旅に出る理由
「ああ、壁の子か……。そこらへんに捨てておきなさい」
道に倒れた少年を近くの交番へ引きずっていくと、眠たそうな顔の警官は少年を見るなりそう言ってあくびをする。
少年は、一緒にいた妹はどこにいるのかと叫んでいる。
「壁の子はね、壁の近くに住んでる迷惑な貧民さ。年に一回は衛生局が駆除して……」
私はその時まだ小学三年生で、警官の言う貧民とか衛生局とかいう言葉がよく理解できなかったから、とりあえず家に少年を連れて帰ったら、ママが激怒して家に入れない。
それで私は三分ぐらい悩んだあと、真夜中にこっそり家の食料をかき集めてリュックに詰め、少年と一緒に家出をした。
少年の妹がいるという壁の向こう側へ行けたのは、政治的、または物理的な理由によって阻まれた高い壁を越えるために、いろいろな冒険(違法行為など)をしたあとの五年後の十四歳のときだった。
「そこに座るな。われわれの席を汚染するな」
壁の向こうでは、バスなどに乗ると私はいつも差別を受ける。
「壁の中の連中はずっとわれわれをいじめてきた。そこから来たお前を差別して何が悪い?」
やっと会えた少年の妹もまた、私を睨んでそう吐き捨てる。
少年は私のことを命の恩人だと言ってかばうが、妹の心は全く別にあるようだった。
「嫌な話だけど、妹は悪い連中と一緒に君を殺すつもりさ。今すぐ逃げろ!」
私は彼らの元を去ったが、再び壁を越えて故郷の“壁の中”へ戻るために十年かかった。
しかしずっと学校へ行っていなかった私(二四歳)にはまともに働ける仕事はない。
私は暇を持て余して、これまでの旅のことを書いてネットに投稿する毎日を過ごしていたのだが、それがみるみるネットで拡散されてインフルエンサーなどによる論争が巻き起こり、半年後には壁の中の社会は変だと考える革命運動が勃発した。
私は壁の中の政府から革命指導者の一人とみなされて逮捕され、拷問を一カ月ほど受けた後、これ以上何も聞き出せないと判断されたのか、壁の外へ裸で放逐された。
「裸の革命勇者よ、われわれと古い壁を壊しましょう!」
私は裸のまま、壁の外の革命総決起集会に連れて行かれ、以前に私を罵倒した“少年の妹”から花束を差し出された。
「か、革命の勇者様とは知らず、あの時は……」
君のお兄さんは?
「あ、あ、兄は勇者様のことをを捜すと言って旅に出たままで……」
また旅に出る理由ができてよかったけど、まず服を下さい。