004 グリフォンズ・ティア
そして、何でもないことのように、ぐいっと腕を伸ばす。ありえない。人間の関節構造を完全に無視し、彼女の腕はゴムのようにしなやかに、3メートル近くも伸びてみせた。街路樹の葉に触れ、また何事もなかったかのように元の長さに戻る。その間、白いワイシャツも同じように伸縮している。不思議な服だ。
「マジすか」
「マジです。転生特典ってヤツなのかね。この世界に現れた途端、この姿になっちまった。おかげで銃弾くらいなら吸収できるし、狭いところへも潜り込める。最初は、自分の身体が溶けてるみたいで嫌だったけどな。まぁ、便利なのは間違いない」
けらけらと笑うタイラーは、もはや人間離れした存在感を放っていた。軍人という肩書も、その特異な体質を考えれば納得がいく。
「さ、普通のスーパーにうまい酒は売ってないぞ。私行きつけの酒屋に行こう。その守護天使も、首を長くして待ってるだろ」
有無を言わせぬ様子で、タイラーは渚の背中を軽く押し、大通りを歩き始めた。渚はまだ衝撃から覚めやらぬまま、彼女の隣をとぼとぼとついていく。
「ところで、タイラーさんはなぜ軍人に? 日本育ちなら、軍人に抵抗もあるのでは?」
「んー、食いっぱぐれないからかな。この体質、軍は高く買ってくれるから給料も良い。それに、アンゲルスの戦争は君が思うような総力戦じゃない。主に対テロ戦争で、死傷者もほとんど出ない。PTSDになる同僚は嫌ってほど見てきたけどさ」
少しだけ遠い目をして、タイラーは空を見上げた。彼女にも、この世界に来るまでに色々なことがあったのだろう。渚はそれ以上、深くは聞かなかった。
やがて二人がたどり着いたのは、街で最も高級とされる百貨店の1階だった。きらびやかなシャンデリアが下がり、床は大理石で磨き上げられている。その一角にある酒類専門コーナーは、まるで博物館のようだった。世界中から集められたであろう酒瓶が、照明を浴びて宝石のように輝いている。
「さて、と……あったよーん」
タイラーは迷うことなく、店の最も奥、ガラスケースの中に厳重に保管されている一本のボトルを指差した。重厚な木箱に収められた琥珀色の液体。ラベルには翼を生やした獅子が黄金で描かれている。『グリフォンズ・ティア』。渚でも、それが只者ではないことが一目で分かった。
「すみませーん。これくださーい」
タイラーが気の抜けた態度で声がけすると、初老の紳士店員がうやうやしく近づいてきた。
「スレッジハンマー中佐殿、いつもご贔屓ありがとうございます。本日はグリフォンズ・ティアをお買いで?」
「そー。プレゼントするんだ」
「かしこまりました」
タイラーは財布から、ブラックなクレジットカードを取り出した。限度額無制限の、富裕層しか持てないと言われているカードが、目の前にある。なんとも不思議な気分だった。
「お買い上げ、ありがとうございます」
店員は深々と頭を下げ、手際よく木箱を美しい包装紙で包んでいく。その間、渚はただただ圧倒されていた。30万円の買い物を、手のひらをかざすだけで済ませてしまう。これが、この世界の日常。そして、タイラーの持つ〝格〟。万引きなんていう浅はかな考えを抱いていた自分が、ひどくちっぽけに思えた。
「また来るよーん」
初老の紳士店員が深々と頭を下げる中、タイラーは手を振って去っていった。それに続き、渚も外へ出る。
包装された美しい紙袋を受け取り、タイラーはそれを渚に手渡した。ずしりとした重みが、現実感を突きつけてくる。
「あ、あの。本当に良いんですか?」
「なにが?」
「30万円もするお酒をプレゼントするなんて……」
「転生者の後輩って、可愛いもんなのさ。ま、困ったときはお互い様ってヤツだよ」
タイラーはそう笑った。




