形骸《remains》
用事があるので落ちる。
そう言ってログアウトしたシンクレアと別れたクロードは、薄汚い路地裏に入り込んでいた。
あちこちに何の用途で使用されるのか分からない半ばモザイクがかかった様な物体が散乱していて、ふっとよぎる腐臭が辛い。
長い時間滞在し続ければ、精神そのものが汚染されるような錯覚に囚われる暗鬱とした光景が延々と広がっている。
クロードが訪れたのは、空中都市だった。
空中都市は、その名の通りクリスタルの力によって空中に浮遊している。
浮遊していると言ってもただフワフワと浮いているだけではなく、それなりの速度で絶えず移動しているため、飛空挺を使ってもここに訪れるのには時間がかかる。
そのため、クロードがいつも使っているのは《レライエ》へと直行する特殊なワープゲートだった。
所謂隠しワープゲートと呼ばれているそれを使いクロードは、空中都市へと訪れた。
そして、今は《レライエ》の都市部からはずれ、廃墟となった路地裏に居る。
「確か・・・・・・ここら辺だったと思うが・・・・・・」
クロードは、一年前の記憶を頼りに路地裏を進んでいた。間違っていなければ、目的の場所は近い。
昔はこれほど荒れ果てた場所ではなかったように思う。実際、クロードが通ってきた道を一年前と照らし合わせて辿れば、驚くほど退廃しているようだった。
何かの死体や汚物がそこら中に転がり、かろうじて保っていた路地裏としての体裁すら奥に行くほど霞んでしまうような混沌に包まれている。
10分ほど彷徨いクロードは、そこへたどり着いた。
グラ二サイド鉱と呼ばれる《レライエ》でしか採掘することの出来ない特殊な金属で製造された厚さ50cmもある頑強な扉が建て付けられた一軒の古びた家屋。
年季の入った外壁にすっかり剥がれ落ちた塗装や染みなどが張り付き一見すればただの廃屋と思い込んでしまいそうな雰囲気を放っている。
クロードを扉に手を伸ばすとタンッタタタンッタンッと素早くノックをした。
この家屋に入るために必要な、昔からのルールに則った方法の一つがこれだ。
同じ動作を二回繰り返し、クロードは扉から身を離し、しばし聞き耳をたてた。
「入れ」
中から聞こえてきたのは、男性とも女性とも取れる中性的な催促だった。
クロードは、中から聞こえた声に従いゆっくりと扉を開けて中へ身を滑り込ませた。
金属と金属が擦れあう脳に直接響くような不快な音をたてて背後の扉はゆっくりと閉まる。
部屋の中は漆黒に塗りつぶされていた。
照明は無く、窓も無い。例え目が暗闇に慣れてきたとしてもよほどの至近距離で無ければ相手の顔さえ判別できないだろう深く塗りつぶされた闇が広がっている。
「お前、クロードか久しぶりだな」
そう言ったのは、クロードが引退する前から付き合いがあったプレイヤーOZだ。
暗闇に閉ざされているこの部屋では相手がどこにいるか判断することは不可能だが、声だけでクロードは相手が誰であるかは、判別することが出来た。
懐かしい響きにクロードはまるで一年前に戻ったかのような錯覚を覚えた。
「相変わらずお前はじめじめとしたところが好きみたいだな」
「職業柄だよ、仕方ないだろ。情報は武器となり力となる。私自身の情報がいついかなる時に悪用されるか分かったもんじゃない」
OZの職業というのは、情報屋である。
最初に聞いた時は、そんな職業があるのかと疑問に思ったこともあったが、OZと長いこと付き合っていくごとにそんな疑問は解消されていた。
OZに何か調べ物を頼めば、ほぼ数日でそれらを調べ上げて報告してくる。
当然、それに見合うだけの報酬を要求されるが、OZの仕事は高額の報酬に見合うだけの結果を伴う。
報酬はそれなりに高いが、優秀な情報屋というのがクロードのOZに対する評価だった。
「まったく・・・・・・お前は一年経っても全然変わってないな・・・・・・」
「それはお互い様ってもんだろうよ、クロード」
なんとなくだが、クロードはOZが苦笑を浮かべているように感じた。
もちろん闇の向こうにいるはずのOZの姿はクロードには見えていないし、そもそもクロードはOZがどんな姿をしているのかを知らない。
いつもフードを被っているOZは素肌を少しも外に晒さず、顔には奇妙な仮面をつけていて性別すらも不明だった。
平常であれば、思わずPKの類であるかと疑心暗鬼に駆られてしまいそうな、その容貌すらOZならばと納得させられるような奇抜な雰囲気をOZは持っている。
「お前が引退したって聞いた時は驚いたが、まぁ当然の結果だと思っていたよ。あの頃のお前にとっちゃシエラが全てだって分かっていたからな」
「そんな、風に見えていたか?」
「隠しているつもりだったのか?」
逆に質問を返されてクロードは黙ってしまった。
クロードとしては、別段そんなつもりは無かったが・・・・・・当時を思い返せばいつもシエラの近くにいたような気もする。
それもこれもクロードをWEOに誘ったのはシエラであり、WEOでの生き方を教示したのもシエラだったからだ、と言えば済む話ではあるがクロード自身、自分がそれだけの理由でシエラと共にWEOに居たのではないと理解していた。果たして自分がどんな気持ちでシエラと接していたのか、今ではもう思い出せない。
もう一つ、確定的な理由はあったが、果たしてそれだけが全てだっただろうか。
真剣に悩むクロードが見えているのかいないのか、クックックッとOZは声を上げて笑った。
「まぁいいさ、今日は懐かしい旧友に会えて私は機嫌がいい。シエラに関する情報を集めておいてやるよ、二、三日したらまた来い。それまでに少しは手がかりを掴んでおいてやる」
「お前・・・・・・」
OZと会ったのは一年前が最後だ。当然それまでにクロードから連絡を入れたことも無ければOZから連絡が来たことも無かった。
復帰して間もない自分の状況を既に把握している様子のOZに改めてクロードは、OZという人物の底知れぬ力を実感した。
そして、その力はクロードことリアルの神谷暮都にまで及んでいることは想像に難くなかった。
「おいおい、短い付き合いじゃないんだ。お前が何を考えて何を欲しているのか、なんて私に分からないはずがないだろう。それとも何かシエラ以外のことで何か私に調べて欲しいものでもあったか?」
全てを悟っているだろうOZはそれでも、リアルの話はおくびにも出さずに接してくれる。
思えばそんなところをクロードは気に入ったのかもしれなかった。
「いや、お前の予想は当たっている・・・・・・」
「だろう?」
降参とばかりにクロードは両手を挙げた。
「お前には昔から敵わないよ」
「ハッ私だってお前には敵わないと思っているさ、一年前の・・・・・・お前が引退する直前に出た大星争祭を覚えているか?」
「ああ・・・・・・そんな大会に出たこともあったな」
クロードにとって忘れられるはずもない出来事だった。
隣にシエラがいない、そんな絶望感と孤独に耐え切れず、せめて残された最後の残滓だけは、無くしてしまわないようにと出場した最後の戦祭だ。
「あの時のお前は凄かった。正に鮮血の死神の称号に違わぬ鮮烈な戦いぶりだった。お前は知らないだろうが、あの大会の動画は、色んな動画サイトに配信されててな。最強の武装連環士といえば、鮮血の死神だと有名になっている」
「よせ、あの大会のことは思い出したくない」
「シエラとの約束だったからか?」
「・・・・・・」
「ハッ分かったよ、用事は終わったろ。さっさと帰りな。いつまでもここにいられちゃ迷惑だ」
「おっとそうだ、忘れてた」
扉を半ば開いたところで、クロードは後ろからのOZの声に立ち止った。
「最近、黒い影を見たっていう噂を聞いてな。なんとも、そいつに襲われると意識不明になっちまうとか言われてるらしい。くだらない噂だが、万が一ということもある。お前もせいぜい気をつけるといい」
†
「ク・・・・・・に・・・・・・げ・・・・・・クロ!・・・・・・――――――ッ!!」
何もかもが紫色の水晶に囲まれた天空の塔の最上階。
クロードの体は目視することの出来ない得体の知れない何かによって動きを封じられていた。
まるで鋭利な剣に切り裂かれたかのように斜めに奔る巨大な亀裂から伸びる一本の宝剣。
誰もが目を心を奪われるような、その宝剣の輝きはどす黒い血に覆われて、まるで生き物が明滅するかのように瞬きクロードを映し出していた。
宝剣は一人の少女を背中から貫き、その刀身の切っ先を胸から生やしていた。
何が起こったのか。
目の前の光景に、絶望感に声は掠れ瞳孔は開き、心臓は張り裂けそうな収縮を繰り返し、クロードは必死になって手や足に力を込める。
それでも、不可解な力に封じられた自らの体はまるで自分のものでなくなったように、反応を無くしていた。
目の前で、少女の・・・・・・シエラの命が刻一刻と溢れ出て、今にもその華奢な体は崩れ落ちそうで、クロードはただそれを見ていることしかできない。
「・・・・・・く・・・・・・・・・・・・くれ・・・と・・・・・・」
もう既に声を出すのすら生命を削る行為であるというのに、彼女はクロードの名を呼び続ける。
もうしゃべるな!もうしゃべらないでくれっ!
そう叫んだはずの口は、虚しくパクパクと開閉を繰り返しただけで、言葉にならない。
そんな無力なクロードを見つめるシエラは、どこまでも透明な瞳で慈愛に満ちた表情を浮かべていた。
(そんな、そんな顔をしないでくれ・・・・・・)
そして、宝剣を生み出していた亀裂が広がり――――――
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「うわぁああああああああああああああああああああああああああああ」
神谷暮都は悪夢から目覚めた。