第二楽章 「GR」 (1)
第二楽章「GR」 (1)
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キ―ン、コ―ン、カ―ン、コ―ン・・
チャイムは教師を急がせる。
「え、もう?あちゃっ、時計十五分も遅れてた!ごめんなさい!あぁ――期末の範囲まで行かなかったなぁ。じゃあ、とりあえず、二官八省一台五衛府までは火曜日の『日本史七分間テスト』小テストの範囲にするから、勉強しといてな。どうしよ、金曜の放課後は無理だから――まあまた連絡するから、とりあえず、終わろう。」
「起立」礼、着席。日本史選択の十余人と教師だけの、広々とした教室。
日本史教諭、斯波劉介。サソリ座の四十二歳。
手首には三角縁神獣鏡の腕時計、胸には前方後円墳のネクタイに、名刀吉宗をかたどったタイピン。机には阿修羅像のペン立てと、薬師寺東塔のついたボールペン。
これが、この男の素顔であり、この男の授業スタイルであった。
ただ、最近彼の身辺に異変が起きている。
職員室の彼の机上に出現していた無法地帯『ハニワの相撲部屋』は跡形もなく消え、代わりにバンドスコアが整列した、秩序だった空間が出来上がっていた。彼の手に握られていた図太い十手は、白くて華奢な指揮棒に取って代わられていた。
たまに斯波は酔ったように至福の笑みを浮かべながら、訳の分からない音の羅列を口ずさみ、宙にその白い棒を振り回すのだった。
「斯波先生、今日は一段と気分良さそうですね。さっきの授業、どこのクラスでやらはったんですか?」
隣で期末テストを作りながら、田岡は久々に姿を現した斯波の机の表面をしげしげと見つめた。
斯波はまだ歌っていた。が、
「――え?――え!」
寝耳に水をさされたように斯波は跳ね上がり、自分の手と机を見て愕然とした。
「どど、どうしはりました?」
「ヤバ・・・期末テスト、まだ何も手ェつけてませんでした・・どうしよう、どうしよう」
「ああ、大丈夫ですよ。」
そう言ったのは右隣の大西だ。読んでいた古典の単語帳から目を離して。
「日本史のテスト、再来週の月曜やありませんでしたっけ?世界史は一日目ですから、田岡先生急いではるんですよ。」
「――そう、でしたね。そ―でした!」
斯波はハハハと満面の笑みをたたえて笑い、慈愛に満ちた視線を指揮棒に注いだ。
「ところで、斯波先生――」田岡は眉をひそめる。
「何でも」
「あの、ヨーケいはりましたハニワたちは、どうしはったんですか?」
「音楽棟の机の上にいます。」
「それと――日本史の教材とかは」
「それも向こうに」
「逆やないですか、普通?」
「いや、あっちの方が机広いんで、参考書とかハニワとか置きやすくて。」
「はぁ――」田岡は目を細めて、もう一度斯波の机を眺めた。
「それで、バンドスコアとか部活関係がこちらへ。」
「その通り」
「どうぞ」大西が淹れた茶を二人に差出し、自分も茶を口に運ぶ。
「ああ、おおきに」
「ありがとうございます」
窓に映える深緑が、雨の雫で滲んでいる。
「卯の花くだしですね。」大西が茶を飲みながら微笑む。
「はい・・・?」
「ナツが近い、ていうことですよ。」茶を置き、田岡は再びパソコンに向かう。
「あ、田岡先生、そういえばテスト範囲がどうのって結構焦ってはりましたけど、結局間に合わはったんですか?」大西が身を乗り出して。
田岡は一瞬手を止めて、肩をすくめてこう言った。
「いいえ、それが全然。イスラムまでいけたらと思っていたんですが、さすがに一学期ではローマが限界で。しかもギリギリ五賢帝に突入したって感じですわ。これじゃ二学期に追い込みかけんと、とてもじゃあらへんけど三年の冬までに終わりませんわ。」
「そうですか」
二人は思わず苦笑した。
斯波は田岡のパソコンの傍らに置かれた世界史の教科書にしばし目を留めて、ふと田岡に尋ねた。
「五賢帝ってことは・・・『ローマの平和』ですか?」
「あ、はい、そうですよ。」田岡は答えた。「ラテン語で『パクス・ロマーナ』です。」
「・・・『パクス・ロマーナ』・・・?」
スープをレンゲで掬いながら、兼壱はスコアを睨みつけた。その兼壱を、斯波は十分以上前から目を離さず見つめていた。
う、うん、と兼壱が咳払いをして。
「劉介」
「ん」
「――なんだかんだ言って、お前、やっぱり『ローマ』が好きなんだな。」
ガラガラッと扉を開けて、客が出て行く。
斯波は兼壱を見据えたまま、いささか眉をひそめた。
「・・十分以上も、それだけを、考えていたのか?」
「いいや、イロイロと――」兼壱は水を口に流し込み、手首で口元を拭った。
「んで、課題曲がこれで、自由曲は何にしたんや?」
「プロコフィエフの、『ロメオとジュリエット』から、『タイボルトの死』」
兼壱の箸が止まる。
「・・あの、前半は木管がウリャウリャッてものすごい連符を吹いて、後半はペットがバリバリガンガンに鳴らしまくる曲か?」
「そう」
「そう、ってお前――」兼壱は確かめるように斯波を見る。
「あれ、あの子らに吹かすんか?」
「そう」
「そう、ってお前――」
斯波は麺をすすり上げ、焼き豚を頬張りながら、涼しげに。
「――がいる」
「な、なんて?」
飲み込んでから。
「辰悦がいる」
兼壱は思わず苦笑いした。
「辰悦がいるから、全部大丈夫ってか?」
「そう」
「あの高音鳴らしまくるペットも、辰悦がいれば十分、ってか?」
「そう」
「そう、ってお前――」兼壱は目を反らし、レジの方を向いた。
「・・エライ自信やな」
「・・あいつがいれば、あのバンドは変わる。あいつの音があれば、関西は堅い。」
斯波の口調に、迷いはなかった。
「カンサイ、か?」目を丸くして。
「――かんさい、か。」口に出すにつれて現実味が増してくる。
「・・関西かぁ・・」
兼壱は餃子へ箸を動かす。辛いのか、甘いのか、分からない。無色の味だった。
「―お前がそんなにあいつを買っておったなんて、知らなんだぁ。俺。」
斯波は黙って麺を掴みあげる。ふと、手許が暗くなる。顔を上げると。
「あんた、いい加減にしなさいよ。あんたがバイト雇うのイヤて言うさかい家族総出でも人手が足らんくらいに忙しいのに、ちょっとした来客ぐらいで厨房空けんといてや。」
奈美子だった。夫ほどには白髪は目立たないが、顔に刻まれたしわが多くを語っていた。
今日は兼壱もなぜか言い返す気が起こらない。素直に謝り、もう少し時間をくれと言った。奈美子は今度は斯波の方を向く。斯波の顔に思わず笑みが浮かぶ。
「・・奈美さん、久しぶ」
「どうも、斯波先生。元気がお世話になっております。ではまた」
斯波が言い終わる前に、奈美子は風のように厨房に消えた。表情は硬かった。
箸を止めたまま、斯波は厨房の方をしばらく見つめていた。目の前の斯波が、一回り小さくなった感がある。兼壱は面倒くさそうに、気のない口調で斯波に話した。
「気にすんな。大したことはない。」
大したこと、かもしれんけど。でも、別に言わんでもええやろ。星悦の言うてたこと劉介に今訊くのは、やめといたほうがええな。
斯波は視線をラーメンに戻した。
「兼壱」
「なんや?」
「いや―――なにも」
斯波は箸を取り、黙々とラーメンを食べ始める。
兼壱。俺、また出会ってしまった。
人生のうちには、何度か『出会ってしまう』ことがある。
それは人かもしれないし、仕事かもしれない。俺の場合は、奏者だった。
『出会ってしまった』時、俺ははけ口のない苛立ちと焦りと悔しさで潰されそうになり、自分のあまりの小ささに途方に暮れ、でも何をしていいのか分からない。
辰悦の音、創出する音楽。あれを聴いたとき、そうだと思った。自分が達せなかったことを、辰悦は才能という憎たらしい武器で難なく掴み取っていった。
凡人の俺は才能というものが嫌いだ。いくら大きな野望を持っていても、他人の才能が巨大な壁となって立ちはだかり、俺を一歩も前に進ませようとしない。いくら努力しても、才能と努力を兼ね備えた者にはとてもかなわない。にもかかわらず、自分には才能がないからと身を引いて凡人の生活に甘んじる自分が、殺したいほど許せなかった。
『出会った』時、俺はいつもそればかり考える。俺だって他人を魅了したい、大衆に自分の音で、音楽で、感動させたい。でも自分の力量ではできない。どうせ自分には向いていない。『人間みな平等』なんてぬけぬけとほざいた奴はどこの誰だ?俺がいくら努力しても、叶わない奴がいる。俺はそいつらが憎いとは思わない。『天賦の才』とか言うものを、個人の意志に関わらず、アットランダムに分配した、神というものが存在するなら、俺はそいつが憎い。だって、不平等じゃないか。
才能のある者ばかりが得をして、才能のある者ばかりが感動を享受するのは許せない。自分だって感動を与えたい、「自分が感動させた」っていう達成感を味わいたい。そんな自分勝手で自分中心なことばかり考えて、もう四十を過ぎてしまった。未だにその境地には達していない。でも、出会うことで感じたあの嫉妬とはやりは、確かに俺の今までの、そしてこれからの、人生の原動力になっている。
音大で才能の応酬に疲れ果て、玲子と別れ、もう音楽とは二度と付き合わないと決めて高校教諭になり、十年以上の月日が経ったある日。それまでに何度もあった『出会い』の中でも最も強力な出会いに遭遇した。その音楽によって俺は再び目覚め、もう一度果たせなかった夢を追うことに決めた。自分の力で聴衆を感動させてやる。全国の聴衆を。
ただ、出会った相手があまりにも皮肉だった。
二〇〇三年、全国大会の金賞団体。
関西代表、清流学院高校。
「久しぶりやなあ、カッツン。元気にしてたか?」
「ご心配なく。元気が余りすぎてイライラしとるわ。」
「ちょっと待ってな、今コーヒー淹れるから。」
星悦は受話器を肩と頬で挟みながら、店の奥の流し台に向かう。電話線の向こうの一色の声が不意にうわずる。
「――おおきに、ありがとう、やけど俺、どうやって飲めばええんやろ?」
星悦は立ち止まる。
「あ―――ごめんな、いつもの癖で。」
「いつも受話器越しにコーヒー淹れるんか?」
「いや、そうやない――そんで、何か要か?久々にかけてきて。」
「旧友の声をちょっと聴きたかっただけ、という理由でかけてきちゃ、あかんのか?」
「そんな女っぽい声出すなや、気色悪い。旧友の声ならもう十分聞いたやろ?僕仕事中やからもう切るよ?」
「あいやー、エライ冷たくなったなあ、せいえっちゃん。本当はそんな忙しくないんだろう、だって楽器店やもんなあ?もしかして、オンナか?」
星悦は赤くなり。
「あほか、そんなわけないやろ。僕の楽器店は大繁盛なんや。横丁商店街にあるからな。」
受話器の向こうで一色は笑っている。
「分かってる、そんな怒らんでもええやろ。でもお前、いつになったら結婚するんや?」
「結婚なんかし――」
言いかけて、星悦はすぐに言葉を飲み込んだ。店のドアのノブに付けたベルがカランと鳴る。従業員の中村さんが休憩から帰ってきた。昼下がりの楽器店に客は誰もいない。
星悦は声を潜めて言った。
「――しとるわ。」
「あ、そうやったん?俺、結婚式呼ばれてないで。まあええか。そんで、子供は?」
「・・・一人、おる。」
「息子さんか?」
星悦は眉を潜める。不思議そうな中村さんの視線が背中に当たって痛い。
「――カッツン、何でそんなこと訊くんか?」
一色は首相官邸のそれのように大きな黒い椅子に身体を預けていた。脚を組み、携帯電話を耳元で握り、ニヤリとする。
「せいえっちゃん、俺ら最近会ってへんよな?一度、どっかで一緒に会わんか?別にせいえっちゃんの店でもええけど。どう?」
携帯電話はしばらくの間、静かになる。
「――ええよ。久しぶりやからな。」
「それじゃ、日にちは――」
一色は携帯電話を切った。見上げた顔は、腕を組んで立つ裕也に向けられる。
「――というわけだ。俺は会うぜ。そして確かめる。」
裕也はくぐもった溜息をつき、冷えた目で一色を睨む。
「星悦は、本当に結婚していないのか?」
「ああ。」一色は携帯電話をポケットに収める。「戸籍を見る限りは、現在は父子家庭。だけど婚姻届は出していないし、その子を養子として引き取る手続きもしている。」
「よく知っているな。」
「新天市役所に仲間がいるんだ。これくらい調べられる。」
一色はもう一度裕也に目をくれる。挑発ともとれる、口元の笑み。
「どうする?こっそり聖斗も連れて行くか?」
「―――」
裕也は分厚いカーテンを開ける。明るい光の代わりに、雨粒が窓に軌道を描く。
「――聖斗はサマーコンサートの前だ。やめておく。」
一色の目がほくそえむ。
「分かった。じゃ、俺だけ行くよ。しっかり見てくるからな。」
講堂の天井を雨粒が叩く。スネアドラムのリズミカルなビートに聞こえたと思ったら、ドラを階段から真っ逆さまに突き落とした時のような土砂降りの轟音が講堂に響いたりする。
斯波は暗い講堂のステージを見上げながら、目の前で合奏隊形に並んでいる奏者たちが全員配られた譜面を受け取るまで、しばらく待っていた。彼の横にはずんぐりとしたプレーヤーが机の上に座っていた。
「パクス・ロマーナ・・・?」カオルは璃紗と譜面を見比べる。もう一枚の譜面は、走り書きで「The Death of Tybolt 」と書かれていた。
「――さて、みんな行き渡ったかな?」斯波は全体を見渡して。「今配ったのが、今年の課題曲と、県新の自由曲だ。課題曲の『パクス・ロマーナ』は、二年がほとんどのお前たちには、聞き慣れた言葉だろう?な、島田。」
「えくっ、えっ―――と・・・」
不意を突かれた未来は、反射的に和音を見た。和音は黙ったまま、目で、『そうよ。』と合図を送った。
困り果てた未来を見て、斯波は微笑む。
「あれ?世界史の先生が熱を込めて語ってくれたんじゃなかったのかな?田岡先生、これじゃ自己満足だな。まあちょうどいい、試験に出すって朝本人から聞いたから、ちょうど
いい復習になったね。」
斯波の言葉に、生徒たちはほのかに笑った。未来は『田岡』の言葉を聞くと、にわかに顔色が曇り、口を尖らせて呟いた。
「あの・・・バーコード。」
「譜面を見ていても、曲想はなかなか掴めないだろう。ちょっとここで、参考演奏を聴いてみよう。」
斯波は立ち上がり、指揮台のCDを手に取り、プレーヤーに挿し込んだ。
「今日はとりあえず課題曲だけ。これを何度か聴いた後、初見大会をするからな、耳をダンボにして、よく聴いとくんだぞ。」
「初見大会?」
『抜き打ちテスト』と聞いてもここまで顔を歪めないだろうというほど、大嫌いな言葉に奏者たちは一様に苦虫を噛み潰したような顔をした。今はいい思い出となっているあの曲の、ろくに練習もせず挑んだ最初の合奏が誰の脳裏にも浮かび上がったのだろう。
「大丈夫、『宝島』の時みたいに怒ったり怒鳴ったりしないから。聴こえたとおりに、素直に音にするんだぞ。プレーヤーを再生するように。よく曲想を掴むんだ。いいかい?じゃあ、始めるよ。」
斯波は再生ボタンを押した。
カオルたちは耳を澄ます。
耳を澄ませば澄ますほど、屋根を叩く雨音が消えていき、徐々に無音に近づいていく。
真空のような沈黙が数秒続く。それを突き破り、トランペットとトロンボーンのオクターブのユニゾンが、パイプオルガンのように強く響き、空間を揺らす。
(いきなり上のミの音?でるかなぁ、私・・・)
カオルは耳に手をあてたまま、少しうつむいた。
ホルンが五度の音程で同じ形の譜面の山を駆け巡る。五度の音程で演奏されるファンファーレは、どこか東洋的な趣がある。サスペンドシンバルがクレッシェンドし、バンド全体が重厚な五度の音程を吹き鳴らす。
かすかに余韻。消える。
オーボエの、物思いに耽っているような、厳かなミの音が、脳裏を通り過ぎる。
木管低音の、一歩、一歩、踏みしめるような伴奏。ティンパニーの三連符が、クラリネットのメロディを誘い出す。
静かに、クラリネットが、四分音符のメロディを歌いだす。歌うというにはあまりにも重く深刻な雰囲気で、心中に溜まった静寂か何かを吐き出すように、一つ一つの四分音符に、思いが込められている。
同じメロディを、今度はトランペットが受け継ぎ、トロンボーンにバトンを渡す。少しずつ、全体のテンションが上がってくる。
八分音符と、十六分音符の、規律のとれたメロディライン。ザッ、ザッ、と隊列を乱さず行進を続ける人々。両腕を交互に大きく振りながら歩く、威厳のある人々の行進にも聴こえる。だが、曜子の目に映る行列の人々の背中は、どちらかというと淋しかった。
(なんや、顔のない兵隊達の、行進みたいやな)
盛り上がりはトランペットの一人舞台、ホルン・トロンボーンの掛け合いに至り、また短調の闇に吸い込まれていく。三連符。三連符。三連符。
サックスに手渡されたメロディは、堅く短い行進を表す先ほどのメロディとは異なり、スラーで滑らかに紡がれた、揺れる旋律だった。こみ上げるものをクレッシェンドとともに歌い上げる、哀愁ともとれるし、野心ともとれる、叙情的な音楽。
(なんか、暗闇にいるように感じたり、黄昏時に田園を貫く街道を行進しているように感じたりも思える。)和音は目を閉じ、CDの音を頼りにし、まぶたの裏に野外劇を思い描いている。
今度は中高音の木管がメロディを担当する。ユーフォニウムのオブリガート。暗闇に一瞬ランプの光が点ったようにきらめく、トランペットのファンファーレ。そして再び軍隊の行進に戻る。
三連符でリズムを刻む高音部に乗りかかり、低音楽器が再び五度の音程で、クラリネットの吹いていたメロディを奏でる。重厚で、エキゾチックで、荘厳な曲想。
最後は今まで出てきたメロディが合わさり、堂々としたハーモニーを作り出す。高音部の四分音符の堅い第一旋律、ユーフォニウムの揺れる第二旋律、一糸乱れぬ低音部の伴奏。
再びトランペットとトロンボーン、ホルンのファンファーレが回想される。今度は最初から五度の音程。トランペットのラの音が長く響き渡ったのを合図に、木管がゆっくり連符の階段を駆け上がる。前方へまぶしい白光の筋が貫く。闇は晴れて、光が満ちる。
一瞬、余韻が残る。消える。
パーカッションと低音が曲を締めくくる。
余韻。無音。再び闇。
CDはキュンと細い音を立てて止まった。
みんな、前屈みになっていた身体をゆっくり起こし、しずかに溜息をついた。
真空の闇は途切れ、再び雨音が強さを増してくる。
しばしの沈黙の後、ようやく斯波は顔を上げた。
「・・とまあ、こんな感じだ。よし、一度聴いたところで、みんながどれくらい曲想を掴んでみたか、試してみよう。」
はっと生徒たちは顔を上げる。
「え、先生、何回か聴いてから初見大会するって・・・」曜子は口ごもる。
「もちろん本格的な初見大会は、後でちゃんとする。僕は、みんなの耳がいかほどのものか、早く知りたいんだ。それに、何回も吹けば、曲が掴めてくるさ。」
斯波は白い指揮棒を高らかに上げる。
「よおーし、みんな、さっそく合わせてみよう。」
「・・は、い・・・」
「返事は大きく強く元気よく!フォルティッシモで行こう!いいかい?」
「はい!」
トランペットとトロンボーンが楽器を構える。指揮棒が振り下ろされる。