Ⅰ・浜島丘へようこそ
夏のような嫌味のない強い日差しが満ちていた。赤い布のかかったベンチで、注文したラムネを飲みながら周囲を眺めていると、観光客の多さを実感する。
そう、ここは浜島丘。鎌倉に次ぐ観光地だ。
そして今日の私の旅行先。
人が行き交う晴れた場所というのは、時々言い表せない虚しさを感じる所がある。それは都会だろうと田舎だろうと感じる時は感じるもので、どうしようものいその“場”の持つものなのかもしれない。そして私はそれが苦手だ。写真では好きなのに、その場のその何とも言えない虚しさに気が滅入ってしまうことがたまにある。
けれどさすがは観光地、人々とカラリと晴れた空の中にあっても、虚しさを感じさせない。そんな雰囲気があるのだ。活気と心地よい音楽を混ぜたような、そんな雰囲気をぱっと満たしている。
暗いことなんて忘れてしまいそうなこの街の、そんな景色をしばらく堪能していた。店の軒先で肩かけのバッグをわきに置き、まず来たばかりのこの場所を眺めるこの感覚は中々楽しい。朝8時半、日曜日の観光地はまだそれほど混みはしない。
甘味処の多さでも有名なこの街は、全体が斜面に面している。下へ行けば海があり、上へ行けば浜島丘線が走っている。斜面に縦横にいくつも大小の通りや民家、店があり、まるでサンフランシスコのように丘に面している街。それが浜島丘だ。
鎌倉と違い、江ノ電のように海岸沿いには電車が走っていない。上のほう、つまり丘の上にターミナルのように丸い平地があり、そこに駅舎もあるのだ。実際に来て見ると、丘というよりもはや山という感じだ。
事前にある程度は調べたものの、場所のマップは出ても具体的にどんなところかが観光地ばかり紹介されてバラバラで、よく分からなかった。なのでそのまま地図と路線の場所だけ確認して来てしまった。
けれど、実際それでよかったかもしれない。この地形を例えるのが結構難しいのだ。
浜島丘は、丘といいながらも陸地から突き出した半円のような形をしている。空から見た図は富士山を縦に半分にして陸地につなげたような形をしていて、上の方が平ら、そこからは海へ向かって斜面が続いている。巨大なプリンが陸地に埋まっているみたいなイメージだ。
街路が丘の上から放射線上に網の目のように通っていて、上から見るとまるで分度器のような街並みになっている。斜面は角度が急な場所もあればなだらかな場所もあり、人工的に手も加えられて場所によりまちまちだという。そのため有名な神社や森もあるし、住宅街も商店街もある。最もそういう場所は大抵なだらかな部分にあり、観光者向けの街や商店街は逆に斜面にあることが多い。
けれどそれはそれで、海をより一望できるし、活気があってバランスが取れているように見えて悪くない。
私が今いるのはまさにプリンの上の平らな場所、つまり丘の上。実はまだ駅の目の前なのだ。
ここで浜島丘の実際の雰囲気を探りながら、こうして駅前の店前でマップを見ている。
この浜島丘駅の前は円形の広場のようになっていて、真ん中には木が植えられ、四角いレンガ調の石畳が敷かれている。丘の上は意外に広く、ブルーベリーのような色の浜島丘電車が街を縫うように走っていく。一見路面電車のようにも見えるけれど、江ノ電と違い街の再開発時にできた路線なので、街の造りに沿った路線になっている。だから家とすれすれに走るなんてころはなく、むしろ意図的に線路が街内に敷いてあって遊園地の機関車の乗り物のように見える。要はこれも観光名物の1つのアトラクションないし、風景の1つなのだ。
ラムネを飲み終えて立ち上がり、駅前の案内所で無料でもらった観光マップを見る。
なんだかこの立体的な街を平らな地図で見るのは、うまく変換できない。今度から立体的な地図にしてくれればいいのに…
とりあえず、最初に行く場所は決めた。観光マップに載っていた「ビッグチョコパフェ」の店「パフェラテ」。雰囲気が良さそうだし、何よりそのパフェがすごくおいしそうだった。
この店は浜島丘ロードという石畳のオシャレな観光者向けの商店街がこの先にあって、その中にあるらしい。方向を再確認して、バッグを肩にかけて立ち上がる。
ラムネのビンをどうしようかと店を見回すと、どうやら回収してるらしい。昔の時代劇に出てくる団子屋のようなデザインにしてあるこの店、けれど外装は白が基本のさわやかな見た目。そしてラムネビンの回収だなんて、なんだか珍しいような懐かしいような不思議な気分。
けれどそれだけのことに、なんだか良い予感を感じた。こういう街、嫌いじゃない。
駅周辺はいかにも小奇麗なカンジの店や造りで、赤坂サカスの雰囲気に少し似ている。けれどあざとくないのは晴れた空や独特のカラッとした活気のある雰囲気のおかげかもしれない。
しばらく歩いていると下り坂が不意に現れた。
どうやらここが平らな部分の端みたいだ。活気のあった丘の上に比べて、下り坂に入ると一気に静かになった。道を間違えてかなと思って地図を見てみる、名前までついてるちゃんとした坂だった。「小川坂」小川と書いてこがわと読む珍しい名前。
なんだか表参道からわき道に一歩入り込んだような気分。実際そんな雰囲気で、何度もうねる道を降りていきながら、色々な建物の間を縫うように通り過ぎてゆく。それは普通のお店の裏側みたいだったり民家みたいだったり、コンクリート製のアトリエみたいな建物もある。道のわかれる場所にはよく木が植えてあり、道はアスファルトで整っているけれど緑をよく見れた。反射する日光と、建物の作る影が印象的だ。
そうしてしばらく歩いていると、急に横に延びた大きな通りに出た。その大きな通りに出た感覚が、本当に表参道や竹下通りのそれとそっくりだ。けれど声をかけてくる外国人はいないし、派手な化粧の女子高生もいない。チャラチャラした腑抜けももちろんいない。
変わりにすごく雰囲気の良い通りがそこにあった。狭い坂を歩いてきたので、通りに出たとたんにぱっと明るくなって余計に明るく感じる。観光客向けの商店街のようだけど、ハーブや紅茶を扱ってるような店や花屋なんかもあって、地元の人も利用しているみたいだ。
縦の下りに対して横にこの商店街は延びているようで、歩いていても平らだった。
一時期田舎に住んでいた私には分かるのだけれど、ずっと斜めの場所にいるのは疲れるのだ。確かに楽しいし、その方が雰囲気の良い場所もある。ただどこまでも傾いた場所しかない斜面だらけの場所なんて、実はすごく疲れる。傾斜があるから歩きづらいとかそういうのじゃなくて、立ち止まる場所全部が傾いているとどうにも気が張って休めないのだ。フェリーなんかに乗ったことのある人は分かるかもしれないけれど。
そんなことをぼんやり考えながら、通りに出た時最初に目に入ったハーブや紅茶の店に最初に入ってみることにした。いきなりお土産を買うことになるかもしれないけれど、少し見渡してやはり気になった。
帰りに迷って結局来れなかったなんてことになったら嫌だったし。
ドアを開けるとカランと音がした。気付かなかったけれど、ドアの端に小さなベルがついてる。それを見ただけで、やっぱり入って正解だと思えた。カランカランと再びベルを鳴らし、ドアを閉めた。