東京・再開発エリア-本編-
大きな事件なんてなくても、人の心は静かに変わっていく。
気づけば、昨日まで当たり前だったものが、今日は少しだけ遠い。
忙しさに紛れて見ないふりをしてきた違和感が、ふと輪郭を持つ瞬間がある。
この物語は、その“気づき”の手前で揺れる女性たちの話だ。
誰にも言えない心の温度を、そっと思い出すように読んでほしい。
■ 現代:デジタルネイティブの侵食
東京、虎ノ門の超高層ビル。
新興IT企業『ネクスト・コア(NC)』のCEO、九条は、全面ガラス張りのオフィスで、巨大なモニター群を眺めていた。
モニターには、都内の電力網がリアルタイムで「最適化」されていく様子が、無機質な光の点となって映し出されている。
「不動さん。あなたの言う『現場の直感』なんてものは、単なるデータのサンプリング不足ですよ」
九条は、まだ二十代半ば。
高専的な「泥臭いメンテナンス」を、コストの無駄と切り捨てる世代だ。
彼が推進する『スマート・グリッド計画』は、国家の送電管理をすべてAIによる自律制御に置き換えるというものだった。
不動の視界には、九条が操るシステムが、
「極彩色で、あまりに完璧すぎる青」
として映っていた。
青は観察と安全を示すはずの色。だが、九条の青は、生命感のない、凍りついたような冷たい青だ。
その色の下で、微かな「ノイズ」が押し潰されているのを、不動は見逃さなかった。
胸の奥がひどく冷えた。
「またか……。大人の直感は、いつも“誤差”にされる」
その痛みは、誰にも言えない種類のものだった。
■ 日常に潜む、深根会の「連鎖」
不動はオフィスを後にし、地下鉄のホームへ向かった。
彼のスマホには、先ほどから奇妙な通知が届いている。
それは、人気インスタグラマーが投稿した「表参道のカフェ」の写真だった。
一見、20代の女性たちが好むような、パンケーキとラテアートの華やかな写真。
だが、不動がその画像の特定のピクセル座標を脳内でサンプリングすると、暗号が浮かび上がる。
『NC社、第4中継地点にバックドア。柏木、物理層で遅延中。玲奈、機材搬入を阻止』
理系メンバーが構築したこの「アルゴリズムによる擬態」は、九条のAIでさえも「単なるノイズ」として処理して見逃している。
深根会は、SNSのタイムラインという現代の激流の中に、静かに、誰にも気づかれぬよう「防衛の杭」を打ち込んでいた。
不動は画面を閉じながら思う。
「こういう地味な連携こそ、最後に人を救う。派手さはなくても、確かに世界を支えている」
その実感が、不動の胸に温かく灯った。
■ 違和感の正体
不動は、NC社が開発を進める『湾岸第3変電所』の視察に向かった。
そこでは、九条の指示によって、最新のクラウド制御ユニットが次々と設置されていた。
「……匂いが、違う」
不動は足を止めた。
潮風の匂いの中に、わずかに「焦げたような、電子的な悪意」の匂いが混ざる。
共感覚が、激しく 「赤」 を点滅させた。
不動は息を呑んだ。
「この違和感を無視して、何度後悔してきたんだろう」
胸の奥で、過去の痛みが静かに疼く。
九条のシステムは、効率を優先するあまり、物理的な遮断回路を簡略化していた。
もしAIがハックされれば、東京の電力は外資の思うがままにシャットダウンされる。
九条は「効率」という名の善意で、国家の首筋に自らナイフを当てようとしているのだ。
「加藤さん。あなたが言った通りだ。
世界は今、『正しい手続き』で破滅へ加速している」
■ 静かなる反撃 ── 「70点の設計」の勝利
不動はROOT-LINEを起動した。
「全セルへ。物理的ブレーキの始動。ターゲット、変電所B-12」
すぐに、深根会の連鎖が始まった。
港湾の高梨玲奈が、保守パーツのコンテナを「書類不備」で一時留め置きにする。
市役所の佐藤洋平が、設置予定の光回線に「埋設管の調査不足」という名目で、合法的遅延をかける。
銀行の藤原正英が、NC社への追加融資に「不透明な資金流動」の疑いをかけ、審査を数日間ストップさせる。
九条の完璧なAIは、この「バラバラで、意図の見えない小さな遅延」を、一つの攻撃として認識できない。
それは、日本の制度の隙間に潜む、古臭い「人間の頑固さ」による、計算不可能なブレーキだった。
不動は、連鎖が動き出すのを感じながら、静かに思う。
「完璧じゃなくていい。人が手を入れられる余白こそ、システムの強さだ」
その確信は、胸の奥で静かに温度を持っていた。
■ 結末:止まらないことの誇り
一週間後。
NC社のプロジェクトは、原因不明の「実務的トラブル」の連続により、大幅な見直しを余儀なくされた。
九条は、自分のスマートなオフィスで、動かなくなったモニターを見つめて立ち尽くしていた。
「なぜだ……アルゴリズムに欠陥はなかったはずだ」
そこへ、不動が現れる。
「九条くん。君の100点の設計は、たった一箇所の故障で、100点を維持できなくなる」
不動は、自分の手元にある古い、煤けたアナログなスイッチの図面を見せた。
「深根会が守ったのは、この『古いブレーキ』だ。
70点の性能しかないが、どんなAIが暴走しても、誰かが自分の手で叩けば、必ず止まる。
……この国には、まだそれが必要なんだよ」
そして、不動は静かに付け加えた。
「完璧じゃなくていい。続くことの方が、ずっと強い」
九条の完璧な青い世界が、不動の視界でゆっくりと、穏やかな、日常の白へと変わっていく。
窓の外では、東京の夜景が、いつも通りに明滅していた。
誰も、この国が数日間、奈落の淵にいたことなど気づかない。
不動は、先代・加藤が愛した東京タワーを見ながら、パイプをくわえた男が描かれた銘柄のペットボトルのコーヒーを、一口飲んだ。
「お疲れ様。……日常を、続けよう」
大人になると、恋も別れも、声を荒げずに静かに終わっていく。
その静けさの中で、自分だけが取り残されたように感じることもある。
けれど、痛みの正体に気づいた瞬間から、人は少しずつ前に進める。
ユキの物語は、誰かの過去の記憶と重なるかもしれない。
読み終えたあなたの心に、そっと寄り添う余韻が残っていたら嬉しい。




