

「どうして!」

 思わず怒鳴っていた。一瞬頭を冷やし、口を開いて静かに言う。

「どうして、そんなひどいことを言えるんだよ……」

 千歳は立ち止まって振り向いた。その顔にははっきりとした憂いが浮かんでいる。昨日見た、あの表情と同じだ。

「それでも、全部無駄になっても、さおりは本望でしょう。そりゃきっと簡単には成仏できないくらい未練が残っているでしょうけど、少なくとも、自分の願いのために戦って死ねたんだから。一番ひどいのはね、きっと何もわからないまま、何の意味があるのかも知らずに他人の勝手な都合で死ぬこと。その点、彼女は自分の選んだ道の終着点として死ねたのよ。少なくとも、あたしはそう信じてる。それって、恵まれているのよ。きっと」

「…………」

 黙ってしまっていた。何も言えない。自分が恥ずかしい。きっと、千歳だって何かを感じている。それを想像すらできなかった自分がたまらなく恥ずかしかった。

「ほら、いつまでも辛気臭い顔しないの。あんたが生き続ける限り、これから何度も他人の死を見ることになるでしょう。そのたんびに落ち込んでちゃ、キリがないわ。」

「……うん。そうだね」

 無理やりに笑って、千歳に笑顔を向ける。

 多分、慣れるまでにはそうとう時間がかかるだろう。もしかしたら慣れることなんてないのかもしれない。きっと誰かが死ぬたびに僕は立ち止まって悩んでしまう。

 それでも、その度に必ず立ち上がって、死んだ人のことを胸に刻んで、歩き始めようと思った。


「もうこの街にはクエストがないわ」

 歩きながら、千歳がこの後のことを説明してくれる。

「だから、別の街に向かうのよ」

「別の街?」

「そう」

 千歳がマップを開く。それを僕にも見れるようにしてくれた。

「今私たちがいる街が、ここ。次はここに向かうわ。行ったことがないから、徒歩で向かうしかないわね」

「この街か……」

 その街はマップのずいぶん右端にあった。

 千歳が頷く。

「この世界で最東端の街。世界の果てにある街よ。ここからはちょっと距離があるから、しばらく野宿になりそうね。……変なことしたら、その場で殺すわ」

「しないよ!」

 慌てて否定する。鋭すぎる眼光に刺され、本当に血が出そうだ。

「でも、最東端か……」

 その街の向こうにはもう街が無いようだ。まさに世界の果て。このゲームの決着にふさわしい街だった。

「さ、そうと決まれば買うもの必要なだけ買い溜めて、とっとと出発するわよ」

「う、うん」

 先をズンズン行く千歳の背中を慌てて追いかけた。



「うう……」

「なに? またしけた顔してんの? いい加減にしなさいよ」

「……さっきとは、違う理由だよ……」

 食料など、必要なものを買い込んできたが、その資金を全て僕の財布から出させられました。

「当たり前でしょうが。あんたまだ今の状況が分かってないの? あたしはあんたがいなくても全然困らないのに、わざわざ、あんたのために、わざわざ一緒に次の街まで行ってあげるって言ってんのよ? お金くらい、自ら差し出すのが道理でしょうが」

「……はい。仰っしゃる通りでございます」

 深くこうべを垂れる。分かっています。千歳には逆らえないことくらい。ふん。泣いてなんかないやい。

「さ、出発進行!」

 意気揚々と声を上げる千歳の後ろを、ゲッソリとしながら追った。

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