狩り《hunting》 Ⅲ
探索を続けて十数分、歩いて歩いて歩いて。
それは不意に訪れた。
芳しい香り。鼻腔をくすぐる鮮烈な匂い。臭い。
リアルでも、たまに嗅ぐ臭いだ。
それはまるで、湖の底に溜まる汚泥のように周囲の空気をどす黒く染め上げて、ここで起きた悪夢をしらしめるように、言い聞かせるように。
目の前の暗闇は、クロードの視界を遮り一切の情報を伝えない。
しかし、嗅覚は伝えてくる。
ここで何があったのか。
俄かには信じ難い。
ここは、現実ではない。ここは仮想。信じられない。何が何故どうしてこんな、頭の中をかき回す思考。
それに意味があるのか。意味は無い。理解はしていた。でも、本能はそうはいかない。
必ず、いやでも理解させられる。
一年。それは長すぎた。此処を変異させる程度には。既に始まっていた。一年前から。今に続いている。
一年前は終わっていない。過去は現在に繋がり、今。
眼前に広がっているはずだ。
頭の芯を揺さぶるような・・・・・・血の臭いがそれを告げる。
先に金縛りにも似た硬直から解放されたのはシンクレアだった。
右手を掲げ、短く詠唱する。
ぼっという音と共に、小さな炎が彼女の手のひらから放たれ、ゆらゆらとゆらめきながら周囲を照らす。
「ひっ」
短く悲鳴をあげたのはシンクレア。
彼女の瞳には色濃い嫌悪感と淡い恐怖が浮かんでいた。
唇はわずかに振るえている。周囲を照らす炎がひどく不安定なのも気のせいではない。
惨劇。
眼前の状況を一言で述べるなら、そう惨劇と呼ぶしかない。
広いホールだった。
赤黒い液体が、地面を覆い尽くすように、いや地面だけではない、壁も天井にすら染み付いていた。
幸いに、いやこの現状を見ればそれが幸いとは言い切れないが、大量の出血をしたはずの体は見当たらなかった。
普通ならそんなことを考える必要はない。
WEOではPCがモンスターあるいは他のプレイヤーに倒されたとしても、体がその場に残るようなことにはならない。
もちろん血など流れるはずもない。
クロードは安定していた。
シンクレアと比べて、という意味ではあるが。
怯える彼女見て思う、自分と彼女では何が違うか。
ある程度の予想。経験値の違いだ。
シンクレアは言った。現実と仮想は繋がっていない別物だと。
これが証拠だ。
現実と仮想は、切っても切り離せないモノなのだ。
「貴方はそういう考えをするんですね」
突如として、広いホールに第三者の声が響き渡った。
「誰ッ!?」
シンクレアが、すぐさま周辺に炎を飛ばし視界を広げる。
広いホールの真ん中。一際、血が色濃く散乱している場所。
彼女はまるで物語に登場する死神のように、ゆらめいていた。
黒く塗りつぶされたようなローブを纏い、右手には金の逆十字が刻み込まれた黒い大剣。
黒く長い髪に黒い瞳。
美しさと儚さ、何より濃密な死を感じさせるその姿。
「貴方はこう思っている。私がまるで物語に登場する死神のようだと」
「いきなり現れて何言ってんのアンタ。頭おかしいんじゃないの」
馬鹿にした口調のシンクレアとは対照的にクロードの心中は穏やかではなかった。
(心を読んだ!?いや……そんなはずはない。冷静にならないと……)
「貴方は真実を覗いた。今度は真実が貴方を覗く番。生き残れるか。死ぬか。ゲームは既に始まっているんですよ」
言葉を紡ぎ終えると共に少女は動いた。
細い腕ではとても振れそうにも無い巨大な剣を掲げて、突進してくる。
「何ッを言っているのかッわかんねぇよ!」
咄嗟に装備していた双剣を交差させて、大剣の一撃を防ぐも勢いを殺しきれずクロードは、壁に叩きつけられた。
「カハッ」
肺から空気が一気に押し出される。
「クロード!?」
一拍遅れて反応したシンクレアが、クロードに駆け寄ろうとするが黒衣の少女の大剣が行く手を塞ぐ。
「いきなり何だってのよ、アンタ!?」
突然の出来事にまだ混乱しているのだろう。
シンクレアは、明らかに動きが鈍かった。
大剣がシンクレアの体を捉える。
「きゃあああああああああああああ」
刃が触れる瞬間に、身体を入れ替えて切り裂かれるのは避けたようだが刀身に弾かれてシンクレアは吹き飛ばされた。
ピクリとも動かない。
「シンクレア!?」
急いでシンクレアが倒れている方へとクロードは駆け寄ろうとするクロードの目の前に大剣が振りぬかれた。
「彼女は選ばれていない。ゲームの参加者ではない。よって退場してもらいます」
無機質な声色。人間として何かが欠落してしまったかのような。
「だから……他の人間も排除したっていうのか?」
「私は当然の事をしただけ。ゲームの参加者以外は排除しなければなりません」
しゃべってはいても目の前の敵は、攻撃の手を緩めずに絶えず大剣の一撃を繰り出していた。
片手で大剣を軽く振り回す膂力、まともに打ち合って勝てる相手ではない。
(距離を取って、投擲系武器で削る!)
クロードはバックステップからの連続跳躍で後方へと逃げる。
「その選択はBADEND」
「なっ!?」
黒衣の少女は、クロードのスピードに完璧についてきていた。
「黒夜叉千景図」
金十字が掘り込まれた黒剣が霞んで見えるほどの加速で縦横無尽に振られ、クロードを切り刻む!
「ぐぁあああああああああああああああ」
ゴロゴロと地面を転がり、クロードの身体が止まったのは攻撃を受けた場所から10メートル近く離れたところだった。
「弱い……残念です。貴方は一年でここまで弱くなってしまったのですか。もう少し結果を見せてくれるものだと思っていましたが……見込み違いでしたね」
「それとも、一年前のようにまた大切なものを失えば、目が覚めますか?」
ドクンッ
大切なもの?
失う?
「なん……だと……?」
「しゃべりすぎましたね、そろそろ消えてください」
無慈悲に大剣がクロードへと振り下ろされるッ―――
しかし、クロードはそれを難なく避けていた。
「詳しく聞かせてもらうぞ……グローリア」
「おや、私の名前を覚えていたのですか」
「今、思い出したよ。昔出場した大会で俺が倒した相手の中に君がいたはずだ」
「ふふ、そうですよ。私は一年前に負けました、貴方にね。でも、現在私は貴方を追い詰めている。私は強くなりました力を得て……貴方はここで死ぬんです」
「死ぬとは物騒な話だなッ!」
クロードが、双剣を振るう。
それは綺麗な軌跡を描き、闇に吸い込まれた。
「貴方も少しは気づいているのでしょう?WEOの現実に」
さながら演舞のように二人は、漆黒の中に踊っていた。
グローリアが繰り出す大剣の攻撃スキルをクロードは、全てギリギリの範囲でかわし、鋭いカウンターを入れるものの、全て大剣の防御によって防がれる。
「何が言いたい・・・・・・」
「貴方の大事な人が眠ったまま起きないのが、偶然であるとでも?」
「ッ―――!」
クロードは、渾身の一撃をグローリアの矮躯へぶつけて弾き飛ばした。
「おお、怖い怖いです。貴方は本当にシエラさんの事となると周りが見えなくなるようですね・・・・・・彼女はいいのですか?」
ニヤリと酷薄な笑みをグローリアは浮かべた。
そこで、クロードはようやく気づくことが出来た、グローリアの立ち位置はシンクレアにかなり近い。
そして、シンクレアはまだ意識を失っているようだった。
「そこで、また貴方の大切なものが消え去るのを眺めているといいですよ!!」
そういってグローリアは、シンクレアに向かって黒く固まった血の色で染められた大剣を思いっきり振りかぶった。
「やめろぉオオオオおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
クロードは、飛び出した。
そして――――――
意識は掻き消えた。
どうも、たちまるです。
なかなか執筆が進まなくて、他ごとを色々しているうちにこんなにも投稿が遅れて申し訳ないです。
これから、少し投稿ペースも早くなると思うので、お許しください。