the start
WEOにログインした、クロードは目の前の人物がさも当然といった様子で自分の前に立っていることに、頭を抱えていた。
長く艶やかな赤髪のストレートヘア、クレミシというリアルで言えばシルクに近い滑らかな生地で作られた黒いマント、黒いウィッチ帽、黒のブラウス、レギンス風のスキニーパンツ?のようなもの、妙に光沢のあるパンプスといった魔法職らしさを全面に押し出した服装をしているシンクレアが何食わぬ顔で立っていたからだ。
「あのな―――」
「あら、クロードじゃないのすごい偶然ね。まさかこんなところで出会うなんて、ちょうど私もログインしてきたところなのよ、ほんとすごい偶然。これから、私が向かう方向とアンタが向かう方向がもし万が一億が一同じだったとしても、それは偶然よ。そう、偶然。怖いわね偶然って」
にっこりと邪気たっぷり、愛嬌たっぷり毒気たっぷりでシンクレアは微笑んだ。
「絶対わざとだろうが!大体どうやってログインした瞬間から目の前にいるなんて芸当をやってのけたんだ!?俺はお前が若干怖くなってきたぞ」
「あらあら、クロードさんはどうぞ私のことなんかお気になさらずに、自由に行動してよろしいんですよ^^」
なんという悪意が篭った『^^』なんだ、どう考えてもこちらを煽ってきているようにしか思えない。
俺のような、年季の入ったオンラインゲーマーは、『^^』を額面通りニコニコという意味では捉えられない。
所謂煽りという、相手を挑発する行為だと受け取る場合の方が多いのだ。
実際、シンクレアはそういう意味でこの『^^』を使ってきているのだろう。
そして、なぜ敬語なんだ。
これは、かなり怒っていらっしゃるのではなかろうか。
いや、今更考えるまでもなく目の前の少女は、怒り心頭、爆発寸前、顔真っ赤。
リアルで別れた時は、やけにあっさり食い下がったと思ったらこういうことだったのか。
「ちょ、ちょっと黙ってないで、何か言ったらどうなの?」
黙っている俺が拒絶の態度を取っているように見えたのか、やや焦ったような様子のシンクレア。
意外と気が小さいなと思いながらも、そんな火に油を注ぐような事を口に出す勇気はない。
なにより、そんなシンクレアを少し可愛いなと思ってしまっている自分がいることが悔しい。
一人は寂しいもんな。
「どうして、来たんだ?」
ああ、本当は違いことが言いたい―――けれど、その気持ちを打ち明けるのはシンクレアを巻き込むことを許容しているのと同義だった。
誰でも、踏み込んできて欲しくない部分というものがある。
人と人が付き合う前提で、一種のパーソナルスペースのような踏み込んで欲しくない領域なんてものは誰しもあるだろう。
それが、相手に危険を及ぼすなら尚更だ。
俺は、自分の為にもシンクレアの為にも彼女が首を突っ込んで来るのを認めることが出来ない。
クロードの表情から何かを読み取ったシンクレアは、ふぅと呆れたようにため息をつき肩をすくめた。
「はぁ、アンタね。本当にいい加減にしてくれないかしら。別に私はアンタが何を考えていようが、知ったこっちゃ無いのよ。どうせ、私の為とか何やらごちゃごちゃと理屈をこねくり回して言い訳作ってるんでしょ?アンタさ、自分の顔、鏡で見てみたら?すっっっっごい情けない顔晒して、そんな目で私を見ないで欲しいわホント。私は!私の都合で私の為に行動してるの。何もアンタの為にやっているわけじゃないわ」
一気にまくしたてたシンクレアの言葉が、徐々に胸に染みこんで来るのと比例するように、周囲の喧騒が痛く耳に入るようにってきた。
笑い声が、ひどく俺をイライラさせる。
頭の中がごちゃごちゃとかき回されたように混乱している。
シンクレアが言いたいことが分からない。
俺が酷い顔をしているだって?
そんなことはない。
そんな事実は有り得ない。
この一年間、シエラを取り戻すために必死になって勉強して桜清大学の医学部に入り、NPC症候群について出来る限りの情報を集めて、絶望した。
判明したのは、遅々として進まない原因究明、何の効果もない気休めの投薬、未だに見通しが立たない対策。
孤独には慣れたつもりだった。
だと言うのに、シンクレアは俺が情けない顔をしているという。
「どうして、お前は!俺がこんなにも入ってきて欲しくない部分にずかずかと入り込んでくるんだよ!!!」
我慢できなかった、長いこと自分の中に溜まってきた鬱憤、焦燥、後悔、絶望が八つ当たりとして爆発した。
「迷惑なんだよ!俺の前からとっとと失せろ!パートナー?そんなもの、ただのゲーム上での関係だ。そんな希薄な関係信じてるんじゃねえ!」
気づけば、俺は往来の真ん中で情けなく惨めに大口を開けて、叫んでいた。
いっそ、嫌われてしまえば彼女も俺みたいな奴についてくることもなくなるだろう。
ほら、一皮剥いてしまえば俺みたいな奴なんてこんなもんなんだ。
誰もが、思っている事と必ずしも一致しない言葉を隣の奴に吐いて、心の中じゃ馬鹿にしてる。
俺もその一人だって、これで気づいてもらえただろう。
それでも、彼女の反応は俺が予想したどれとも違っていた。
「プッフフ、アハハハ、ハハハハハッひっフフッハハハハハハッハハハハハ!!!」
腹を抱えて、ウィッチ帽がずり落ちるのも気にせず、シンクレアは盛大に笑っていた。
何がそんなにおかしいんだとか。
どうして、そんなに笑っているんだとか。
馬鹿にしているのかとか。
言いたいことはいっぱいあったが。
あんまりにも、豪快に笑われたせいで正直どうすればいいのかわからない。
人間あまりにも突然理解出来ないことが起きると咄嗟に反応できないもんだな。
そこでやっと、一通り笑い尽くしたのか少し苦しげな様子でシンクレアが俺と向き直った。
何が嬉しいのか満面に喜色を浮かべて、だ。
「やっとさ、本性見せてくれたね」
シンクレアは、下から俺を見上げていた。
不思議な光を帯びた瞳に吸い込まれそうになる。
クレアの突然の行動に崩された態勢を立て直すように少し下がる。
「逃げるの?」
しかし、クレアの一言によって足が地に縫い付けられたように動かなくなった。
逃げるって……何から?
「私から逃げるの?」
「逃げるなんて……」
逃げてなんていない。
一年前から、一年前のあの日。
シエラを見捨てて逃げたあの時から。一度も逃げたことなんて……。
「逃げてる、私から。私を守れない自分から。そして、なにより恐怖から」
逃げる?違うだろ!そう叫びたかった。
しかし、心のどこかでそれを認めてもいた。そして、認めたくない自分も。
「勝負!」
突きつけられた人差し指。
「なに?」
クレアの思考が読めない。
彼女は何を言っているんだ。
「だから、勝負しましょ。私と今後を賭けて」
やたら、周囲がうるさい。
今頃気づいたが、ここは往来の真ん中だったな。
「何々アレ」「喧嘩か?」「ケンカケンカwww」「こんなところでかよ」「あの女の方ってPKじゃね?」
「うっわまじじゃん」「相手の人かわいそー」「でも、なんかふいんき(なぜか変換できない)ちがくね?」「ケンカはケンカでも痴話喧嘩ってかwww」「なんだよリア充?」「リア充は爆発しろ!」「はーかえろかえろ」
みるみるうちに、クレアの顔が赤く染まる。
そして、なぜかめちゃくちゃ怖い顔で俺を睨んでいた。なぜ。
不意打ちのようにクレアが走り出す。
グイッとクロードの体もクレアに引っ張られる。
右手には彼女の手が握られていた。
「どこへ行くんだ!?」
「知るか!誰もいないところ」
クレアは野次馬に突っ込み、無理やり道を作っていく。
時に避けて、時に突き飛ばして、駆け抜ける。
クロードは、振り回され、人に当たりこけそうになりながら引っ張られていく。
いつ離れてしまってもおかしくない。
でも、この握られた柔らかい手は不思議と離れる気がしなかった。
彼女の手は熱すぎる。
俺の冷え切った手を溶かしそうなくらいに。